印刷 高速道路 1000円 機械仕掛けの林檎 今は昔・中編 (カテゴリ:長編) 忍者ブログ
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 続きです。過去捏造や性的な描写に注意。
 衝月×阿紫花ぽいですけど、ジョアシです。
 
 終わらなかったので、分割します。中篇です。

 今は昔

 白い雪が舞っている。
 その中を、白装束の少年が舞っている。
 いや、舞っているのではない--。
 黒い人形を操っている。
 白い手袋の先から伸びる糸が雪を切る。ヒュカッ、と、まるで弦楽器のような美しい音をさせ、糸が生き物のように有機的な放物線を描く。
 黒い人形は刀を持っていた。それでひたすら壊しているのは。
 白装束の人形だった。
 舞うように少年は。
 雪のように透明で、冷え切った眼差しで。
 己の似姿を、黒い人形で打ち壊し続けた。

 ※

 村の広場に駐車したトレーラーの横板が開いている。ほとんど丸見えの居住空間を少しも気にせず、仲町サーカスのメンバーは朝食を作っていた。
 料理の上手いエレオノールを先導に、それぞれ役割分担をして動き回っている。

「黒賀村の人たち、おうちに鍵を掛けないンですっテ。驚きまシタ」
 リーゼは器用にバーベキューコンロに火を起こし、「ウフフ、火の輪の要領デス」と密かに笑っている。
 涼子は火の起こし方を見て覚えながら、
「泥棒とか、悪いことする人がいないのね、きっと」
「平和デスものネ。この村ハ……それに、他のおうちも丸見えデス」
 リーゼの見た先にある一軒家は、確かに内部が丸見えだった。カーテンも開けっ放しで、隠したりもしない。部屋の中でテレビを見て寛ぐ主が見えた。リーゼの視線に気づくと、傍らの--おそらく娘だろう--乳幼児を抱き寄せて手を振って見せた。
「誰も気にしなイんですネ」
 リーゼも手を振り返す。黒賀村はどこの家もこんな調子だ。
 長い事外国のサーカスで過ごしていたリーゼには考えられないほど、穏やかな村だ。
 涼子は不思議そうに、
「でも、人形を作る倉とか小屋に入ると、死ぬほど怒られるって、平馬が言ってたわ。人の家の人形小屋に入ると、人間が住んでる家に勝手に入るより怒られるんだって」
「まあ」
「変わった村だよね。……」
「そうデスねエ……あら?しろがねサン、お客様デス」
 リーゼの声に、エレオノールはまな板から顔を上げ、
「どなたが-- ! 止まれ!」
 ジョージだ。恐ろしく早く走って来る。勿論停止する。
 まるで車やバイクが急停止する時の様に、ジョージの足元に砂煙が上がる。
「すごい……人間て、そんな速度で走れるんだ……」
 涼子は目を丸くしている。もう少しで激突されていただろう危ない距離だ。しかしジョージの脚力に感心している。
 しかしエレオノールは大声で、
「何を考えている!アナタがそんな速度で走ったら、人にぶつかった時にどうなるか分からないのか!アナタは何年しろがねをやっている!」
 まるでギイのような口調だ。
 「なんだなんだ」と、男どもがテントの方からこちらを伺っている。「ジョージじゃん」という鳴海の声が聞こえた。
「……ああ、すまない」
 もし誰かと接触しそうになっても、しろがね-Oならば十分避けられる。しかしジョージは反論せず、
「アシハナを見なかったか」
「阿紫花?見ましたか?(と、リーゼや涼子に問う)--私も見ていない。男性陣もどうでしょう?私たちはずっとこの広場の中央にいたから、もし通りかかっていたら気づくと--顔、どうかしましたか?ジョージ」
「……分かるだろう。……」
「……阿紫花が、ですか……」
 エレオノールは気の毒そうに、火の燃えるコンロを指差し、
「大丈夫。ジョージ。火ならあります」
 涼子とリーゼが首をかしげる。
 エレオノールはにこやかに、
「油性ですから、顔を火で焼いて炙って落とせばいいのです」
「心底恐ろしい女だな、君は」
「しろがねですから、それくらい出来ます」
 鳴海との愛では基本的な行動原理は変化しなかったらしい。エレオノールの無茶振りに、人間である涼子とリーゼは引いている。
 祖母さんそっくりだよ、君は、とジョージは声に出さず呟いて背を向ける。
「もしアシハナを見つけたら、連絡してくれ」
「はい。--どうか、人間の速度で走って下さいね」
 それをお前が言うか。--さっきまで「火で顔を炙る」とか言っていたエレオノールを振り向かず、ジョージは去って行った。

 ※

 当の阿紫花は。
「あ~あ……つまんねェ」
 タバコを吹かしながら、田舎道を歩いていた。
 悪戯をしたはいいが、ジョージは来ないし、綺麗な娘っ子もいやしない。目に映るのは竹薮と青い田畑、青空に青い山脈--。
 離れていた時間が長すぎたのだろう。どれも鮮やかに見えて。
「……」
 綺麗でやんの、と、阿紫花は思った。
 木漏れ日が斑に陰を落とす。
「……そういや、この先は……」

『人形、一緒に作りやせんか』
 そう言った少年の面影が、胸の奥にチラつく。
 秋の木漏れ日の中、二人の少年が夕日の中を歩いていく。
『あたし裏方でいいって言ってンだけど、神社の息子が人形相撲出ねえのはおかしいって言われちまいやしてねえ。あたしも相撲の人形作らなにゃ……え?何言ってンでさ、衝さん。……いけねえよ、そんな馬鹿言っちゃあ……』
 そうだ。確か、自分は少年に、
『人形をお前と作るのはいいんだけどな。……花嫁がお前なら、気張り甲斐あるんだけどな』
 と、言ったのだ。
『ヤですよ、衝さん。あたしをからかっちゃ、怒りやすよ』
 そう言って目を伏せた目元の、なんとなく淫猥な色が、思春期の男子中学生には目の毒だった。
『衝さんにゃ、女がいるじゃねえか。……』
 伏せた目のまま、少年はそう、微笑った。

 衝月は顔を上げた。
「誰かいやすかい?……」
 がらりと小屋の戸が開いた。
「お前ェ……」
「あ、衝月」
 阿紫花だ。「久しぶりじゃねえか。元気してたかよ?前に人形貰いに来て以来かあ?」
 へへへ、と阿紫花は笑う。純粋に、旧友を見つけた顔で。
「……入るんなら、タバコ消せ。うちの人形小屋は火気厳禁だ」
「へえへえ。……タバコ、やめたんですかい」
 阿紫花はタバコを落とし踏み消し、小屋の扉を後ろ手で閉めた。
「中坊の時ゃ、ここでよく吸ってやしたっけね。あたしら……」
 ドクン、と、衝月の心臓が脈打った。
「英良、お前ェ……」
「ゴローって言いやしたっけ?あんたのガキ。台所で母ちゃんと飯食ってやしたよ」
 阿紫花はへらへらと、
「あんたによく似たガキじゃねえか」
「……」
 衝月はしばし阿紫花の顔を見つめて、
「……ヘッ……お前のトコの平馬も、お前ェに似てやがるよ」
「でしょうかねえ?血繋がってねえんだけどねえ。……あんたんトコのゴロー、うちの百合に夢中だって言うじゃねえか。東京者で垢抜けたトコがイイとか抜かしてるってよ。平馬から聞いたぜ。……親父のあんたそっくりだと思ってよ。……そういう余所者に弱ェトコ」
「ハン……」
 別に--少年の時分に阿紫花と仲良くつるんでいたのは、阿紫花が「東京者で垢抜けた」少年だったからではない。
 阿紫花は笑い、
「でも多分、嫁さんにすンのは村のアマっ子なんでしょうねえ。あんたの嫁さんみてえな、さ……気立てのいい、丈夫で可愛い心根のさ……。白くて柔らかくて、ふわふわした頬っぺたした……」
「……」
「思い出さねえかい、『衝さん』。あたしら、あのアマっ子取り合って、人形相撲で勝負したじゃねえか」

 ※

「日本のブレェクファストに付いて来る、この黒い紙はなんだい?ギイ」
「それは海苔という。海草を掻き集めてシート状に伸ばし乾燥させた健康食品だ。アナタにも味の記憶をがあるはずだが?」
「記憶と実際の舌は違うだろ、ギイ。白銀先生が美味しいと思っても、あたしは純粋なフランス人だからね。……なんかねえ。黒々して、いやらしいじゃないか。食べ物って気がしないよ」
 好き勝手にフウは言い、テーブルの上の膳を見回す。
 長の屋敷だ。秘密主義が当たり前で、観光客を寄せ付けない黒賀村には宿泊施設が無い。「黒賀村に手ごろな屋敷を買ってしまおうか?建てようか?」と言い出したフウを説得し、長に声を掛け、ギイは何とか長の屋敷に宿泊の許可を得た。
 今二人の近くには誰もいない。与えられた広い和室は、車椅子でもいいように板間のままで、凝った造りの窓枠などが実に美しい。生けられた藤の花も、繊細で部屋に調和している。
 しかし贅沢に慣れたフウは、黒檀のテーブルを戸惑い顔で見下ろしている。食事には手がつけられていない。
 最近富みに我侭になって来た老人を、ギイはたしなめる。
「イギリスに長い事いたじゃないか、アナタは。あんな食事の不味い国で、百年以上生活できたなら日本は天国さ」
「あたしはどこにでもいたよ。アメリカにもロシアにも」
「どちらもさほど料理のうまい国じゃないじゃないか。ハンバーガ-とウォッカさえあればいいんだろ。……早く食べてくれ。駄菓子屋を手伝うと約束してある。僕を待つ美しい日本女性たちに、君が釈明してくれるのか?大体、どうして有機義体になった僕の方が早く食べ終わっているんだ」
 食事などあまり必要ないのに、と、ギイはこぼす。
「ほっほっほ……あたしが新しく作った体は優秀だからね。苦労したよ。人間から遠く、ひたすら強い機械を作るなど、簡単なんだ。でも人間の感触や欲求を維持する有機体を作るのは骨が折れる。ジョージ君みたいに、ただ機械にするのは簡単なんだよ。ま、ジョージ君については少しだけ感覚機関や神経を人間に戻してあげているが、基本は機械のままだ」
 器用にフウは箸で黒々とした煮豆を掴み弄ぶ。
「長年機械だったから、今更人間に戻るのもイヤだと。あの子はどうして不器用なのかねえ。なんでも出来るのに何も出来ない」
「器用なジョージなどこの世にいるかい?--それよりも、食べる必要も無いのに擬似脳神経が食欲を訴える、僕の脳の機構の意味は?どうせ太りも痩せもしない体で。……」
 フウは煮豆を飲み込む。案外美味しかったようで、少し大きく目を開けた。
「人間を、作れるかと思ってね。……」
「……」
「人間を人間足らしめるものは、自己認識と身体欲求。自己認識はあたしには作れない。でも残った方なら、どうにか出来る。だからだよ。人間は不満や欲求を抱き続けなければ人間足り得ない。精神も肉体も、コンマ一秒ごとに変質していくものだから。変化し続ける肉体を持つ事。それが人間の本質の一部であると思うから、あえて、しろがねの強靭な欲求への耐性を殺した。当たり前の人間のように、飢え、乾き、眠り、老い、そして死ぬ。自己認識の更新と肉体の変質を受け入れ続ける事が人間の本質ならば、……今の君もやはり、人間なのさ」
 チチチ、と窓の外で鳥が鳴いた。
 老人は微笑み、
「前も言ったかな。人間の生命を、君は今度こそやり直す権利があると思うんだ。ギイ君。生き残ったからこそさ」
「……フン」
 ギイは伏せていた目を微笑ませ、
「そうだな。ママンに抱きしめて貰うのは後何十年か先になったが、この世すべての女性に抱きしめてもらうのも悪くない。それに……」
 ぎゅ、と、ギイは己の手を握る。
「オリンピアの一部も、この中にまだ生き続けている」
 神経組織や素材を含め、オリンピアの手足を移植してある。組成の異なった有機素材に変質させてあるが、確かにオリンピアの手足だと、ギイは感じている。長年呼吸を合わせて戦ってきたギイには、分かるのだ。
「オリンピアがここにいるなら、ママンもここに生き続けているのに近いね。あの世の正二郎に嫉妬されるかな」
「ハハ……そっちはそっちでよろしくやっているさ。ギイ、君は、アンジェリーナに似ているよ。美しい子だった。美人は皆似るというがね」
 フウの言葉に、ギイは苦笑した。
「フフ、ママンは美しい人だったよ。僕なんか彼女『ら』に比べれば--ん?」
 どかどかどか、と重い足音が廊下から聞こえる。ジョージだ。音の重さでは鳴海に及ばないし、足捌きの長さも違う。これだけ広い歩幅で重い音となると、機械の体のジョージくらいしかいない。
 朝の挨拶をしよう、とギイとフウは笑顔で扉が開くのを待つ。
 開いた。
「やあ、おは--」
「アシハナは来ていないか?」
 扉を開けて第一声がそれだった。ギイは眉をしかめる。ジョージはピアノという芸術を愛しているが、目の前のギイ・クリストフ・レッシュという神の造形美には微塵も興味を見せた事が無い。
 幸いにギイは自分を「美しいが一番の魅力は実用的な人形遣いの腕前」と思っているので、ジョージの態度も長くは心に留め置かない。
 微笑を返し、
「おはよう、ジョージ。アシハナは見ていないよ」
「そうか。--突然邪魔をしてすまない。おはよう、ギイ、フウ。アシハナが来たら教えてくれ」
「あ」
 ジョージはさっさと背を向けて行ってしまう。
 ギイは苦笑し、
「見たかい?あの顔。油性マジックだ。よくやるんだよ、子どもはそういう事を」
「自分たちの体にGPSが入っている事も忘れて……、あの子は本当に……不器用だねえ」
「自分と阿紫花の事に関しては、子どもより粗忽になれるな、ジョージは」
「L'amour est aveugle.(恋は盲目)……羨ましくないかね」
「Amantes, amentes.(愛する者に正気無し)とも言うね。愚かな愛は僕の望むものではない。」
 ギイは微笑み、目を閉じた。
「でも、もう少し若ければそんな恋を、僕もしてみたかったなあ」
 瞼の裏に浮かんだのは、百年前に見た、ある不器用な人形の眼差しだった。
 ぎゅ、と。
 ギイは拳を握り締めた。

 ※

「この小屋にあたしが忍び込んで来るとよ、あんたいつも、タバコと酒くれたっけな。人形作りしながら、ちまちま酒飲んでタバコ吹かして。……どっちからとも分からねえが、いつしか--体重ねてたっけな」
 阿紫花は言う。何気ない口調だからこそ、それが衝月の耳朶を逆なでする。
「ま、尺って終わりってんじゃ、あんなの寝た内に入らねえや。--そいつ、ゴローの人形かい?」
「あ、ああ。……」
「ふうん」
 阿紫花は下駄を脱いで上がってくる。人形に興味が出たのだろう。
 座り込む衝月に体を寄せるようにして、まだ部分しか出来ていない人形の、外張りのない腕を見下ろす。
「ああ、あんたの人形にそっくりだ。頑固そうな作りしてら。基軸に遊びがねえから糸繰りに融通が利かねえ」
「おい……」
 吐息が近い。薄いシャツ越しの熱を右腕に感じる。
 しかし阿紫花は二人の距離など意に介さず、
「歯車の噛み合せじゃねえ、まずは組み合わせだって、教えてやったらどうだい。あ~あ、もったいねえ。意匠と発想に、人形作りの腕が追いついてねえのな。悪ィが平馬と坊やの人形の方が、人形としちゃ上だ。……懇切丁寧に教えてやるのかよ、どこ弄りゃ具合が良くなるのか」
「まさか。そんな事してちゃ、あいつのためにならねえ」
「だよな。あたしも前に平馬に同じ事したわ」
 阿紫花はからりと笑い、
「手伝わねえで見守るだけがイイ事もあらあなあ。……」
「……お前ェ」
 衝月は呟いた。
「あの時、なんで俺の人形の方を持っていった」
「へ?」
「二十年前、あの夜に」

『衝さんがしてえなら、……何しても構やしやせん。あたしも、何でもしやす。……ずっと、してきたじゃねえですか……』
 白い寝巻きにどてらを着込んでいた。それが押し倒されて乱れて、白い太ももがあらわになっている。
『いつもより、深ェ事、して……』
 そう囁くように言った顔が、電球の灯りの中でどれだけ--艶めいて見えたことか。『あたしを、……』
 はあはあと荒い呼吸、太い鼻息が自分から漏れていると、衝月は悟った。まるで獣だ。
 こいつ(阿紫花)は男を馬鹿にしちまう。おかしくしちまう。性質が悪い。
 それまでは、互いにしゃぶったり、互いの一物同士を擦り合わせたりするだけだった。しかしその夜は、違った。ああ、間違いなく自分たちは一線を越えるのだ、という奇妙な確信があった。
 阿紫花の目が、どこかでそれを強いている風ですらあった。
 昼間、買い物帰りに今年の年娘に偶然出遭った。阿紫花や衝月と同級の少女。その娘を交えて一緒に帰ってから、どこかおかしかった。
『衝月君に、勝って欲しいな……』
 前を歩いていた衝月と阿紫花の背後を歩いていたその娘が、そう呟いた。
 自分に好意を持っているだろう娘の声に、衝月は硬派を気取ってしまった。振り向き、力強く言った。
『当たり前だ、俺が勝つ』
 それから、阿紫花がおかしい。人形を作る手もどこか上の空で、--夜が更けたら自ら行為に誘う。いつもならそれは衝月からなのに。
 --立ち上がりかけた己を晒したまま、足首を持ち上げられても阿紫花は見上げてくる。  
『衝さん……』 
 色気のある顔だ--明るい場所で見てもそう思う時がある。細いがしっかりした柳眉に、睫毛の長い吊り目--。
 若い黒賀の女どもの作る人形は、どんなに無骨なからくりを与えても、線が細く思えた。雄雄しく作ろうともどこかで女の目が覗く--そんな人形たち。
 人形は作り手が透けて見える。作り手に似る。
 阿紫花がもし人形なら、--作り手は女だろう。それも飛び切り、すこぶる付きの、極上の女。細い、人工的な朱の似合う女の--。
『衝月君に、勝って欲しいな』
 どうしてだか、昼間の声が耳元で聞こえた。
『……衝さん?』
『お前ェが……』
 そう呟いて、阿紫花を抱きしめた。
『女なら良かったのに』
『あたしが……』
『お前ェが花嫁なら、俺ァ……明日お前ェとやりあうなんざしなくて済むし、高校出りゃすぐによ、結婚でも何でもしてよ……英良ォ、お前ェが好きだ。好きだ。愛してる』
 ギリリリリ、と。薄革が歯車に噛まれるような音がしたが、衝月は気が付かなかった。
『俺ァ……お前ェが』
『衝月』
 その声に顔を上げると。
 阿紫花は人形じみた顔で微笑んでいた。
 唇に、何か紅いものが滲んでいる。
『もう何も言いなさんな』
 人形じみた少年の腕が動き。
 自分の頭上に振り下ろされる。何か黒い大きなものを握ったまま。
 --瓶を脳天に食らい。
 そこで衝月の意識は途切れた。

「気が付くと神事の朝だ。俺の作ってた人形が無ェ。代わりにお前の人形が置いてある。戸惑いながら神社に行ったら、--お前ェは俺の人形を、自作だって登録してやがった。俺の名前の欄にはお前ェの人形だ」
 衝月は真剣な眼差しだ。
「お前ェは--強かったな。他の人形遣いの前で人形を操ってると嫌味になるってくらい上手かった。俺の人形も、らくらく、操って見せた」
「……お互いに作るの手伝ったじゃねえか。からくりが一緒なら自然と操りも似るってもんだろ。どっちがどっちの、なんて、小せェ事、今まで気にしてたのかよ」
 阿紫花はへらへらと身を揺すりながら喋る。
 しかし衝月は身じろぎせず、
「俺はお前の人形を、四苦八苦しながら操ってたのにか?俺の腕は、あの時からもうとっくにお前には適わねえモノだった」
「そんな、謙遜も過ぎちゃ嫌味だ」
「そのままテメエに返すぜ、英。--今でも思い出す」
 --白装束の少年の傍らに、黒い人形が佇んでいる。
 真冬の黒賀村。
 雪が唸りを上げる。
 その雪を挟んで、少年と向かい合い、黒装束の衝月が立っている。
 傍らには、白い人形。
 阿紫花によく似ていた。
「雪がやたら降ってた。まるでな、お前ェの周りだけ--」
 桜吹雪が舞うようだった。
 それはなんと冷たい花だろう。
「人形使いは黒装束、神事の関係者は白装束。お前ェはオヤジの言いつけ通りに白を着て出てきた。若いヤツで白を着てるのは、花嫁とお前ェだけだった。……口さがないヤツは言ってたぜ。どっちが花嫁だか分からねえ、いっそ息子の方でも悪くねえ、とよ」
「……ケッ、尻が痒くならあ。長老どもだろ?当時の。そんな事言うスケベジジイはよ--」
「全身白で、髪と眉と目だけ黒くて、……寒さで血の気を失ってる癖に、唇だけは赤かったな。だからだろ、そんな錯覚させたのは。ありゃ、テメエで噛んだんだろ。血が出るくらい、前の夜に、俺を殴る前に」
「……」
「なあ、英良。あの夜、何がお前を、傷つけた」

 ※

「なあ母ちゃん。あのヤクザと知り合いなのか?」
 五郎は台所で、洗い物をする母親の後姿を眺めている。
「殺し屋じゃん。……」
 五郎の目には、母は穏やかな人に見えた。厳しい父に付き従うだけの、穏やかで優しい、従順な母。
「同級生なのよ。そりゃモテたもんよ~?」
「え、母ちゃんが?」
「違う違う。あたしは地味で冴えないただの女の子だった。父ちゃんと、阿紫花君。二人ともね、すっごくかっこよかった。阿紫花君なんか、人当たりいいから、すぐ女の子に声かけてさ、友達になっちゃうの」
「人当たり……いいかあ?あのおっちゃん」
「う~ん、今はちょっと、柄が悪いけどね。昔は東京の言葉でも、丁寧に聞こえたなあ。職人さんみたいよね、あたし、って、女の子みたいに喋ってたけど、それ以外はケンカも強かったし、男の子だったかなあ」
 阿紫花を、母親は褒めちぎる。それが多感な五郎には気に入らない。
「なんじゃい、母ちゃんも、阿紫花の兄ちゃんにホの字だったんかい」
「ホの字って……あんたも古い子ね~。……違うわよ。あたしは、父ちゃん一筋。阿紫花君の方よ、あたしにちょっかいかけてきたのは」
「え」
 それも以外だ。派手なネクタイに長いコート、一目で分かるヤクザ者、という阿紫花の印象が強い。そんな阿紫花が、一目で田舎の主婦と分かる母に手を出すなど、考えられない。母はさほど美人ではない。
「こらこら、なんで『え』なのよ。中学の時よ。あれは確か……そうそう、阿紫花君が家出した人形相撲の夜よ」

 ※

「何も傷ついてなんかいやしねえよ、あたしは」
 阿紫花は首をかしげる。おどけて誤魔化しているようにも、本気で思い出さないようにも見えた。
 衝月は強く阿紫花の腕を掴んだ。
「嘘をつけ!お前ェ……」
「なんで怒ンでえ!……あ~、そういえばそんな事もあったっけな。ああ、はは、あたし、あんたの頭かち割ったんだっけ。あン時か」
 阿紫花は苦笑し、
「懐かしいやね。あたしも、なんであんな事も糸が切れたのかねえ。若かったんだとしか、言いようがねえ。……あんたのおっ母さん、もう死んだんだって?」
「ああ。……」
「ご愁傷様。あたし、あの人に偉ぇ嫌われててよ。気づかなかったかい」
「何……」
 衝月は耳を疑った。「何だそりゃ」
「あんたは父親を早くに亡くして、あのおっ母さんが女で一つ、嫁ぎ先でジジイババアの世話しながら育てられた、って」
「ああ」
「一人しかいねえ息子に、おかしな虫がついたら、そりゃ母親は追っ払うわ」
 阿紫花はなんでもない口調だが、衝月は耳を疑う。
「馬鹿な。だって、おれのお袋は、お前が家に来たら毎回きちんと--」
「いいおっ母さんだったぜ。カルピスも濃いの作ってくれてよ、西瓜だ桃だって、切ってくれてよ。……でもよ、あたしも根性捻じ曲がったガキでさ、分かっちまうんだ。一瞬だけ」
『はい、英良君。……』
 衝月の、いつもは笑顔の母親の目の奥が尖りきった刃物のように鋭い。
 差し出されたジュースの味などしなかった。
「人形使ってりゃ、人間の体の動きにも敏感にならあ。--あのおっ母さん、あたしに近づく時ゃ、そりゃあ張り詰めた動きしてやしたぜ。筋肉が強張ってよ、神経が言う事利かねえくらいに、心の中であたしを睨みつけてる。……」
「そんな……」
「それだけじゃねえ。あんたのおっ母さんはマシな方だ。……あたしの人形繰りが気に入らねえと、陰口悪口だ。親父が助役じゃねえなら、もっと酷かったかもな。……余所者が、人形使うのは許せねえとさ。面と向かって言われたのは一回きり。それ以外は数え切れねえ。……」
 初めて聞いた。だが分かる気がした。
 阿紫花は目立った。際立っていた。
 この村の秘密主義は、出る杭を打ち壊してしまわねば安心しない。表面上でしか村人と馴染めない阿紫花の、薄ら冷えた心が村の長老や人形遣いを不安にさせた。
 衝月は目を伏せた。
「……悪かったよ。俺が、気づいてやれなかったから、お前は--俺に失望して、村を出たんだな。あの夜に、……」
「……」
 阿紫花は、目を合わせずに床に向かって呟く衝月を見て、鼻で笑った。
「勘違いすんな、衝月。誰がテメエのために、村出るかよ。テメエがあたしにとってそんな大事だってか?あ?」
 顔を上げ、こちらを見た衝月に、
「あたしが『女なら良かった』なんて抜かした腹の据わらねえクズの癖して。足広げて誘ったこっちに言う科白かよ、股ぐらにおっ立ったモノ見下ろして、それで『女なら』って……ほとほと呆れらあ。テメエのおっ立ったサオをあたしのケツにブッ刺す覚悟もねえ男だったって、早く分かって安心したくれえだ」
「英……」
 まくし立て、阿紫花はつい熱くなった自分に気づき、ばつの悪い顔で衝月を見た。
 喋りすぎたという顔だ。
 衝月は口を開け、
「俺が……『女なら』って、言ったからか」
 幾分かすっきりしたのだろう、阿紫花はへそを曲げた声で、
「……だから、あたしも若かったんだっての。すぐ頭に血が上ってよ。……だって、十分女の役をやってやっただろ。尺ってくれって言われりゃタマまでしゃぶってよ、……人形繰りも、あんたより弱い振りして、……」
 でもダメだった、と、阿紫花は天井を見た。
「そんなの全然、あんたにゃ意味なかったんでェ。……あたしにも……」
 意味無かった、と。
 悲しそうな顔ではなかった。
 ただ懐かしい顔で、阿紫花はそう言った。



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