続きです。過去捏造や性的な描写に注意。
衝月×阿紫花ぽいですけど、ジョアシです。
終わらなかったので、分割します。中篇です。
衝月×阿紫花ぽいですけど、ジョアシです。
終わらなかったので、分割します。中篇です。
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今は昔
白い雪が舞っている。
その中を、白装束の少年が舞っている。
いや、舞っているのではない--。
黒い人形を操っている。
白い手袋の先から伸びる糸が雪を切る。ヒュカッ、と、まるで弦楽器のような美しい音をさせ、糸が生き物のように有機的な放物線を描く。
黒い人形は刀を持っていた。それでひたすら壊しているのは。
白装束の人形だった。
舞うように少年は。
雪のように透明で、冷え切った眼差しで。
己の似姿を、黒い人形で打ち壊し続けた。
※
村の広場に駐車したトレーラーの横板が開いている。ほとんど丸見えの居住空間を少しも気にせず、仲町サーカスのメンバーは朝食を作っていた。
料理の上手いエレオノールを先導に、それぞれ役割分担をして動き回っている。
「黒賀村の人たち、おうちに鍵を掛けないンですっテ。驚きまシタ」
リーゼは器用にバーベキューコンロに火を起こし、「ウフフ、火の輪の要領デス」と密かに笑っている。
涼子は火の起こし方を見て覚えながら、
「泥棒とか、悪いことする人がいないのね、きっと」
「平和デスものネ。この村ハ……それに、他のおうちも丸見えデス」
リーゼの見た先にある一軒家は、確かに内部が丸見えだった。カーテンも開けっ放しで、隠したりもしない。部屋の中でテレビを見て寛ぐ主が見えた。リーゼの視線に気づくと、傍らの--おそらく娘だろう--乳幼児を抱き寄せて手を振って見せた。
「誰も気にしなイんですネ」
リーゼも手を振り返す。黒賀村はどこの家もこんな調子だ。
長い事外国のサーカスで過ごしていたリーゼには考えられないほど、穏やかな村だ。
涼子は不思議そうに、
「でも、人形を作る倉とか小屋に入ると、死ぬほど怒られるって、平馬が言ってたわ。人の家の人形小屋に入ると、人間が住んでる家に勝手に入るより怒られるんだって」
「まあ」
「変わった村だよね。……」
「そうデスねエ……あら?しろがねサン、お客様デス」
リーゼの声に、エレオノールはまな板から顔を上げ、
「どなたが-- ! 止まれ!」
ジョージだ。恐ろしく早く走って来る。勿論停止する。
まるで車やバイクが急停止する時の様に、ジョージの足元に砂煙が上がる。
「すごい……人間て、そんな速度で走れるんだ……」
涼子は目を丸くしている。もう少しで激突されていただろう危ない距離だ。しかしジョージの脚力に感心している。
しかしエレオノールは大声で、
「何を考えている!アナタがそんな速度で走ったら、人にぶつかった時にどうなるか分からないのか!アナタは何年しろがねをやっている!」
まるでギイのような口調だ。
「なんだなんだ」と、男どもがテントの方からこちらを伺っている。「ジョージじゃん」という鳴海の声が聞こえた。
「……ああ、すまない」
もし誰かと接触しそうになっても、しろがね-Oならば十分避けられる。しかしジョージは反論せず、
「アシハナを見なかったか」
「阿紫花?見ましたか?(と、リーゼや涼子に問う)--私も見ていない。男性陣もどうでしょう?私たちはずっとこの広場の中央にいたから、もし通りかかっていたら気づくと--顔、どうかしましたか?ジョージ」
「……分かるだろう。……」
「……阿紫花が、ですか……」
エレオノールは気の毒そうに、火の燃えるコンロを指差し、
「大丈夫。ジョージ。火ならあります」
涼子とリーゼが首をかしげる。
エレオノールはにこやかに、
「油性ですから、顔を火で焼いて炙って落とせばいいのです」
「心底恐ろしい女だな、君は」
「しろがねですから、それくらい出来ます」
鳴海との愛では基本的な行動原理は変化しなかったらしい。エレオノールの無茶振りに、人間である涼子とリーゼは引いている。
祖母さんそっくりだよ、君は、とジョージは声に出さず呟いて背を向ける。
「もしアシハナを見つけたら、連絡してくれ」
「はい。--どうか、人間の速度で走って下さいね」
それをお前が言うか。--さっきまで「火で顔を炙る」とか言っていたエレオノールを振り向かず、ジョージは去って行った。
※
当の阿紫花は。
「あ~あ……つまんねェ」
タバコを吹かしながら、田舎道を歩いていた。
悪戯をしたはいいが、ジョージは来ないし、綺麗な娘っ子もいやしない。目に映るのは竹薮と青い田畑、青空に青い山脈--。
離れていた時間が長すぎたのだろう。どれも鮮やかに見えて。
「……」
綺麗でやんの、と、阿紫花は思った。
木漏れ日が斑に陰を落とす。
「……そういや、この先は……」
『人形、一緒に作りやせんか』
そう言った少年の面影が、胸の奥にチラつく。
秋の木漏れ日の中、二人の少年が夕日の中を歩いていく。
『あたし裏方でいいって言ってンだけど、神社の息子が人形相撲出ねえのはおかしいって言われちまいやしてねえ。あたしも相撲の人形作らなにゃ……え?何言ってンでさ、衝さん。……いけねえよ、そんな馬鹿言っちゃあ……』
そうだ。確か、自分は少年に、
『人形をお前と作るのはいいんだけどな。……花嫁がお前なら、気張り甲斐あるんだけどな』
と、言ったのだ。
『ヤですよ、衝さん。あたしをからかっちゃ、怒りやすよ』
そう言って目を伏せた目元の、なんとなく淫猥な色が、思春期の男子中学生には目の毒だった。
『衝さんにゃ、女がいるじゃねえか。……』
伏せた目のまま、少年はそう、微笑った。
衝月は顔を上げた。
「誰かいやすかい?……」
がらりと小屋の戸が開いた。
「お前ェ……」
「あ、衝月」
阿紫花だ。「久しぶりじゃねえか。元気してたかよ?前に人形貰いに来て以来かあ?」
へへへ、と阿紫花は笑う。純粋に、旧友を見つけた顔で。
「……入るんなら、タバコ消せ。うちの人形小屋は火気厳禁だ」
「へえへえ。……タバコ、やめたんですかい」
阿紫花はタバコを落とし踏み消し、小屋の扉を後ろ手で閉めた。
「中坊の時ゃ、ここでよく吸ってやしたっけね。あたしら……」
ドクン、と、衝月の心臓が脈打った。
「英良、お前ェ……」
「ゴローって言いやしたっけ?あんたのガキ。台所で母ちゃんと飯食ってやしたよ」
阿紫花はへらへらと、
「あんたによく似たガキじゃねえか」
「……」
衝月はしばし阿紫花の顔を見つめて、
「……ヘッ……お前のトコの平馬も、お前ェに似てやがるよ」
「でしょうかねえ?血繋がってねえんだけどねえ。……あんたんトコのゴロー、うちの百合に夢中だって言うじゃねえか。東京者で垢抜けたトコがイイとか抜かしてるってよ。平馬から聞いたぜ。……親父のあんたそっくりだと思ってよ。……そういう余所者に弱ェトコ」
「ハン……」
別に--少年の時分に阿紫花と仲良くつるんでいたのは、阿紫花が「東京者で垢抜けた」少年だったからではない。
阿紫花は笑い、
「でも多分、嫁さんにすンのは村のアマっ子なんでしょうねえ。あんたの嫁さんみてえな、さ……気立てのいい、丈夫で可愛い心根のさ……。白くて柔らかくて、ふわふわした頬っぺたした……」
「……」
「思い出さねえかい、『衝さん』。あたしら、あのアマっ子取り合って、人形相撲で勝負したじゃねえか」
※
「日本のブレェクファストに付いて来る、この黒い紙はなんだい?ギイ」
「それは海苔という。海草を掻き集めてシート状に伸ばし乾燥させた健康食品だ。アナタにも味の記憶をがあるはずだが?」
「記憶と実際の舌は違うだろ、ギイ。白銀先生が美味しいと思っても、あたしは純粋なフランス人だからね。……なんかねえ。黒々して、いやらしいじゃないか。食べ物って気がしないよ」
好き勝手にフウは言い、テーブルの上の膳を見回す。
長の屋敷だ。秘密主義が当たり前で、観光客を寄せ付けない黒賀村には宿泊施設が無い。「黒賀村に手ごろな屋敷を買ってしまおうか?建てようか?」と言い出したフウを説得し、長に声を掛け、ギイは何とか長の屋敷に宿泊の許可を得た。
今二人の近くには誰もいない。与えられた広い和室は、車椅子でもいいように板間のままで、凝った造りの窓枠などが実に美しい。生けられた藤の花も、繊細で部屋に調和している。
しかし贅沢に慣れたフウは、黒檀のテーブルを戸惑い顔で見下ろしている。食事には手がつけられていない。
最近富みに我侭になって来た老人を、ギイはたしなめる。
「イギリスに長い事いたじゃないか、アナタは。あんな食事の不味い国で、百年以上生活できたなら日本は天国さ」
「あたしはどこにでもいたよ。アメリカにもロシアにも」
「どちらもさほど料理のうまい国じゃないじゃないか。ハンバーガ-とウォッカさえあればいいんだろ。……早く食べてくれ。駄菓子屋を手伝うと約束してある。僕を待つ美しい日本女性たちに、君が釈明してくれるのか?大体、どうして有機義体になった僕の方が早く食べ終わっているんだ」
食事などあまり必要ないのに、と、ギイはこぼす。
「ほっほっほ……あたしが新しく作った体は優秀だからね。苦労したよ。人間から遠く、ひたすら強い機械を作るなど、簡単なんだ。でも人間の感触や欲求を維持する有機体を作るのは骨が折れる。ジョージ君みたいに、ただ機械にするのは簡単なんだよ。ま、ジョージ君については少しだけ感覚機関や神経を人間に戻してあげているが、基本は機械のままだ」
器用にフウは箸で黒々とした煮豆を掴み弄ぶ。
「長年機械だったから、今更人間に戻るのもイヤだと。あの子はどうして不器用なのかねえ。なんでも出来るのに何も出来ない」
「器用なジョージなどこの世にいるかい?--それよりも、食べる必要も無いのに擬似脳神経が食欲を訴える、僕の脳の機構の意味は?どうせ太りも痩せもしない体で。……」
フウは煮豆を飲み込む。案外美味しかったようで、少し大きく目を開けた。
「人間を、作れるかと思ってね。……」
「……」
「人間を人間足らしめるものは、自己認識と身体欲求。自己認識はあたしには作れない。でも残った方なら、どうにか出来る。だからだよ。人間は不満や欲求を抱き続けなければ人間足り得ない。精神も肉体も、コンマ一秒ごとに変質していくものだから。変化し続ける肉体を持つ事。それが人間の本質の一部であると思うから、あえて、しろがねの強靭な欲求への耐性を殺した。当たり前の人間のように、飢え、乾き、眠り、老い、そして死ぬ。自己認識の更新と肉体の変質を受け入れ続ける事が人間の本質ならば、……今の君もやはり、人間なのさ」
チチチ、と窓の外で鳥が鳴いた。
老人は微笑み、
「前も言ったかな。人間の生命を、君は今度こそやり直す権利があると思うんだ。ギイ君。生き残ったからこそさ」
「……フン」
ギイは伏せていた目を微笑ませ、
「そうだな。ママンに抱きしめて貰うのは後何十年か先になったが、この世すべての女性に抱きしめてもらうのも悪くない。それに……」
ぎゅ、と、ギイは己の手を握る。
「オリンピアの一部も、この中にまだ生き続けている」
神経組織や素材を含め、オリンピアの手足を移植してある。組成の異なった有機素材に変質させてあるが、確かにオリンピアの手足だと、ギイは感じている。長年呼吸を合わせて戦ってきたギイには、分かるのだ。
「オリンピアがここにいるなら、ママンもここに生き続けているのに近いね。あの世の正二郎に嫉妬されるかな」
「ハハ……そっちはそっちでよろしくやっているさ。ギイ、君は、アンジェリーナに似ているよ。美しい子だった。美人は皆似るというがね」
フウの言葉に、ギイは苦笑した。
「フフ、ママンは美しい人だったよ。僕なんか彼女『ら』に比べれば--ん?」
どかどかどか、と重い足音が廊下から聞こえる。ジョージだ。音の重さでは鳴海に及ばないし、足捌きの長さも違う。これだけ広い歩幅で重い音となると、機械の体のジョージくらいしかいない。
朝の挨拶をしよう、とギイとフウは笑顔で扉が開くのを待つ。
開いた。
「やあ、おは--」
「アシハナは来ていないか?」
扉を開けて第一声がそれだった。ギイは眉をしかめる。ジョージはピアノという芸術を愛しているが、目の前のギイ・クリストフ・レッシュという神の造形美には微塵も興味を見せた事が無い。
幸いにギイは自分を「美しいが一番の魅力は実用的な人形遣いの腕前」と思っているので、ジョージの態度も長くは心に留め置かない。
微笑を返し、
「おはよう、ジョージ。アシハナは見ていないよ」
「そうか。--突然邪魔をしてすまない。おはよう、ギイ、フウ。アシハナが来たら教えてくれ」
「あ」
ジョージはさっさと背を向けて行ってしまう。
ギイは苦笑し、
「見たかい?あの顔。油性マジックだ。よくやるんだよ、子どもはそういう事を」
「自分たちの体にGPSが入っている事も忘れて……、あの子は本当に……不器用だねえ」
「自分と阿紫花の事に関しては、子どもより粗忽になれるな、ジョージは」
「L'amour est aveugle.(恋は盲目)……羨ましくないかね」
「Amantes, amentes.(愛する者に正気無し)とも言うね。愚かな愛は僕の望むものではない。」
ギイは微笑み、目を閉じた。
「でも、もう少し若ければそんな恋を、僕もしてみたかったなあ」
瞼の裏に浮かんだのは、百年前に見た、ある不器用な人形の眼差しだった。
ぎゅ、と。
ギイは拳を握り締めた。
※
「この小屋にあたしが忍び込んで来るとよ、あんたいつも、タバコと酒くれたっけな。人形作りしながら、ちまちま酒飲んでタバコ吹かして。……どっちからとも分からねえが、いつしか--体重ねてたっけな」
阿紫花は言う。何気ない口調だからこそ、それが衝月の耳朶を逆なでする。
「ま、尺って終わりってんじゃ、あんなの寝た内に入らねえや。--そいつ、ゴローの人形かい?」
「あ、ああ。……」
「ふうん」
阿紫花は下駄を脱いで上がってくる。人形に興味が出たのだろう。
座り込む衝月に体を寄せるようにして、まだ部分しか出来ていない人形の、外張りのない腕を見下ろす。
「ああ、あんたの人形にそっくりだ。頑固そうな作りしてら。基軸に遊びがねえから糸繰りに融通が利かねえ」
「おい……」
吐息が近い。薄いシャツ越しの熱を右腕に感じる。
しかし阿紫花は二人の距離など意に介さず、
「歯車の噛み合せじゃねえ、まずは組み合わせだって、教えてやったらどうだい。あ~あ、もったいねえ。意匠と発想に、人形作りの腕が追いついてねえのな。悪ィが平馬と坊やの人形の方が、人形としちゃ上だ。……懇切丁寧に教えてやるのかよ、どこ弄りゃ具合が良くなるのか」
「まさか。そんな事してちゃ、あいつのためにならねえ」
「だよな。あたしも前に平馬に同じ事したわ」
阿紫花はからりと笑い、
「手伝わねえで見守るだけがイイ事もあらあなあ。……」
「……お前ェ」
衝月は呟いた。
「あの時、なんで俺の人形の方を持っていった」
「へ?」
「二十年前、あの夜に」
『衝さんがしてえなら、……何しても構やしやせん。あたしも、何でもしやす。……ずっと、してきたじゃねえですか……』
白い寝巻きにどてらを着込んでいた。それが押し倒されて乱れて、白い太ももがあらわになっている。
『いつもより、深ェ事、して……』
そう囁くように言った顔が、電球の灯りの中でどれだけ--艶めいて見えたことか。『あたしを、……』
はあはあと荒い呼吸、太い鼻息が自分から漏れていると、衝月は悟った。まるで獣だ。
こいつ(阿紫花)は男を馬鹿にしちまう。おかしくしちまう。性質が悪い。
それまでは、互いにしゃぶったり、互いの一物同士を擦り合わせたりするだけだった。しかしその夜は、違った。ああ、間違いなく自分たちは一線を越えるのだ、という奇妙な確信があった。
阿紫花の目が、どこかでそれを強いている風ですらあった。
昼間、買い物帰りに今年の年娘に偶然出遭った。阿紫花や衝月と同級の少女。その娘を交えて一緒に帰ってから、どこかおかしかった。
『衝月君に、勝って欲しいな……』
前を歩いていた衝月と阿紫花の背後を歩いていたその娘が、そう呟いた。
自分に好意を持っているだろう娘の声に、衝月は硬派を気取ってしまった。振り向き、力強く言った。
『当たり前だ、俺が勝つ』
それから、阿紫花がおかしい。人形を作る手もどこか上の空で、--夜が更けたら自ら行為に誘う。いつもならそれは衝月からなのに。
--立ち上がりかけた己を晒したまま、足首を持ち上げられても阿紫花は見上げてくる。
『衝さん……』
色気のある顔だ--明るい場所で見てもそう思う時がある。細いがしっかりした柳眉に、睫毛の長い吊り目--。
若い黒賀の女どもの作る人形は、どんなに無骨なからくりを与えても、線が細く思えた。雄雄しく作ろうともどこかで女の目が覗く--そんな人形たち。
人形は作り手が透けて見える。作り手に似る。
阿紫花がもし人形なら、--作り手は女だろう。それも飛び切り、すこぶる付きの、極上の女。細い、人工的な朱の似合う女の--。
『衝月君に、勝って欲しいな』
どうしてだか、昼間の声が耳元で聞こえた。
『……衝さん?』
『お前ェが……』
そう呟いて、阿紫花を抱きしめた。
『女なら良かったのに』
『あたしが……』
『お前ェが花嫁なら、俺ァ……明日お前ェとやりあうなんざしなくて済むし、高校出りゃすぐによ、結婚でも何でもしてよ……英良ォ、お前ェが好きだ。好きだ。愛してる』
ギリリリリ、と。薄革が歯車に噛まれるような音がしたが、衝月は気が付かなかった。
『俺ァ……お前ェが』
『衝月』
その声に顔を上げると。
阿紫花は人形じみた顔で微笑んでいた。
唇に、何か紅いものが滲んでいる。
『もう何も言いなさんな』
人形じみた少年の腕が動き。
自分の頭上に振り下ろされる。何か黒い大きなものを握ったまま。
--瓶を脳天に食らい。
そこで衝月の意識は途切れた。
「気が付くと神事の朝だ。俺の作ってた人形が無ェ。代わりにお前の人形が置いてある。戸惑いながら神社に行ったら、--お前ェは俺の人形を、自作だって登録してやがった。俺の名前の欄にはお前ェの人形だ」
衝月は真剣な眼差しだ。
「お前ェは--強かったな。他の人形遣いの前で人形を操ってると嫌味になるってくらい上手かった。俺の人形も、らくらく、操って見せた」
「……お互いに作るの手伝ったじゃねえか。からくりが一緒なら自然と操りも似るってもんだろ。どっちがどっちの、なんて、小せェ事、今まで気にしてたのかよ」
阿紫花はへらへらと身を揺すりながら喋る。
しかし衝月は身じろぎせず、
「俺はお前の人形を、四苦八苦しながら操ってたのにか?俺の腕は、あの時からもうとっくにお前には適わねえモノだった」
「そんな、謙遜も過ぎちゃ嫌味だ」
「そのままテメエに返すぜ、英。--今でも思い出す」
--白装束の少年の傍らに、黒い人形が佇んでいる。
真冬の黒賀村。
雪が唸りを上げる。
その雪を挟んで、少年と向かい合い、黒装束の衝月が立っている。
傍らには、白い人形。
阿紫花によく似ていた。
「雪がやたら降ってた。まるでな、お前ェの周りだけ--」
桜吹雪が舞うようだった。
それはなんと冷たい花だろう。
「人形使いは黒装束、神事の関係者は白装束。お前ェはオヤジの言いつけ通りに白を着て出てきた。若いヤツで白を着てるのは、花嫁とお前ェだけだった。……口さがないヤツは言ってたぜ。どっちが花嫁だか分からねえ、いっそ息子の方でも悪くねえ、とよ」
「……ケッ、尻が痒くならあ。長老どもだろ?当時の。そんな事言うスケベジジイはよ--」
「全身白で、髪と眉と目だけ黒くて、……寒さで血の気を失ってる癖に、唇だけは赤かったな。だからだろ、そんな錯覚させたのは。ありゃ、テメエで噛んだんだろ。血が出るくらい、前の夜に、俺を殴る前に」
「……」
「なあ、英良。あの夜、何がお前を、傷つけた」
※
「なあ母ちゃん。あのヤクザと知り合いなのか?」
五郎は台所で、洗い物をする母親の後姿を眺めている。
「殺し屋じゃん。……」
五郎の目には、母は穏やかな人に見えた。厳しい父に付き従うだけの、穏やかで優しい、従順な母。
「同級生なのよ。そりゃモテたもんよ~?」
「え、母ちゃんが?」
「違う違う。あたしは地味で冴えないただの女の子だった。父ちゃんと、阿紫花君。二人ともね、すっごくかっこよかった。阿紫花君なんか、人当たりいいから、すぐ女の子に声かけてさ、友達になっちゃうの」
「人当たり……いいかあ?あのおっちゃん」
「う~ん、今はちょっと、柄が悪いけどね。昔は東京の言葉でも、丁寧に聞こえたなあ。職人さんみたいよね、あたし、って、女の子みたいに喋ってたけど、それ以外はケンカも強かったし、男の子だったかなあ」
阿紫花を、母親は褒めちぎる。それが多感な五郎には気に入らない。
「なんじゃい、母ちゃんも、阿紫花の兄ちゃんにホの字だったんかい」
「ホの字って……あんたも古い子ね~。……違うわよ。あたしは、父ちゃん一筋。阿紫花君の方よ、あたしにちょっかいかけてきたのは」
「え」
それも以外だ。派手なネクタイに長いコート、一目で分かるヤクザ者、という阿紫花の印象が強い。そんな阿紫花が、一目で田舎の主婦と分かる母に手を出すなど、考えられない。母はさほど美人ではない。
「こらこら、なんで『え』なのよ。中学の時よ。あれは確か……そうそう、阿紫花君が家出した人形相撲の夜よ」
※
「何も傷ついてなんかいやしねえよ、あたしは」
阿紫花は首をかしげる。おどけて誤魔化しているようにも、本気で思い出さないようにも見えた。
衝月は強く阿紫花の腕を掴んだ。
「嘘をつけ!お前ェ……」
「なんで怒ンでえ!……あ~、そういえばそんな事もあったっけな。ああ、はは、あたし、あんたの頭かち割ったんだっけ。あン時か」
阿紫花は苦笑し、
「懐かしいやね。あたしも、なんであんな事も糸が切れたのかねえ。若かったんだとしか、言いようがねえ。……あんたのおっ母さん、もう死んだんだって?」
「ああ。……」
「ご愁傷様。あたし、あの人に偉ぇ嫌われててよ。気づかなかったかい」
「何……」
衝月は耳を疑った。「何だそりゃ」
「あんたは父親を早くに亡くして、あのおっ母さんが女で一つ、嫁ぎ先でジジイババアの世話しながら育てられた、って」
「ああ」
「一人しかいねえ息子に、おかしな虫がついたら、そりゃ母親は追っ払うわ」
阿紫花はなんでもない口調だが、衝月は耳を疑う。
「馬鹿な。だって、おれのお袋は、お前が家に来たら毎回きちんと--」
「いいおっ母さんだったぜ。カルピスも濃いの作ってくれてよ、西瓜だ桃だって、切ってくれてよ。……でもよ、あたしも根性捻じ曲がったガキでさ、分かっちまうんだ。一瞬だけ」
『はい、英良君。……』
衝月の、いつもは笑顔の母親の目の奥が尖りきった刃物のように鋭い。
差し出されたジュースの味などしなかった。
「人形使ってりゃ、人間の体の動きにも敏感にならあ。--あのおっ母さん、あたしに近づく時ゃ、そりゃあ張り詰めた動きしてやしたぜ。筋肉が強張ってよ、神経が言う事利かねえくらいに、心の中であたしを睨みつけてる。……」
「そんな……」
「それだけじゃねえ。あんたのおっ母さんはマシな方だ。……あたしの人形繰りが気に入らねえと、陰口悪口だ。親父が助役じゃねえなら、もっと酷かったかもな。……余所者が、人形使うのは許せねえとさ。面と向かって言われたのは一回きり。それ以外は数え切れねえ。……」
初めて聞いた。だが分かる気がした。
阿紫花は目立った。際立っていた。
この村の秘密主義は、出る杭を打ち壊してしまわねば安心しない。表面上でしか村人と馴染めない阿紫花の、薄ら冷えた心が村の長老や人形遣いを不安にさせた。
衝月は目を伏せた。
「……悪かったよ。俺が、気づいてやれなかったから、お前は--俺に失望して、村を出たんだな。あの夜に、……」
「……」
阿紫花は、目を合わせずに床に向かって呟く衝月を見て、鼻で笑った。
「勘違いすんな、衝月。誰がテメエのために、村出るかよ。テメエがあたしにとってそんな大事だってか?あ?」
顔を上げ、こちらを見た衝月に、
「あたしが『女なら良かった』なんて抜かした腹の据わらねえクズの癖して。足広げて誘ったこっちに言う科白かよ、股ぐらにおっ立ったモノ見下ろして、それで『女なら』って……ほとほと呆れらあ。テメエのおっ立ったサオをあたしのケツにブッ刺す覚悟もねえ男だったって、早く分かって安心したくれえだ」
「英……」
まくし立て、阿紫花はつい熱くなった自分に気づき、ばつの悪い顔で衝月を見た。
喋りすぎたという顔だ。
衝月は口を開け、
「俺が……『女なら』って、言ったからか」
幾分かすっきりしたのだろう、阿紫花はへそを曲げた声で、
「……だから、あたしも若かったんだっての。すぐ頭に血が上ってよ。……だって、十分女の役をやってやっただろ。尺ってくれって言われりゃタマまでしゃぶってよ、……人形繰りも、あんたより弱い振りして、……」
でもダメだった、と、阿紫花は天井を見た。
「そんなの全然、あんたにゃ意味なかったんでェ。……あたしにも……」
意味無かった、と。
悲しそうな顔ではなかった。
ただ懐かしい顔で、阿紫花はそう言った。
NEXT⇒
白い雪が舞っている。
その中を、白装束の少年が舞っている。
いや、舞っているのではない--。
黒い人形を操っている。
白い手袋の先から伸びる糸が雪を切る。ヒュカッ、と、まるで弦楽器のような美しい音をさせ、糸が生き物のように有機的な放物線を描く。
黒い人形は刀を持っていた。それでひたすら壊しているのは。
白装束の人形だった。
舞うように少年は。
雪のように透明で、冷え切った眼差しで。
己の似姿を、黒い人形で打ち壊し続けた。
※
村の広場に駐車したトレーラーの横板が開いている。ほとんど丸見えの居住空間を少しも気にせず、仲町サーカスのメンバーは朝食を作っていた。
料理の上手いエレオノールを先導に、それぞれ役割分担をして動き回っている。
「黒賀村の人たち、おうちに鍵を掛けないンですっテ。驚きまシタ」
リーゼは器用にバーベキューコンロに火を起こし、「ウフフ、火の輪の要領デス」と密かに笑っている。
涼子は火の起こし方を見て覚えながら、
「泥棒とか、悪いことする人がいないのね、きっと」
「平和デスものネ。この村ハ……それに、他のおうちも丸見えデス」
リーゼの見た先にある一軒家は、確かに内部が丸見えだった。カーテンも開けっ放しで、隠したりもしない。部屋の中でテレビを見て寛ぐ主が見えた。リーゼの視線に気づくと、傍らの--おそらく娘だろう--乳幼児を抱き寄せて手を振って見せた。
「誰も気にしなイんですネ」
リーゼも手を振り返す。黒賀村はどこの家もこんな調子だ。
長い事外国のサーカスで過ごしていたリーゼには考えられないほど、穏やかな村だ。
涼子は不思議そうに、
「でも、人形を作る倉とか小屋に入ると、死ぬほど怒られるって、平馬が言ってたわ。人の家の人形小屋に入ると、人間が住んでる家に勝手に入るより怒られるんだって」
「まあ」
「変わった村だよね。……」
「そうデスねエ……あら?しろがねサン、お客様デス」
リーゼの声に、エレオノールはまな板から顔を上げ、
「どなたが-- ! 止まれ!」
ジョージだ。恐ろしく早く走って来る。勿論停止する。
まるで車やバイクが急停止する時の様に、ジョージの足元に砂煙が上がる。
「すごい……人間て、そんな速度で走れるんだ……」
涼子は目を丸くしている。もう少しで激突されていただろう危ない距離だ。しかしジョージの脚力に感心している。
しかしエレオノールは大声で、
「何を考えている!アナタがそんな速度で走ったら、人にぶつかった時にどうなるか分からないのか!アナタは何年しろがねをやっている!」
まるでギイのような口調だ。
「なんだなんだ」と、男どもがテントの方からこちらを伺っている。「ジョージじゃん」という鳴海の声が聞こえた。
「……ああ、すまない」
もし誰かと接触しそうになっても、しろがね-Oならば十分避けられる。しかしジョージは反論せず、
「アシハナを見なかったか」
「阿紫花?見ましたか?(と、リーゼや涼子に問う)--私も見ていない。男性陣もどうでしょう?私たちはずっとこの広場の中央にいたから、もし通りかかっていたら気づくと--顔、どうかしましたか?ジョージ」
「……分かるだろう。……」
「……阿紫花が、ですか……」
エレオノールは気の毒そうに、火の燃えるコンロを指差し、
「大丈夫。ジョージ。火ならあります」
涼子とリーゼが首をかしげる。
エレオノールはにこやかに、
「油性ですから、顔を火で焼いて炙って落とせばいいのです」
「心底恐ろしい女だな、君は」
「しろがねですから、それくらい出来ます」
鳴海との愛では基本的な行動原理は変化しなかったらしい。エレオノールの無茶振りに、人間である涼子とリーゼは引いている。
祖母さんそっくりだよ、君は、とジョージは声に出さず呟いて背を向ける。
「もしアシハナを見つけたら、連絡してくれ」
「はい。--どうか、人間の速度で走って下さいね」
それをお前が言うか。--さっきまで「火で顔を炙る」とか言っていたエレオノールを振り向かず、ジョージは去って行った。
※
当の阿紫花は。
「あ~あ……つまんねェ」
タバコを吹かしながら、田舎道を歩いていた。
悪戯をしたはいいが、ジョージは来ないし、綺麗な娘っ子もいやしない。目に映るのは竹薮と青い田畑、青空に青い山脈--。
離れていた時間が長すぎたのだろう。どれも鮮やかに見えて。
「……」
綺麗でやんの、と、阿紫花は思った。
木漏れ日が斑に陰を落とす。
「……そういや、この先は……」
『人形、一緒に作りやせんか』
そう言った少年の面影が、胸の奥にチラつく。
秋の木漏れ日の中、二人の少年が夕日の中を歩いていく。
『あたし裏方でいいって言ってンだけど、神社の息子が人形相撲出ねえのはおかしいって言われちまいやしてねえ。あたしも相撲の人形作らなにゃ……え?何言ってンでさ、衝さん。……いけねえよ、そんな馬鹿言っちゃあ……』
そうだ。確か、自分は少年に、
『人形をお前と作るのはいいんだけどな。……花嫁がお前なら、気張り甲斐あるんだけどな』
と、言ったのだ。
『ヤですよ、衝さん。あたしをからかっちゃ、怒りやすよ』
そう言って目を伏せた目元の、なんとなく淫猥な色が、思春期の男子中学生には目の毒だった。
『衝さんにゃ、女がいるじゃねえか。……』
伏せた目のまま、少年はそう、微笑った。
衝月は顔を上げた。
「誰かいやすかい?……」
がらりと小屋の戸が開いた。
「お前ェ……」
「あ、衝月」
阿紫花だ。「久しぶりじゃねえか。元気してたかよ?前に人形貰いに来て以来かあ?」
へへへ、と阿紫花は笑う。純粋に、旧友を見つけた顔で。
「……入るんなら、タバコ消せ。うちの人形小屋は火気厳禁だ」
「へえへえ。……タバコ、やめたんですかい」
阿紫花はタバコを落とし踏み消し、小屋の扉を後ろ手で閉めた。
「中坊の時ゃ、ここでよく吸ってやしたっけね。あたしら……」
ドクン、と、衝月の心臓が脈打った。
「英良、お前ェ……」
「ゴローって言いやしたっけ?あんたのガキ。台所で母ちゃんと飯食ってやしたよ」
阿紫花はへらへらと、
「あんたによく似たガキじゃねえか」
「……」
衝月はしばし阿紫花の顔を見つめて、
「……ヘッ……お前のトコの平馬も、お前ェに似てやがるよ」
「でしょうかねえ?血繋がってねえんだけどねえ。……あんたんトコのゴロー、うちの百合に夢中だって言うじゃねえか。東京者で垢抜けたトコがイイとか抜かしてるってよ。平馬から聞いたぜ。……親父のあんたそっくりだと思ってよ。……そういう余所者に弱ェトコ」
「ハン……」
別に--少年の時分に阿紫花と仲良くつるんでいたのは、阿紫花が「東京者で垢抜けた」少年だったからではない。
阿紫花は笑い、
「でも多分、嫁さんにすンのは村のアマっ子なんでしょうねえ。あんたの嫁さんみてえな、さ……気立てのいい、丈夫で可愛い心根のさ……。白くて柔らかくて、ふわふわした頬っぺたした……」
「……」
「思い出さねえかい、『衝さん』。あたしら、あのアマっ子取り合って、人形相撲で勝負したじゃねえか」
※
「日本のブレェクファストに付いて来る、この黒い紙はなんだい?ギイ」
「それは海苔という。海草を掻き集めてシート状に伸ばし乾燥させた健康食品だ。アナタにも味の記憶をがあるはずだが?」
「記憶と実際の舌は違うだろ、ギイ。白銀先生が美味しいと思っても、あたしは純粋なフランス人だからね。……なんかねえ。黒々して、いやらしいじゃないか。食べ物って気がしないよ」
好き勝手にフウは言い、テーブルの上の膳を見回す。
長の屋敷だ。秘密主義が当たり前で、観光客を寄せ付けない黒賀村には宿泊施設が無い。「黒賀村に手ごろな屋敷を買ってしまおうか?建てようか?」と言い出したフウを説得し、長に声を掛け、ギイは何とか長の屋敷に宿泊の許可を得た。
今二人の近くには誰もいない。与えられた広い和室は、車椅子でもいいように板間のままで、凝った造りの窓枠などが実に美しい。生けられた藤の花も、繊細で部屋に調和している。
しかし贅沢に慣れたフウは、黒檀のテーブルを戸惑い顔で見下ろしている。食事には手がつけられていない。
最近富みに我侭になって来た老人を、ギイはたしなめる。
「イギリスに長い事いたじゃないか、アナタは。あんな食事の不味い国で、百年以上生活できたなら日本は天国さ」
「あたしはどこにでもいたよ。アメリカにもロシアにも」
「どちらもさほど料理のうまい国じゃないじゃないか。ハンバーガ-とウォッカさえあればいいんだろ。……早く食べてくれ。駄菓子屋を手伝うと約束してある。僕を待つ美しい日本女性たちに、君が釈明してくれるのか?大体、どうして有機義体になった僕の方が早く食べ終わっているんだ」
食事などあまり必要ないのに、と、ギイはこぼす。
「ほっほっほ……あたしが新しく作った体は優秀だからね。苦労したよ。人間から遠く、ひたすら強い機械を作るなど、簡単なんだ。でも人間の感触や欲求を維持する有機体を作るのは骨が折れる。ジョージ君みたいに、ただ機械にするのは簡単なんだよ。ま、ジョージ君については少しだけ感覚機関や神経を人間に戻してあげているが、基本は機械のままだ」
器用にフウは箸で黒々とした煮豆を掴み弄ぶ。
「長年機械だったから、今更人間に戻るのもイヤだと。あの子はどうして不器用なのかねえ。なんでも出来るのに何も出来ない」
「器用なジョージなどこの世にいるかい?--それよりも、食べる必要も無いのに擬似脳神経が食欲を訴える、僕の脳の機構の意味は?どうせ太りも痩せもしない体で。……」
フウは煮豆を飲み込む。案外美味しかったようで、少し大きく目を開けた。
「人間を、作れるかと思ってね。……」
「……」
「人間を人間足らしめるものは、自己認識と身体欲求。自己認識はあたしには作れない。でも残った方なら、どうにか出来る。だからだよ。人間は不満や欲求を抱き続けなければ人間足り得ない。精神も肉体も、コンマ一秒ごとに変質していくものだから。変化し続ける肉体を持つ事。それが人間の本質の一部であると思うから、あえて、しろがねの強靭な欲求への耐性を殺した。当たり前の人間のように、飢え、乾き、眠り、老い、そして死ぬ。自己認識の更新と肉体の変質を受け入れ続ける事が人間の本質ならば、……今の君もやはり、人間なのさ」
チチチ、と窓の外で鳥が鳴いた。
老人は微笑み、
「前も言ったかな。人間の生命を、君は今度こそやり直す権利があると思うんだ。ギイ君。生き残ったからこそさ」
「……フン」
ギイは伏せていた目を微笑ませ、
「そうだな。ママンに抱きしめて貰うのは後何十年か先になったが、この世すべての女性に抱きしめてもらうのも悪くない。それに……」
ぎゅ、と、ギイは己の手を握る。
「オリンピアの一部も、この中にまだ生き続けている」
神経組織や素材を含め、オリンピアの手足を移植してある。組成の異なった有機素材に変質させてあるが、確かにオリンピアの手足だと、ギイは感じている。長年呼吸を合わせて戦ってきたギイには、分かるのだ。
「オリンピアがここにいるなら、ママンもここに生き続けているのに近いね。あの世の正二郎に嫉妬されるかな」
「ハハ……そっちはそっちでよろしくやっているさ。ギイ、君は、アンジェリーナに似ているよ。美しい子だった。美人は皆似るというがね」
フウの言葉に、ギイは苦笑した。
「フフ、ママンは美しい人だったよ。僕なんか彼女『ら』に比べれば--ん?」
どかどかどか、と重い足音が廊下から聞こえる。ジョージだ。音の重さでは鳴海に及ばないし、足捌きの長さも違う。これだけ広い歩幅で重い音となると、機械の体のジョージくらいしかいない。
朝の挨拶をしよう、とギイとフウは笑顔で扉が開くのを待つ。
開いた。
「やあ、おは--」
「アシハナは来ていないか?」
扉を開けて第一声がそれだった。ギイは眉をしかめる。ジョージはピアノという芸術を愛しているが、目の前のギイ・クリストフ・レッシュという神の造形美には微塵も興味を見せた事が無い。
幸いにギイは自分を「美しいが一番の魅力は実用的な人形遣いの腕前」と思っているので、ジョージの態度も長くは心に留め置かない。
微笑を返し、
「おはよう、ジョージ。アシハナは見ていないよ」
「そうか。--突然邪魔をしてすまない。おはよう、ギイ、フウ。アシハナが来たら教えてくれ」
「あ」
ジョージはさっさと背を向けて行ってしまう。
ギイは苦笑し、
「見たかい?あの顔。油性マジックだ。よくやるんだよ、子どもはそういう事を」
「自分たちの体にGPSが入っている事も忘れて……、あの子は本当に……不器用だねえ」
「自分と阿紫花の事に関しては、子どもより粗忽になれるな、ジョージは」
「L'amour est aveugle.(恋は盲目)……羨ましくないかね」
「Amantes, amentes.(愛する者に正気無し)とも言うね。愚かな愛は僕の望むものではない。」
ギイは微笑み、目を閉じた。
「でも、もう少し若ければそんな恋を、僕もしてみたかったなあ」
瞼の裏に浮かんだのは、百年前に見た、ある不器用な人形の眼差しだった。
ぎゅ、と。
ギイは拳を握り締めた。
※
「この小屋にあたしが忍び込んで来るとよ、あんたいつも、タバコと酒くれたっけな。人形作りしながら、ちまちま酒飲んでタバコ吹かして。……どっちからとも分からねえが、いつしか--体重ねてたっけな」
阿紫花は言う。何気ない口調だからこそ、それが衝月の耳朶を逆なでする。
「ま、尺って終わりってんじゃ、あんなの寝た内に入らねえや。--そいつ、ゴローの人形かい?」
「あ、ああ。……」
「ふうん」
阿紫花は下駄を脱いで上がってくる。人形に興味が出たのだろう。
座り込む衝月に体を寄せるようにして、まだ部分しか出来ていない人形の、外張りのない腕を見下ろす。
「ああ、あんたの人形にそっくりだ。頑固そうな作りしてら。基軸に遊びがねえから糸繰りに融通が利かねえ」
「おい……」
吐息が近い。薄いシャツ越しの熱を右腕に感じる。
しかし阿紫花は二人の距離など意に介さず、
「歯車の噛み合せじゃねえ、まずは組み合わせだって、教えてやったらどうだい。あ~あ、もったいねえ。意匠と発想に、人形作りの腕が追いついてねえのな。悪ィが平馬と坊やの人形の方が、人形としちゃ上だ。……懇切丁寧に教えてやるのかよ、どこ弄りゃ具合が良くなるのか」
「まさか。そんな事してちゃ、あいつのためにならねえ」
「だよな。あたしも前に平馬に同じ事したわ」
阿紫花はからりと笑い、
「手伝わねえで見守るだけがイイ事もあらあなあ。……」
「……お前ェ」
衝月は呟いた。
「あの時、なんで俺の人形の方を持っていった」
「へ?」
「二十年前、あの夜に」
『衝さんがしてえなら、……何しても構やしやせん。あたしも、何でもしやす。……ずっと、してきたじゃねえですか……』
白い寝巻きにどてらを着込んでいた。それが押し倒されて乱れて、白い太ももがあらわになっている。
『いつもより、深ェ事、して……』
そう囁くように言った顔が、電球の灯りの中でどれだけ--艶めいて見えたことか。『あたしを、……』
はあはあと荒い呼吸、太い鼻息が自分から漏れていると、衝月は悟った。まるで獣だ。
こいつ(阿紫花)は男を馬鹿にしちまう。おかしくしちまう。性質が悪い。
それまでは、互いにしゃぶったり、互いの一物同士を擦り合わせたりするだけだった。しかしその夜は、違った。ああ、間違いなく自分たちは一線を越えるのだ、という奇妙な確信があった。
阿紫花の目が、どこかでそれを強いている風ですらあった。
昼間、買い物帰りに今年の年娘に偶然出遭った。阿紫花や衝月と同級の少女。その娘を交えて一緒に帰ってから、どこかおかしかった。
『衝月君に、勝って欲しいな……』
前を歩いていた衝月と阿紫花の背後を歩いていたその娘が、そう呟いた。
自分に好意を持っているだろう娘の声に、衝月は硬派を気取ってしまった。振り向き、力強く言った。
『当たり前だ、俺が勝つ』
それから、阿紫花がおかしい。人形を作る手もどこか上の空で、--夜が更けたら自ら行為に誘う。いつもならそれは衝月からなのに。
--立ち上がりかけた己を晒したまま、足首を持ち上げられても阿紫花は見上げてくる。
『衝さん……』
色気のある顔だ--明るい場所で見てもそう思う時がある。細いがしっかりした柳眉に、睫毛の長い吊り目--。
若い黒賀の女どもの作る人形は、どんなに無骨なからくりを与えても、線が細く思えた。雄雄しく作ろうともどこかで女の目が覗く--そんな人形たち。
人形は作り手が透けて見える。作り手に似る。
阿紫花がもし人形なら、--作り手は女だろう。それも飛び切り、すこぶる付きの、極上の女。細い、人工的な朱の似合う女の--。
『衝月君に、勝って欲しいな』
どうしてだか、昼間の声が耳元で聞こえた。
『……衝さん?』
『お前ェが……』
そう呟いて、阿紫花を抱きしめた。
『女なら良かったのに』
『あたしが……』
『お前ェが花嫁なら、俺ァ……明日お前ェとやりあうなんざしなくて済むし、高校出りゃすぐによ、結婚でも何でもしてよ……英良ォ、お前ェが好きだ。好きだ。愛してる』
ギリリリリ、と。薄革が歯車に噛まれるような音がしたが、衝月は気が付かなかった。
『俺ァ……お前ェが』
『衝月』
その声に顔を上げると。
阿紫花は人形じみた顔で微笑んでいた。
唇に、何か紅いものが滲んでいる。
『もう何も言いなさんな』
人形じみた少年の腕が動き。
自分の頭上に振り下ろされる。何か黒い大きなものを握ったまま。
--瓶を脳天に食らい。
そこで衝月の意識は途切れた。
「気が付くと神事の朝だ。俺の作ってた人形が無ェ。代わりにお前の人形が置いてある。戸惑いながら神社に行ったら、--お前ェは俺の人形を、自作だって登録してやがった。俺の名前の欄にはお前ェの人形だ」
衝月は真剣な眼差しだ。
「お前ェは--強かったな。他の人形遣いの前で人形を操ってると嫌味になるってくらい上手かった。俺の人形も、らくらく、操って見せた」
「……お互いに作るの手伝ったじゃねえか。からくりが一緒なら自然と操りも似るってもんだろ。どっちがどっちの、なんて、小せェ事、今まで気にしてたのかよ」
阿紫花はへらへらと身を揺すりながら喋る。
しかし衝月は身じろぎせず、
「俺はお前の人形を、四苦八苦しながら操ってたのにか?俺の腕は、あの時からもうとっくにお前には適わねえモノだった」
「そんな、謙遜も過ぎちゃ嫌味だ」
「そのままテメエに返すぜ、英。--今でも思い出す」
--白装束の少年の傍らに、黒い人形が佇んでいる。
真冬の黒賀村。
雪が唸りを上げる。
その雪を挟んで、少年と向かい合い、黒装束の衝月が立っている。
傍らには、白い人形。
阿紫花によく似ていた。
「雪がやたら降ってた。まるでな、お前ェの周りだけ--」
桜吹雪が舞うようだった。
それはなんと冷たい花だろう。
「人形使いは黒装束、神事の関係者は白装束。お前ェはオヤジの言いつけ通りに白を着て出てきた。若いヤツで白を着てるのは、花嫁とお前ェだけだった。……口さがないヤツは言ってたぜ。どっちが花嫁だか分からねえ、いっそ息子の方でも悪くねえ、とよ」
「……ケッ、尻が痒くならあ。長老どもだろ?当時の。そんな事言うスケベジジイはよ--」
「全身白で、髪と眉と目だけ黒くて、……寒さで血の気を失ってる癖に、唇だけは赤かったな。だからだろ、そんな錯覚させたのは。ありゃ、テメエで噛んだんだろ。血が出るくらい、前の夜に、俺を殴る前に」
「……」
「なあ、英良。あの夜、何がお前を、傷つけた」
※
「なあ母ちゃん。あのヤクザと知り合いなのか?」
五郎は台所で、洗い物をする母親の後姿を眺めている。
「殺し屋じゃん。……」
五郎の目には、母は穏やかな人に見えた。厳しい父に付き従うだけの、穏やかで優しい、従順な母。
「同級生なのよ。そりゃモテたもんよ~?」
「え、母ちゃんが?」
「違う違う。あたしは地味で冴えないただの女の子だった。父ちゃんと、阿紫花君。二人ともね、すっごくかっこよかった。阿紫花君なんか、人当たりいいから、すぐ女の子に声かけてさ、友達になっちゃうの」
「人当たり……いいかあ?あのおっちゃん」
「う~ん、今はちょっと、柄が悪いけどね。昔は東京の言葉でも、丁寧に聞こえたなあ。職人さんみたいよね、あたし、って、女の子みたいに喋ってたけど、それ以外はケンカも強かったし、男の子だったかなあ」
阿紫花を、母親は褒めちぎる。それが多感な五郎には気に入らない。
「なんじゃい、母ちゃんも、阿紫花の兄ちゃんにホの字だったんかい」
「ホの字って……あんたも古い子ね~。……違うわよ。あたしは、父ちゃん一筋。阿紫花君の方よ、あたしにちょっかいかけてきたのは」
「え」
それも以外だ。派手なネクタイに長いコート、一目で分かるヤクザ者、という阿紫花の印象が強い。そんな阿紫花が、一目で田舎の主婦と分かる母に手を出すなど、考えられない。母はさほど美人ではない。
「こらこら、なんで『え』なのよ。中学の時よ。あれは確か……そうそう、阿紫花君が家出した人形相撲の夜よ」
※
「何も傷ついてなんかいやしねえよ、あたしは」
阿紫花は首をかしげる。おどけて誤魔化しているようにも、本気で思い出さないようにも見えた。
衝月は強く阿紫花の腕を掴んだ。
「嘘をつけ!お前ェ……」
「なんで怒ンでえ!……あ~、そういえばそんな事もあったっけな。ああ、はは、あたし、あんたの頭かち割ったんだっけ。あン時か」
阿紫花は苦笑し、
「懐かしいやね。あたしも、なんであんな事も糸が切れたのかねえ。若かったんだとしか、言いようがねえ。……あんたのおっ母さん、もう死んだんだって?」
「ああ。……」
「ご愁傷様。あたし、あの人に偉ぇ嫌われててよ。気づかなかったかい」
「何……」
衝月は耳を疑った。「何だそりゃ」
「あんたは父親を早くに亡くして、あのおっ母さんが女で一つ、嫁ぎ先でジジイババアの世話しながら育てられた、って」
「ああ」
「一人しかいねえ息子に、おかしな虫がついたら、そりゃ母親は追っ払うわ」
阿紫花はなんでもない口調だが、衝月は耳を疑う。
「馬鹿な。だって、おれのお袋は、お前が家に来たら毎回きちんと--」
「いいおっ母さんだったぜ。カルピスも濃いの作ってくれてよ、西瓜だ桃だって、切ってくれてよ。……でもよ、あたしも根性捻じ曲がったガキでさ、分かっちまうんだ。一瞬だけ」
『はい、英良君。……』
衝月の、いつもは笑顔の母親の目の奥が尖りきった刃物のように鋭い。
差し出されたジュースの味などしなかった。
「人形使ってりゃ、人間の体の動きにも敏感にならあ。--あのおっ母さん、あたしに近づく時ゃ、そりゃあ張り詰めた動きしてやしたぜ。筋肉が強張ってよ、神経が言う事利かねえくらいに、心の中であたしを睨みつけてる。……」
「そんな……」
「それだけじゃねえ。あんたのおっ母さんはマシな方だ。……あたしの人形繰りが気に入らねえと、陰口悪口だ。親父が助役じゃねえなら、もっと酷かったかもな。……余所者が、人形使うのは許せねえとさ。面と向かって言われたのは一回きり。それ以外は数え切れねえ。……」
初めて聞いた。だが分かる気がした。
阿紫花は目立った。際立っていた。
この村の秘密主義は、出る杭を打ち壊してしまわねば安心しない。表面上でしか村人と馴染めない阿紫花の、薄ら冷えた心が村の長老や人形遣いを不安にさせた。
衝月は目を伏せた。
「……悪かったよ。俺が、気づいてやれなかったから、お前は--俺に失望して、村を出たんだな。あの夜に、……」
「……」
阿紫花は、目を合わせずに床に向かって呟く衝月を見て、鼻で笑った。
「勘違いすんな、衝月。誰がテメエのために、村出るかよ。テメエがあたしにとってそんな大事だってか?あ?」
顔を上げ、こちらを見た衝月に、
「あたしが『女なら良かった』なんて抜かした腹の据わらねえクズの癖して。足広げて誘ったこっちに言う科白かよ、股ぐらにおっ立ったモノ見下ろして、それで『女なら』って……ほとほと呆れらあ。テメエのおっ立ったサオをあたしのケツにブッ刺す覚悟もねえ男だったって、早く分かって安心したくれえだ」
「英……」
まくし立て、阿紫花はつい熱くなった自分に気づき、ばつの悪い顔で衝月を見た。
喋りすぎたという顔だ。
衝月は口を開け、
「俺が……『女なら』って、言ったからか」
幾分かすっきりしたのだろう、阿紫花はへそを曲げた声で、
「……だから、あたしも若かったんだっての。すぐ頭に血が上ってよ。……だって、十分女の役をやってやっただろ。尺ってくれって言われりゃタマまでしゃぶってよ、……人形繰りも、あんたより弱い振りして、……」
でもダメだった、と、阿紫花は天井を見た。
「そんなの全然、あんたにゃ意味なかったんでェ。……あたしにも……」
意味無かった、と。
悲しそうな顔ではなかった。
ただ懐かしい顔で、阿紫花はそう言った。
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阿紫花とジョージ生き残りパラレル。
宇宙後半年くらい?勝と仲町サーカスも黒賀村へ来ている夏休み、の設定。
ジョアシですが衝月×阿紫花ぽいです。
阿紫花の過去捏造なので、苦手な方は注意。
BGM : 椿/屋四/重奏
後半は後ほど……。
宇宙後半年くらい?勝と仲町サーカスも黒賀村へ来ている夏休み、の設定。
ジョアシですが衝月×阿紫花ぽいです。
阿紫花の過去捏造なので、苦手な方は注意。
BGM : 椿/屋四/重奏
後半は後ほど……。
今は昔
薄暗がりである。
月の灯りに蚊帳が影を落とす中、布団の上を男が二人寝転んでいる。
「いいじゃねえかよ……」
阿紫花だ。寝転がったまま、ジョージの髪を弄っている。
「今夜こそ、よぅ……」
「ダメだ。やめろ」
にべもなく、髪に絡む阿紫花の手ごと要求をはねのけたジョージは、ごろりと背を向けてしまう。
その背に抱きつき、阿紫花は頬を押し付ける。
「折角、離れに寝泊りしてんですぜ?二人きりじゃねえか。誰も来やしやせんってば」
「お前は昨日も同じ事を言った。だがそう言って、昨日はヘイマが布団に潜り込んで来たじゃないか。私とお前の間で熟睡して、朝まで動かなかったのは誰の弟だ」
「大丈夫でさ。勝坊ちゃんにお願いしやしたから。今晩は平馬を見張ってくれるって」
「お前……!」
ジョージは寝返りを打って阿紫花を見た。銀色の目が三角になっている。
「何を言った!あんな子どもに、何をどう頼んだと言うんだ!」
「二人きりになりてえから、平馬が来ねえように一緒に寝てくれって--」
「そんな--ふしだらな!」
「はあ?」
「夜に二人きりにしろ、と子どもに頼むなど、教育上よくないだろうが!」
ジョージの怒声に、阿紫花は耳を疑う。
「何言ってんでえ、アンタ。今時のガキは、察しがいいもんですぜ。それに坊やは、しろがねだった祖父さんの記憶もあるんだ。大人の夜の事情も分かってまさ。流石に赤い顔してやしたけどね。賢い坊やでさ。空気読んで頷いてくれやしたぜ」
「アシハナ!!」
ジョージは起き上がり、声を張り上げる。
「あんな子どもに、性的な行為を示唆させるような真似はするな!しろがねの記憶があろうがなかろうが、子どもは子どもだ!賢かろうがなんだろうが、子どもは子どもとして扱え!」
「な、何怒って--」
「子どもらしい時間を奪われた子どもがどうなるか、お前には分からないのか!」
怒鳴られた阿紫花は、一瞬目を丸くした。しかしすぐに起き上がり、目を吊り上げ、
「何小難しい事言ってんでえ。こっちだって何も好き好んで坊やにこんな惨めな頼み事してんじゃねえ!どっかの銀目のカタブツが『実家にいる間はそういう事はしないようにしたい』とか訳分かンねえ事言い出したから、あたしがわざわざ離れに用意してもらったりなんだり--」
「いくら離れでも、隣には子ども--しかも女の子ばかりいるんだぞ!?彼女らの年頃の多感な時期に、悪影響だ。ただでさえ私たちは--男同士なのに」
その言葉に。
阿紫花は本当に、失望したような顔をした。
ジョージは再び横になった。そして背を向ける。
「寝よう。……」
「……」
答えは無かった。阿紫花は立ち上がり、そっと出て行く。
ジョージは追わなかった。
(アシハナ、馬鹿なヤツ。へらへらした生き方をしているからだ)
きっと阿紫花が思うより、子どもはもっと、傷つきやすくて壊れやすい。
『お前は機械だ。ジョージ。お前は--メトロノームだ』
耳に記憶が蘇り、ジョージは枕を握り締めた。
(以前の私はもっと、冷たかった。どんなに子どもが死んでも何も感じなかった)
いや、感じない『振り』が出来た。
今は出来ない。
(アシハナの弟や妹もまだ子どもだ。……アシハナめ。もっと考えろ。無責任男め)
そんな事を考えながら、ジョージは目を閉じた。
起きて阿紫花を待っている気にはならなかった。すぐに眠った。
「ジョージがあたしに冷てェんだよチキショウ~……」
傷心の阿紫花のもぐりこんだ先は。
「どうせ英良が悪いんじゃなくて?」
「じゃないの?どんなケンカだか知らないけど」
「でもジョージさん、英兄の保護者みたいで大変ね~」
菊、れんげ、百合は涼しい部屋に集まって寝ていた。何故か、灯りの無い部屋の中でも華やかに感じられる空気だった。無理も無い。阿紫花家の娘たちは美しい。
阿紫花はそんな娘っ子らの枕元に、布団も無いのに寝転がっている。まさか一緒に布団に入るわけにはいかない。
平馬と勝は、扇風機のある養父母の部屋だ。すでに寝ているだろう。
「保護者なら保護者らしく優しくしろってんだ。馬鹿ジョージ。……」
阿紫花は恨めしそうに娘たちを見る。
「あんたらに気を遣ってあたしらがセックス出来ないのが原因だ」などとは、まさか言えない。田舎の女子高生・女子中学生に過ぎない彼女らにする話ではない。その辺はさすがに阿紫花にも分かる。百合のオボコ顔など、見ているだけで癒されるが、その手の話を振っても理解しない雰囲気がある。
ジョージのように神経質なのは嫌いだ。だがさすがに、
(……やっぱ、ちっとは正しいんですかね。ジョージの言い分も……)
自分の子どもの頃は--と、薄苦い記憶を思い出し眉をしかめた阿紫花の顔を、れんげが覗き込んでくる。
「どったの。英兄」
「なんでもねえ」
「そういえばさあ、--英兄が女役なんだよね?」
「ブッ」
阿紫花は盛大に噴出した。
れんげはさも当たり前のように、
「ジョージちん、優しい?丁寧?」
「黙れこのアマ。お前ェ、菊はともかく百合が--」
そう言って阿紫花が百合を見ると。
百合は変にきらきらした目をしている。
「ゆ、百合?」
「こ、こないだね!」
百合は早口に、「クラスの子に、男の子同士が恋に落ちる小説借りちゃって!そ、それで、信じられなくて、ジョ、ジョージさん来たら、英兄とどんな風に恋に落ちたのか聞こうかと--」
「だから、そういう小説は架空のモノだって言ってるじゃないの」
菊だ。「ジョージになんて説明するのよ。日本の女の子が馬鹿だと思われちゃうわよ。大体おかしいのよ、美少年同士が、まるで男女の仲のように当たり前にセックスしてる内容なんて。現実味がないわ」
「キャッ、やめてよもう!愛し合う形は自由だってれんげ姉だって言ってたじゃない!」
話を振られたれんげは首をかしげ、
「そりゃそうだけど。痛いよ~?初体験って。女の子だって痛いのにさあ、男の子だと、アレじゃん、使う場所ってアレじゃん。小説みたいな展開、あるはずないよ。痛いって。ねえ?兄貴」
「……」
三十路に突入し半ば過ぎ。そんな自身の年齢を思い出し、阿紫花は無言で顔を押さえた。
最近の若い娘らの趣味はどうなっているだろう。
「……いや、あたしの若い頃にもそういうのありやしたわ……加納が読んでた」
「そうなんだ。へ~……」
百合は感心した様子で、「いつの時代にもいるんだ、ボーイズラブ好きな女の子」
「それよりさあ、英兄!やっぱ兄貴、女役なの?」
「どうなの?英良」
「答えて!気になって仕方ないの~!」
娘らの猛攻に阿紫花は。
「……ジョージと相談して教えやすよ……」
立ち上がり、開いた襖から飛び出してひとまず逃げ出した。
「……と、百合!油性ペンねえか?」
「え~?冷蔵庫に箱取り付けてあるでしょ。その中。食べ物のパックとかに書いておく用のでいいの?」
「そうかい、ありがとよ」
すぐ返してよ~?、という百合の声を背に、阿紫花は出て行った。
翌朝。
「おはよう、みんな」
「はよ~」
勝と平馬は台所にやってきた。
「おはよう。よく寝た?」
エプロンを着けて味噌汁を配っている百合が笑いかけてくれた。
勝は微笑み返し、
「うん。手伝うよ。おじさんとおばさんの部屋は涼しかったけど、そっちはどうだった?」
「ありがとう。これ運んでくれる?こっちも涼しかったわよ。やっぱりあそこの部屋がいいのよね」
「そうみたいだね」
勝も慣れた様子で味噌汁椀を配っていく。阿紫花家の両親、三姉妹と平馬はすでに揃っている。
(……朝寝坊かな。阿紫花さんたち……)
僕にあんな事を頼むなんて、阿紫花さん相当溜まってるんだろうなあ。
子どもの癖に勝は余計な詮索をしてしまう。多少患者を診る医者のような心理が入っているのは、祖父のせいだろう。
(大人って大変だなあ……)
余計なお世話、と当の大人たちが言いそうな事を勝は考えている。
そんな勝をよそに、百合はおたまを使いながら、
「サーカスの人たちも眠れたかな?広場って暑いのかしらね?そうだ、英兄たち、暑くなかったかしら。--マジック……あら、戻ってない」
百合は冷蔵庫の側面に磁石で引っ付いている箱を見る。数本の色々なペンやメモが入っている。
「どうしたの?」
「あのね、昨日英兄が部屋にやって来て--ペン、を……借……」
「?」
百合が何かに気づいたように、廊下へ続く暖簾を見つめている。
全員がそれを見た。
「おはよう」
ジョージの声が暖簾の向こうでした。
鴨居で頭を打たないように、身をかがめて台所へ入ってくる。
黒い長袖と長ズボンという姿だが、いつものコート姿に比べれば大分ラフだ。サングラスも外している。
いや大事なのはそこではなくて。
「アシハナ--エイリョウを知らないか?朝から姿が見えなくて」
「ジョージちん、顔……洗った?」
「? 外の水道で……あの水道は使ってはいけなかったのか?」
「……英良がいないのも、当然、よ……」
クッ、と、菊の咽喉の奥がなる。堪えている。
「……プッ」
連鎖反応だ。れんげは笑いを堪える。勝は目を反らし顔を赤らめているし、阿紫花の両親は笑い出したいが出来ない、という顔だ。
「……ぎゃはははははははははははッ」
とうとう平馬は大笑いだ。
勝は笑いを堪えながら、
「平馬ッ悪いよ!」
「だ、だって!ジョ、ジョージ、あのマジメ腐った顔で、それ、あはははははははッ!」
百合だけは気の毒そうに、棚にあった小さな鏡を差し出して見せてくれた。
「英兄を、あんまり怒らないでね……?」
「!!」
黒いマジックペンで、ヒゲらしきものが書いてある。その上、極太の眉毛や派手な睫毛、ほっぺのくるくるマーク、……その他にホクロや落書き少々。
宴会芸ですらないだろう己の顔に、ジョージはがっくりと頭を垂れた。
「なんだこれは……」
「油性ペンだよね、これ……英兄、ひどい事して、もう……」
百合は困った顔でジョージに「ごめんね」と言ってくれる。
菊は立ち上がり、努めて冷静に、
「ちょっと待ってらして。化粧落とし、持って来るわ」
「化粧落とし?」
何故かジョージではなく、父親が声を荒げた。
「こらお前、化粧なんぞしとるのか!?」
「はい。時々」
冷静な菊に、養父は泣きそうな顔になり、
「ど、どうして!」
「この先私が大学生や社会人になるに当たり、知っておいた方が良いと、お母さんに買って頂きました」
「え?そうなのか?」
養母は頷き、
「いやだわ、お父さん。あたしたちの若い頃なんか、学校でお化粧の授業があったんですよ。社会人になる女子高生のために」
「そうだったのか!?知らんかった。……でも早くないか?高校生で……ううむ……」
「本当にたまのお休みに、軽く、薄化粧ですわ。菊も弁えてますよ。ねえ?それに、綺麗ですよ、菊のおめかしした顔……。れんげや百合も、その内に買ってあげますからね」
はーい、とれんげと百合は素直に声を上げるが、菊は冷静だ。
「それより、今はジョージに化粧落としを……」
「あ、そうだったわ。行って来て」
放置されたジョージの落ち込みようが、半端ない。椅子に腰を下ろし、俯いて黒い影を背負っている。
「ジョ、ジョージさん、すぐ落ちるわよ」
「そ、そうだよ。洗えば落ちるよ」
なんとか百合と勝が励ます隣で、れんげと平馬は無責任に、
「あはは。ジョージちん、似合ってるよ。カワイイカワイイ。あれ、おでこに何か……英語かな?書いてる」
「ぷっ、ぷくく。ジョージィ、お前ェ、英兄におもちゃにされてんのかよ。オデコ広いからメモ代わりか?」
大変なのは両親だ。
「平馬ッ!お前まで人を傷つけるような事を言うな!すまんなあ、ジョージさんや。うちの馬鹿息子に……」
「ホント、ごめんなさいね」
「まったくあいつはいくつになっても馬鹿ばっかりして……」
ホントですね、と言い出す事も出来ない。ジョージはひたすら項垂れて顔を隠している。
化粧落としのクレンジングオイルを片手に、菊がジョージを呼ぶ。
「ジョージ、こっちへ来て頂戴。一緒に洗面所で洗い流しましょう。みんなは先に食べてて頂戴。お味噌汁が冷めてしまうわ。あ、勝は一緒に来て」
「オイルだけじゃ落ちない時って、何が効くかしら」
洗面所に連れられ、顔を洗うジョージの背後で、菊と勝は小声で相談し始めた。
「君だったら、効果的な方法を思いつくか、知っているかしないかと思って」
「う~ん……。リモネンとか油と分子の大きさが似てるし、落ちるって聞いた事あるけど」
「リモネンは、今使っている化粧落としにもう入ってるわ。……やっぱり、あんまり落ちなかったわね」
菊は鏡の中のジョージを見上げる。
「ジョージ、もう一回洗いましょうか?」
「……キク、du dissolvant vernisはあるか」
「え?フランス語?」
「……私は今経験した事がない種類の動揺している。日本語がとっさに出てこない。爪の色を落とす、薬品だ」
「あ、あるわよ。除光液、リムーバーね。まさかそれで……お肌痛むわよ」
ハン、と鏡の中のジョージが哂う。
「例え身体中の皮膚が剥がれても、私はすぐに再生する。持ってきてくれ」
「え、ええ……」
自動人形やしろがねの事を、ある程度理解している菊は頷いた。
--そして除光液で顔を洗ってすぐに。
ジョージは台所に現れた。
大部分が消えたとはいえ、うっすら油性マジックの痕の残る顔のまま。
「--どうもありがとう、心配してくれて」
阿紫花家の面々に、ジョージはわざとらしいほどの笑顔で、
「礼節と謝罪を向けてくれたお二人(養父母)と、慰めてくれた二人(百合と勝)、建設的な助けになってくれた一人(菊)と、……」
怖いくらい不自然な笑顔で、れんげと平馬の肩を押さえ、
「この怒りを煮えたぎらせてくれた君たちに感謝する。……エイリョウをこらしめてくる」
う、と気圧されされた二人は口々に、
「ジョージちん、目が笑ってない」
「怖ェ~……ジョージってホントに昔子ども相手の仕事してたの?」
平馬の言葉に、フ、とジョージは微笑った。作り笑いではない。
「してたさ。……」
サングラスをして、ジョージは出て行った。朝食を食べ始めていない菊と勝が見送りに出て行った。
全員、食事の進みがいつもより遅い。しかし父親は心から悪いと感じているらしく、速度を速める事も出来ずにいる。
「こまったもんだ。英良にも」
「ええ本当。……」
「なんだ、母さん」
「いえ……」
母親はかすかに笑って、
「英良が、悪戯ですって……」
「……」
平馬とれんげと百合が、食べる手を止める。
それに気づいた母親は微笑んだまま、
「私たちには、一度もそんな事しなかった……」
「この間の世界陸上で、百メートル世界新記録が出たようだけど、軽く越えたわね。……プッ。笑っちゃう……」
走り去るジョージの背を見つめ、玄関先で菊が笑う。マジックで落書きされたジョージの顔を思い出したのだ。
勝も微笑みながら、
「多分フルマラソンくらいの距離なら、あの速さで走れると思うよ。ジョージさんなら。ううん、一日ずっと走っても平気かな」
そういう風に作られている。機構を知っている勝は苦笑する。
「ホントウ?それって、『しろがね』の血のため?」
「(どこまで説明していいものかな)そんな感じ。機械の部分もあるし……」
「……血、ね……。では君も、あれくらい早く走ったり出来る?飲んでるんでしょ?長生きしたりとか、出来そう?」
「僕は……」
ミン、とひっきりなしに蝉が鳴いている。
勝は笑った。
「出来ないよ。そうだなあ、三日くらい徹夜しても平気なくらいにはなってるかも知れないけどね。本物のしろがねや、ジョージさんみたいに一週間も二週間も起きて動き続けるなんて出来ないよ。しろがねの血を飲んだって、しろがねにはならないよ。少し丈夫になるだけ。少し健康になるだけ。……僕は菊さんと同じに、歳を取るよ。黒賀村のみんなも、阿紫花さんも」
「三日の徹夜なら、私も出来ますわ」
クス、と菊は笑った。
「なあんだ。そうなんだわ。……てっきり私は……」
「……?」
「英良も『そうなってしまった』から、……長生きする事になったから、時間を持て余して仕方なくジョージと一緒にいるのだと思っていたわ」
「……」
「違うのね。……」
ミンミンミン、と。蝉が鳴いている。
ジョージの額の隅にフランス語で。
『Je t'aime,Mais vous ne m'aimez.(貴方を愛している。でも貴方は愛してくれない)』
そう書いてあった。
菊は仕方なさそうに微笑んだ。
「……私だってフランス語くらい読めますのにね」
「……僕も」
くす。
二人は顔を見合わせて、笑った。
NEXT⇒
薄暗がりである。
月の灯りに蚊帳が影を落とす中、布団の上を男が二人寝転んでいる。
「いいじゃねえかよ……」
阿紫花だ。寝転がったまま、ジョージの髪を弄っている。
「今夜こそ、よぅ……」
「ダメだ。やめろ」
にべもなく、髪に絡む阿紫花の手ごと要求をはねのけたジョージは、ごろりと背を向けてしまう。
その背に抱きつき、阿紫花は頬を押し付ける。
「折角、離れに寝泊りしてんですぜ?二人きりじゃねえか。誰も来やしやせんってば」
「お前は昨日も同じ事を言った。だがそう言って、昨日はヘイマが布団に潜り込んで来たじゃないか。私とお前の間で熟睡して、朝まで動かなかったのは誰の弟だ」
「大丈夫でさ。勝坊ちゃんにお願いしやしたから。今晩は平馬を見張ってくれるって」
「お前……!」
ジョージは寝返りを打って阿紫花を見た。銀色の目が三角になっている。
「何を言った!あんな子どもに、何をどう頼んだと言うんだ!」
「二人きりになりてえから、平馬が来ねえように一緒に寝てくれって--」
「そんな--ふしだらな!」
「はあ?」
「夜に二人きりにしろ、と子どもに頼むなど、教育上よくないだろうが!」
ジョージの怒声に、阿紫花は耳を疑う。
「何言ってんでえ、アンタ。今時のガキは、察しがいいもんですぜ。それに坊やは、しろがねだった祖父さんの記憶もあるんだ。大人の夜の事情も分かってまさ。流石に赤い顔してやしたけどね。賢い坊やでさ。空気読んで頷いてくれやしたぜ」
「アシハナ!!」
ジョージは起き上がり、声を張り上げる。
「あんな子どもに、性的な行為を示唆させるような真似はするな!しろがねの記憶があろうがなかろうが、子どもは子どもだ!賢かろうがなんだろうが、子どもは子どもとして扱え!」
「な、何怒って--」
「子どもらしい時間を奪われた子どもがどうなるか、お前には分からないのか!」
怒鳴られた阿紫花は、一瞬目を丸くした。しかしすぐに起き上がり、目を吊り上げ、
「何小難しい事言ってんでえ。こっちだって何も好き好んで坊やにこんな惨めな頼み事してんじゃねえ!どっかの銀目のカタブツが『実家にいる間はそういう事はしないようにしたい』とか訳分かンねえ事言い出したから、あたしがわざわざ離れに用意してもらったりなんだり--」
「いくら離れでも、隣には子ども--しかも女の子ばかりいるんだぞ!?彼女らの年頃の多感な時期に、悪影響だ。ただでさえ私たちは--男同士なのに」
その言葉に。
阿紫花は本当に、失望したような顔をした。
ジョージは再び横になった。そして背を向ける。
「寝よう。……」
「……」
答えは無かった。阿紫花は立ち上がり、そっと出て行く。
ジョージは追わなかった。
(アシハナ、馬鹿なヤツ。へらへらした生き方をしているからだ)
きっと阿紫花が思うより、子どもはもっと、傷つきやすくて壊れやすい。
『お前は機械だ。ジョージ。お前は--メトロノームだ』
耳に記憶が蘇り、ジョージは枕を握り締めた。
(以前の私はもっと、冷たかった。どんなに子どもが死んでも何も感じなかった)
いや、感じない『振り』が出来た。
今は出来ない。
(アシハナの弟や妹もまだ子どもだ。……アシハナめ。もっと考えろ。無責任男め)
そんな事を考えながら、ジョージは目を閉じた。
起きて阿紫花を待っている気にはならなかった。すぐに眠った。
「ジョージがあたしに冷てェんだよチキショウ~……」
傷心の阿紫花のもぐりこんだ先は。
「どうせ英良が悪いんじゃなくて?」
「じゃないの?どんなケンカだか知らないけど」
「でもジョージさん、英兄の保護者みたいで大変ね~」
菊、れんげ、百合は涼しい部屋に集まって寝ていた。何故か、灯りの無い部屋の中でも華やかに感じられる空気だった。無理も無い。阿紫花家の娘たちは美しい。
阿紫花はそんな娘っ子らの枕元に、布団も無いのに寝転がっている。まさか一緒に布団に入るわけにはいかない。
平馬と勝は、扇風機のある養父母の部屋だ。すでに寝ているだろう。
「保護者なら保護者らしく優しくしろってんだ。馬鹿ジョージ。……」
阿紫花は恨めしそうに娘たちを見る。
「あんたらに気を遣ってあたしらがセックス出来ないのが原因だ」などとは、まさか言えない。田舎の女子高生・女子中学生に過ぎない彼女らにする話ではない。その辺はさすがに阿紫花にも分かる。百合のオボコ顔など、見ているだけで癒されるが、その手の話を振っても理解しない雰囲気がある。
ジョージのように神経質なのは嫌いだ。だがさすがに、
(……やっぱ、ちっとは正しいんですかね。ジョージの言い分も……)
自分の子どもの頃は--と、薄苦い記憶を思い出し眉をしかめた阿紫花の顔を、れんげが覗き込んでくる。
「どったの。英兄」
「なんでもねえ」
「そういえばさあ、--英兄が女役なんだよね?」
「ブッ」
阿紫花は盛大に噴出した。
れんげはさも当たり前のように、
「ジョージちん、優しい?丁寧?」
「黙れこのアマ。お前ェ、菊はともかく百合が--」
そう言って阿紫花が百合を見ると。
百合は変にきらきらした目をしている。
「ゆ、百合?」
「こ、こないだね!」
百合は早口に、「クラスの子に、男の子同士が恋に落ちる小説借りちゃって!そ、それで、信じられなくて、ジョ、ジョージさん来たら、英兄とどんな風に恋に落ちたのか聞こうかと--」
「だから、そういう小説は架空のモノだって言ってるじゃないの」
菊だ。「ジョージになんて説明するのよ。日本の女の子が馬鹿だと思われちゃうわよ。大体おかしいのよ、美少年同士が、まるで男女の仲のように当たり前にセックスしてる内容なんて。現実味がないわ」
「キャッ、やめてよもう!愛し合う形は自由だってれんげ姉だって言ってたじゃない!」
話を振られたれんげは首をかしげ、
「そりゃそうだけど。痛いよ~?初体験って。女の子だって痛いのにさあ、男の子だと、アレじゃん、使う場所ってアレじゃん。小説みたいな展開、あるはずないよ。痛いって。ねえ?兄貴」
「……」
三十路に突入し半ば過ぎ。そんな自身の年齢を思い出し、阿紫花は無言で顔を押さえた。
最近の若い娘らの趣味はどうなっているだろう。
「……いや、あたしの若い頃にもそういうのありやしたわ……加納が読んでた」
「そうなんだ。へ~……」
百合は感心した様子で、「いつの時代にもいるんだ、ボーイズラブ好きな女の子」
「それよりさあ、英兄!やっぱ兄貴、女役なの?」
「どうなの?英良」
「答えて!気になって仕方ないの~!」
娘らの猛攻に阿紫花は。
「……ジョージと相談して教えやすよ……」
立ち上がり、開いた襖から飛び出してひとまず逃げ出した。
「……と、百合!油性ペンねえか?」
「え~?冷蔵庫に箱取り付けてあるでしょ。その中。食べ物のパックとかに書いておく用のでいいの?」
「そうかい、ありがとよ」
すぐ返してよ~?、という百合の声を背に、阿紫花は出て行った。
翌朝。
「おはよう、みんな」
「はよ~」
勝と平馬は台所にやってきた。
「おはよう。よく寝た?」
エプロンを着けて味噌汁を配っている百合が笑いかけてくれた。
勝は微笑み返し、
「うん。手伝うよ。おじさんとおばさんの部屋は涼しかったけど、そっちはどうだった?」
「ありがとう。これ運んでくれる?こっちも涼しかったわよ。やっぱりあそこの部屋がいいのよね」
「そうみたいだね」
勝も慣れた様子で味噌汁椀を配っていく。阿紫花家の両親、三姉妹と平馬はすでに揃っている。
(……朝寝坊かな。阿紫花さんたち……)
僕にあんな事を頼むなんて、阿紫花さん相当溜まってるんだろうなあ。
子どもの癖に勝は余計な詮索をしてしまう。多少患者を診る医者のような心理が入っているのは、祖父のせいだろう。
(大人って大変だなあ……)
余計なお世話、と当の大人たちが言いそうな事を勝は考えている。
そんな勝をよそに、百合はおたまを使いながら、
「サーカスの人たちも眠れたかな?広場って暑いのかしらね?そうだ、英兄たち、暑くなかったかしら。--マジック……あら、戻ってない」
百合は冷蔵庫の側面に磁石で引っ付いている箱を見る。数本の色々なペンやメモが入っている。
「どうしたの?」
「あのね、昨日英兄が部屋にやって来て--ペン、を……借……」
「?」
百合が何かに気づいたように、廊下へ続く暖簾を見つめている。
全員がそれを見た。
「おはよう」
ジョージの声が暖簾の向こうでした。
鴨居で頭を打たないように、身をかがめて台所へ入ってくる。
黒い長袖と長ズボンという姿だが、いつものコート姿に比べれば大分ラフだ。サングラスも外している。
いや大事なのはそこではなくて。
「アシハナ--エイリョウを知らないか?朝から姿が見えなくて」
「ジョージちん、顔……洗った?」
「? 外の水道で……あの水道は使ってはいけなかったのか?」
「……英良がいないのも、当然、よ……」
クッ、と、菊の咽喉の奥がなる。堪えている。
「……プッ」
連鎖反応だ。れんげは笑いを堪える。勝は目を反らし顔を赤らめているし、阿紫花の両親は笑い出したいが出来ない、という顔だ。
「……ぎゃはははははははははははッ」
とうとう平馬は大笑いだ。
勝は笑いを堪えながら、
「平馬ッ悪いよ!」
「だ、だって!ジョ、ジョージ、あのマジメ腐った顔で、それ、あはははははははッ!」
百合だけは気の毒そうに、棚にあった小さな鏡を差し出して見せてくれた。
「英兄を、あんまり怒らないでね……?」
「!!」
黒いマジックペンで、ヒゲらしきものが書いてある。その上、極太の眉毛や派手な睫毛、ほっぺのくるくるマーク、……その他にホクロや落書き少々。
宴会芸ですらないだろう己の顔に、ジョージはがっくりと頭を垂れた。
「なんだこれは……」
「油性ペンだよね、これ……英兄、ひどい事して、もう……」
百合は困った顔でジョージに「ごめんね」と言ってくれる。
菊は立ち上がり、努めて冷静に、
「ちょっと待ってらして。化粧落とし、持って来るわ」
「化粧落とし?」
何故かジョージではなく、父親が声を荒げた。
「こらお前、化粧なんぞしとるのか!?」
「はい。時々」
冷静な菊に、養父は泣きそうな顔になり、
「ど、どうして!」
「この先私が大学生や社会人になるに当たり、知っておいた方が良いと、お母さんに買って頂きました」
「え?そうなのか?」
養母は頷き、
「いやだわ、お父さん。あたしたちの若い頃なんか、学校でお化粧の授業があったんですよ。社会人になる女子高生のために」
「そうだったのか!?知らんかった。……でも早くないか?高校生で……ううむ……」
「本当にたまのお休みに、軽く、薄化粧ですわ。菊も弁えてますよ。ねえ?それに、綺麗ですよ、菊のおめかしした顔……。れんげや百合も、その内に買ってあげますからね」
はーい、とれんげと百合は素直に声を上げるが、菊は冷静だ。
「それより、今はジョージに化粧落としを……」
「あ、そうだったわ。行って来て」
放置されたジョージの落ち込みようが、半端ない。椅子に腰を下ろし、俯いて黒い影を背負っている。
「ジョ、ジョージさん、すぐ落ちるわよ」
「そ、そうだよ。洗えば落ちるよ」
なんとか百合と勝が励ます隣で、れんげと平馬は無責任に、
「あはは。ジョージちん、似合ってるよ。カワイイカワイイ。あれ、おでこに何か……英語かな?書いてる」
「ぷっ、ぷくく。ジョージィ、お前ェ、英兄におもちゃにされてんのかよ。オデコ広いからメモ代わりか?」
大変なのは両親だ。
「平馬ッ!お前まで人を傷つけるような事を言うな!すまんなあ、ジョージさんや。うちの馬鹿息子に……」
「ホント、ごめんなさいね」
「まったくあいつはいくつになっても馬鹿ばっかりして……」
ホントですね、と言い出す事も出来ない。ジョージはひたすら項垂れて顔を隠している。
化粧落としのクレンジングオイルを片手に、菊がジョージを呼ぶ。
「ジョージ、こっちへ来て頂戴。一緒に洗面所で洗い流しましょう。みんなは先に食べてて頂戴。お味噌汁が冷めてしまうわ。あ、勝は一緒に来て」
「オイルだけじゃ落ちない時って、何が効くかしら」
洗面所に連れられ、顔を洗うジョージの背後で、菊と勝は小声で相談し始めた。
「君だったら、効果的な方法を思いつくか、知っているかしないかと思って」
「う~ん……。リモネンとか油と分子の大きさが似てるし、落ちるって聞いた事あるけど」
「リモネンは、今使っている化粧落としにもう入ってるわ。……やっぱり、あんまり落ちなかったわね」
菊は鏡の中のジョージを見上げる。
「ジョージ、もう一回洗いましょうか?」
「……キク、du dissolvant vernisはあるか」
「え?フランス語?」
「……私は今経験した事がない種類の動揺している。日本語がとっさに出てこない。爪の色を落とす、薬品だ」
「あ、あるわよ。除光液、リムーバーね。まさかそれで……お肌痛むわよ」
ハン、と鏡の中のジョージが哂う。
「例え身体中の皮膚が剥がれても、私はすぐに再生する。持ってきてくれ」
「え、ええ……」
自動人形やしろがねの事を、ある程度理解している菊は頷いた。
--そして除光液で顔を洗ってすぐに。
ジョージは台所に現れた。
大部分が消えたとはいえ、うっすら油性マジックの痕の残る顔のまま。
「--どうもありがとう、心配してくれて」
阿紫花家の面々に、ジョージはわざとらしいほどの笑顔で、
「礼節と謝罪を向けてくれたお二人(養父母)と、慰めてくれた二人(百合と勝)、建設的な助けになってくれた一人(菊)と、……」
怖いくらい不自然な笑顔で、れんげと平馬の肩を押さえ、
「この怒りを煮えたぎらせてくれた君たちに感謝する。……エイリョウをこらしめてくる」
う、と気圧されされた二人は口々に、
「ジョージちん、目が笑ってない」
「怖ェ~……ジョージってホントに昔子ども相手の仕事してたの?」
平馬の言葉に、フ、とジョージは微笑った。作り笑いではない。
「してたさ。……」
サングラスをして、ジョージは出て行った。朝食を食べ始めていない菊と勝が見送りに出て行った。
全員、食事の進みがいつもより遅い。しかし父親は心から悪いと感じているらしく、速度を速める事も出来ずにいる。
「こまったもんだ。英良にも」
「ええ本当。……」
「なんだ、母さん」
「いえ……」
母親はかすかに笑って、
「英良が、悪戯ですって……」
「……」
平馬とれんげと百合が、食べる手を止める。
それに気づいた母親は微笑んだまま、
「私たちには、一度もそんな事しなかった……」
「この間の世界陸上で、百メートル世界新記録が出たようだけど、軽く越えたわね。……プッ。笑っちゃう……」
走り去るジョージの背を見つめ、玄関先で菊が笑う。マジックで落書きされたジョージの顔を思い出したのだ。
勝も微笑みながら、
「多分フルマラソンくらいの距離なら、あの速さで走れると思うよ。ジョージさんなら。ううん、一日ずっと走っても平気かな」
そういう風に作られている。機構を知っている勝は苦笑する。
「ホントウ?それって、『しろがね』の血のため?」
「(どこまで説明していいものかな)そんな感じ。機械の部分もあるし……」
「……血、ね……。では君も、あれくらい早く走ったり出来る?飲んでるんでしょ?長生きしたりとか、出来そう?」
「僕は……」
ミン、とひっきりなしに蝉が鳴いている。
勝は笑った。
「出来ないよ。そうだなあ、三日くらい徹夜しても平気なくらいにはなってるかも知れないけどね。本物のしろがねや、ジョージさんみたいに一週間も二週間も起きて動き続けるなんて出来ないよ。しろがねの血を飲んだって、しろがねにはならないよ。少し丈夫になるだけ。少し健康になるだけ。……僕は菊さんと同じに、歳を取るよ。黒賀村のみんなも、阿紫花さんも」
「三日の徹夜なら、私も出来ますわ」
クス、と菊は笑った。
「なあんだ。そうなんだわ。……てっきり私は……」
「……?」
「英良も『そうなってしまった』から、……長生きする事になったから、時間を持て余して仕方なくジョージと一緒にいるのだと思っていたわ」
「……」
「違うのね。……」
ミンミンミン、と。蝉が鳴いている。
ジョージの額の隅にフランス語で。
『Je t'aime,Mais vous ne m'aimez.(貴方を愛している。でも貴方は愛してくれない)』
そう書いてあった。
菊は仕方なさそうに微笑んだ。
「……私だってフランス語くらい読めますのにね」
「……僕も」
くす。
二人は顔を見合わせて、笑った。
NEXT⇒
阿紫花と勝と平馬のシリアス。原作どおり。
インテルメディ、あるいは思い出
思い出話をしよう。
怪我も病気も人並みにしてきたつもりであるが、思い出せばどれも生死に関わるものではない。舐めて治る傷や寝れば治る病気、病院などそうそう行った事が無い。
病院に縁の薄い野良猫のような男は、不慣れゆえの大人しさで静かに廊下を歩いてきた。路上でするように、若く美しい女がいても声を掛けたりしない。相手が勤務中の看護婦だったせいもある。
個室の並ぶ階まで、階段で昇る。階下とは打って変わって人気のない廊下だ。その奥の、プレートのない部屋の扉を、男は叩扉した。
応えは無い。
そっと、ドアを開けた。
少年--才賀勝は眠っていた。
付き人のしろがねはいないようだ。何か雑務で席を外しているのだろう。時計を見ると午後3時過ぎだ。
ははあ、一人ですかい。--阿紫花は心の中で呟いて、勝の横たわるベッドに腰を下ろした。起きるかと思ったが、眠ったままだ。
「ありゃ。……」
阿紫花は呟き、「窓開いてるじゃねえか」
勝の頭が向いている先の窓が開いていた。先ほどから急に激しい雨が降り出している。立ち上がり窓を閉める時、湿気を含んだ冷たい風が、鼻先をかすめた。冷たい雨だ。急に気温が下がった。
さて、と阿紫花が振り返り、勝の枕元に近づく--その時。
「……ァッ」
勝が急に起き上がった。「うわああああッ!」
悪い夢でも見たのか。内容は--阿紫花にも見当がついた。
軽井沢で九死に一生を得たのは、ほんの少し前だ。
「は……っ」
勝は恐慌状態にあるように泣いていた。これ以上大量の涙など流せまい程に泣いている。「鳴海……兄ちゃん……っ」
阿紫花はふと。
奇妙な表情で勝の肩に触れた。
勝が振り返る。
「……っ」
「お目覚めですかい」
「あ……」
立ったままの阿紫花は、勝を見下ろしていた。
どこか寂しそうな目だ。
その目が奇妙に勝の心に残る。
「阿紫花……さん」
勝はシーツで涙を拭った。「来てたの」
「へえ。--無用心でやすね。ここまで素通りで来れやしたぜ。あのお嬢さんは?」
勝は一瞬「阿紫花さんにはお金をまだ払っていない。誰かに頼まれてまた僕を殺しに来たのかしら」と疑ったが、違うようだ。十億以上出せる親族はいないはずだ。
それに阿紫花は相変わらず伝法な口調だが、どこか明るい。以前殺意丸出しで近づいてきた時とは違う。
「しろがねは……多分、買い物かな。僕の……服とか、買ってくるって言ってたから」
勝は首を動かし、土砂降りになりつつある窓を見上げた。
「雨、すごいね……」
「……」
「しろがね、傘持ってるかなあ」
勝の呟きに、阿紫花はくすりと笑う。
「--じゃ、あたしはこれで」
「え?」
「パチンコで勝っちまってね。ケーキなんて似合わねえモン持ってきたんでさ。二個切りっきゃねえから、あのお嬢さんと食って下せェ」
阿紫花は小さな箱をベッド脇のテーブルに置く。
勝は目を丸くし、
「パチンコ……テレビで見たよ。いっぱい銀色の玉を取ると、お菓子とか缶詰くれるんでしょ?……ケーキも置いてあるの?」
「……あるんですねえ、これが。坊やも大人になったら自分で見てみなせェ。じゃ、あたしはこれで」
ククク、と童話のチェシャ猫のように阿紫花は笑い、背を向ける。ドアまで歩いていく。
勝は声で追いすがった。
「阿紫花さんッ!--行かないで」
阿紫花は振り向いた。
「……」
「あ……その……。ごめん、……」
勝はベッドの上で小さく俯いた。大き目の病院衣の隙間から、瘡蓋だらけの皮膚が見える。
「何でもない……ばいばい……」
沈んだ表情で勝はそう言った。子どもらしくない態度だ。気を遣っている。
「阿紫花さん帰っちゃうな」と、歩き始めた阿紫花の革靴の底の音に、勝は項垂れる。しかし。
「暗ェ面してっと、雨も晴れやせんや」
阿紫花の声が近くでして、急に腰を掴まれて持ち上げられた。
そして抱きかかえられる。
「うあっ」
「お、やっぱこれくれえは重てえもんでさあね」
阿紫花はベッドに腰を下ろし、勝を後ろから抱きかかえた。
コートで包むように勝の身体を強く抱く。
「ガキが気を遣っても、いい事ァありやせんぜ、坊や。あたしに気を遣ったって無駄無駄。アンタに雇われてんだし、--ガキは泣いたり怒ったりうるせえのがフツーでさ。大人の都合なんざ無視しまくりでさ。……あたしで良けりゃ、聞いてやりやすぜ。悪い夢でも見ちまったんでしょ?」
「……」
「泣くだけ泣きなせえよ。あたしゃ、男だから泣くんじゃねえ、なんて馬鹿は言いやせんよ。泣きたい時に泣けるのが、一番でさ」
「鳴海、兄ちゃんが」
勝の声は震えている。「言ったんだ」
『笑うべきだと分かった時は、』
「泣くもんじゃないぜ、って……。僕生きてるよね?助かって、嬉しいはずなんだよね?……」
「……」
「だったら笑えば、いいんだよね?本当は、助かって、感謝して、僕、強くならなきゃいけないんだよね?」
勝の声が、ブレている。「でも全然笑えないんだよ」
嗚咽が、コートの中から聞こえる。
「鳴海兄ちゃんが助けてくれたのに、全然……笑えない。笑えないよ。僕、こんななら助からなきゃ良かった」
「……」
「どうしてこんな事になっちゃうんだよ」
勝は涙を流した。
阿紫花はコートの前を引っ張り、勝の前で掻き合わせた。
「泣きなせぇ」
「う、うっく、」
「泣ける時はね、坊や、泣きなせェ。……あの兄さんの言いそうなこった。笑うべき、なんつって、……テメェが消えたらどうしようもねえってのに。……」
「~~~ッゴメ、ゴメン、ね、コート、」
勝はコートの前を掻き抱き、目に押し当てた。涙で濡れる。
細い身体だ。阿紫花は見下ろし、--糸のように目を細めた。
「構いやせんよ。こんな薄汚ねェコート、縋って泣いてくれンのは坊やくれえでさ」
阿紫花は勝を抱く手に力を込める。そして窓を見上げる。
土砂降りの雨が降り続いている。
「泣いていいんですぜ。……雨みてえに、土砂降っちまいなせえ。雨だって必要だから降ってんでしょ?じゃあ止めねえ方がいいじゃねえですか」
ぽん、と頭を撫でる。
「いつか晴れまさ……。そん時はちゃんと、笑いなせェよ」
「……阿紫花さん」
くすっ、と。
勝が鼻を鳴らして阿紫花を見た。「お祖父ちゃんみたいだね」
「ええ?坊やの……そんなご大層なお人と比べられちゃ、なんか照れちまいやすよ」
そう、阿紫花はかすかに笑った。
しろがねは走っていた。
傘が無い。近くの商店街で買い物をしていると、強い雨が降り出した。わずかに弱まったのを見計らって雨空の下に飛び出したが、それでも雨は両腕に抱いた荷物を濡らしていく。
「お坊ちゃまの服を濡らしては申し訳ない」
肩から下げたバッグの中には重要書類も入っている。しかしそれよりも、新しく買った勝の寝巻きや外出着を濡らしたくなかった。
--飛び込むように、病院に入る。自分は大分濡れたが、荷物はそれほど濡れていない。安堵して、注意されない程度の早足で勝の病室を目指した。
勝の病室のドアをノックしようと、手を挙げた時。
中から勝の声がした。
はっと息を飲んだ。
「僕ね。阿紫花さん。しろがねにだけは泣いてる顔、見られたくないんだ」
阿紫花のコートに包まり、ザーッ、という雨音を聞きながら、勝は呟く。
「僕が泣いたら、しろがね、本当に可哀想な目をするんだ。……しろがね、優しいよ。すぐに抱きしめて、僕を『かわいそうなお坊ちゃま』って言ってくれるんだ」
「でしょうねえ」
「……さっきの阿紫花さんの目に、少しだけ似てる」
飛び起きて最初に見た阿紫花の目だ。
「淋しそうで、何かガマンしてるみたいで、……」
「……そんなでした?あたし」
「うん。お祖父ちゃんみたいだな、って思ったよ。優しくて、僕を心配してくれて。……でも、しろがねはもっと、『悲しい』目をしてる。一人ぼっちみたいな」
ぎゅ、と勝はコートを掴んだ。
「しろがねが泣きそうなのは、嫌だ。僕のせいでしろがねが悲しい目になるの、すっごく嫌だ」
そこだけは強い口調で、勝が言い切った。
「だから、しろがねの前では泣かないでいたいんだ」
そ、っと。
しろがねは腕を下ろした。
荷物を抱えたまま、足音を立てずにドアから離れる。
頭をめぐらせた先には、待合に使う小スペースがある。
びしょ濡れのまま、静かにしろがねは歩いていった。
「そんな事気にするから、ガキらしくねェんでやすよ、坊や」
阿紫花は言う。「大人がテメェの都合でアンタに構ってんなら、どんな面しようが、あのお嬢さんの勝手でさ。いいじゃねえですか。泣きそうでも、一人ぼっちでも。アンタに構いたくてあのお嬢さんが寄って来たんでやしょ?事情は知らねえが」
「うん……僕も知らない」
「あのお嬢さんにゃ、なんか事情があるんでしょうよ。テメエのために坊やを守ろうってんだ、好きにさせときなせえ」
「でも……」
「じゃ坊やは、あのお嬢さんがどんな面してりゃ満足なんで?泣かなきゃいい、ってだけじゃ、人は人形と同じでやす」
勝は目を見開く。
「僕……」
「誰も助けちゃくれねえ。警察も、頼りにならねえ。大人は誰が信じられるのか分からねえ。アンタの命を狙う連中の道理ってヤツは、アンタが道理と思う事じゃねえ」
「……」
「泣いても叫んでも誰も来ねえ。誰に裏切られたって、ガキは丸まってるしかねえ。殴られても蹴られても、もっとひでえ目にあっても、連中はやり遂げる。金でなんでもしちまう。アンタが考えもしねえヒドイコトを平気でやる。--あたしもそうだから、よく分かンのさ」
「……!」
息を呑んだ勝は、振り向いて身をよじった。
阿紫花は--冷えた目をしていたが、
「あのお嬢さんが、坊やを守ってくれやすよ」
そう言って笑った。
瞳に温度が戻る。
「あのお嬢さんも、色んな世界を見て来たのかも知れねえよ、坊や」
「……」
「泣くな、って言ってやるより、泣けと言ってやるのも、男じゃねえのかね。坊やはまだ小せえよ。でも大人になりゃ、こうやって、」
と、阿紫花は勝の小さな肩を包む。
「抱いて慰めてやれやすよ」
「……」
どこか祈るような声だ。--勝はそう思った。
阿紫花は勝の肩を抱きしめたまま、
「抱擁ってのは便利でね。こうして慰めたり、……大好きだって証明してやったりね。女相手だとこりゃもー、最っ高に効果が……冗談でやすよ、冗談」
訝しげに身を引こうとする勝に阿紫花は弁解し笑う。
勝は眉尻を下げ、
「阿紫花さんも、……淋しいの?」
「え?」
「ううん、なんでもない。……僕、しろがねに笑ってもらいたいな」
小さく、しかし泣いてはいない声で勝は呟く。「泣いたり、笑ったりしながら、……ずっと一緒に、いたい。それじゃダメかなあ?」
そう問いかける勝の純粋な目に、阿紫花は口角を引き上げた。
「アンタはいい男になりやすよ、坊や。あたしみてえな色男にね」
「え……阿紫花さんみたいな?」
「なんでそんな嫌そうなんでさ!」
ぐりぐりと阿紫花にくすぐられ、勝は笑い泣きの態で暴れた。
「ひゃっ、ひゃっ、ごめんっ!嫌じゃないけど!ひゃひゃひゃ!」
「生意気言う坊やはこうしてやりまさ!」
「ひゃっ、やめて!くすぐったいよぉ!」
本当に久しぶりに。
勝は笑う事が出来た。
枕の上に座る勝の膝にタオルケットを掛け、阿紫花は戸口へ向かった。
「じゃ、また。坊や。大人しく寝てなせえよ」
「寝てるの飽きちゃった。早く外に……出たら、阿紫花さんにお金払わないとね……」
そうしたらもう逢えない。
淋しいのだろう、勝は俯く。
あえて阿紫花は背を向けた。
「坊や、お代さえいただけりゃ、あたしはサヨナラするだけでさあ。あたしみてえな下らねえ半端者に、金輪際関わっちゃいけやせんよ」
「阿紫花さんは違うよ」
勝の声に、阿紫花は振り向く。
「僕を助けてくれた。僕、忘れないからね」
「……」
「ホウヨウ、とか、覚えておくよ。誰かにしてあげる。泣いてる人とかいたら、してあげるんだ」
阿紫花は一瞬淋しそうな目をし、何か呟いた。
「……坊やが……ならなぁ……」
「え?」
「なんでもありやせん。抱擁すんのはいいですが、変な連中にゃしちゃいけやせんよ。アマっ子専門にしときなせえ」
「?」
「じゃ、坊や」
苦笑しながら阿紫花は出て行った。
ドアを閉め、阿紫花はふと気づく。
革靴の底がやけに滑る。
水滴だ。誰かが水を滴らせたようだ。
「……」
廊下を見回す。壁の陰の待合スペースのソファに誰かが座っているのが見えた。
銀髪--しろがねだ。
近づいて様子を伺う。
背中しか見えなかったので、横に回りこんでみると、しろがねはまっすぐ前を見つめていた。
びしょ濡れだ。傍らにはあまり濡れていない紙袋がある。抱きかかえて来たのか。
「……水も滴るって、日本語、知ってやす?」
「……」
阿紫花のジョークに、何も返さない。ただ前を見つめている。怖いくらいに真剣な、しかし何も見えていない目。
人形の目だ。
「坊やがね」
「……!」
しろがねは振り向いた。
阿紫花は苦笑する。
「嬢ちゃんと、これから先ずっと一緒にいてえんだと。そう笑ってやしたよ」
「……お坊ちゃま」
「行ってやりなせえよ」
人形の目が、揺らいだ。泣きそうに歪む。
両手で胸を押さえ、しろがねはうつむいた。何かをこらえるように。
「どっか苦しいんで?」
「……私は坊ちゃまを笑顔に出来ない……」
だから苦しい、とでも言うように、しろがねは呟いた。
「私は笑えない、--人形だ」
「……」
「鳴海のようには、私は……」
静かな声だ。「坊ちゃまの笑顔にはなれない」
悲しい声だ。
「……若ェのに、何言ってやがんでえ」
阿紫花は笑った。「賢いってのはいけねえやね。先の事見えてる気になっちまうんでしょーが、明日の事なんて誰に分かンでさ。明日が雨か晴れか雪か嵐かも分かンねえ癖して。今日が雨でも、明日は晴れらあね。今日が雨だからって、明日も泣くつもりかい?」
「……」
「坊やにゃ、もうアンタしかいねェんじゃねェのかい」
「……!」
だっ、と。
立ち上がったしろがねは走り出した。
「どうしたの?しろがね」という声が聞こえたが、阿紫花は黙って立ち去った。
思い出話をしよう。
冷たい部屋だった。
遺体を置く地下室だ。無理も無い。ドライアイスも、冷凍庫も無い。冷房だけをやたらと掛けてあるだけだ。
まだ本格的に痛み出してはいないのだろう、臭いは無かった。だが誰かがお香を焚いてくれている。線香とは違う、刺激的ないい匂いがした。
「坊ちゃま。……」
後ろからしろがねが、勝の肩を押さえる。行かせたくないのではない。勝が悲しむのが辛いのだ。
前を向いたまま、勝は答えた。
「大丈夫だよ、しろがね。……」
「でも……」
「泣きたい時は泣いていいんだよ、しろがね」
振り向き、しろがねの目を見つめ、勝は言った。
「ギイさんと、僕はさよならしたよ。でも今も、僕、泣きたい気持ちだ。多分しばらくずっと、泣きたいままだと思う」
「坊ちゃま……」
「泣いて。しろがね。泣いて泣いて、飽きたら笑おうよ」
う……、と、しろがねはこみ上げる涙を抑えきれずに嗚咽する。
泣くしろがねの肩を、鳴海が抱きしめた。
二人のそんな様子を認めてから、勝は歩き出した。
「平馬……」
「坊ちゃまに、似ているから、行かせたくない」
嗚咽の中、しろがねはそう漏らした。
鳴海は問い返す。
「え?誰が?」
「アナタを喪った、坊ちゃまに、そっくりだから……」
「平馬……」
小さな肩だ。--勝はそう思った。
祖父の記憶を追体験したからよく分かる。自分たちは本当に無力で、小さい。
阿紫花の顔は綺麗だった。身体は見せられない、ときつくシーツで覆われている。だが顔はむき出しだ。
「阿紫花さん。……少し、笑ってる」
確かに、阿紫花の死体は少し笑っているように見えた。
勝は平馬の横に立ち、……平馬の顔を覗き込んだ。
大きく目を見開いたまま、平馬は動かない。
「平……」
声を掛けた時、背後の廊下で泣き声がした。
涼子だ。
「直してよ!直して!……」
「出来ないよ、お嬢ちゃん……」
悲しげなフウの声がした。「それはあたしには出来ない」
「アルレッキーノを直して!パンタローネも、元に戻して!」
「出来ないよ、頭を吹き飛ばされて、それにもう時間が経ち過ぎた。あたしでも壊れちまった思考機関の復元は出来ない。神様だって、出来ないよ」
「嘘!」
弾け飛ぶような泣き声だった。
「どうして元に戻せないの!人形なのに!壊れただけなら、元に戻して!」
うわああ、と涼子は祖父の胸で泣き出した。
法安は孫娘を抱きしめた。
「涼子。……」
「直して、直してェ……、人形なら死なないはずよ」
直して、と泣きながら繰り返す涼子に、法安は悲しげに囁いた。
「……だからいつかまた会えるじゃろうて。天幕の中でなあ……」
涼子の嗚咽にも、平馬は振り向かなかった。
時が止まったように、阿紫花の死体を見つめているだけだ。
「平……」
平馬の手を握ろうと、勝が触れた瞬間。
思い切り平馬は振り払った。
勝は目を見開くが、平馬はこちらを見ない。凍ったまま、阿紫花を見つめている。
「……平馬!」
勝は。
平馬を後ろから抱きしめた。
「阿紫花さんが言ったんだ」
暴れかけ、身じろぎした平馬に、早口で勝は言い聞かせた。
「悲しい時は泣いていい、って」
『泣くな、って言ってやるより、泣けと言ってやるのも、男じゃねえのかね』
「それを言われて、僕はやっと楽になったんだ。平馬、阿紫花さんは、泣いてる僕をこうやって後ろから、抱きしめてくれたんだ」
「……なんで」
平馬がやっと、声を出した。
「いっつも勝ばっかなんだよ。……英兄ィ、なんで、勝ばっか……っ」
ず、と鼻をすする音がした。そして涙声がした。
「なんで勝にばっか優しくしてんだよ、兄貴!」
「違うよ、平馬。阿紫花さんは、僕に優しくしたかったんじゃない」
勝の記憶の中の阿紫花の目は、時折淋しげだ。
病室へ見舞いに来てくれて、目覚めて最初に見た顔も、祈るように勝を抱きしめた時も、
「平馬に優しくしたかったんだよ。僕にじゃない、僕を、平馬の代わりに、抱きしめてただけだったんだ」
「~~っ、なんで……っなんでっ」
ばっ、と平馬は振り向いた。
その目には涙が零れている。
勝は平馬を抱きしめた。
「泣いて、平馬。僕も泣く、から……」
「う、うわああぁ……」
「僕に、こうしろって阿紫花さんが言ったんだ」
『抱擁ってのは便利でね。こうして慰めたり、……大好きだって証明してやったりね』
「大好きだったんだ。阿紫花さんは、平馬が大好きだったんだ」
「兄貴ィ……っ」
「でも好き過ぎて、大事で、遠ざけてしまう事もあるんだよ、平馬」
祖父の記憶、感情を追体験させられた勝には、少し分かる。しろがねを、祖父はやむなく遠ざけた。ルシールも、娘を追放した。
それしかなかったと、勝は思う。
でも大人って、子どもが思うよりずっと、不器用なんだ。
「そんな愛し方しか見つからない事もあるんだ」
「でも、やだよっ……やだよぅ……兄貴ィ……」
「だから泣こう、平馬。泣いて泣いて、そしていつか、」
思い出話をしよう。
平馬。
思い出が思い出になる前に。
「僕たちはあの人が大好きだった」
ずっと、覚えていよう……。
天幕の中、また会う日まで。
薄暗がりの幕間に、男が立っている。
--泣き虫な坊やたちでやすねえ。
タバコを咥え、男は笑って黒手袋を嵌めた手を掲げる。
--あたしはちょいと、頂き損ねたお代を頂きに行って来やすよ……。
軽薄な男だった。軽薄で、無責任で、逸脱した男だった。
下り行く幕の中、男は笑う。
--今日が雨でも、明日は晴れらあね。そん時はちゃんと、笑いなせェよ……。
そして幕が下り。
微笑いながら男は退場した。
END
インテルメディ=幕間劇。
思い出話をしよう。
怪我も病気も人並みにしてきたつもりであるが、思い出せばどれも生死に関わるものではない。舐めて治る傷や寝れば治る病気、病院などそうそう行った事が無い。
病院に縁の薄い野良猫のような男は、不慣れゆえの大人しさで静かに廊下を歩いてきた。路上でするように、若く美しい女がいても声を掛けたりしない。相手が勤務中の看護婦だったせいもある。
個室の並ぶ階まで、階段で昇る。階下とは打って変わって人気のない廊下だ。その奥の、プレートのない部屋の扉を、男は叩扉した。
応えは無い。
そっと、ドアを開けた。
少年--才賀勝は眠っていた。
付き人のしろがねはいないようだ。何か雑務で席を外しているのだろう。時計を見ると午後3時過ぎだ。
ははあ、一人ですかい。--阿紫花は心の中で呟いて、勝の横たわるベッドに腰を下ろした。起きるかと思ったが、眠ったままだ。
「ありゃ。……」
阿紫花は呟き、「窓開いてるじゃねえか」
勝の頭が向いている先の窓が開いていた。先ほどから急に激しい雨が降り出している。立ち上がり窓を閉める時、湿気を含んだ冷たい風が、鼻先をかすめた。冷たい雨だ。急に気温が下がった。
さて、と阿紫花が振り返り、勝の枕元に近づく--その時。
「……ァッ」
勝が急に起き上がった。「うわああああッ!」
悪い夢でも見たのか。内容は--阿紫花にも見当がついた。
軽井沢で九死に一生を得たのは、ほんの少し前だ。
「は……っ」
勝は恐慌状態にあるように泣いていた。これ以上大量の涙など流せまい程に泣いている。「鳴海……兄ちゃん……っ」
阿紫花はふと。
奇妙な表情で勝の肩に触れた。
勝が振り返る。
「……っ」
「お目覚めですかい」
「あ……」
立ったままの阿紫花は、勝を見下ろしていた。
どこか寂しそうな目だ。
その目が奇妙に勝の心に残る。
「阿紫花……さん」
勝はシーツで涙を拭った。「来てたの」
「へえ。--無用心でやすね。ここまで素通りで来れやしたぜ。あのお嬢さんは?」
勝は一瞬「阿紫花さんにはお金をまだ払っていない。誰かに頼まれてまた僕を殺しに来たのかしら」と疑ったが、違うようだ。十億以上出せる親族はいないはずだ。
それに阿紫花は相変わらず伝法な口調だが、どこか明るい。以前殺意丸出しで近づいてきた時とは違う。
「しろがねは……多分、買い物かな。僕の……服とか、買ってくるって言ってたから」
勝は首を動かし、土砂降りになりつつある窓を見上げた。
「雨、すごいね……」
「……」
「しろがね、傘持ってるかなあ」
勝の呟きに、阿紫花はくすりと笑う。
「--じゃ、あたしはこれで」
「え?」
「パチンコで勝っちまってね。ケーキなんて似合わねえモン持ってきたんでさ。二個切りっきゃねえから、あのお嬢さんと食って下せェ」
阿紫花は小さな箱をベッド脇のテーブルに置く。
勝は目を丸くし、
「パチンコ……テレビで見たよ。いっぱい銀色の玉を取ると、お菓子とか缶詰くれるんでしょ?……ケーキも置いてあるの?」
「……あるんですねえ、これが。坊やも大人になったら自分で見てみなせェ。じゃ、あたしはこれで」
ククク、と童話のチェシャ猫のように阿紫花は笑い、背を向ける。ドアまで歩いていく。
勝は声で追いすがった。
「阿紫花さんッ!--行かないで」
阿紫花は振り向いた。
「……」
「あ……その……。ごめん、……」
勝はベッドの上で小さく俯いた。大き目の病院衣の隙間から、瘡蓋だらけの皮膚が見える。
「何でもない……ばいばい……」
沈んだ表情で勝はそう言った。子どもらしくない態度だ。気を遣っている。
「阿紫花さん帰っちゃうな」と、歩き始めた阿紫花の革靴の底の音に、勝は項垂れる。しかし。
「暗ェ面してっと、雨も晴れやせんや」
阿紫花の声が近くでして、急に腰を掴まれて持ち上げられた。
そして抱きかかえられる。
「うあっ」
「お、やっぱこれくれえは重てえもんでさあね」
阿紫花はベッドに腰を下ろし、勝を後ろから抱きかかえた。
コートで包むように勝の身体を強く抱く。
「ガキが気を遣っても、いい事ァありやせんぜ、坊や。あたしに気を遣ったって無駄無駄。アンタに雇われてんだし、--ガキは泣いたり怒ったりうるせえのがフツーでさ。大人の都合なんざ無視しまくりでさ。……あたしで良けりゃ、聞いてやりやすぜ。悪い夢でも見ちまったんでしょ?」
「……」
「泣くだけ泣きなせえよ。あたしゃ、男だから泣くんじゃねえ、なんて馬鹿は言いやせんよ。泣きたい時に泣けるのが、一番でさ」
「鳴海、兄ちゃんが」
勝の声は震えている。「言ったんだ」
『笑うべきだと分かった時は、』
「泣くもんじゃないぜ、って……。僕生きてるよね?助かって、嬉しいはずなんだよね?……」
「……」
「だったら笑えば、いいんだよね?本当は、助かって、感謝して、僕、強くならなきゃいけないんだよね?」
勝の声が、ブレている。「でも全然笑えないんだよ」
嗚咽が、コートの中から聞こえる。
「鳴海兄ちゃんが助けてくれたのに、全然……笑えない。笑えないよ。僕、こんななら助からなきゃ良かった」
「……」
「どうしてこんな事になっちゃうんだよ」
勝は涙を流した。
阿紫花はコートの前を引っ張り、勝の前で掻き合わせた。
「泣きなせぇ」
「う、うっく、」
「泣ける時はね、坊や、泣きなせェ。……あの兄さんの言いそうなこった。笑うべき、なんつって、……テメェが消えたらどうしようもねえってのに。……」
「~~~ッゴメ、ゴメン、ね、コート、」
勝はコートの前を掻き抱き、目に押し当てた。涙で濡れる。
細い身体だ。阿紫花は見下ろし、--糸のように目を細めた。
「構いやせんよ。こんな薄汚ねェコート、縋って泣いてくれンのは坊やくれえでさ」
阿紫花は勝を抱く手に力を込める。そして窓を見上げる。
土砂降りの雨が降り続いている。
「泣いていいんですぜ。……雨みてえに、土砂降っちまいなせえ。雨だって必要だから降ってんでしょ?じゃあ止めねえ方がいいじゃねえですか」
ぽん、と頭を撫でる。
「いつか晴れまさ……。そん時はちゃんと、笑いなせェよ」
「……阿紫花さん」
くすっ、と。
勝が鼻を鳴らして阿紫花を見た。「お祖父ちゃんみたいだね」
「ええ?坊やの……そんなご大層なお人と比べられちゃ、なんか照れちまいやすよ」
そう、阿紫花はかすかに笑った。
しろがねは走っていた。
傘が無い。近くの商店街で買い物をしていると、強い雨が降り出した。わずかに弱まったのを見計らって雨空の下に飛び出したが、それでも雨は両腕に抱いた荷物を濡らしていく。
「お坊ちゃまの服を濡らしては申し訳ない」
肩から下げたバッグの中には重要書類も入っている。しかしそれよりも、新しく買った勝の寝巻きや外出着を濡らしたくなかった。
--飛び込むように、病院に入る。自分は大分濡れたが、荷物はそれほど濡れていない。安堵して、注意されない程度の早足で勝の病室を目指した。
勝の病室のドアをノックしようと、手を挙げた時。
中から勝の声がした。
はっと息を飲んだ。
「僕ね。阿紫花さん。しろがねにだけは泣いてる顔、見られたくないんだ」
阿紫花のコートに包まり、ザーッ、という雨音を聞きながら、勝は呟く。
「僕が泣いたら、しろがね、本当に可哀想な目をするんだ。……しろがね、優しいよ。すぐに抱きしめて、僕を『かわいそうなお坊ちゃま』って言ってくれるんだ」
「でしょうねえ」
「……さっきの阿紫花さんの目に、少しだけ似てる」
飛び起きて最初に見た阿紫花の目だ。
「淋しそうで、何かガマンしてるみたいで、……」
「……そんなでした?あたし」
「うん。お祖父ちゃんみたいだな、って思ったよ。優しくて、僕を心配してくれて。……でも、しろがねはもっと、『悲しい』目をしてる。一人ぼっちみたいな」
ぎゅ、と勝はコートを掴んだ。
「しろがねが泣きそうなのは、嫌だ。僕のせいでしろがねが悲しい目になるの、すっごく嫌だ」
そこだけは強い口調で、勝が言い切った。
「だから、しろがねの前では泣かないでいたいんだ」
そ、っと。
しろがねは腕を下ろした。
荷物を抱えたまま、足音を立てずにドアから離れる。
頭をめぐらせた先には、待合に使う小スペースがある。
びしょ濡れのまま、静かにしろがねは歩いていった。
「そんな事気にするから、ガキらしくねェんでやすよ、坊や」
阿紫花は言う。「大人がテメェの都合でアンタに構ってんなら、どんな面しようが、あのお嬢さんの勝手でさ。いいじゃねえですか。泣きそうでも、一人ぼっちでも。アンタに構いたくてあのお嬢さんが寄って来たんでやしょ?事情は知らねえが」
「うん……僕も知らない」
「あのお嬢さんにゃ、なんか事情があるんでしょうよ。テメエのために坊やを守ろうってんだ、好きにさせときなせえ」
「でも……」
「じゃ坊やは、あのお嬢さんがどんな面してりゃ満足なんで?泣かなきゃいい、ってだけじゃ、人は人形と同じでやす」
勝は目を見開く。
「僕……」
「誰も助けちゃくれねえ。警察も、頼りにならねえ。大人は誰が信じられるのか分からねえ。アンタの命を狙う連中の道理ってヤツは、アンタが道理と思う事じゃねえ」
「……」
「泣いても叫んでも誰も来ねえ。誰に裏切られたって、ガキは丸まってるしかねえ。殴られても蹴られても、もっとひでえ目にあっても、連中はやり遂げる。金でなんでもしちまう。アンタが考えもしねえヒドイコトを平気でやる。--あたしもそうだから、よく分かンのさ」
「……!」
息を呑んだ勝は、振り向いて身をよじった。
阿紫花は--冷えた目をしていたが、
「あのお嬢さんが、坊やを守ってくれやすよ」
そう言って笑った。
瞳に温度が戻る。
「あのお嬢さんも、色んな世界を見て来たのかも知れねえよ、坊や」
「……」
「泣くな、って言ってやるより、泣けと言ってやるのも、男じゃねえのかね。坊やはまだ小せえよ。でも大人になりゃ、こうやって、」
と、阿紫花は勝の小さな肩を包む。
「抱いて慰めてやれやすよ」
「……」
どこか祈るような声だ。--勝はそう思った。
阿紫花は勝の肩を抱きしめたまま、
「抱擁ってのは便利でね。こうして慰めたり、……大好きだって証明してやったりね。女相手だとこりゃもー、最っ高に効果が……冗談でやすよ、冗談」
訝しげに身を引こうとする勝に阿紫花は弁解し笑う。
勝は眉尻を下げ、
「阿紫花さんも、……淋しいの?」
「え?」
「ううん、なんでもない。……僕、しろがねに笑ってもらいたいな」
小さく、しかし泣いてはいない声で勝は呟く。「泣いたり、笑ったりしながら、……ずっと一緒に、いたい。それじゃダメかなあ?」
そう問いかける勝の純粋な目に、阿紫花は口角を引き上げた。
「アンタはいい男になりやすよ、坊や。あたしみてえな色男にね」
「え……阿紫花さんみたいな?」
「なんでそんな嫌そうなんでさ!」
ぐりぐりと阿紫花にくすぐられ、勝は笑い泣きの態で暴れた。
「ひゃっ、ひゃっ、ごめんっ!嫌じゃないけど!ひゃひゃひゃ!」
「生意気言う坊やはこうしてやりまさ!」
「ひゃっ、やめて!くすぐったいよぉ!」
本当に久しぶりに。
勝は笑う事が出来た。
枕の上に座る勝の膝にタオルケットを掛け、阿紫花は戸口へ向かった。
「じゃ、また。坊や。大人しく寝てなせえよ」
「寝てるの飽きちゃった。早く外に……出たら、阿紫花さんにお金払わないとね……」
そうしたらもう逢えない。
淋しいのだろう、勝は俯く。
あえて阿紫花は背を向けた。
「坊や、お代さえいただけりゃ、あたしはサヨナラするだけでさあ。あたしみてえな下らねえ半端者に、金輪際関わっちゃいけやせんよ」
「阿紫花さんは違うよ」
勝の声に、阿紫花は振り向く。
「僕を助けてくれた。僕、忘れないからね」
「……」
「ホウヨウ、とか、覚えておくよ。誰かにしてあげる。泣いてる人とかいたら、してあげるんだ」
阿紫花は一瞬淋しそうな目をし、何か呟いた。
「……坊やが……ならなぁ……」
「え?」
「なんでもありやせん。抱擁すんのはいいですが、変な連中にゃしちゃいけやせんよ。アマっ子専門にしときなせえ」
「?」
「じゃ、坊や」
苦笑しながら阿紫花は出て行った。
ドアを閉め、阿紫花はふと気づく。
革靴の底がやけに滑る。
水滴だ。誰かが水を滴らせたようだ。
「……」
廊下を見回す。壁の陰の待合スペースのソファに誰かが座っているのが見えた。
銀髪--しろがねだ。
近づいて様子を伺う。
背中しか見えなかったので、横に回りこんでみると、しろがねはまっすぐ前を見つめていた。
びしょ濡れだ。傍らにはあまり濡れていない紙袋がある。抱きかかえて来たのか。
「……水も滴るって、日本語、知ってやす?」
「……」
阿紫花のジョークに、何も返さない。ただ前を見つめている。怖いくらいに真剣な、しかし何も見えていない目。
人形の目だ。
「坊やがね」
「……!」
しろがねは振り向いた。
阿紫花は苦笑する。
「嬢ちゃんと、これから先ずっと一緒にいてえんだと。そう笑ってやしたよ」
「……お坊ちゃま」
「行ってやりなせえよ」
人形の目が、揺らいだ。泣きそうに歪む。
両手で胸を押さえ、しろがねはうつむいた。何かをこらえるように。
「どっか苦しいんで?」
「……私は坊ちゃまを笑顔に出来ない……」
だから苦しい、とでも言うように、しろがねは呟いた。
「私は笑えない、--人形だ」
「……」
「鳴海のようには、私は……」
静かな声だ。「坊ちゃまの笑顔にはなれない」
悲しい声だ。
「……若ェのに、何言ってやがんでえ」
阿紫花は笑った。「賢いってのはいけねえやね。先の事見えてる気になっちまうんでしょーが、明日の事なんて誰に分かンでさ。明日が雨か晴れか雪か嵐かも分かンねえ癖して。今日が雨でも、明日は晴れらあね。今日が雨だからって、明日も泣くつもりかい?」
「……」
「坊やにゃ、もうアンタしかいねェんじゃねェのかい」
「……!」
だっ、と。
立ち上がったしろがねは走り出した。
「どうしたの?しろがね」という声が聞こえたが、阿紫花は黙って立ち去った。
思い出話をしよう。
冷たい部屋だった。
遺体を置く地下室だ。無理も無い。ドライアイスも、冷凍庫も無い。冷房だけをやたらと掛けてあるだけだ。
まだ本格的に痛み出してはいないのだろう、臭いは無かった。だが誰かがお香を焚いてくれている。線香とは違う、刺激的ないい匂いがした。
「坊ちゃま。……」
後ろからしろがねが、勝の肩を押さえる。行かせたくないのではない。勝が悲しむのが辛いのだ。
前を向いたまま、勝は答えた。
「大丈夫だよ、しろがね。……」
「でも……」
「泣きたい時は泣いていいんだよ、しろがね」
振り向き、しろがねの目を見つめ、勝は言った。
「ギイさんと、僕はさよならしたよ。でも今も、僕、泣きたい気持ちだ。多分しばらくずっと、泣きたいままだと思う」
「坊ちゃま……」
「泣いて。しろがね。泣いて泣いて、飽きたら笑おうよ」
う……、と、しろがねはこみ上げる涙を抑えきれずに嗚咽する。
泣くしろがねの肩を、鳴海が抱きしめた。
二人のそんな様子を認めてから、勝は歩き出した。
「平馬……」
「坊ちゃまに、似ているから、行かせたくない」
嗚咽の中、しろがねはそう漏らした。
鳴海は問い返す。
「え?誰が?」
「アナタを喪った、坊ちゃまに、そっくりだから……」
「平馬……」
小さな肩だ。--勝はそう思った。
祖父の記憶を追体験したからよく分かる。自分たちは本当に無力で、小さい。
阿紫花の顔は綺麗だった。身体は見せられない、ときつくシーツで覆われている。だが顔はむき出しだ。
「阿紫花さん。……少し、笑ってる」
確かに、阿紫花の死体は少し笑っているように見えた。
勝は平馬の横に立ち、……平馬の顔を覗き込んだ。
大きく目を見開いたまま、平馬は動かない。
「平……」
声を掛けた時、背後の廊下で泣き声がした。
涼子だ。
「直してよ!直して!……」
「出来ないよ、お嬢ちゃん……」
悲しげなフウの声がした。「それはあたしには出来ない」
「アルレッキーノを直して!パンタローネも、元に戻して!」
「出来ないよ、頭を吹き飛ばされて、それにもう時間が経ち過ぎた。あたしでも壊れちまった思考機関の復元は出来ない。神様だって、出来ないよ」
「嘘!」
弾け飛ぶような泣き声だった。
「どうして元に戻せないの!人形なのに!壊れただけなら、元に戻して!」
うわああ、と涼子は祖父の胸で泣き出した。
法安は孫娘を抱きしめた。
「涼子。……」
「直して、直してェ……、人形なら死なないはずよ」
直して、と泣きながら繰り返す涼子に、法安は悲しげに囁いた。
「……だからいつかまた会えるじゃろうて。天幕の中でなあ……」
涼子の嗚咽にも、平馬は振り向かなかった。
時が止まったように、阿紫花の死体を見つめているだけだ。
「平……」
平馬の手を握ろうと、勝が触れた瞬間。
思い切り平馬は振り払った。
勝は目を見開くが、平馬はこちらを見ない。凍ったまま、阿紫花を見つめている。
「……平馬!」
勝は。
平馬を後ろから抱きしめた。
「阿紫花さんが言ったんだ」
暴れかけ、身じろぎした平馬に、早口で勝は言い聞かせた。
「悲しい時は泣いていい、って」
『泣くな、って言ってやるより、泣けと言ってやるのも、男じゃねえのかね』
「それを言われて、僕はやっと楽になったんだ。平馬、阿紫花さんは、泣いてる僕をこうやって後ろから、抱きしめてくれたんだ」
「……なんで」
平馬がやっと、声を出した。
「いっつも勝ばっかなんだよ。……英兄ィ、なんで、勝ばっか……っ」
ず、と鼻をすする音がした。そして涙声がした。
「なんで勝にばっか優しくしてんだよ、兄貴!」
「違うよ、平馬。阿紫花さんは、僕に優しくしたかったんじゃない」
勝の記憶の中の阿紫花の目は、時折淋しげだ。
病室へ見舞いに来てくれて、目覚めて最初に見た顔も、祈るように勝を抱きしめた時も、
「平馬に優しくしたかったんだよ。僕にじゃない、僕を、平馬の代わりに、抱きしめてただけだったんだ」
「~~っ、なんで……っなんでっ」
ばっ、と平馬は振り向いた。
その目には涙が零れている。
勝は平馬を抱きしめた。
「泣いて、平馬。僕も泣く、から……」
「う、うわああぁ……」
「僕に、こうしろって阿紫花さんが言ったんだ」
『抱擁ってのは便利でね。こうして慰めたり、……大好きだって証明してやったりね』
「大好きだったんだ。阿紫花さんは、平馬が大好きだったんだ」
「兄貴ィ……っ」
「でも好き過ぎて、大事で、遠ざけてしまう事もあるんだよ、平馬」
祖父の記憶、感情を追体験させられた勝には、少し分かる。しろがねを、祖父はやむなく遠ざけた。ルシールも、娘を追放した。
それしかなかったと、勝は思う。
でも大人って、子どもが思うよりずっと、不器用なんだ。
「そんな愛し方しか見つからない事もあるんだ」
「でも、やだよっ……やだよぅ……兄貴ィ……」
「だから泣こう、平馬。泣いて泣いて、そしていつか、」
思い出話をしよう。
平馬。
思い出が思い出になる前に。
「僕たちはあの人が大好きだった」
ずっと、覚えていよう……。
天幕の中、また会う日まで。
薄暗がりの幕間に、男が立っている。
--泣き虫な坊やたちでやすねえ。
タバコを咥え、男は笑って黒手袋を嵌めた手を掲げる。
--あたしはちょいと、頂き損ねたお代を頂きに行って来やすよ……。
軽薄な男だった。軽薄で、無責任で、逸脱した男だった。
下り行く幕の中、男は笑う。
--今日が雨でも、明日は晴れらあね。そん時はちゃんと、笑いなせェよ……。
そして幕が下り。
微笑いながら男は退場した。
END
インテルメディ=幕間劇。
拍手とメッセージをありがとうございます。
拍手のみも嬉しいです。
以下メッセージ返信。
拍手のみも嬉しいです。
以下メッセージ返信。
某Kさん>ジョージ=ロールパンに吹きましたwですよね!テメーはロココ時代の住人か、ってくらいの巻き毛ですよねw
デフォは喫煙場面ですか。確かにあの時のジョージのハンサム具合は異常w私はジョ阿紫は公式だと思い込んでいる女ですが(御大に謝れ)、終盤のジョージはもう……なんでしょうね、異次元から来たのかというくらいの男前ですよね。私は丸い目のジョージも可愛くて好きですw
最近阿紫花のスケッチしてて、女形のある先生とデザイナー(男)の対談を思い出しました。化粧の過程を見ながらの対談ってヤツだったのですが、阿紫花の顔がね、女形の化粧によく似てますよね。長く細い眉で切れ上がった目で、鼻先が尖っていて顎が細い。あれは男が考える「イイ女」の顔ですね……罪な男です本当に(笑)人工的な赤い色が似合う男の顔って、ジャパニーズトラディショナルビッチな感じがしてイイですねw
Oノさん>「長っ……こんなに書く事なんて私だってねーよ」と思いましたが、同時に「ああ、こんなみそっかすな大豆臭のするブログを見て下さっているなんてありがたい。拝んどこ……しかし長ーな」と感謝の気持ちでいっぱいになりました。長いのは全然気にしてません。
「からくり再燃すればいいじゃない……ヤクザと玉乗りのエンドレスワルツを妄想すればいいじゃない……」と遠く奥州から念じております。阿紫花も絶対不幸な子ども時代送ってますよね。引き取られた先で何を着せられても食べさせられても文句言わなさそう……ただコッソリタバコ吸いながら青空を見上げていそう……どこか恨めしそうにさ……。と思いあんな貧乏臭い格好に。
ヘルシングはいろいろ妄想しちゃいますね。
「名前は?」って問う勝の前にしろがねが跪いて、「先先代は、こう呼んでおいででした。--しろがね」って答えるとか。あと「死んだしろがねだけが善いしろがねだ!」って空中で叫ぶ金とか。「ファックファックって叫んで死んでやろーぜ」って言い出すサハラのしろがねたち。どんなよw鳴海はセラスだな。
うふふふ。Oノさんもジョアシ嵌ればいいですよwニヨニヨ。
拍手・メッセージありがとうございます!
デフォは喫煙場面ですか。確かにあの時のジョージのハンサム具合は異常w私はジョ阿紫は公式だと思い込んでいる女ですが(御大に謝れ)、終盤のジョージはもう……なんでしょうね、異次元から来たのかというくらいの男前ですよね。私は丸い目のジョージも可愛くて好きですw
最近阿紫花のスケッチしてて、女形のある先生とデザイナー(男)の対談を思い出しました。化粧の過程を見ながらの対談ってヤツだったのですが、阿紫花の顔がね、女形の化粧によく似てますよね。長く細い眉で切れ上がった目で、鼻先が尖っていて顎が細い。あれは男が考える「イイ女」の顔ですね……罪な男です本当に(笑)人工的な赤い色が似合う男の顔って、ジャパニーズトラディショナルビッチな感じがしてイイですねw
Oノさん>「長っ……こんなに書く事なんて私だってねーよ」と思いましたが、同時に「ああ、こんなみそっかすな大豆臭のするブログを見て下さっているなんてありがたい。拝んどこ……しかし長ーな」と感謝の気持ちでいっぱいになりました。長いのは全然気にしてません。
「からくり再燃すればいいじゃない……ヤクザと玉乗りのエンドレスワルツを妄想すればいいじゃない……」と遠く奥州から念じております。阿紫花も絶対不幸な子ども時代送ってますよね。引き取られた先で何を着せられても食べさせられても文句言わなさそう……ただコッソリタバコ吸いながら青空を見上げていそう……どこか恨めしそうにさ……。と思いあんな貧乏臭い格好に。
ヘルシングはいろいろ妄想しちゃいますね。
「名前は?」って問う勝の前にしろがねが跪いて、「先先代は、こう呼んでおいででした。--しろがね」って答えるとか。あと「死んだしろがねだけが善いしろがねだ!」って空中で叫ぶ金とか。「ファックファックって叫んで死んでやろーぜ」って言い出すサハラのしろがねたち。どんなよw鳴海はセラスだな。
うふふふ。Oノさんもジョアシ嵌ればいいですよwニヨニヨ。
拍手・メッセージありがとうございます!
ギィと阿紫花の肉体年齢がほぼ一緒だったら戸惑うなあ、と思い書きました。確実にギィは若作りをしている。ヘタすると十歳くらい。
私は経験で「若者は自分より年上の人間の年齢が分からない」んだと思ってますが、どうだろう。
鳴海は年上を敬う中国に長い事いたから、結構分かろうとして分かっていると思う。勝は頭いいから、「〇〇さんって40歳くらいなのかな?」とか考えてそう。阿紫花はそっちの筋の世界にいるので、鈍感ながらも割りと人を見ていそうだし。
そういう事に一番鈍感なのはジョージだと思う。なんとなく。
思いのほか若いと思うんだ、ジョジ。尻が若そう(どういう理由よ)
実際のところは分からなかったので、ジョージの年齢とか。もっと年上でも年下でもいいですね。なんかこういう雰囲気の話が書きたかったんだと思って下さい。
私は経験で「若者は自分より年上の人間の年齢が分からない」んだと思ってますが、どうだろう。
鳴海は年上を敬う中国に長い事いたから、結構分かろうとして分かっていると思う。勝は頭いいから、「〇〇さんって40歳くらいなのかな?」とか考えてそう。阿紫花はそっちの筋の世界にいるので、鈍感ながらも割りと人を見ていそうだし。
そういう事に一番鈍感なのはジョージだと思う。なんとなく。
思いのほか若いと思うんだ、ジョジ。尻が若そう(どういう理由よ)
実際のところは分からなかったので、ジョージの年齢とか。もっと年上でも年下でもいいですね。なんかこういう雰囲気の話が書きたかったんだと思って下さい。
年の差なんて
「ギイさんのお肌綺麗よね~」
ミンシアは惚れ惚れと見つめる。「羨ましいわ」
「僕にはアナタの張りのあるバラ色の頬の方が美しく見えますよ、お嬢さん」
ギイは狙いすました様に笑みを浮かべる。
鳴海はその背後で「ケッ」と小さく舌打ちする。
「姐さん、こんなマザコンに構っちゃいけねえぜ。ヘ、人形としかイチャこけねえマザコン野郎だ」
「まあミンハイ、ギイさんは命の恩人じゃないの。それに年上なのよ?そんな失礼な口を聞いちゃいけないわ」
ミンシアは姉の顔でそう言うが、ギイは鳴海の言葉など意に介した様子もなく紅茶を啜っている。
絵になる様のギイに対し、行儀悪く椅子に後ろ向きに座る阿紫花が、
「へえ、ギイさん結構年上なんですかね。あたしゃてっきり、鳴海の兄さんと同い年くれえかと思ってやした」
「馬鹿な」
ギイは紅茶のカップをテーブルに置き肩をすくめた。
「阿紫花、褒め過ぎだよ。いくら僕が若く見えようとも、こんなネンネと一緒にしないでくれたまえ。君だってあまり若く見られたくないだろ?」
「そいつぁそうでやすねえ。確かに、こン歳で鳴海の兄さんと同じに見られちゃ、男として居心地悪ィってなもんでさ」
のほほん、と阿紫花とギイは会話をする横で。
ジョージはカップを片手に、
「……おい」
と、不機嫌そうな声を出した。
「あら、レモンティーが良かった?メイド人形に言って--」
「いやブラック(ストレートの事)でいい。そうではなくて、……誰と誰が、同じ歳だって?」
不機嫌なのではない。不可思議なのだ。
ジョージ以外の一同は顔を見合わせる。
阿紫花は気づいたように、
「ジョージさん、……鳴海の兄さん、いくつに見えやす?」
「? 三十路前」
「ジョージこの野郎ォォォ」と鳴海は力瘤を溜めて見せるが、ジョージは無表情だ。分かってない。
ギイはニヤリと笑い、
「ジョージ、僕は何歳ぐらいに思う?」
そう言って、阿紫花を隣に立たせた。「どっちが年上に見える?」
「……見た目は25歳くらいか?アシハナの方が年上に--カトウと同じくらいに見える」
見た目の年齢と実年齢が食い違う、しろがねたちである。一応ジョージもそれを分かっているから、慎重に答えている。
「ジョ、ジョージ……」
阿紫花は笑みを浮かべた顔で、「あんた、あたしを迎えに来る時、生年月日とか見なかったんで?パスポートの写しとか……あ、偽造してたっけ、あたし。じゃ知らねえか」
「なんだ気持ち悪い顔で……生年月日?そんな物、必要な状況ではなかっただろうが」
ギイは悩ましげに眉を寄せる演技をして、
「ジョージ、実は僕と阿紫花はほとんど同じ年齢だ。もちろん僕は80年以上は鯖を読んでいるが」
「……?」
「大体35歳だよ」
その言葉を聴いたジョージは顎に手をやり、
「ではカトウは、……40?」
「お前なァーッ!」
鳴海は怒鳴る。「俺は19だよ!」
「本当は、ギイさんとアシハナが35で、鳴海が19よ。私は秘密★」
ミンシアの言葉に、ジョージは、
「……東洋人は若く見えると思っていたが、……老けているなカトウ」
「うっせーよ!テメーは何歳だってんだ!」
「アシハナが35……頭の中身は15くらいだろうに」
「ひでえよジョージさん」と阿紫花は唇を尖らせるが、面白がっているようでもある。
「で、君はいくつなんだい?ジョージ」
ギイは物静かに、「何年に何歳でしろがねになったのか、でもいいよ」
「……実は私、ジョージの歳の方が分からないのよね~」
ミンシアがジョージを見上げ、「女優だから、結構若作りしてる人は分かっちゃうのよ。でもジョージって分かりにくいのよね。老けているっちゃ老けているんでしょうけど」
「オデコですもんね」
阿紫花が人差し指を立て、遠いジョージのオデコを押す仕草をする。
ジョージは怒るでもなく、ただ立ち上がった。
「失礼する」
ふと立ち止まり、「……46年、11歳」
「……どうも、ジョージ」
ギイは頷き、ジョージは出て行った。
「46年ってえと、あたしの義父さんより年上でやすね、ジョージ」
阿紫花はのんびりと言う。
鳴海は紙と鉛筆を取り出して、ミンシアと額をつき合わせている。
「計算してみるか」
「えっと……5年で一歳でしょ?……西暦でいいのよね?」
「ゲ……俺とそんなに違わねえじゃん。オイオイ……老けてんなあ、西洋人って。つか、知ってたか?阿紫花」
「え?」
阿紫花は首をかしげ、「知りやせんよ。でもそんなもんだとは思ってやしたねえ」
「ほう。君も一応いい大人だものな。やはり分かったのかい」
「いんえ」
ギイの言葉に、阿紫花はくすりと笑い。
「尻がね」
「え?」
「こう、ぷりぷりしてやしたから。ムチムチのプリプリ。三十前じゃ、ケツなんて重力に従うってもんでやしょ。でもこう、ドンパチの時に見たケツが、ズボン履いてやしたけど、いい尻だったんで。あ、こいつぁ若ぇな、と……」
「やだアシハナ、どこ見てるのよ」
ミンシアは心なしか胸の前を腕で覆って、「スケベ」
「だからケツですって。いやあ、嬢ちゃんみてえな娘っコもいいですがね、もちっと年取って肉乗ったケツが、あたしは好みでね」
「セクハラで訴えられるぞ、阿紫花」
ギイは冷静だ。しかし面白がっているようでもある。「いや、ジョージに訴えられるぞ」
「ギイさんはどこ見やす?ケツとか胸とか」
「んもう!スケベねあんたって!」
ミンシアはとうとう怒り出し、「女の--女と男の敵ね!」
「じゃあたし人類全部の敵って事ですかい?」
「僕は顔を見るなあ。表情が美しい人は好きだな」
「顔ねえ、顔なんざ灯り消したら見えやせんよ。鳴海の兄さんは?どこがお好みで」
鳴海は何か言いたげになるが、ミンシアの鋭く暗い視線に気づき、口を噤む。何年もこの調子だったのだろう、この姉弟弟子は。容易に想像できた。
「鳴海の兄さんのこったから、てっきり『胸』とかありきたりな答えかと思ってやしたけどねえ」
「ジョージにも聞いてきたらどうだい?」
「……プッ」
「そりゃいいや」と呟き、阿紫花は変な唄を歌いながら出て行った。
「そりゃもういいケツなんで~♪あたしのものでさ~♪」
本当にジョージの所へ行ったのかは分からないが、しばらくして「何をする貴様!」という叫び声と、ボラの回転する機械音が階上から聞こえてきて、ギイと鳴海、ミンシアは嘆息した。
「……退屈しない二人だね、まったく」
百年以上も時を経たギイですら、そう呟いた。
翌日。
「……どうしてそんなにボラの回転が見たいんだ、お前ら」
「(だってボラを出さないと見れないじゃないの!)こ、今後の戦いの参考に……」
ミンシアと鳴海がジョージに「ボラを見せて(正確には尻を)」と頼む横で。
「おはようジョージ」
目にも見えない早業で、ギイの手が通りすがりに動いた。
「!?……何か、したか今(尻に、何か当たった……?)」
「さあ?新聞でもぶつかったかな」
ロンドンタイムズを見せてギイは何食わぬ顔で立ち去った。
「……あれが年の功ってヤツよ、ミンハイ」
「ああ……そしてどうしよう、ジョージがガキに見えて来たぜ……」
ミンシアと鳴海は、ギイの背を見つめ呟いた。
ジョージ一人が首を傾げる。
「確かにいい尻だった。君はいい目をしてるな、阿紫花」
居間に入り、ギイは新聞を阿紫花に渡す。「読み終わった」
馬鹿でかいソファに寝転がっていた阿紫花はそれを受け取り、
「へえ。そりゃこちとらプロですからね。一目で分からなきゃいけやせん」
新聞を開いて絵だけ眺める。外国の広告は派手で面白い。
ギイは笑みを浮かべ、
「……ていうより、好みだったんだろ?」
「そりゃあもう」
阿紫花は新聞を閉じ。
ニヤケ顔を返した。
END
オヤジ二人でジョージ弄り。
「ギイさんのお肌綺麗よね~」
ミンシアは惚れ惚れと見つめる。「羨ましいわ」
「僕にはアナタの張りのあるバラ色の頬の方が美しく見えますよ、お嬢さん」
ギイは狙いすました様に笑みを浮かべる。
鳴海はその背後で「ケッ」と小さく舌打ちする。
「姐さん、こんなマザコンに構っちゃいけねえぜ。ヘ、人形としかイチャこけねえマザコン野郎だ」
「まあミンハイ、ギイさんは命の恩人じゃないの。それに年上なのよ?そんな失礼な口を聞いちゃいけないわ」
ミンシアは姉の顔でそう言うが、ギイは鳴海の言葉など意に介した様子もなく紅茶を啜っている。
絵になる様のギイに対し、行儀悪く椅子に後ろ向きに座る阿紫花が、
「へえ、ギイさん結構年上なんですかね。あたしゃてっきり、鳴海の兄さんと同い年くれえかと思ってやした」
「馬鹿な」
ギイは紅茶のカップをテーブルに置き肩をすくめた。
「阿紫花、褒め過ぎだよ。いくら僕が若く見えようとも、こんなネンネと一緒にしないでくれたまえ。君だってあまり若く見られたくないだろ?」
「そいつぁそうでやすねえ。確かに、こン歳で鳴海の兄さんと同じに見られちゃ、男として居心地悪ィってなもんでさ」
のほほん、と阿紫花とギイは会話をする横で。
ジョージはカップを片手に、
「……おい」
と、不機嫌そうな声を出した。
「あら、レモンティーが良かった?メイド人形に言って--」
「いやブラック(ストレートの事)でいい。そうではなくて、……誰と誰が、同じ歳だって?」
不機嫌なのではない。不可思議なのだ。
ジョージ以外の一同は顔を見合わせる。
阿紫花は気づいたように、
「ジョージさん、……鳴海の兄さん、いくつに見えやす?」
「? 三十路前」
「ジョージこの野郎ォォォ」と鳴海は力瘤を溜めて見せるが、ジョージは無表情だ。分かってない。
ギイはニヤリと笑い、
「ジョージ、僕は何歳ぐらいに思う?」
そう言って、阿紫花を隣に立たせた。「どっちが年上に見える?」
「……見た目は25歳くらいか?アシハナの方が年上に--カトウと同じくらいに見える」
見た目の年齢と実年齢が食い違う、しろがねたちである。一応ジョージもそれを分かっているから、慎重に答えている。
「ジョ、ジョージ……」
阿紫花は笑みを浮かべた顔で、「あんた、あたしを迎えに来る時、生年月日とか見なかったんで?パスポートの写しとか……あ、偽造してたっけ、あたし。じゃ知らねえか」
「なんだ気持ち悪い顔で……生年月日?そんな物、必要な状況ではなかっただろうが」
ギイは悩ましげに眉を寄せる演技をして、
「ジョージ、実は僕と阿紫花はほとんど同じ年齢だ。もちろん僕は80年以上は鯖を読んでいるが」
「……?」
「大体35歳だよ」
その言葉を聴いたジョージは顎に手をやり、
「ではカトウは、……40?」
「お前なァーッ!」
鳴海は怒鳴る。「俺は19だよ!」
「本当は、ギイさんとアシハナが35で、鳴海が19よ。私は秘密★」
ミンシアの言葉に、ジョージは、
「……東洋人は若く見えると思っていたが、……老けているなカトウ」
「うっせーよ!テメーは何歳だってんだ!」
「アシハナが35……頭の中身は15くらいだろうに」
「ひでえよジョージさん」と阿紫花は唇を尖らせるが、面白がっているようでもある。
「で、君はいくつなんだい?ジョージ」
ギイは物静かに、「何年に何歳でしろがねになったのか、でもいいよ」
「……実は私、ジョージの歳の方が分からないのよね~」
ミンシアがジョージを見上げ、「女優だから、結構若作りしてる人は分かっちゃうのよ。でもジョージって分かりにくいのよね。老けているっちゃ老けているんでしょうけど」
「オデコですもんね」
阿紫花が人差し指を立て、遠いジョージのオデコを押す仕草をする。
ジョージは怒るでもなく、ただ立ち上がった。
「失礼する」
ふと立ち止まり、「……46年、11歳」
「……どうも、ジョージ」
ギイは頷き、ジョージは出て行った。
「46年ってえと、あたしの義父さんより年上でやすね、ジョージ」
阿紫花はのんびりと言う。
鳴海は紙と鉛筆を取り出して、ミンシアと額をつき合わせている。
「計算してみるか」
「えっと……5年で一歳でしょ?……西暦でいいのよね?」
「ゲ……俺とそんなに違わねえじゃん。オイオイ……老けてんなあ、西洋人って。つか、知ってたか?阿紫花」
「え?」
阿紫花は首をかしげ、「知りやせんよ。でもそんなもんだとは思ってやしたねえ」
「ほう。君も一応いい大人だものな。やはり分かったのかい」
「いんえ」
ギイの言葉に、阿紫花はくすりと笑い。
「尻がね」
「え?」
「こう、ぷりぷりしてやしたから。ムチムチのプリプリ。三十前じゃ、ケツなんて重力に従うってもんでやしょ。でもこう、ドンパチの時に見たケツが、ズボン履いてやしたけど、いい尻だったんで。あ、こいつぁ若ぇな、と……」
「やだアシハナ、どこ見てるのよ」
ミンシアは心なしか胸の前を腕で覆って、「スケベ」
「だからケツですって。いやあ、嬢ちゃんみてえな娘っコもいいですがね、もちっと年取って肉乗ったケツが、あたしは好みでね」
「セクハラで訴えられるぞ、阿紫花」
ギイは冷静だ。しかし面白がっているようでもある。「いや、ジョージに訴えられるぞ」
「ギイさんはどこ見やす?ケツとか胸とか」
「んもう!スケベねあんたって!」
ミンシアはとうとう怒り出し、「女の--女と男の敵ね!」
「じゃあたし人類全部の敵って事ですかい?」
「僕は顔を見るなあ。表情が美しい人は好きだな」
「顔ねえ、顔なんざ灯り消したら見えやせんよ。鳴海の兄さんは?どこがお好みで」
鳴海は何か言いたげになるが、ミンシアの鋭く暗い視線に気づき、口を噤む。何年もこの調子だったのだろう、この姉弟弟子は。容易に想像できた。
「鳴海の兄さんのこったから、てっきり『胸』とかありきたりな答えかと思ってやしたけどねえ」
「ジョージにも聞いてきたらどうだい?」
「……プッ」
「そりゃいいや」と呟き、阿紫花は変な唄を歌いながら出て行った。
「そりゃもういいケツなんで~♪あたしのものでさ~♪」
本当にジョージの所へ行ったのかは分からないが、しばらくして「何をする貴様!」という叫び声と、ボラの回転する機械音が階上から聞こえてきて、ギイと鳴海、ミンシアは嘆息した。
「……退屈しない二人だね、まったく」
百年以上も時を経たギイですら、そう呟いた。
翌日。
「……どうしてそんなにボラの回転が見たいんだ、お前ら」
「(だってボラを出さないと見れないじゃないの!)こ、今後の戦いの参考に……」
ミンシアと鳴海がジョージに「ボラを見せて(正確には尻を)」と頼む横で。
「おはようジョージ」
目にも見えない早業で、ギイの手が通りすがりに動いた。
「!?……何か、したか今(尻に、何か当たった……?)」
「さあ?新聞でもぶつかったかな」
ロンドンタイムズを見せてギイは何食わぬ顔で立ち去った。
「……あれが年の功ってヤツよ、ミンハイ」
「ああ……そしてどうしよう、ジョージがガキに見えて来たぜ……」
ミンシアと鳴海は、ギイの背を見つめ呟いた。
ジョージ一人が首を傾げる。
「確かにいい尻だった。君はいい目をしてるな、阿紫花」
居間に入り、ギイは新聞を阿紫花に渡す。「読み終わった」
馬鹿でかいソファに寝転がっていた阿紫花はそれを受け取り、
「へえ。そりゃこちとらプロですからね。一目で分からなきゃいけやせん」
新聞を開いて絵だけ眺める。外国の広告は派手で面白い。
ギイは笑みを浮かべ、
「……ていうより、好みだったんだろ?」
「そりゃあもう」
阿紫花は新聞を閉じ。
ニヤケ顔を返した。
END
オヤジ二人でジョージ弄り。
必読:ブログの説明
※「か〇くりサー〇ス」女性向け非公式ファンサイトです。CPは「ジョ阿紫」中心。また、予定では期間限定です。期間は2010年内くらいを予定してます。
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カテゴリー:からくり小説
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プロフィール
名前:デラ
性別:女性(未婚)
年齢:四捨五入して三十路
備考:体力と免疫力が無い
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