生き残りパラレル。
ロンドンでジョージを待ってる阿紫花の話。
はい、少女漫画。(?)
ロンドンでジョージを待ってる阿紫花の話。
はい、少女漫画。(?)
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一撃で終わる
日本に帰るのも面倒だし(組関係への義理立てやら、村への挨拶やら)、ロンドンもなかなか面白いようで、阿紫花はフウの屋敷に留まっていた。別に居てくれと言われたのでもないし、居たいと言ったワケでもない。ただ宿代が浮くのと、人形があるから屋敷に居ただけだ。
自動人形の組み方を眺めているのも面白い。フウは文書や書籍でその知識を残すつもりはないらしく、それだけが不便だったが阿紫花は慣れた。もとより人形遣いに教科書などないし、黒賀村でもそれは同じ。見て覚える、技は盗む、習うより慣れろ。
世間などどうでもいいくせに、基本的な部分で職人気質な所で気があった。
「メカニックがいると、あたしも楽だよ」
フウは紅茶を啜り、手元のテーブルの上に極細の電極針を置いた。針金の先に髪の毛ほどの針が点いた、電極だ。
自動人形を作る工房の中だ。現代的で、無機質な機械類が並んでいる。フウの自動人形は思考と内部こそ無機質だが、有機的な身体は人間の質感を保持させている。使い勝手を謝れば変質も腐敗もする有機素材を組み立てるには、人間に施す以上に精密で繊細な作業が必要になるらしい。周囲の機械類はどれも浸透圧や体液循環、皮膚触感保持といったものばかりだ。
「ああ、ギイさんもジョージもいやすね」
熱心に人形の頭蓋殻のチタンを磨いていた阿紫花は、それをライトに透かす。
「美人にしてやりやすよ、っと……」
「君も悪くない腕だと思うよ、あたしは。根気はないが集中力もあるし、何より興味があるんだろう?人形に」
「あ~、そりゃね。昔から歯車とか見るのは好きですがね。でも正直、綺麗なだけのオネエチャン人形にゃ興味ねえな。人間に近づけるってのもどうでもいいし。あたしが好きなのは、ドンパチ出来る人形くらいでさ」
阿紫花はタバコの灰を灰皿に落とし、
「メイド人形たちもドンパチは出来ンでしょうけど、あたしが操るって類のモンじゃねえ。そいつがちょいとね」
「そうかい。--ああ、もう昼だ。昼食は?」
「あたしはもうちっと、こいつら見てやりやすよ。こっちの人に合わせて食事してたら、あっという間に体重が二倍くらいになっちまう。あの朝飯だけで一日腹いっぱいでさ。たいしてうまくもねえ飯--こりゃ失礼。この屋敷の主に言うこっちゃねえや。よく太りやせんね、フウさん」
「君が不健康なんだよ、阿紫花君。酒を夕食にする癖はもうやめた方がいい。ジョージ君にあたしが叱られる」
フウは面白くも無いその冗談に笑い、
「たまには日本食も出すように言ってみるかね」
「鍋食いたい」
「鍋?そんな硬いものを?」
「……」
「鍋、というのは日本の煮込み料理だよ。大き目の土鍋や金属鍋に、肉や魚や野菜といったその時々の具材を入れて、だし汁で煮る。ポトフみたいな感じだったかな。一般家庭や飲食店では、個別に振舞われるのではなく、鍋を卓の中心に置いてそれぞれ好きに取り分けたり箸でつついて食べるのは普通だ」
カフェ・オ・レをボールで飲み、ギイはそう説明した。
向かいで旗の立ったオムレツを食べていたフウが目を丸くし、
「鍋一杯に作るのかい。量的に考えても、一人じゃ食べられない食事って事かい?しかも大人数で一つの鍋に手を伸ばすって、……それはフォンデュみたいに軽食なのかい?」
「いや、菓子に応用できるフォンデュとは違う。日本のスモウレスラーの食事にもされるようなボリュームのあるケースもある。魚の内臓を主に使ったり、根菜を用いたものも」
ギイの説明に、フウはますます食欲が失せるように、
「日本の料理ってのは何とも不可思議だね」
「ロンドンにも和食レストランはあるだろう。シェフを一度呼んでみたらどうだい。阿紫花なぞより余程マシな日本人が作ってくれるはずだ」
「そうだねえ……ジョージ君が帰ってきたら考えてみよう」
人形の残党もまずいない現在ではあるが、今は逆に人間が、人形のデータを求めて暗躍している。軍事的な利用価値を考えると、無理も無い。
「軍人崩れのインテリマフィアを相手にさせるなら、ジョージは向いているだろう。対人歩兵やスカッドが通用しない体なんだし、そういう仕事が向いているんだろうな。だが僕は芸術家と軍力の繋がりについてはヒトラーの前例もあるから危険視している。アーティズムと戦争が結びつくのは最悪だ」
「大丈夫さ、彼のピアノ好きは子ども向けだ。それに軍隊には楽隊がいないとね。……」
当のジョージはこの時アラブの砂漠で自動人形を改造したオイルダラーの私設軍隊と交戦中だったが、それは置いといて。
「それにしても、阿紫花君だ。大人数で食べる食事を要求したんだ。……もしかして、淋しいのかね」
「ジョージがいないからか?まさか。ブリクストンの怪しげなバーに毎週出入りしてるよ。アイリッシュウィスキーと緑の目の金髪を口説くのに夢中さ。ちょっと前まではハックニーのバーだったがね」
日本人ならベルサイズやカムデンへ行けと言うんだ、とギイが呆れるのも「まあまあ」とフウはなだめ、
「それにしても大人しくしていると思わないかね。てっきり、人形に夢中なのかと思ったが、そうでもない。仕事の覚えも早いし、日本人だね、細かい仕事もきちんとこなす。しかし--さほど情熱的でもないね。そういう子なのかも知れないが」
「阿紫花はいつだって冷めてるように見えるよ。口先だけ笑っている。--だがジョージとイリノイへ向かった前後は割りと楽しそうだったように見えたんだがな。ジョージをからかっている内は本人も楽しそうだ」
「……長距離移動ヘリを出すから、早く戻らせるか。なんかねえ、見ていて少し切ないんだよ」
「NATOの音速機を借りた方が早い。それに阿紫花のそういう部分は、ただの女たらしのテクニックだ。騙されない方がいい」
ギイは手厳しく人差し指を出し、
「あれはそうやって男も女もたらし込んでいささかの罪悪も覚えない人間だ。気をつけたまえ。気がついたら養子縁組や遺産相続の書類にサインしているかも知れないぞ」
「面白いね、そいつは稀代の悪女、いやドン・ファンだ」
「ドン・ファンはストレートだったよ。女専門だ。ま、阿紫花は今の所待つ身を楽しんでいるから、世界の財の3分の一は守られるだろうがね」
「もしそうなったら世界経済の危機すら阿紫花君のせいかい?それは笑えるね」
「ジョージに頑張ってもらわないとなあ。世界の平和はあのカタブツにかかっているんだね」
……当のカタブツはその時砂漠で爆撃の中「ハクション!……粉塵の濃度にフィルタが追いつかなくなったかな」と首を傾げていた。が、それもまあ置いといて。
「避けているような感じもするけどね。ジョージ君が」
フウの言葉に、ギイはボールから口を離し、
「……そうかい?」
「阿紫花君の出かけている夜ばかり狙って戻ってくる。戻ってすぐ出かけるように輸送機の手配をしてあるんだよ。航空機の使用だって、彼の体じゃあたしが手を回さないと乗れないんだ。書類を見ればすぐに分かるよ。阿紫花君の出かけているだろう時間を選んでいるね、あれは。時間の調整なんか現地ですればいいのに、ヒースローで六時間も過ごしているからおかしいと思った。すぐに戻ってくればいいのに、この屋敷に戻ったのは夜の十時過ぎだ。そしてすぐ空港へ逆戻り」
「ああ……。それはおかしいな。……それで、かな。阿紫花の通っていたバーが、以前よりこの屋敷に近くなっている。どうして変えたのか、は言わなかったが」
「出かけてしまってからすぐに戻ってこれるようにかい。……面倒な。いっそアメリカみたいに同性結婚出来るようにイギリスの法律変えちゃうか。上院下院と首相に圧力かけて。あ、女王陛下にもう一つ王冠を送ったらどうだろう。あのダイヤモンド付いたヤツ」
「そんな事で金を使うのはどうかと思うよ、僕は。本人たちの意見も聞かずにそんな事してもね」
「まあそうか。……それでね、あたしは考えたのさ。どうして必死に互いの意思を確かめ合わないのか、と。しづらい理由が何かあるんだろうが、それはそこ、無理にでもさせればいいんじゃないかって」
「精力剤でも一服盛るのかい」
「綺麗な顔して下ネタはやめなさい。確かめ合うのは体じゃないよ、意思だってば」
「大して変わらん」
さらりとギイは言い、フウは「そうだけども」と人差し指で眉間を押さえる。
「とにかくだよ。ジョージ君が帰ってきた時、阿紫花君がこの屋敷に居ればいいんだ。ジョージ君の輸送機のタイムスケジュールをこちらで把握しておいた上で、阿紫花君に教えてやればいい」
「まあ……いいんじゃないか?それで彼らが何か解決出来るなら」
「興味ないのかい?」
「なくはないが、……そうだな。まだ聴いた事が無い」
「?」
首を傾げるフウに、ギイは苦笑し、
「ジョージのピアノさ。僕はまだ聴いてない。阿紫花を避けなくなったら、彼はこの屋敷のピアノを弾くかと思ってさ……」
『いい子にしていろ』
人形の目玉の内部の擬似水晶体を取り付け、阿紫花は思い出す。
『会ったら話す』
人形のような目をしたジョージはそう言って、その時回復していなかった自分を置いて行った。人形や人間相手のドンパチに、行ってしまった。
以来、会っていない。
半年も、会っていない。
「……フラれちまいやしたかね」
人形の目玉の外側の軟質膜を慎重に閉じて、阿紫花は呟き、目玉を天井の蛍光灯に透かした。
美しい鮮やかな青い虹彩だ。光に透けて、きらきら輝いている。焦点を絞る機能のために、幾枚も重なった稼働レンズが透けて深い色合いを作っている。
「お前ェさんは美人にしてやっからよ……」
そう呟いた。
「人形だって、いい人の一人や二人見つけられるようによ……」
「阿紫花」
突然の声に、阿紫花はしゃっくりに似た声を上げた。
「ひゃっ」
「男がそんな声で驚くなよ」
ギイだ。
「順調かい。それが今度の人形の目?」
「え、ええ……、まあ。どうでさ、綺麗でやしょ」
「青……」
ギイはかすかに微笑んだ。阿紫花は気づかない。
「--今夜は屋敷にいるかい?」
「へ?……」
「屋敷にいたら、君のいい人がやって来るかも知れないんだが」
ギイは茶化すでもなく、
「今夜はいたまえ。会いたいだろう」
「え、ええ?」
「この世の旅行はやがて数時間程度で世界を一回りできるだろうと予言した科学者が居たけど、まだそこまでじゃない。でもマッハで飛べば、なんでもない距離なんだなこれが……」
「?」
ギイはひらひらと手を振り、
「そういうわけだ。今夜だよ。阿紫花。君のいい人を、君は捕まえたまえ」
「どういう事だ。兵装を解いたF-22でEUを突っ切るなんて正気の沙汰か!」
「それは違う、ジョージ君。あれはアメリカ空軍が持ってるのをコピーしてあたしがNATOに売った次世代機だよ。世界情勢を省みて軍備性能こそボーイングのものより下げてあるが、輸送速度や積載はむしろコストに見合った--」
「誰が音速機の説明をしろと言った」
ジョージはヒビの入ったサングラスの手の中で圧し折り、
「なぜ私が、奥歯の砕けるような音速でイギリスに戻されなくてはならなかったのか、という事だ。何かあったのか」
「砕けたって再生--」
「貴方も乗ってみるか?……」
「……いや、結構だよあたしは」
書斎でジョージに詰め寄られ、フウは「降参!」とばかりにギイに目を遣る。
部屋の隅で控えていたギイは「やれやれ」と呟き、
「今晩は食事が無い」
「は?」
「阿紫花の要求にこたえようと、『鍋』という日本料理をメイドに作らせようとしたんだが、インプットデータに金属とガラス質の調理用器具としての鍋のデータが入ってしまってね。アウトプットデータがこの世のものとは思えないものになってしまった。まあ、君なら平気そうだが」
「それと私に何の関係が!」
「だから、阿紫花に本物の『鍋』がどんなものか教えてもらってきてくれ。今ならレストランも開いているし、屋台も出てるから自分たちで食べてきてくれ。ハイドパークなんてどうだ?セントラルに近いから暴漢に注意して行きたまえ」
「ちょっと待て。……ギイ」
怒りで震えるジョージに、ギイは平然と、
「どこで待つんだ」
「それは日本の切り返し方か?阿紫花もやっていたぞ。……どうして私が」
「君だからだ」
ギイは言った。
「君以外の誰が行くんだ。あのだらしない日本人の馬鹿なギャングと」
「……」
「地下の工房だ。行かないと改良中のボラのデータを全部テムズに投げ込む」
風が冷たい。イギリスの風はいつでも湿っていて、なんだかどこかオイル混じりの吐瀉物の臭いがする。街の臭い、というものがどこにでもあるものだが、英国のこれは特殊な気がする。
栄光と繁栄と、その陰の貧困と堕落、そして流れていった時代の輝きも。すべて入り混じった臭いだ。
歴史の臭いは決して芳しいものではない。それを思うにはうってつけの場所だ。
かつてここにはクリスタルパレスがあり、世界の注目を浴びた。そして元王妃を偲ぶ噴水が流れている。その流れの意味を考えると、かつてスラムだったドッグランズの繁栄も、現在のブリクストンの半スラムも大して意味などないように思えて来る。すべては流れ行く。そして戻らず、不変などない。
人は迷い逡巡する。時の流れは求めるのは決断だ。その正否はともかくも、まず決断し前に進む事だけを時は求める。その結果がどうであれ、迷ってはならないのだ。……。
ジョージは前を歩く阿紫花の背を見つめ、考え事をしながら喋る。内容は今日の出来事。動作性能に定評のあるPCのように、インとアウトでまったく違う。
「……それで、戦車の装備があるのにそいつらはラクダに乗って」
「ふーん。……」
「笑えるだろう、対空戦車とラクダだぞ」
「へえ……」
阿紫花は気のない様子で頷く。
そういえば、風が冷たいのに阿紫花はシャツ一枚だ。熱でもあるのか、と思ったが違うようだ。
「寒くないか」
「……」
ジョージの言葉に、阿紫花は振り向いた。
「寒ィ。どっかの誰かさんのせいで」
「ギイか?こんな夜の公園を指定した」
「……」
阿紫花は「だめだこりゃ」という顔で項垂れる。彼にしては珍しい光景だ。
「……酒でもひっかけてくりゃ良かった」
「え?」
「ジョージさん、この半年、なんであたしを避けてた?」
「それは……」
「こちとら半年も放って置かれて、それでもあんたと真っ向向き合えるほど、面の皮厚かねェんでさ。あんた、あたしに『待ってろ』っつった。だから待ってたじゃねえか。三回目も迎えに来ンだと思い込んで」
「……」
「二度あることは三度あるっつーけど、今度のはねえって事ですかい。あんた一人でドンパチやってよ、あたし一人で、人形弄りかよ。……もう、ダメって事ですかい」
違う。そう言いかけてやめた。
どう言語化したらいい。阿紫花がどうこう、ではない。連れて行きたくない、と思うだけだ。戦車や爆撃の下に、二度と連れて行きたくないだけだ。
だがそれを阿紫花が望んでいる。阿紫花が望みを曲げるとは思えないし、最初に言ったではないか。「知らない世界」。それを見せると。
暴力と武力行使のみの戦場など、見せたいと思うはずが無い。だがそこでジョージは生きている。阿紫花がヤクザの世界にいるのと同じ厚みで、そこに立っている。だからこそ、より楽な道を進ませるべきなのだ。
兵士など、この男には向いていない。軍隊音楽も、優しいピアノも。阿紫花には向いていない。
(思えば私たちは)
こんなに違っているんだな、と、今更思う。
変わってしまったのか、素地が見えるようになっただけか。それは分からない。だが移り変わるすべての前で、自分たちにだけ固執して立ち止まっていてはいけない。阿紫花の望みを容れてやっても、阿紫花の身が危険なだけだ。そこにジョージが立つ限り。
「……フウの人形作りの手伝いは、どうだ」
「普通」
「続けられそうなら、続けるといい。退屈はしないだろう。もし退屈なら、日本に戻ってもいいだろう」
「……」
「ヤクザでもいいさ。平和で暮らせ」
「……ついて来いって、言わねえのか」
そんな権利はもう無い。
「……もう、一人でもお前はどこにでも行ける。私も、どこにも行ける。それぞれ別個でも」
阿紫花は目だけわずかに見開いている。
ジョージは辛くなったがその眼差しを見返し、
「もう終わりにしよう」
「……」
「……帰ろう。寒いだろう」
ジョージがふと目を反らし、顔を上げると。
阿紫花は笑いながら、
「はは……。本当、寒ィや」
泣いているのか、と思ったが違った。
阿紫花はにんまりと笑み、
「じゃ、ここでさよならしやしょ」
「……」
「あ~あ。いっつもこうだ」
阿紫花は、ずんずんと歩いていく。そして、学生たちだろうか、若い10人ほどのいささか柄の悪いグループに向かっていく。座り込んで酒を飲んでいた彼らは、
「何、アンタ。混ざりたいの?」
「オッサン、何人?日本?」
などと陽気に言い合っている。
そう言えばサッカーの国際試合があったかな。それで浮かれているのかもしれない。
阿紫花はすぐに彼らに溶け込んでしまう。
笑っている。
それを見て、ジョージは背を向けた。
--これでいい。これで。
鼻先に、冷たく湿った風を感じる。
これで阿紫花が少しでも平和なら。
満足だ。
ジョージがそう思った瞬間だった。
がしゃん!とガラスの割れる音がした。
ジョージが音の残響の終わらぬうちにすばやく振り向くと。
瓶を片手に、阿紫花が若い男の頭に瓶を振り下ろしていた。
何をしている!と心の中でジョージは叫ぶ。
きゃあきゃあ、と狂騒の熱と阿紫花への非難に、柄の悪い若者たちが沸き立つ。
「いい子で待ってたって、意味ねえもの」
阿紫花は日本語でそう呟いた。
「あんたがいねえなら、死んだって同じじゃねえか」
阿紫花が振り向く。
「殺されたほうがマシでさ」
「……!」
若者たちの叫びが大きくなって。
瓶で殴られた男が別の瓶で阿紫花を殴ろうとした瞬間。
ジョージは阿紫花の手をとっていた。
阿紫花がやっとついていける速度で、ジョージは走り出した。
「走れ!」
「……連れて行く気がないなら、いいから、離し--」
「……お前はッ!」
心底いらだった声で、ジョージは小さく叫んだ。
「どうして私と居たがるんだ!こんなつまらない人間と!お前の事など何も知らない、お前の好きなモノもやりたい事も何も分からない人間と!」
殴られた男を介抱するのに精一杯なのと、酒が入っていたせいで若者たちは追ってこない。本当に無茶な話だ。
はあはあ、と阿紫花は息を切らせている。日頃から不摂生なのもあるが、ジョージの足が速すぎる。
それでも荒い息の下で叫んだ。
「理由、なんか、ねェよ!なん、で、そんなん、いるんでさ」
振り向き、阿紫花の顔を見ると。
「一緒に行きてェ、って、理由なんか」
悔しそうに歯を食いしばり、ジョージを見ていた。
「あたしが行きてェから行くだけでさ!ジョージ!逃げんなよ!今更逃げてんのはテメェじゃねえか!」
「……!」
ジョージは足を止めた。
急には停まれない阿紫花が、勢いのままぶつかってくる。
それを、抱きしめた。
「鍋って、本当にこんな料理なのかい?」
「いいんじゃないか?僕は昔東京の飲み屋で似たものを食べた記憶がある」
ギイとフウは、珍しく小さなテーブルで向かい合って、
「大根の厚く切って煮たヤツだろ、魚の練り物に、ウインナーも入ってるし。完璧じゃないか?」
「このリボンみたいなのは?」
「コンブだ。だしをとったり、コレを食べたり、いろいろ重宝するらしい」
知識だけメイド人形に与えた結果。
『鍋』は完璧に『おでん』と化していたが。
「ああ、案外美味しいね。この黄色いのがいい」
「それは巾着。中身は餅とか肉野菜だ」
「なんだかこう……厚いグラスの安い酒でも飲みたくなるね」
「阿紫花なら分かってくれそうだな」
ギイが言うと、メイド人形が二人の戻りを告げてくれた。
「え?早いな。泊まって来るかと思っていたのに」
「いいじゃないか。4人で食べよう。鍋ってそういうモンなんだろ」
「そうだな。聞いてみるか」
数分後。
「これは鍋じゃねえ」と言いそうになって阿紫花は踏みとどまった。
何故か誇らしげなギイや、「悪くないね、日本料理も」と大吟醸を傾けるフウ、そして「さっきの連中から損害賠償が出る前に一度英国を出るか……いやいっそ阿紫花が屋敷から出なければバレないか?」などとブツブツ悩むジョージに、何も。
言えなくなって阿紫花は、
「うめえよ、うん……」
さっき人様の脳天を瓶で殴った自分に、たっぷりからしを付けた大根をくれてやった。
END
そんなのもいいじゃない。
日本に帰るのも面倒だし(組関係への義理立てやら、村への挨拶やら)、ロンドンもなかなか面白いようで、阿紫花はフウの屋敷に留まっていた。別に居てくれと言われたのでもないし、居たいと言ったワケでもない。ただ宿代が浮くのと、人形があるから屋敷に居ただけだ。
自動人形の組み方を眺めているのも面白い。フウは文書や書籍でその知識を残すつもりはないらしく、それだけが不便だったが阿紫花は慣れた。もとより人形遣いに教科書などないし、黒賀村でもそれは同じ。見て覚える、技は盗む、習うより慣れろ。
世間などどうでもいいくせに、基本的な部分で職人気質な所で気があった。
「メカニックがいると、あたしも楽だよ」
フウは紅茶を啜り、手元のテーブルの上に極細の電極針を置いた。針金の先に髪の毛ほどの針が点いた、電極だ。
自動人形を作る工房の中だ。現代的で、無機質な機械類が並んでいる。フウの自動人形は思考と内部こそ無機質だが、有機的な身体は人間の質感を保持させている。使い勝手を謝れば変質も腐敗もする有機素材を組み立てるには、人間に施す以上に精密で繊細な作業が必要になるらしい。周囲の機械類はどれも浸透圧や体液循環、皮膚触感保持といったものばかりだ。
「ああ、ギイさんもジョージもいやすね」
熱心に人形の頭蓋殻のチタンを磨いていた阿紫花は、それをライトに透かす。
「美人にしてやりやすよ、っと……」
「君も悪くない腕だと思うよ、あたしは。根気はないが集中力もあるし、何より興味があるんだろう?人形に」
「あ~、そりゃね。昔から歯車とか見るのは好きですがね。でも正直、綺麗なだけのオネエチャン人形にゃ興味ねえな。人間に近づけるってのもどうでもいいし。あたしが好きなのは、ドンパチ出来る人形くらいでさ」
阿紫花はタバコの灰を灰皿に落とし、
「メイド人形たちもドンパチは出来ンでしょうけど、あたしが操るって類のモンじゃねえ。そいつがちょいとね」
「そうかい。--ああ、もう昼だ。昼食は?」
「あたしはもうちっと、こいつら見てやりやすよ。こっちの人に合わせて食事してたら、あっという間に体重が二倍くらいになっちまう。あの朝飯だけで一日腹いっぱいでさ。たいしてうまくもねえ飯--こりゃ失礼。この屋敷の主に言うこっちゃねえや。よく太りやせんね、フウさん」
「君が不健康なんだよ、阿紫花君。酒を夕食にする癖はもうやめた方がいい。ジョージ君にあたしが叱られる」
フウは面白くも無いその冗談に笑い、
「たまには日本食も出すように言ってみるかね」
「鍋食いたい」
「鍋?そんな硬いものを?」
「……」
「鍋、というのは日本の煮込み料理だよ。大き目の土鍋や金属鍋に、肉や魚や野菜といったその時々の具材を入れて、だし汁で煮る。ポトフみたいな感じだったかな。一般家庭や飲食店では、個別に振舞われるのではなく、鍋を卓の中心に置いてそれぞれ好きに取り分けたり箸でつついて食べるのは普通だ」
カフェ・オ・レをボールで飲み、ギイはそう説明した。
向かいで旗の立ったオムレツを食べていたフウが目を丸くし、
「鍋一杯に作るのかい。量的に考えても、一人じゃ食べられない食事って事かい?しかも大人数で一つの鍋に手を伸ばすって、……それはフォンデュみたいに軽食なのかい?」
「いや、菓子に応用できるフォンデュとは違う。日本のスモウレスラーの食事にもされるようなボリュームのあるケースもある。魚の内臓を主に使ったり、根菜を用いたものも」
ギイの説明に、フウはますます食欲が失せるように、
「日本の料理ってのは何とも不可思議だね」
「ロンドンにも和食レストランはあるだろう。シェフを一度呼んでみたらどうだい。阿紫花なぞより余程マシな日本人が作ってくれるはずだ」
「そうだねえ……ジョージ君が帰ってきたら考えてみよう」
人形の残党もまずいない現在ではあるが、今は逆に人間が、人形のデータを求めて暗躍している。軍事的な利用価値を考えると、無理も無い。
「軍人崩れのインテリマフィアを相手にさせるなら、ジョージは向いているだろう。対人歩兵やスカッドが通用しない体なんだし、そういう仕事が向いているんだろうな。だが僕は芸術家と軍力の繋がりについてはヒトラーの前例もあるから危険視している。アーティズムと戦争が結びつくのは最悪だ」
「大丈夫さ、彼のピアノ好きは子ども向けだ。それに軍隊には楽隊がいないとね。……」
当のジョージはこの時アラブの砂漠で自動人形を改造したオイルダラーの私設軍隊と交戦中だったが、それは置いといて。
「それにしても、阿紫花君だ。大人数で食べる食事を要求したんだ。……もしかして、淋しいのかね」
「ジョージがいないからか?まさか。ブリクストンの怪しげなバーに毎週出入りしてるよ。アイリッシュウィスキーと緑の目の金髪を口説くのに夢中さ。ちょっと前まではハックニーのバーだったがね」
日本人ならベルサイズやカムデンへ行けと言うんだ、とギイが呆れるのも「まあまあ」とフウはなだめ、
「それにしても大人しくしていると思わないかね。てっきり、人形に夢中なのかと思ったが、そうでもない。仕事の覚えも早いし、日本人だね、細かい仕事もきちんとこなす。しかし--さほど情熱的でもないね。そういう子なのかも知れないが」
「阿紫花はいつだって冷めてるように見えるよ。口先だけ笑っている。--だがジョージとイリノイへ向かった前後は割りと楽しそうだったように見えたんだがな。ジョージをからかっている内は本人も楽しそうだ」
「……長距離移動ヘリを出すから、早く戻らせるか。なんかねえ、見ていて少し切ないんだよ」
「NATOの音速機を借りた方が早い。それに阿紫花のそういう部分は、ただの女たらしのテクニックだ。騙されない方がいい」
ギイは手厳しく人差し指を出し、
「あれはそうやって男も女もたらし込んでいささかの罪悪も覚えない人間だ。気をつけたまえ。気がついたら養子縁組や遺産相続の書類にサインしているかも知れないぞ」
「面白いね、そいつは稀代の悪女、いやドン・ファンだ」
「ドン・ファンはストレートだったよ。女専門だ。ま、阿紫花は今の所待つ身を楽しんでいるから、世界の財の3分の一は守られるだろうがね」
「もしそうなったら世界経済の危機すら阿紫花君のせいかい?それは笑えるね」
「ジョージに頑張ってもらわないとなあ。世界の平和はあのカタブツにかかっているんだね」
……当のカタブツはその時砂漠で爆撃の中「ハクション!……粉塵の濃度にフィルタが追いつかなくなったかな」と首を傾げていた。が、それもまあ置いといて。
「避けているような感じもするけどね。ジョージ君が」
フウの言葉に、ギイはボールから口を離し、
「……そうかい?」
「阿紫花君の出かけている夜ばかり狙って戻ってくる。戻ってすぐ出かけるように輸送機の手配をしてあるんだよ。航空機の使用だって、彼の体じゃあたしが手を回さないと乗れないんだ。書類を見ればすぐに分かるよ。阿紫花君の出かけているだろう時間を選んでいるね、あれは。時間の調整なんか現地ですればいいのに、ヒースローで六時間も過ごしているからおかしいと思った。すぐに戻ってくればいいのに、この屋敷に戻ったのは夜の十時過ぎだ。そしてすぐ空港へ逆戻り」
「ああ……。それはおかしいな。……それで、かな。阿紫花の通っていたバーが、以前よりこの屋敷に近くなっている。どうして変えたのか、は言わなかったが」
「出かけてしまってからすぐに戻ってこれるようにかい。……面倒な。いっそアメリカみたいに同性結婚出来るようにイギリスの法律変えちゃうか。上院下院と首相に圧力かけて。あ、女王陛下にもう一つ王冠を送ったらどうだろう。あのダイヤモンド付いたヤツ」
「そんな事で金を使うのはどうかと思うよ、僕は。本人たちの意見も聞かずにそんな事してもね」
「まあそうか。……それでね、あたしは考えたのさ。どうして必死に互いの意思を確かめ合わないのか、と。しづらい理由が何かあるんだろうが、それはそこ、無理にでもさせればいいんじゃないかって」
「精力剤でも一服盛るのかい」
「綺麗な顔して下ネタはやめなさい。確かめ合うのは体じゃないよ、意思だってば」
「大して変わらん」
さらりとギイは言い、フウは「そうだけども」と人差し指で眉間を押さえる。
「とにかくだよ。ジョージ君が帰ってきた時、阿紫花君がこの屋敷に居ればいいんだ。ジョージ君の輸送機のタイムスケジュールをこちらで把握しておいた上で、阿紫花君に教えてやればいい」
「まあ……いいんじゃないか?それで彼らが何か解決出来るなら」
「興味ないのかい?」
「なくはないが、……そうだな。まだ聴いた事が無い」
「?」
首を傾げるフウに、ギイは苦笑し、
「ジョージのピアノさ。僕はまだ聴いてない。阿紫花を避けなくなったら、彼はこの屋敷のピアノを弾くかと思ってさ……」
『いい子にしていろ』
人形の目玉の内部の擬似水晶体を取り付け、阿紫花は思い出す。
『会ったら話す』
人形のような目をしたジョージはそう言って、その時回復していなかった自分を置いて行った。人形や人間相手のドンパチに、行ってしまった。
以来、会っていない。
半年も、会っていない。
「……フラれちまいやしたかね」
人形の目玉の外側の軟質膜を慎重に閉じて、阿紫花は呟き、目玉を天井の蛍光灯に透かした。
美しい鮮やかな青い虹彩だ。光に透けて、きらきら輝いている。焦点を絞る機能のために、幾枚も重なった稼働レンズが透けて深い色合いを作っている。
「お前ェさんは美人にしてやっからよ……」
そう呟いた。
「人形だって、いい人の一人や二人見つけられるようによ……」
「阿紫花」
突然の声に、阿紫花はしゃっくりに似た声を上げた。
「ひゃっ」
「男がそんな声で驚くなよ」
ギイだ。
「順調かい。それが今度の人形の目?」
「え、ええ……、まあ。どうでさ、綺麗でやしょ」
「青……」
ギイはかすかに微笑んだ。阿紫花は気づかない。
「--今夜は屋敷にいるかい?」
「へ?……」
「屋敷にいたら、君のいい人がやって来るかも知れないんだが」
ギイは茶化すでもなく、
「今夜はいたまえ。会いたいだろう」
「え、ええ?」
「この世の旅行はやがて数時間程度で世界を一回りできるだろうと予言した科学者が居たけど、まだそこまでじゃない。でもマッハで飛べば、なんでもない距離なんだなこれが……」
「?」
ギイはひらひらと手を振り、
「そういうわけだ。今夜だよ。阿紫花。君のいい人を、君は捕まえたまえ」
「どういう事だ。兵装を解いたF-22でEUを突っ切るなんて正気の沙汰か!」
「それは違う、ジョージ君。あれはアメリカ空軍が持ってるのをコピーしてあたしがNATOに売った次世代機だよ。世界情勢を省みて軍備性能こそボーイングのものより下げてあるが、輸送速度や積載はむしろコストに見合った--」
「誰が音速機の説明をしろと言った」
ジョージはヒビの入ったサングラスの手の中で圧し折り、
「なぜ私が、奥歯の砕けるような音速でイギリスに戻されなくてはならなかったのか、という事だ。何かあったのか」
「砕けたって再生--」
「貴方も乗ってみるか?……」
「……いや、結構だよあたしは」
書斎でジョージに詰め寄られ、フウは「降参!」とばかりにギイに目を遣る。
部屋の隅で控えていたギイは「やれやれ」と呟き、
「今晩は食事が無い」
「は?」
「阿紫花の要求にこたえようと、『鍋』という日本料理をメイドに作らせようとしたんだが、インプットデータに金属とガラス質の調理用器具としての鍋のデータが入ってしまってね。アウトプットデータがこの世のものとは思えないものになってしまった。まあ、君なら平気そうだが」
「それと私に何の関係が!」
「だから、阿紫花に本物の『鍋』がどんなものか教えてもらってきてくれ。今ならレストランも開いているし、屋台も出てるから自分たちで食べてきてくれ。ハイドパークなんてどうだ?セントラルに近いから暴漢に注意して行きたまえ」
「ちょっと待て。……ギイ」
怒りで震えるジョージに、ギイは平然と、
「どこで待つんだ」
「それは日本の切り返し方か?阿紫花もやっていたぞ。……どうして私が」
「君だからだ」
ギイは言った。
「君以外の誰が行くんだ。あのだらしない日本人の馬鹿なギャングと」
「……」
「地下の工房だ。行かないと改良中のボラのデータを全部テムズに投げ込む」
風が冷たい。イギリスの風はいつでも湿っていて、なんだかどこかオイル混じりの吐瀉物の臭いがする。街の臭い、というものがどこにでもあるものだが、英国のこれは特殊な気がする。
栄光と繁栄と、その陰の貧困と堕落、そして流れていった時代の輝きも。すべて入り混じった臭いだ。
歴史の臭いは決して芳しいものではない。それを思うにはうってつけの場所だ。
かつてここにはクリスタルパレスがあり、世界の注目を浴びた。そして元王妃を偲ぶ噴水が流れている。その流れの意味を考えると、かつてスラムだったドッグランズの繁栄も、現在のブリクストンの半スラムも大して意味などないように思えて来る。すべては流れ行く。そして戻らず、不変などない。
人は迷い逡巡する。時の流れは求めるのは決断だ。その正否はともかくも、まず決断し前に進む事だけを時は求める。その結果がどうであれ、迷ってはならないのだ。……。
ジョージは前を歩く阿紫花の背を見つめ、考え事をしながら喋る。内容は今日の出来事。動作性能に定評のあるPCのように、インとアウトでまったく違う。
「……それで、戦車の装備があるのにそいつらはラクダに乗って」
「ふーん。……」
「笑えるだろう、対空戦車とラクダだぞ」
「へえ……」
阿紫花は気のない様子で頷く。
そういえば、風が冷たいのに阿紫花はシャツ一枚だ。熱でもあるのか、と思ったが違うようだ。
「寒くないか」
「……」
ジョージの言葉に、阿紫花は振り向いた。
「寒ィ。どっかの誰かさんのせいで」
「ギイか?こんな夜の公園を指定した」
「……」
阿紫花は「だめだこりゃ」という顔で項垂れる。彼にしては珍しい光景だ。
「……酒でもひっかけてくりゃ良かった」
「え?」
「ジョージさん、この半年、なんであたしを避けてた?」
「それは……」
「こちとら半年も放って置かれて、それでもあんたと真っ向向き合えるほど、面の皮厚かねェんでさ。あんた、あたしに『待ってろ』っつった。だから待ってたじゃねえか。三回目も迎えに来ンだと思い込んで」
「……」
「二度あることは三度あるっつーけど、今度のはねえって事ですかい。あんた一人でドンパチやってよ、あたし一人で、人形弄りかよ。……もう、ダメって事ですかい」
違う。そう言いかけてやめた。
どう言語化したらいい。阿紫花がどうこう、ではない。連れて行きたくない、と思うだけだ。戦車や爆撃の下に、二度と連れて行きたくないだけだ。
だがそれを阿紫花が望んでいる。阿紫花が望みを曲げるとは思えないし、最初に言ったではないか。「知らない世界」。それを見せると。
暴力と武力行使のみの戦場など、見せたいと思うはずが無い。だがそこでジョージは生きている。阿紫花がヤクザの世界にいるのと同じ厚みで、そこに立っている。だからこそ、より楽な道を進ませるべきなのだ。
兵士など、この男には向いていない。軍隊音楽も、優しいピアノも。阿紫花には向いていない。
(思えば私たちは)
こんなに違っているんだな、と、今更思う。
変わってしまったのか、素地が見えるようになっただけか。それは分からない。だが移り変わるすべての前で、自分たちにだけ固執して立ち止まっていてはいけない。阿紫花の望みを容れてやっても、阿紫花の身が危険なだけだ。そこにジョージが立つ限り。
「……フウの人形作りの手伝いは、どうだ」
「普通」
「続けられそうなら、続けるといい。退屈はしないだろう。もし退屈なら、日本に戻ってもいいだろう」
「……」
「ヤクザでもいいさ。平和で暮らせ」
「……ついて来いって、言わねえのか」
そんな権利はもう無い。
「……もう、一人でもお前はどこにでも行ける。私も、どこにも行ける。それぞれ別個でも」
阿紫花は目だけわずかに見開いている。
ジョージは辛くなったがその眼差しを見返し、
「もう終わりにしよう」
「……」
「……帰ろう。寒いだろう」
ジョージがふと目を反らし、顔を上げると。
阿紫花は笑いながら、
「はは……。本当、寒ィや」
泣いているのか、と思ったが違った。
阿紫花はにんまりと笑み、
「じゃ、ここでさよならしやしょ」
「……」
「あ~あ。いっつもこうだ」
阿紫花は、ずんずんと歩いていく。そして、学生たちだろうか、若い10人ほどのいささか柄の悪いグループに向かっていく。座り込んで酒を飲んでいた彼らは、
「何、アンタ。混ざりたいの?」
「オッサン、何人?日本?」
などと陽気に言い合っている。
そう言えばサッカーの国際試合があったかな。それで浮かれているのかもしれない。
阿紫花はすぐに彼らに溶け込んでしまう。
笑っている。
それを見て、ジョージは背を向けた。
--これでいい。これで。
鼻先に、冷たく湿った風を感じる。
これで阿紫花が少しでも平和なら。
満足だ。
ジョージがそう思った瞬間だった。
がしゃん!とガラスの割れる音がした。
ジョージが音の残響の終わらぬうちにすばやく振り向くと。
瓶を片手に、阿紫花が若い男の頭に瓶を振り下ろしていた。
何をしている!と心の中でジョージは叫ぶ。
きゃあきゃあ、と狂騒の熱と阿紫花への非難に、柄の悪い若者たちが沸き立つ。
「いい子で待ってたって、意味ねえもの」
阿紫花は日本語でそう呟いた。
「あんたがいねえなら、死んだって同じじゃねえか」
阿紫花が振り向く。
「殺されたほうがマシでさ」
「……!」
若者たちの叫びが大きくなって。
瓶で殴られた男が別の瓶で阿紫花を殴ろうとした瞬間。
ジョージは阿紫花の手をとっていた。
阿紫花がやっとついていける速度で、ジョージは走り出した。
「走れ!」
「……連れて行く気がないなら、いいから、離し--」
「……お前はッ!」
心底いらだった声で、ジョージは小さく叫んだ。
「どうして私と居たがるんだ!こんなつまらない人間と!お前の事など何も知らない、お前の好きなモノもやりたい事も何も分からない人間と!」
殴られた男を介抱するのに精一杯なのと、酒が入っていたせいで若者たちは追ってこない。本当に無茶な話だ。
はあはあ、と阿紫花は息を切らせている。日頃から不摂生なのもあるが、ジョージの足が速すぎる。
それでも荒い息の下で叫んだ。
「理由、なんか、ねェよ!なん、で、そんなん、いるんでさ」
振り向き、阿紫花の顔を見ると。
「一緒に行きてェ、って、理由なんか」
悔しそうに歯を食いしばり、ジョージを見ていた。
「あたしが行きてェから行くだけでさ!ジョージ!逃げんなよ!今更逃げてんのはテメェじゃねえか!」
「……!」
ジョージは足を止めた。
急には停まれない阿紫花が、勢いのままぶつかってくる。
それを、抱きしめた。
「鍋って、本当にこんな料理なのかい?」
「いいんじゃないか?僕は昔東京の飲み屋で似たものを食べた記憶がある」
ギイとフウは、珍しく小さなテーブルで向かい合って、
「大根の厚く切って煮たヤツだろ、魚の練り物に、ウインナーも入ってるし。完璧じゃないか?」
「このリボンみたいなのは?」
「コンブだ。だしをとったり、コレを食べたり、いろいろ重宝するらしい」
知識だけメイド人形に与えた結果。
『鍋』は完璧に『おでん』と化していたが。
「ああ、案外美味しいね。この黄色いのがいい」
「それは巾着。中身は餅とか肉野菜だ」
「なんだかこう……厚いグラスの安い酒でも飲みたくなるね」
「阿紫花なら分かってくれそうだな」
ギイが言うと、メイド人形が二人の戻りを告げてくれた。
「え?早いな。泊まって来るかと思っていたのに」
「いいじゃないか。4人で食べよう。鍋ってそういうモンなんだろ」
「そうだな。聞いてみるか」
数分後。
「これは鍋じゃねえ」と言いそうになって阿紫花は踏みとどまった。
何故か誇らしげなギイや、「悪くないね、日本料理も」と大吟醸を傾けるフウ、そして「さっきの連中から損害賠償が出る前に一度英国を出るか……いやいっそ阿紫花が屋敷から出なければバレないか?」などとブツブツ悩むジョージに、何も。
言えなくなって阿紫花は、
「うめえよ、うん……」
さっき人様の脳天を瓶で殴った自分に、たっぷりからしを付けた大根をくれてやった。
END
そんなのもいいじゃない。
再会後のジョアシ。エリオットの詩を読んでてもやもやしたので書いてみた。
え、これなんて少女漫画?なただのエロ。
※エロ描写がクドイので注意。未成年者閲覧禁止。
ゲイとかホモはイヤ、BLは平気、という方は特にご注意。
え、これなんて少女漫画?なただのエロ。
※エロ描写がクドイので注意。未成年者閲覧禁止。
ゲイとかホモはイヤ、BLは平気、という方は特にご注意。
すべからく溺死
We have lingered in the chambers of the sea
By sea-girls wreathed with seaweed red and brown
Till human voices wake us, and we drown.
(赤茶けた海藻の冠を戴いた人魚たちに誘われるまま
私たちは海の底に留まり続ける
誰かの声で目覚めるまで 私たちは溺れていく)
『The Love Song of J. Alfred Prufrock』より引用--(意訳:デラ)
「あんたに来て貰って、良かったかも知れねえなあ」
阿紫花は呟いた。
「賭け事はかなり好きですけどね、金以外のモン賭けろって言われっと、あたし冷めちまう性分でね」
窓から薄汚い街を見下ろし、阿紫花はベッドに腰を下ろす。
「最初はまともなカジノで遊んでたんですがね、一応ましな身なりで……。勝ちやしたよ。あたし弱くねえもの」
ロンドンも場末になると、治安が悪く喧騒が絶えない。フウの屋敷に直行せずジョージが案内したのは、何故かそんな場末の安宿だった。
窓からは酔っ払いのケンカの怒声、隣室からは売春婦の喘ぎ声。今もギシギシというベッドのきしみが耳につく。
反りの浮いた木の壁に背を預け、ジョージは腕を組んで足元を見下ろしている。何を考えているのか、上等な黒のコートにささくれた木の端が引っかかろうとお構いなしだ。
阿紫花は窓を見下ろし続け、
「あたしと張り合おうてえヤツもいやしたけどね。言葉分からねえフリしてたら、チップ配りに、ボウヤ体は賭けねえのか、とか吐(ぬ)かされてよ。フランス語で返したら目丸くしてやんの。あと、金持ちだかなんだか知らねえけど、変なゲイのジジイにも絡まれるし。笑えンでしょ?こんなオッサンのケツ追っかけてよ。カジノ出たら尾けてきた男に銃突きつけられて、ケツ出せとか言われたりよ」
「……窓を閉めろ」
ジョージは阿紫花を見ずにそう言った。
「もう見飽きただろう。そこからじゃ何も見えないんだろう?」
「……金に明かせてあたしでヒマ潰そうとするヤツに飽きちまってね。場末の賭場に行ったんでさ。金のねえ連中相手なら、こっちを殺しても金欲しいってモンだろうと思ってさ。でもおんなじこってしたよ」
「窓を閉めろ」
ジョージが近づいてきて、窓を下ろした。
手を伸ばせば、抱きしめる事も出来る距離だ。それなのにジョージは阿紫花を見ない。
阿紫花はジョージの横顔を見上げ、離れた耳元に囁くように喋り続ける。縋るような声音にも聞こえただろうに、ジョージは動かない。
「二言目には、あたしと寝ないかって、そんな賭けの話ばっかりさ。……賭場で色気出したって仕方ねえや。風呂入らねえで、髭も髪の伸ばし放題で汚ねえシャツ着て、……それでもしつこいヤツはしつこかったけどな。最悪な話でさ。こんなオッサンでも、何人がかりだか忘れたが掘ってやろうって連中もいたっけな。薬飲まされてね。……ケツは痛ェし、服破られるし……まあ、殺されなかっただけマシってなもんですかねえ。金持ってかれたけど」
「反撃しなかったのか」
ジョージは窓を見つめたまま問う。阿紫花は目を細め、
「そのまま殺されちまっても仕方ねえとしか思ってなかったんでね。反撃か。そう言われっと、そうでやすかねえ。あんたらしいや。プライド高いあんただもの、男にヤられた事なんてねえんだろ」
「ないな。……」
「だと思った。じゃあ分からねえよ。……」
阿紫花は怒るでもなくそう言うと、ごろりとベッドに寝転がった。
「で?こんな安い宿に何の用があるんで?とうとうフウのジイさん破産したとか?だったらあたし元の賭場に戻りやすよ。……」
「三日、ある」
「へ?」
阿紫花が身を起こすと、ジョージはサングラスを外しベッドを見下ろしている。
「三日後、フウの屋敷に行く。……」
「……それまで、どうするってんでさ」
言葉にしなくても分かっている。
ぎしぎしと軋む隣室のベッド。
女の喘ぎ声。窓から差し込むネオン。
銀髪が、窓からわずかに差し込んだショッキングピンクのネオンサインに照らされている。
言葉に出来ずに項垂れるジョージを見上げたまま、阿紫花は、もう分かりきってそれを見上げる。
「私は、……」
言いかけて、手袋のはまった両手でジョージは顔を覆う。
羞恥ではない。泣いているのでもない。
迷いや慙愧、とまどいや、そして阿紫花の思いもよらない事象の様々に揺れている。
(らしくねえよ、ジョージ)
阿紫花は目を見開く。
抱かれに来た訳ではない。ただ形は違えど、こうなるとは思っていた。だが阿紫花は、ジョージにしたらこれはきっと純粋に退屈しのぎなのだろうと勝手に決め付けていた。ジョージが自分との事で、こんな風に動揺するはずがないと思っていた。
(あたしなんか好きじゃないって言ってたあんたが)
好きだと言われた事などない。抱かれはしたが、合意でもない。
だが触れる指は、誰よりも優しかった。これまで触れたどの指より。
(あんな触れ方しといて、今さらどう言い繕うってんだ。あたしに--あんな)
もう一人では眠れない。
(言えよ!言いやがれ!あたしを抱くんだって、あたしを、メチャクチャにしてやるんだって!もうあんた以外の誰と眠れるってんだ!)
その輪郭に憎しみすら滲む心臓で、阿紫花の心が叫ぶ。
(あんな、あたしの何もかも攫ってくような抱き方して!言えよ!あたしを抱きたいって!あたしを、--愛してるって言いやがれ!)
怒りと愛情が入り混じった叫びを、阿紫花は心の中で繰り返す。しかし、
「……おこがましいだろう」
ジョージは呟き、顔を覆い嘆くように背を丸めた。
「今更君を、……」
嘆くように、ジョージは黒い手袋で顔を覆った。
何を思い出しているのか。
阿紫花と出遭ってからの事か。それともそれ以前か。それは分からないが。
色を変え続けるネオンで輝く銀髪と、真っ黒い手袋を見上げていると、
すべて受け入れていいような気がした。
ただ名前を叫びたい。そんな気持ちを、阿紫花は思い知った。
「ジョージ」
「……」
「ジョージ、ジョージ」
阿紫花の連呼に、ジョージは阿紫花を見る。
叫び出したいような、縋りつくような。
そんな目で、阿紫花は両手を広げた。
受け入れる、という言葉の代わりに。
「……」
一瞬、ためらうように何か言いかけ。
しかしジョージは何も言わず阿紫花を抱きしめた。
ざらりと髭が頬を擦った。
「ン……シャワー、浴びて……髭剃って来やしょうか?……」
ベッドに押し倒される形で口腔を貪られていた阿紫花がそう問うた。
「髭あンのは……萎えるってモンでしょ……」
「このままでいい。三日しかない」
阿紫花のべたつく髪に指を通し、阿紫花を抱き込んだジョージは何度も口付ける。宝物にするような指で。
「は……」
そんな指先を裏切った貪るようなキスを交わしながら、互いに相手の服をむしろうと懸命にまさぐった。阿紫花のシャツのボタンが飛んだが、それを意識の片隅に置く余裕は無い。
どちらのものとも分からぬ唾液を啜りながら、相手の肌に触れようともがく。
「脱いで、脱いで--全部、脱いで」
急かすように阿紫花が言うと、ジョージは阿紫花の腰の辺りに跨るようにして身を起こしコートの襟を開き、ボタンを外す。袖や頭を抜いて、およそコートらしくない脱ぎ方をして、ジョージはコートを床に放った。
黒いランニングを脱ごうとしたジョージに、阿紫花は手を伸ばし、
「こっちのが先」
ベルトの金具を外した。前を開く。下着も黒い。
その奥にある銀色の毛に触れようとするが、それより先に、ランニングを脱いだジョージに動きを封じられるように抱きしめられた。
「待って、はは、ジョージさん……」
「待たない」
「ブーツ脱いだら?行儀悪ィよ。それとも下、履いたまましやすかい?あたしはいいけど。体位変えてブーツ当たったら痛ェだけだもの」
じゃれるように軽口を叩き、阿紫花はジョージの背を抱きしめた。
小さく唸るように呻き、ジョージは抱きしめられたままブーツの金具を外し、まだるこしそうにブーツを脱いだ。
阿紫花は笑う。
「がっつきなさんなって。逃げねえよ」
「逃がさないのに?」
「言うねえ。ジョージさん、しばらく見ねえうちにハラ据わったんじゃねえですかい?前よりあんた……」
人間らしくなった、と言いかけて阿紫花は止めた。
自分はどうなった?何か変われたものが一つでもあるか?
賭け事ついでにケツ掘られたり、マワされてただけのあたしが。
すべての答えをどこに見つけていいのか分からず、阿紫花は紛らわせるためにジョージの唇に吸い付いた。
苦いキスだ。
ジョージは思う。
これは慣れる味なのだろうか。タバコの味はこんな味なのだろうか。
阿紫花が抱いた女どもは、多分この味を知っているのだろう。どんな女どもかは知らないが、まあ昨今の女性はタバコを吸う自由を与えられているのだし、女の方もニコチンまみれなら気にならないか。
苦いキス。女どもがどれだけこの味を知っていたとしても構いはしない。
「ジョージ、……ハ……っ、ふ」
後孔を指で開かれ、ローションでぬるついた其処をひくつかせ、阿紫花は耐えるように顔を背けている。足を開いて曝け出した性器が、硬く張り詰めている。肉の強張りをほぐす様に、ゆるく内壁を擦りながら性器をしゃぶった。
「あ、ああ」
首を反らし、阿紫花はシーツを掴み色めいた低い吐息を洩らす。達するのを耐えているのだろう。後孔の筋肉がひくついている。
指一本しか入れていないのだが、阿紫花は左手で左の尻の肉を割り拡げた。
「も……入れ、ていい、から」
まだだろう、とジョージが言うと、
「イっちまう……」
と、囁いた。
ぞくぞく、と自分の背筋が震えるのを、ジョージは感じた。
後孔を開かれ、ローションに塗れた其処を晒し、快楽にこそ耐える姿など、阿紫花が女には見せない痴態だろう。まして行きずりの男や暴漢どもに、見せる姿ではない。自分と阿紫花は同じ「男」、と言い切るにはセクシャリティの差があり過ぎるが、それでも「人間」として一般的な知識と経験則で理解できる。
これは自分にだけ見せる顔かも知れない、という事。体と、思考のどこか奥深い部分を開放した相手にだけ見せる。そういう希少なモノかも知れない。
「……まだだ」
「ンッ……!」
阿紫花の膝を割り開き、ぴたりと体を合わせてまるで性交の真似事のように、指を出し入れする。指を増やしてもさほど抵抗しなくなった肉の感触を確かめる。
3本の指で掻き回すように拡げられている間、阿紫花は耐えてただしがみついていた。時折引き攣るような声で息を吐き、嫌々と首を振り。
「あ、あ、ジョージッ、そこばっか、嫌ッ……ダメ、ダメ、そこ押されっと、あたしッ」
がくがくと腰を揺らし、阿紫花は耐え切れないとでも言うように叫ぶ。
阿紫花の反応に意識を持っていかれていたジョージは気づき、息を呑み動きを止めた。
「あ……、ふあ」
阿紫花の体の強張りが弱まり、荒く短い呼吸を繰り返す。
達しそうな熱をやり過ごす事も出来ない。
「……焦らしてん、ですかい」
両手で顔を覆い、阿紫花は指の下から睨むようにジョージを見上げる。潤んだ目だ。いつものガンくれる睨みではない。いつでも色事の匂いを予感させる目ではあるが(阿紫花にその気はなくとも)、その目が今ははっきりと熱を帯びて濡れている。とまどいと羞恥すら滲ませて。
はあ、と。
吐く必要の無い二酸化炭素をジョージは吐く。
ため息や嘆息ではない。ただ「何となく」そうしてみたくなった。すると欲情が急に鮮明に意識出来たから不思議なものだ。一瞬だけ、獣になった気さえした。(なったとしても機械仕掛けの獣など滑稽なだけだろうが)
高ぶった自身を掴んで、下着から引きずり出した。
勃ったせいで窮屈だったのが楽になったせいだろう、引きずり出されたそれは充分な硬度を保ちつつある。すぐ入れられそうなほどだ。
阿紫花の顔を見ると、咽喉仏が上下に動いていた。息か唾液か飲み込んだのだろう。
「やっぱ、結構デケエ」
「……知らん。他人の性器など見ない」
「そりゃそうでしょうけど。……」
ごくり、と今度は音が聞こえる大きさで、阿紫花が咽喉を鳴らす。まるで猫だ。性的でならない。
「……舐めるか?」
「……」
ジョージが膝立ちでそう問うと、阿紫花は身を起こした。勃起した性器に顔を寄せる。
阿紫花はニヤケ顔で、
「ちょいと、だけ……すぐ入れてくだせェよ」
先端を口に含み、舌先で舐めた。
「……しょっぺェ」
味を確かめるように、阿紫花は先端を舌で弄り続ける。
「あんたの、……味……」
「……アシハナ、もういい。やめろ」
阿紫花の口から引き抜き、
「入れたい」
「……どうしやす?」
お前の顔を見たまましたい、とジョージが言うと。
「へへ……」
何故かひどく嬉しそうに、阿紫花はニヤケて笑った。
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(赤茶けた海藻の冠を戴いた人魚たちに誘われるまま
私たちは海の底に留まり続ける
誰かの声で目覚めるまで 私たちは溺れていく)
『The Love Song of J. Alfred Prufrock』より引用--(意訳:デラ)
「あんたに来て貰って、良かったかも知れねえなあ」
阿紫花は呟いた。
「賭け事はかなり好きですけどね、金以外のモン賭けろって言われっと、あたし冷めちまう性分でね」
窓から薄汚い街を見下ろし、阿紫花はベッドに腰を下ろす。
「最初はまともなカジノで遊んでたんですがね、一応ましな身なりで……。勝ちやしたよ。あたし弱くねえもの」
ロンドンも場末になると、治安が悪く喧騒が絶えない。フウの屋敷に直行せずジョージが案内したのは、何故かそんな場末の安宿だった。
窓からは酔っ払いのケンカの怒声、隣室からは売春婦の喘ぎ声。今もギシギシというベッドのきしみが耳につく。
反りの浮いた木の壁に背を預け、ジョージは腕を組んで足元を見下ろしている。何を考えているのか、上等な黒のコートにささくれた木の端が引っかかろうとお構いなしだ。
阿紫花は窓を見下ろし続け、
「あたしと張り合おうてえヤツもいやしたけどね。言葉分からねえフリしてたら、チップ配りに、ボウヤ体は賭けねえのか、とか吐(ぬ)かされてよ。フランス語で返したら目丸くしてやんの。あと、金持ちだかなんだか知らねえけど、変なゲイのジジイにも絡まれるし。笑えンでしょ?こんなオッサンのケツ追っかけてよ。カジノ出たら尾けてきた男に銃突きつけられて、ケツ出せとか言われたりよ」
「……窓を閉めろ」
ジョージは阿紫花を見ずにそう言った。
「もう見飽きただろう。そこからじゃ何も見えないんだろう?」
「……金に明かせてあたしでヒマ潰そうとするヤツに飽きちまってね。場末の賭場に行ったんでさ。金のねえ連中相手なら、こっちを殺しても金欲しいってモンだろうと思ってさ。でもおんなじこってしたよ」
「窓を閉めろ」
ジョージが近づいてきて、窓を下ろした。
手を伸ばせば、抱きしめる事も出来る距離だ。それなのにジョージは阿紫花を見ない。
阿紫花はジョージの横顔を見上げ、離れた耳元に囁くように喋り続ける。縋るような声音にも聞こえただろうに、ジョージは動かない。
「二言目には、あたしと寝ないかって、そんな賭けの話ばっかりさ。……賭場で色気出したって仕方ねえや。風呂入らねえで、髭も髪の伸ばし放題で汚ねえシャツ着て、……それでもしつこいヤツはしつこかったけどな。最悪な話でさ。こんなオッサンでも、何人がかりだか忘れたが掘ってやろうって連中もいたっけな。薬飲まされてね。……ケツは痛ェし、服破られるし……まあ、殺されなかっただけマシってなもんですかねえ。金持ってかれたけど」
「反撃しなかったのか」
ジョージは窓を見つめたまま問う。阿紫花は目を細め、
「そのまま殺されちまっても仕方ねえとしか思ってなかったんでね。反撃か。そう言われっと、そうでやすかねえ。あんたらしいや。プライド高いあんただもの、男にヤられた事なんてねえんだろ」
「ないな。……」
「だと思った。じゃあ分からねえよ。……」
阿紫花は怒るでもなくそう言うと、ごろりとベッドに寝転がった。
「で?こんな安い宿に何の用があるんで?とうとうフウのジイさん破産したとか?だったらあたし元の賭場に戻りやすよ。……」
「三日、ある」
「へ?」
阿紫花が身を起こすと、ジョージはサングラスを外しベッドを見下ろしている。
「三日後、フウの屋敷に行く。……」
「……それまで、どうするってんでさ」
言葉にしなくても分かっている。
ぎしぎしと軋む隣室のベッド。
女の喘ぎ声。窓から差し込むネオン。
銀髪が、窓からわずかに差し込んだショッキングピンクのネオンサインに照らされている。
言葉に出来ずに項垂れるジョージを見上げたまま、阿紫花は、もう分かりきってそれを見上げる。
「私は、……」
言いかけて、手袋のはまった両手でジョージは顔を覆う。
羞恥ではない。泣いているのでもない。
迷いや慙愧、とまどいや、そして阿紫花の思いもよらない事象の様々に揺れている。
(らしくねえよ、ジョージ)
阿紫花は目を見開く。
抱かれに来た訳ではない。ただ形は違えど、こうなるとは思っていた。だが阿紫花は、ジョージにしたらこれはきっと純粋に退屈しのぎなのだろうと勝手に決め付けていた。ジョージが自分との事で、こんな風に動揺するはずがないと思っていた。
(あたしなんか好きじゃないって言ってたあんたが)
好きだと言われた事などない。抱かれはしたが、合意でもない。
だが触れる指は、誰よりも優しかった。これまで触れたどの指より。
(あんな触れ方しといて、今さらどう言い繕うってんだ。あたしに--あんな)
もう一人では眠れない。
(言えよ!言いやがれ!あたしを抱くんだって、あたしを、メチャクチャにしてやるんだって!もうあんた以外の誰と眠れるってんだ!)
その輪郭に憎しみすら滲む心臓で、阿紫花の心が叫ぶ。
(あんな、あたしの何もかも攫ってくような抱き方して!言えよ!あたしを抱きたいって!あたしを、--愛してるって言いやがれ!)
怒りと愛情が入り混じった叫びを、阿紫花は心の中で繰り返す。しかし、
「……おこがましいだろう」
ジョージは呟き、顔を覆い嘆くように背を丸めた。
「今更君を、……」
嘆くように、ジョージは黒い手袋で顔を覆った。
何を思い出しているのか。
阿紫花と出遭ってからの事か。それともそれ以前か。それは分からないが。
色を変え続けるネオンで輝く銀髪と、真っ黒い手袋を見上げていると、
すべて受け入れていいような気がした。
ただ名前を叫びたい。そんな気持ちを、阿紫花は思い知った。
「ジョージ」
「……」
「ジョージ、ジョージ」
阿紫花の連呼に、ジョージは阿紫花を見る。
叫び出したいような、縋りつくような。
そんな目で、阿紫花は両手を広げた。
受け入れる、という言葉の代わりに。
「……」
一瞬、ためらうように何か言いかけ。
しかしジョージは何も言わず阿紫花を抱きしめた。
ざらりと髭が頬を擦った。
「ン……シャワー、浴びて……髭剃って来やしょうか?……」
ベッドに押し倒される形で口腔を貪られていた阿紫花がそう問うた。
「髭あンのは……萎えるってモンでしょ……」
「このままでいい。三日しかない」
阿紫花のべたつく髪に指を通し、阿紫花を抱き込んだジョージは何度も口付ける。宝物にするような指で。
「は……」
そんな指先を裏切った貪るようなキスを交わしながら、互いに相手の服をむしろうと懸命にまさぐった。阿紫花のシャツのボタンが飛んだが、それを意識の片隅に置く余裕は無い。
どちらのものとも分からぬ唾液を啜りながら、相手の肌に触れようともがく。
「脱いで、脱いで--全部、脱いで」
急かすように阿紫花が言うと、ジョージは阿紫花の腰の辺りに跨るようにして身を起こしコートの襟を開き、ボタンを外す。袖や頭を抜いて、およそコートらしくない脱ぎ方をして、ジョージはコートを床に放った。
黒いランニングを脱ごうとしたジョージに、阿紫花は手を伸ばし、
「こっちのが先」
ベルトの金具を外した。前を開く。下着も黒い。
その奥にある銀色の毛に触れようとするが、それより先に、ランニングを脱いだジョージに動きを封じられるように抱きしめられた。
「待って、はは、ジョージさん……」
「待たない」
「ブーツ脱いだら?行儀悪ィよ。それとも下、履いたまましやすかい?あたしはいいけど。体位変えてブーツ当たったら痛ェだけだもの」
じゃれるように軽口を叩き、阿紫花はジョージの背を抱きしめた。
小さく唸るように呻き、ジョージは抱きしめられたままブーツの金具を外し、まだるこしそうにブーツを脱いだ。
阿紫花は笑う。
「がっつきなさんなって。逃げねえよ」
「逃がさないのに?」
「言うねえ。ジョージさん、しばらく見ねえうちにハラ据わったんじゃねえですかい?前よりあんた……」
人間らしくなった、と言いかけて阿紫花は止めた。
自分はどうなった?何か変われたものが一つでもあるか?
賭け事ついでにケツ掘られたり、マワされてただけのあたしが。
すべての答えをどこに見つけていいのか分からず、阿紫花は紛らわせるためにジョージの唇に吸い付いた。
苦いキスだ。
ジョージは思う。
これは慣れる味なのだろうか。タバコの味はこんな味なのだろうか。
阿紫花が抱いた女どもは、多分この味を知っているのだろう。どんな女どもかは知らないが、まあ昨今の女性はタバコを吸う自由を与えられているのだし、女の方もニコチンまみれなら気にならないか。
苦いキス。女どもがどれだけこの味を知っていたとしても構いはしない。
「ジョージ、……ハ……っ、ふ」
後孔を指で開かれ、ローションでぬるついた其処をひくつかせ、阿紫花は耐えるように顔を背けている。足を開いて曝け出した性器が、硬く張り詰めている。肉の強張りをほぐす様に、ゆるく内壁を擦りながら性器をしゃぶった。
「あ、ああ」
首を反らし、阿紫花はシーツを掴み色めいた低い吐息を洩らす。達するのを耐えているのだろう。後孔の筋肉がひくついている。
指一本しか入れていないのだが、阿紫花は左手で左の尻の肉を割り拡げた。
「も……入れ、ていい、から」
まだだろう、とジョージが言うと、
「イっちまう……」
と、囁いた。
ぞくぞく、と自分の背筋が震えるのを、ジョージは感じた。
後孔を開かれ、ローションに塗れた其処を晒し、快楽にこそ耐える姿など、阿紫花が女には見せない痴態だろう。まして行きずりの男や暴漢どもに、見せる姿ではない。自分と阿紫花は同じ「男」、と言い切るにはセクシャリティの差があり過ぎるが、それでも「人間」として一般的な知識と経験則で理解できる。
これは自分にだけ見せる顔かも知れない、という事。体と、思考のどこか奥深い部分を開放した相手にだけ見せる。そういう希少なモノかも知れない。
「……まだだ」
「ンッ……!」
阿紫花の膝を割り開き、ぴたりと体を合わせてまるで性交の真似事のように、指を出し入れする。指を増やしてもさほど抵抗しなくなった肉の感触を確かめる。
3本の指で掻き回すように拡げられている間、阿紫花は耐えてただしがみついていた。時折引き攣るような声で息を吐き、嫌々と首を振り。
「あ、あ、ジョージッ、そこばっか、嫌ッ……ダメ、ダメ、そこ押されっと、あたしッ」
がくがくと腰を揺らし、阿紫花は耐え切れないとでも言うように叫ぶ。
阿紫花の反応に意識を持っていかれていたジョージは気づき、息を呑み動きを止めた。
「あ……、ふあ」
阿紫花の体の強張りが弱まり、荒く短い呼吸を繰り返す。
達しそうな熱をやり過ごす事も出来ない。
「……焦らしてん、ですかい」
両手で顔を覆い、阿紫花は指の下から睨むようにジョージを見上げる。潤んだ目だ。いつものガンくれる睨みではない。いつでも色事の匂いを予感させる目ではあるが(阿紫花にその気はなくとも)、その目が今ははっきりと熱を帯びて濡れている。とまどいと羞恥すら滲ませて。
はあ、と。
吐く必要の無い二酸化炭素をジョージは吐く。
ため息や嘆息ではない。ただ「何となく」そうしてみたくなった。すると欲情が急に鮮明に意識出来たから不思議なものだ。一瞬だけ、獣になった気さえした。(なったとしても機械仕掛けの獣など滑稽なだけだろうが)
高ぶった自身を掴んで、下着から引きずり出した。
勃ったせいで窮屈だったのが楽になったせいだろう、引きずり出されたそれは充分な硬度を保ちつつある。すぐ入れられそうなほどだ。
阿紫花の顔を見ると、咽喉仏が上下に動いていた。息か唾液か飲み込んだのだろう。
「やっぱ、結構デケエ」
「……知らん。他人の性器など見ない」
「そりゃそうでしょうけど。……」
ごくり、と今度は音が聞こえる大きさで、阿紫花が咽喉を鳴らす。まるで猫だ。性的でならない。
「……舐めるか?」
「……」
ジョージが膝立ちでそう問うと、阿紫花は身を起こした。勃起した性器に顔を寄せる。
阿紫花はニヤケ顔で、
「ちょいと、だけ……すぐ入れてくだせェよ」
先端を口に含み、舌先で舐めた。
「……しょっぺェ」
味を確かめるように、阿紫花は先端を舌で弄り続ける。
「あんたの、……味……」
「……アシハナ、もういい。やめろ」
阿紫花の口から引き抜き、
「入れたい」
「……どうしやす?」
お前の顔を見たまましたい、とジョージが言うと。
「へへ……」
何故かひどく嬉しそうに、阿紫花はニヤケて笑った。
⇒NEXT
下ネタ。ジョージが阿紫花(のノリ)に慣れたらこんな会話平気でしそう。
リビングが場面のほとんどっていう昔のアメリカンホームドラマの雰囲気を目指し玉砕。
リビングが場面のほとんどっていう昔のアメリカンホームドラマの雰囲気を目指し玉砕。
小話
暗い部屋でソファに座ってそれぞれ読書とテレビ観賞をしながらの一幕。
「本読めンですかい、暗いのに」
ピザを齧っていた阿紫花が呟く。
「読める。テレビを見ていろ、邪魔だから」
日本語ではないコメディ番組がつまらないらしい。阿紫花は頬に手を当てて、
「お互い驚いた事~パフパフ~」
「話を聞いているか?」
「『案外硬かった事』。はい一つ目。次ジョージですぜ」
「だから人の話を……」
「ほら、あたしといて驚いた事なんか言って下せえよ」
ほれ、と阿紫花はピザの一切れをジョージの顔に押し付ける。
鬱陶しそうに眉をしかめ、それでもジョージは受け取り、
「……ピーツァを『ピザ』って発音した事」
本から目を動かさず咀嚼し飲み込んだ。
「ああ、日本だけなんですかい?いいじゃねえかよ別に……。次はあたしか。え~と……『やっぱどこもかしこも銀色だった』」
「『やっぱりどこもかしこも黒かった』」
「……そんな、驚く事ですかい?黒いのなんか」
「私やギイやフウにすれば、黒い方が珍しいだろうが」
「そうなんですかい?まあ金髪とか茶髪が普通な国ばっかですもんね。次次、『長かった』事でやすかね」
「『フウの屋敷のメイドに白飯を要求した』事」
「『皮まできっちり洗う』トコ」
「『英国のタバコの値段に本気で怒った』事」
「『あたしがあんたの洗ってる時すっげえ気持ちよさそうな顔してた』」
「……ねえ、何の話なの」
ミンシアはソファの陰から顔を覗かせ、
「あんまり変な話なら、部屋でしてよ……」
「変ですかね?」
「さあ?私はおかしな事は口にしていない」
「とぼける気?もう……阿紫花、いやらしい話ばっかしてたでしょ」
ジョージと阿紫花は顔を見合わせる。
「あたし、ジョージさんの『髪の毛』の話しかしてねえんだけど」
「だと思っていた。人の髪を弄るからな、お前は」
「だって長ェんだもの。つうか、姐ちゃん……」
ジョージはともかく、阿紫花はにんまりしてミンシアを見上げる。
ボン、と真っ赤になったミンシア。「知らない知らない!」と叫びながら真っ赤な顔でジョージの後頭部に掌で突き一つ。
「あんたらあっち行け!もう知らない!」
ぷりぷりと出て行ったミンシアの背後で「……お前のせいだ」「あたしのせいじゃねえですよ」と小声でやりあう二人。
他愛も無い夜のお話。
END
暗い部屋でソファに座ってそれぞれ読書とテレビ観賞をしながらの一幕。
「本読めンですかい、暗いのに」
ピザを齧っていた阿紫花が呟く。
「読める。テレビを見ていろ、邪魔だから」
日本語ではないコメディ番組がつまらないらしい。阿紫花は頬に手を当てて、
「お互い驚いた事~パフパフ~」
「話を聞いているか?」
「『案外硬かった事』。はい一つ目。次ジョージですぜ」
「だから人の話を……」
「ほら、あたしといて驚いた事なんか言って下せえよ」
ほれ、と阿紫花はピザの一切れをジョージの顔に押し付ける。
鬱陶しそうに眉をしかめ、それでもジョージは受け取り、
「……ピーツァを『ピザ』って発音した事」
本から目を動かさず咀嚼し飲み込んだ。
「ああ、日本だけなんですかい?いいじゃねえかよ別に……。次はあたしか。え~と……『やっぱどこもかしこも銀色だった』」
「『やっぱりどこもかしこも黒かった』」
「……そんな、驚く事ですかい?黒いのなんか」
「私やギイやフウにすれば、黒い方が珍しいだろうが」
「そうなんですかい?まあ金髪とか茶髪が普通な国ばっかですもんね。次次、『長かった』事でやすかね」
「『フウの屋敷のメイドに白飯を要求した』事」
「『皮まできっちり洗う』トコ」
「『英国のタバコの値段に本気で怒った』事」
「『あたしがあんたの洗ってる時すっげえ気持ちよさそうな顔してた』」
「……ねえ、何の話なの」
ミンシアはソファの陰から顔を覗かせ、
「あんまり変な話なら、部屋でしてよ……」
「変ですかね?」
「さあ?私はおかしな事は口にしていない」
「とぼける気?もう……阿紫花、いやらしい話ばっかしてたでしょ」
ジョージと阿紫花は顔を見合わせる。
「あたし、ジョージさんの『髪の毛』の話しかしてねえんだけど」
「だと思っていた。人の髪を弄るからな、お前は」
「だって長ェんだもの。つうか、姐ちゃん……」
ジョージはともかく、阿紫花はにんまりしてミンシアを見上げる。
ボン、と真っ赤になったミンシア。「知らない知らない!」と叫びながら真っ赤な顔でジョージの後頭部に掌で突き一つ。
「あんたらあっち行け!もう知らない!」
ぷりぷりと出て行ったミンシアの背後で「……お前のせいだ」「あたしのせいじゃねえですよ」と小声でやりあう二人。
他愛も無い夜のお話。
END
いつも拍手ありがとうございます。
思わぬ所からリンクをしていただいて、驚いております(笑)。
ジャンル違うけど、貼り返していいのですかOノさんw貼っちゃいますよ。
思わぬ所からリンクをしていただいて、驚いております(笑)。
ジャンル違うけど、貼り返していいのですかOノさんw貼っちゃいますよ。
Kさん>お仕事お疲れ様ですw夏の疲れというか、年間を通して免疫力ないので、毎年限界を感じて生きてます。でもまあイイ大人なのでそろそろ自発的に食事をする習慣を付けたいです。
Qさん>体の心配をしてくれてありがとうございます。食欲ないだけなんですけどね。Qさんの写メ日記で食べ物が出る度に「ああ、世間の若い女性はこういうものを食べているのか……」と、妙な感慨に耽っております。綺麗ですよね、美味しい食べ物って。造形的に。
エクササイズに笑いましたw羽佐間の不憫さは異常wですよね~、羽佐間がもし阿紫花と同い年であっても、三十路なら中年太りし出す年頃なはずですからw兄貴の細腰にムラムラしているはずw
つか、そのエクササイズDVD、世間ではハメ〇りって言うんじゃw多分フウさんの屋敷にはあるんじゃないでしょうか。インセクトの映像にありそう。最中に一言でも「人形」とか言っちゃったら撮影開始ですかwフウさんとは、私是非お友達になりたいです。
私もQさんの絵好きですよ~wお腹ぽっこりのミニキャラアイコンとか見ると、すっごく赤ちゃんぽくて愛せる気がしますw私は簡略化とか漫画絵化とか出来ないので、見る度にキュンとしますw
拍手ありがとうございますw
Qさん>体の心配をしてくれてありがとうございます。食欲ないだけなんですけどね。Qさんの写メ日記で食べ物が出る度に「ああ、世間の若い女性はこういうものを食べているのか……」と、妙な感慨に耽っております。綺麗ですよね、美味しい食べ物って。造形的に。
エクササイズに笑いましたw羽佐間の不憫さは異常wですよね~、羽佐間がもし阿紫花と同い年であっても、三十路なら中年太りし出す年頃なはずですからw兄貴の細腰にムラムラしているはずw
つか、そのエクササイズDVD、世間ではハメ〇りって言うんじゃw多分フウさんの屋敷にはあるんじゃないでしょうか。インセクトの映像にありそう。最中に一言でも「人形」とか言っちゃったら撮影開始ですかwフウさんとは、私是非お友達になりたいです。
私もQさんの絵好きですよ~wお腹ぽっこりのミニキャラアイコンとか見ると、すっごく赤ちゃんぽくて愛せる気がしますw私は簡略化とか漫画絵化とか出来ないので、見る度にキュンとしますw
拍手ありがとうございますw
性的描写・過去捏造につき閲覧注意。私のエロ小説はクドくてグロいです。いや、私自身全然甘甘ちゃんなので作品も全然ですけれど。
ジョアシですが衝月×阿紫花チック。
BGM : 某ホラゲのプレイ動画。何故だろう、外国の方の作ったゲームは怖くない。
やっと終わりました。この夏休み設定で、まだ書きたいモノがあるんだけど夏が終わりました。時の流れに負け続けてます。女ですから。苦笑
夏休み設定で書きたいネタ。
・フウの作った人形で肝試し。それぞれの反応ってあるよね。お盆だし、魂があった、と思われる人形たち(フランシーヌとか)は出てきてもいいじゃない!という話。
・阿紫花とジョージの朝の運動(夜のは別にやってる←オイ)。ミンシアとしろがねの、鳴海への愛合戦も。
・帰省初日に百合がインフルエンザ。看病ジョージ。そして三姉妹とうとう携帯電話を長兄に買わせる。現金かな、それともブラックカードかな……。フウさんの。(オイ
他のキャラの話
・ギイとフランシーヌ人形の、91年ぶりの邂逅。ギイってフランシーヌ人形の事、少し好きだったよね、と思って。
・しろがねの過去と未来の一幕。戦いのアート、って、誰が見てアートなのか、って話。
・最終回後、生き残りパラレル。ミンシアと、パパラッチ対策のミンシアの身代わり人形の話。人形だって人を愛してもいいじゃない、と思う……。
書けると良いな!笑
ジョアシですが衝月×阿紫花チック。
BGM : 某ホラゲのプレイ動画。何故だろう、外国の方の作ったゲームは怖くない。
やっと終わりました。この夏休み設定で、まだ書きたいモノがあるんだけど夏が終わりました。時の流れに負け続けてます。女ですから。苦笑
夏休み設定で書きたいネタ。
・フウの作った人形で肝試し。それぞれの反応ってあるよね。お盆だし、魂があった、と思われる人形たち(フランシーヌとか)は出てきてもいいじゃない!という話。
・阿紫花とジョージの朝の運動(夜のは別にやってる←オイ)。ミンシアとしろがねの、鳴海への愛合戦も。
・帰省初日に百合がインフルエンザ。看病ジョージ。そして三姉妹とうとう携帯電話を長兄に買わせる。現金かな、それともブラックカードかな……。フウさんの。(オイ
他のキャラの話
・ギイとフランシーヌ人形の、91年ぶりの邂逅。ギイってフランシーヌ人形の事、少し好きだったよね、と思って。
・しろがねの過去と未来の一幕。戦いのアート、って、誰が見てアートなのか、って話。
・最終回後、生き残りパラレル。ミンシアと、パパラッチ対策のミンシアの身代わり人形の話。人形だって人を愛してもいいじゃない、と思う……。
書けると良いな!笑
今は昔
広場へ続く木漏れ日の中、遠くから誰かが歩いてくる。
登山用リュック一つの、まるでピクニックにでも出かけるような軽装だ。
高綱の練習用の低い綱を、鉄棒とシーソーの間に張って、上でバランスを取っていた涼子は気づき、手を挙げた。
「あ、中国のお姉ちゃんだ」
「ハ~イ!元気?みんな!」
ミンシアだ。遠くから駆けて来る。「来ちゃった!」
「お~、よく来たな」
法安は懐かしげに、「元気だったか?」
「元気よォ!みんなも元気そうね」
仲町サーカスの面々を見回し、ミンシアは笑う。
「姐さん!」
鳴海が太い腕を掲げると、ミンシアは細腕をそこに交差させた。
「姐さん、久しぶり」
「おう、元気だった?ミンハイ。しろがねと仲良くやってる?」
鳴海の隣に来ていたエレオノールの頬が一気に赤く染まり、一同は大笑いだ。
「てか、よく来れたわね。ハリウッド女優って、いつでもパパラッチに狙われてるんでしょ?」
「そうだよ。この村にまでパパラッチ来ちゃうんじゃない?」
三牛親子の言葉に、ノリとヒロは「余計な事言うな!」と威嚇する。
鳴海も眉を潜ませ、
「映画、大丈夫なのか?」
「大丈夫よ!今は夏休み。それに、西海岸のアパート(外国の『アパート』は日本のマンションに相当する)には、フウさんに貰った自動人形置いてきたから」
ミンシアは笑って、
「趣味はヨガとピラティス、ってインタビューに答えておいて良かったわ。休日ずっと引き籠っていてもおかしくないものね。私の代わりに、結構規則正しい生活しててくれてるはずよ」
「ふうん。なら大丈夫かな」
「もし何かあっても、そこはハリウッドよ、話題になればちょっとやそっとは何でもないわ!--そういえば、ギイさんやフウさんは?さっきジョージに会ったんだけど、一人だったわ。阿紫花探してるんですって」
「あ……」と、一同は苦笑いを浮かべる。
ジョージは仔細を説明していかなかったらしい。エレオノールが説明すると、ミンシアは呆れて目を丸くした。
「まあ、阿紫花!馬鹿ね~……ホント、どうしようもないわ。でも、面白い写真撮れたからいいか。ジョージの顔に落書きなんてね」
ミンシアは日本製の一眼レフを持ち上げ、
「エリ王女にね、送ってあげるの」
「エリ……」
鳴海の呟きに、ミンシアは微笑み、
「エリ王女は自由に見に来れないでしょう?王女様には休日なんてないもの。王女様は自動人形に勤まる仕事じゃないから、私みたいに出て来れないじゃない?--だから写真をね。黒賀村の事、私が話したらとても行きたがってたから」
「そっか……」
「うふふ、いつもはパパラッチされる私が今度はパパラッチする側よ。いいサーカス見せてね。ミンハイ、しろがね」
フラッシュが輝き。
驚いた顔の鳴海とエレオノールの一瞬を、ミンシアは撮影した。
「うふふ、いい顔いい顔」
「アナタもいい顔よ、お嬢ちゃん」
スゥ、と、ミンシアの背後に陰が立つ。
ミンシアの頬に頬を寄せ、ヴィルマが囁く。
「いい顔になったじゃない」
「そ、そう?てか近いわ。ヴィルマ」
相変わらずスタイルのいいアメリカ美女に、ミンシアは畏怖と対抗心を覚える。ほとんど胸が見えそうなタンクトップ一枚で、乳首が浮いても平然としているのは、さすがアメリカンガール、としか言いようが無い。サーカスの面々は見慣れているが、これが健全な男子なら、真っ赤になって前かがみだ。
髪を黒く染めるのはやめたらしく、赤みがかった茶髪になっている。
ふと、ノリがヴィルマに、
「朝のナイフ投げ終わったのか?長かったじゃん。朝飯食ってないだろ、もうないぜ」
ヴィルマは肩をすくめ、
「いいよ、食欲ない。ちょいと考え事しててね……。観客もいないのに余計に投げちまったよ。でもあたしからスキニーボーイかっさらった銀髪のロボコップに逢って、やる気無くした。あたしのオッパイ見ても顔色変えないんでやんの……」
ジョージの事だろう。
鳴海はうんざりと、
「ジョージ、どんだけ走ってんだよ……」
「しろがねならば一日でも走れる、鳴海」
エレオノールは胸を叩き、「私も出来る」
「んん、それはしなくていいぞ」
ボケとツッコミが最近はっきりしてきた鳴海とエレオノールをよそに、ヴィルマはナイフを指でなぞりミンシアを見る。
「可愛いお嬢ちゃん、アタシのナイフの的にならない?……」
まんざら嫌いでもないタイプなのだろう。ヴィルマは以前エレオノールにしたのと同じ目で、
「可愛い顔してるじゃない。あっちの女優なら、こういうの動じないんじゃない?」
ハリウッドの同性愛スキャンダルは多い。
「スキニーボーイに振られてこっち、男も女もその気になれなかったんだけど……どう?ナイフ投げ以外のアタシのテク、教えてあげるよ……」
リーゼは以前のように「好きだケド。いけないワ。あわわ」と目をキラキラさせている。
ミンシアは笑い、
「そうね、考えさせて」
「……」
「アナタを心から好きになれたら、ナイフの的でも何でもなってあげる。恋人として、好きになれたらね」
「『愛は火が点いた友情』って言葉、信じる?……」
「そうねえ。『友情は愛に変われるが、愛は友情にならない』ってのは嘘だけど。友情は愛になるかもね」
はぐらかすようにミンシアは笑う。
「一筋縄じゃいかないお嬢ちゃんね」
ヴィルマは笑い、
「練習してくる。夜までには戻るから」
そう言って、森へ続く道へ消えた。
「--熱心ね。でも少し、……張り詰めてるわ」
--ーミンシアは気遣うように呟く。
鳴海は肩をすくめ、周囲が聞いていない事を確認し、
「……体を新しくしたはいいが、今度は正確すぎるんだと。投げるナイフが全部思った場所にしか行かないんだとさ。少しも外れないし、狂わない。……つまんねえんだろ」
「……」
「そりゃ、的やってる人間は安心するけどな。投げてる本人は、居た堪れねえよ……」
※
「居た堪れなかった」
阿紫花は天井の染みを見つめ、呟いた。
「親父とお袋は悪くねえ。行く先の無ェあたしを貰ってくれた。守ろうとしてくれた。……あたしは別に長や人形使いどもも、嫌いじゃなかったし、恨んでもねェ。そんなの、なんつうか、次元の違う話だ。……」
日が高くなりつつある。
窓から差し込む陰の形の変化に、阿紫花は口角を歪める。
「ただあたし、……ちょいと苦手だったんでさ。……でけえ図体した人形遣いどもとか、何するってんでもねえのにな」
脳裏に浮かんだのは、二十年間の言葉だ。
『何しても構やしやせん。何でもしやす』
中学生の子どもが、あの状況で言える言葉か?
外から五郎の「川行って来る!」というまだまだ無邪気な声がした。
阿紫花はあの時、五郎とそう変わらない年齢だった。
子ども顔をした、--商売女のような。
いつ、どこでそんなものを知った?この村ではあるまい。そんな女もいない事はなかっただろうが、どんな性質の悪そうな女でも、子どもには大人らしい対応をしたはずだ。黒賀村の女どもはそういう、心根の丈夫さを持っている。
まさか、この村の男に強要されて、というのはあるまい。そんな趣味の大人がもしいれば、--秘密裏に「仕置き」するだろう。それが長の息子でも、だ。秘密は秘密を守らない。村の秘密を守る人間には、そんな忌まわしい秘密など許されない。
じゃあどこで?考えられるのは、黒賀村に来る前の、もっとずっとガキだった頃しか--。
--衝月はぞっとした。ひくりと横隔膜が震えた。
息子の--五郎の顔が脳裏に浮かんだ。
阿紫花は鼻で哂う。
「今じゃ何クソって話だ。ここに来るまで知らなかったぜ。テメェが大人になっちまったら、ガキの頃のテメェが馬鹿に見えらあ。大人だってまともなのもいらあね。……衝月。そんな、バケモノ見るような顔、すんな」
「違う……阿紫花ァ、俺は」
「違わねえ。何も、アンタは間違ってねえよ。……」
黒手袋が、タバコの箱をポケットから取り出した、
少し手が震えている。そう見えたのは衝月の気のせいか。
「昔から、な……アンタは正しい。今もそうだ。……」
「英……」
「衝月」
今はもう、昔の話。--阿紫花はそう言った。
「そう思う事にしようぜ。忘れちまって、よ……」
阿紫花はタバコを咥えた。
火は無い。
もうこの小屋には、どんなに小さな火も灯ることは無いのだ。
衝月は首を振り、
「お前ェは忘れてェだろ。でも俺は、忘れられねェ。--なんでお前は、人形を持って行った。俺の人形とお前ェの人形を交換して」
「……」
阿紫花はクス、と微笑んだ。
「分かンねえかね。だろうな」
人を小馬鹿にしたような笑みだ。
衝月はすごんだ。効果は無いと分かっている。
「答えろよ。……」
「叩き壊したかったのさ」
阿紫花は呟いた。
「アンタがイイって言うから、あたしはあたしに似た人形を作っちまった。でもあたし、あんな人形、本当は大嫌ェだった。金もったいねえからって言い訳して、面倒臭ェ一心で白一色にしてやったら、アンタ喜んで、自分の人形は黒にしやがった。どうせ負ける人形、負けなきゃいけない人形だ、あたしゃ精々派手にブチ壊してやろうとしか思ってなかったんでェ」
「負ける?お前ェが?」
「あたしが一番になって誰が喜ぶよ?それにあたしが自分で白御前を操って一回戦で潰せば、……決勝であんたとやらなくて済む。気に入らない人形、あんたのために一回戦で潰してやろうとしか思ってなかったでェ」
阿紫花は夢を見るような目で、
「でも前の夜に、目が覚めちまった。人形相撲で負けても勝っても、あたしは負けだ。一番になっても、負けは変わらない。……」
「どういう意味だ?」
阿紫花は答えず、
「……だったら壊してやろうと思った。決勝までお互い勝ち進みゃ、あたしはあたしの手で、あたしに似た人形をブッ壊す。あんたに似た黒い人形で、あたしを、……」
壊れたかったンでさ。--夢を見るような瞳のまま、阿紫花は呟いた。
「あんた、あたしを壊してくれねェんだもの……」
ぞくりとするような笑みだった。
二十年経っても変わらない、いや、なおいっそう凄絶に。
「だからあたし、あんたの人形であたしの人形、ブッ壊したんでさ」
衝月を見つめ、暗く紅い色の滲む笑みを浮かべた。
※
記憶の中で、歓声が聞こえる。
人形のための土俵の外から。
土俵が結界だとか、義父親はそう言った。
外界と隔てられた場所。
神聖なその場所で、必ずどちらかがぶちのめされる。
--最初は互角に見えた。
阿紫花の操る、衝月の拵えた「黒武者」。
衝月の操る、阿紫花の拵えた「白御前」。
大きさで言えば黒武者がでかいが、白御前は素早い。
繰り手は互角と、皆が思い込んでいた。
「お前ェ、ずっと力を隠してやがった」
武者の腕が、足が。
白御前よりも素早く動いた。
作った衝月ですら思いもせぬ動きだった。
重量のある、目にも留まらぬ刀の動き。
あっという間に白御前はひび割れ、崩れていく。
「みんな、あんたを応援してやしたっけ……」
阿紫花の腕が立ちすぎた。まるで理不尽な暴行を、白い人形へ加えているようにみえただろう。衝月への応援は、阿紫花への様々な反発の集まりだった。
阿紫花の人形繰りの腕への妬み、打ち解けぬ態度への大人たちの不信、阿紫花の態度に違和感を感じていた級友たちの不満、各個はささやかなはずの悪意が、人形相撲の場で一つの大きなうねりとなっていた。
「丸盆(リング)に立つ人形があたしみたいな木偶じゃあ、観客はそりゃ金返せってなもんでさ……」
罵倒と歓声が、肌に刺さるように身に沁みた。
「……あたしの人形を、あたしは羨ましいって、思っちまった」
壊れることが出来て。それで村のみんなに応援されて。
「あんたに、操ってもらってさあ……」
「じゃあなんで手を抜いた」
あと一撃で阿紫花の勝利、というその瞬間。
『衝月君!勝って!』
ちょうど阿紫花の背後から。
花嫁の叫び声がした。
「お前ェ、なんであの時笑った」
白い雪の中、黒い人形に守られるようにしていた白い少年は。
くす、と、花嫁の声に微笑んだ。
そして一瞬、すべての動きが止まった。
一度の瞬きの後。
白御前は黒武者の足を、叩き折っていた。
「--お前ェは自分で負けた」
「……フフ。あんたの息子、人形操ってる顔、あんたにそっくりなんだって?……こちとら、流し流され風呂屋の三助かってな稼業してたがよ、血ってのは怖ェやな」
阿紫花は目を細めた。
「あんた、あの一瞬、あのアマっ子の声で、奮い立っただろ。獣みてえな目であたしを見た。……」
「……」
「あたしに乗っかってる時、一回でもそんなツラした事なかった。女にゃイイ顔しやがって死んじまえ--とか思っても良かったんだけどよ。それじゃあたし、ミジメなだけだ。あたし全部に負けたんだ、って、そう思い知ったら、--笑えて来てよ。あのアマっ子にも、あんたにも、この村にも、……あたしの人形にも、あたし自身にも、あたしは負けちまった」
懐かしい、どこか悲しい顔で阿紫花は言った。
「それにあんた、ギラギラしたイイ顔してたぜ。そんなツラ見せられちゃあ、な。正直、もちっと見てたかったぜ」
「……」
「こんな顔見れたんだ、負けても勝ってもそんなのどうでもいい、こうなるしかないって……ああ、あたしは確かにあんたが、……嫌いじゃなかった、って、思ったんでさ」
それで--笑って、阿紫花の操る「黒武者」は壊された。
花嫁と祝言を挙げたのは、衝月だ。
「そのアマっ子と、あんた結婚した。あんた似のゴローも生まれた。……あの日の事はもう、笑い話にしようぜ。それが一番、いいんじゃねえか。あたしらもう、大人になっちまった」
阿紫花はそう、笑った。
衝月は重い気持ちで被りを振り、
「お前ェ、……それで、貞義のとこに転がり込んだのか」
「あ?……ああ、そんな男もいやしたっけねえ……」
薄情に多情な女のようにそんな科白を阿紫花は吐き、
「まともなオッサンだったぜ。貞義は。--最初だけな。人形遣う腕だけで奉公してたが、……性質悪ィんだ、あのオッサン。今じゃ分かるんだがよ、ほれ、綺麗なお嬢さん来てンだろ、広場に。サーカスの。銀髪の」
「ああ、正二様のお嬢様か」
「あの嬢ちゃんを、良いようにしてえと思ってたんだろうな。あのオッサンは。どうやったらガキから信用されっか、どうやったら……ガキでも体投げ出してくるのか、実験してたんかな。……」
「おい……」
聞きたくは無い。しかし、厭う権利もない。
衝月の心情を察しているのだろう、阿紫花は口元だけで笑う。
「貞義のクソ野郎、人形壊す実験、ガキ弄ぶ実験って、さすがにあんな人形ども作っただけある頭してやがった。人を人と思わねえ殺人人形……。あたしも、あの人の人形だったって事でさ……今思うと、狂ってやがった、あたしもあの男も。でも同じ狂ってんでも、頭の作りのいい方がマトモな振り出来ンだよな。あたしはあの人が『正しい』って思ってた。何でもしやす、って言い切った。その代わりに、……」
「英良!言うな!」
阿紫花は暗がりを見るように目を細め、
「聞きたくねえんだろ?……だよなあ。胸糞悪ィもんな」
「違う。--お前ェが、惨めなだけだからだよ」
「……惨め?今更……あのな衝月、この世で本当に惨めな事はこんな事じゃねえよ。金が無ェとか飢え死にしそうだとかもそれなりに惨めだけどな。生きてンならそういう事もあらぁな。色恋で惨め思いするなんてよ、人間様らしいがあたしは……、上等すぎらあ。金で買った女につれなくされるとか、これだと思った男に軽くあしらわれるなんざ、全然マシだ。ましてやこんな昔語り、どうて事ねえ」
女を買う事も男に冷たくされるのも、衝月には経験のない事柄だったが、言いたい事はなんとなく分かる。
「あの男は、こっちが惚れて惚れて体が疼く、ってその時になって、平然とまるで親同然って顔で『君にそういう働きは求めていない』だのよ。……この世で本当に惨めなのはよ。惚れた相手に冷めたツラで『本当の君は、もっと優れた人間だ』なんてほざかれる事だ。馬鹿に、しやがって」
「……」
「死んでザマ見やがれ。ケッ、死んで心底笑いたくなるヤツってのは、本当に死んでいいヤツだけでさ」
もしくは心の底では死んで欲しくない人間か。--そう思ったが、衝月はそこには触れず、
「……寝たのか?貞義と」
「寝てねえよ、気色悪ィな」
阿紫花は嫌悪に満ちた声で返し、
「一発付き合ってくれてりゃ、あたしだってもちっとマシな事言ってらあ」
ククク、と、まるでそれがとても面白い冗談のように阿紫花は笑った。
衝月は笑えない。
「確かに面白い男ではあったな。色恋にずっぽりはまっちまってる気持ちにさせてくれはしたが、……肝心要が無ェーんだもの。抱いてくれねえならそれで終わりでさあね。ま、エレオノールの嬢ちゃん落とす手口を実験してたんだ、ガキの男なんか、色恋の最後まで面倒見るつもりも無かったんだろうぜ」
心を許して捨てられた。簡略化されたセンテンスではある。
阿紫花は冷めた声で、
「それからは人形の腕だけであの人と繋がってる--そんな錯覚だけでさ。ま、錯覚だって気づいたのは、坊ちゃんが書類持って来たあの瞬間でさ。……分かってたんだがな」
「そうかよ。……」
「あの日、あの夜」
阿紫花は己の黒い手袋を見る。
「人形相撲の晩に、あの人が声を掛けてくれた時は、……」
--脳裏に浮かぶのは白の中の黒だ。
雪の降る森に、黒い大型車が停まっている。
『味方が、いないような顔だね。……君はここにいたいのかい?……』
否、と。
あの黒衣の男に答えるべきではなかったのかも知れない。
『僕も、一人なんだよ……』
ずっと、長い間……、と、男は呟いた。
淋しそうな人だ、と。
少年の阿紫花は思った。
今はそうは思わない。
阿紫花は憐憫と軽蔑の目で呟いた。
「一人なのは独りよがりなテメエのせいじゃねーか……」
「あ?」
「いんえ独り言。--もういいじゃねーか。昔の事なんてよ。あたしも、今は『レコ』(隠語で恋人の事)がいるんでね。あんたみたいな、昔の男っても言えねえようなダチ公、何とも思ってる暇も無ェや。、ましてや死んだクソ野郎の事なんて、ケツが痒くならあ」
ははは、と阿紫花は笑う。開き直ったような明るさに、小屋の中の湿度が下がった気がした。
衝月も息が楽になった気持ちがして安堵した。詰めていた息を吐き、
「あの--しろがねの機械か」
阿紫花は仕方なさそうに頷き、
「ホント、機械なら機械らしく器用に生きればいいんでさ……でも出来ねえ、って……」
阿紫花は目を閉じた。
「でも、あいつァあたしの人形繰りを、『それでいい』って」
『アシハナ、お前はそれでいい』
「自動人形だらけのクソ暑い砂漠の地下で、絶対に助からねえって、そんな状況だったがよ--あたしは思い切り人形を操ってた。思い切り、ブチ壊して熱くなってた」
「……」
「何年ぶりだったか分からねえや。背中預けてドンパチやって、楽しくて、……熱くなって。あたしは生きてんだ、って、ぶっ壊れてく人形見て思ってた。殺されてたまっか、あたしは、人形じゃねえ、って」
うっすら、阿紫花の目が輝いている。
「それで、『お前はそれでいい』って、言われちまってよ……」
窓枠の格子の陰影が阿紫花の顔に落ちている。
その奥で、目が少しだけ輝いた。
「あたしが惚れた側になっちまうなんてよ、……笑っちまうぜ。……でもあいつァ、退屈なんて思わせてくれねえや……。こいつとずっと危ねェ橋渡ってよ。死ぬまで、ドンパチやれたらな、って……夢見ちまった」
「……お前ェは」
衝月の脳裏に、雪の中一人微笑む少年が浮かぶ。
だがそれもすぐ消えた。
目の前の阿紫花は、夏の熱を持って確かにそこに座り込んでいる。
「……それでいいんだな」
「これ以上は神さんに釣り返さねえとならねえよ。返してやらねえけど」
「どっちだよ」
「返せねえからいらねえってこった。あたしはあたしの人形と、……あの銀髪の機械人形一個あれば上等だ。あ、酒と女は別腹だけどな」
別腹にするな。
「どうしてお前ェは最後まで話を良い形でまとめられねえんだ」と、衝月がツッコミと説教を折半した声を上げようとした瞬間。
「アシハナはいるか!」
スパン!と扉が開いた。
※
「阿紫花君、帰ったの?」
洗濯物を干そうと庭に出てきた嫁に、衝月は頷く。
「相棒の外人さんが連れてった」
「あら~、フラれたのね。父ちゃん」
「バッ……」
馬鹿野郎!と叫びたかったが、昔の事があるので何も言えない。
黙りこんだ衝月に、嫁は笑い、
「なあに?ほっぺた、バツつけて」
油性ペンでバッテン。
「……英良の馬鹿だよ」
「あいたたた、ジョージさん、優しくして……」
「やかましいわ!お前は私の顔をキャンバスか何かと勘違いしているのか!?」
「そりゃそれだけ広いオデコしてやがんだもの、描きではありやしたよ」
ヘヘへ、と笑う阿紫花に、銀髪の外国人は堪忍袋の緒が切れた、という顔だ。
衝月は「そこらのブツ壊すなよ……」と心理的に遠巻きに見るしかない。ジョージの顔の油性ペンの痕を見れば、事情はすぐに分かった。
「もういい。よーく、分かったぞアシハナ」
「あ?どーしやした?ジョージ……げえっ」
ゴッ、と、肉と骨に拳が食い込む音がした。
鳩尾に一発食らい、阿紫花はジョージの前によろめいた。
「フン。サハラでの仕返しだ」
「~、こんなトコで、蒸し返すなっつーの……」
なんとか意識は失っていない阿紫花を、ジョージは軽々と肩に担ぐ。
阿紫花は痛みに呻きながらも、大人しく担がれている。余計な事を言うと、腹の下の肩で突き上げられるからだ。
ジョージは鼻をならした。衝月に背を向ける。
「フン。お前が悪い。--邪魔したな」
「……あんたら、いつもそんな荒っぽいのかい」
「荒いか?考えた事もなかったな」
そりゃマジで物騒な話だ。
痛みで吐きそうな顔をして阿紫花が呻いた。
「……あたしら不器用なんでね……あ~、痛ェ……、衝月ゥ」
肩に担がれている阿紫花が、顔を上げて衝月を手招きする。
「?」
近寄った衝月に。
「花丸じゃなくて悪ィな」
阿紫花はバツを頬に描いた。
「あの外人さん、また怒り狂ってよ。阿紫花担いで帰ったよ。帰って説教してやるんだと。……ガキかよ、って、なあ」
衝月は垢を擦り落とすように頬を撫でた。
嫁は笑い、
「あははは、阿紫花君、冗談ばっかり。でも安心したァ。阿紫花君、なんか普通になったね」
「普通?」
「前に、--中学生の時に、人形相撲で私と父ちゃん、祝言挙げたでしょ。最後の試合の前にね……ムフフフ」
「なんだよ気味悪ィな」
「それが恋女房に言う言葉?--阿紫花君に、求愛、されちゃった」
「は?」
「最後の試合の前よ。花嫁に近づいちゃいけない、って言われてたけど、神事の関係者は近くにいないといけないじゃない?神社の息子だったし、それに阿紫花君、あの時なんでか、クラスの友達のトコに近寄らなかったじゃない」
友達に、ではなく、衝月に近づきたくなっただけだろう。
「で、言われたのよ」
『あたしに愛されちゃくれねえかい?……』
「幸せにしやすよ、って。子ども心に、綺麗だったわあ。ほら、寒くて真っ白い顔で、真っ白い袴だったじゃない。唇と目元だけ赤っぽくて--まるでお化粧したみたい。それが似合ってたのが悔しいわ~!あたしなんて、長老たちに散々、白粉塗ったオカメだ狸だ、って言われたのに!今年はハズレだ、って言うんだもん!だから、阿紫花君は男の子なのにいいなあ、って思っちゃった」
「……そうかい」
「そうかい、って、聞きたくないの?」
「あ?」
「こ、た、え!私がなんて答えたのか、知りたく無いの?結構グラッと来てたのよ!だってあんな風に言われるなんてなかったのよ!?そりゃ、父ちゃんは口下手だから、私に素直に好きと言えないのも許してあげてるけども」
オカメ顔で明るく嫁が笑う。
気立てがいいのが取り柄だ。衝月の母とも、仲が良かった。
「……そりゃどうもありがとよ。で、お前ェなんて答えた」
「そりゃ……阿紫花君の言葉は嬉しかったんだけどね」
『あたしに愛されちゃくれねえかい?……幸せにしやすよ』
『--ありがと。嬉しいな。阿紫花君優しいね。でも私、愛されなくてもいいんだ。衝月君が好き、で、それで幸せだから……もうそれだけで充分。愛されるために、愛してるワケじゃないもの』
『愛されるために……愛するんじゃない』
「可哀想なくらいに白い顔になって、そう呟いてた。あ、悪い事言ったかな、って思ったっけ。だって本当の両親じゃない、って聞いてたから、結構普通の家みたいに素直に親に反発したりとか出来ないから、愛されたがってんのかな、って思っちゃった。今なら分かるよ?本当の親とか、ニセモノとか、ないんだって事くらい。阿紫花さん夫婦は本当にいい人たちだもの。でもあの当時の阿紫花君、なんか今思うとおかしかったもの。よく笑ってるけど、なんか嘘みたいな笑い顔だったし」
「……ああ」
「でもさっき見たら、普通に笑ってたなあ。一瞬誰か分からなかった。サーカスの人かな、って思ってたら『変わらねえなあ、イ~イオカメ顔してらあ!』って。ニヤニヤ薄笑いしてるんだもの。何よ、自分だってオッサンになってる癖に、って言ったら大笑いしてた」
イイ顔、になったのは、阿紫花も同じだろう。
「……そうかい」
「良かったね。なんか、父ちゃん嬉しそうだよ」
「……そうかい」
さや、と風がはためき、「父ちゃんも干すの手伝ってよ」という嫁の声に、衝月は頷いた。
「お前にゃ花丸、くれてやるよ……」
※
「……怒ってんですかい」
阿紫花は問う。
ジョージの肩の上だ。痛みも消えたし、もう逃げないと言っているのに担がれたままなのだ。
集落へ続く森の中の小道だから、誰も見ていない。ただ歩き続ける中で、木漏れ日が斑模様を次々顔に落としていくだけだ。
「謝りやすってば……あたしが悪かった、って……」
肘を突く形で阿紫花は頬に手をやる。
「坊ちゃんには金輪際、ああいうお願いはしやせんよ。……そりゃあね。確かに坊ちゃんにゃ五年早かったと思いやすよ」
「……」
「あたしのガキの時分と一緒にしちゃ、いけやせんねえ……」
「私は」
ジョージが急に口を開いた。
「この二時間、ずっと走り通しだった」
「……はあ、そりゃ律儀なこって。GPS辿ってすぐ来ちまうだろうと踏んでたんですがねえ。だからちっと淋しかった、なんてね……」
「見つけて欲しかったんだろう?アシハナ」
「……」
「……イリノイでも、そういう子がいたよ。心配させたくてかくれるんだ。止せばいいのに、発作をこらえて、一人で棚の奥で、見つけてくれるのを待っていた。……」
イリノイか。いつの話だ。
「……その子、」
「死んだ。……死ぬ数週間前のかくれんぼだった。私が見つけてしまった。適当に探す振りをしていただけなのに。……子どもの頃の私だったら、どこに隠れるかな、と思ってしまった。そして見つけてしまった」
『ジョージ、さんかあ……』
「その子は軽い発作を起こして、それでも隠れていた。見つけた私に、泣きながらかすかに笑った。見つかっちゃった、抱っこして、連れて行って。いつも他の職員にそう言う癖に、私には言わなかった」
『僕、見つかっちゃったから、みんなのとこ行くね……』
「不快な記憶だ。どうしてあの時私は、見つけた時あの子に笑いかけてやれなかったのだろう。あの子がどうせ死ぬのなら、」
『僕、いくね……』
「優しくしてやればよかった。笑って、発作を鎮めてやればよかった」
「……」
湿っぽいのは嫌いだ。阿紫花は思う。
だが聞いていたい。ジョージが自分の事を話すのは、珍しいから。
ジョージは乾いた声で、
「お前を探さなくては、と思った時に、何故か思い出した。お前がガキ臭いからだろうな。……」
「……。そういう事にしときやすよ。で?だから2時間?走ってたんで?そういやGPS……」
「使ったら意味が無いだろう。走り回って探して欲しかったから、あんな……落書きをしたんだろう?」
「……別にそんなんじゃねーんだけどよ。……あたしガキじゃねえし」
「お前を子ども扱いした事は無い。だからこうして一緒にいるんだろうが。子ども相手に何をするというんだ。……子ども臭い大人だとは思っているがな」
「……自分だって」
「フン。何とでも言え。--来る途中、見つけたんだが、あそこが……先客か」
以前勝が試練を経験した、蓮華畑へ通じる洞窟の手前まで来て、急にジョージが歩を止めた。
「ハーイ、お二人さん。何よ、朝からイチャイチャし腐って」
心の底ではイラついているのだろう。ヴィルマはナイフをジャグリングのように何本も空中で回し、
「顔に落書き、ほとんど取れたじゃないか。良かったね。ねえ、的になってくれんなら、手伝ってよ、練習」
空中にあったはずのナイフが、カカカカカ、と鋭く木に命中していく。丸を描くようにヒットしている。いい腕だ。
最終決戦前に関係を持った癖に逃げていった阿紫花としては、そのナイフが少々怖い。ずるずると肩から下り、
「あのな、ヴィルマ……」
「すまないがフロイライン(お嬢さん)……」
ジョージがヴィルマに何か耳打ちしている。
「え?……ヤダよ、馬鹿にしないでよ。なんであたしが……」
「限界なんだ」
「……この先アンタがスキニーボーイと別れてどっかの女と付き合いだしたら、アンタのために殺し屋復活するからね」
「覚えておこう。……阿紫花、来い」
ジョージは阿紫花の手首を掴んで洞窟へ誘った。
阿紫花は二の足を踏んでいる。
「へえ?ジョージさん?ちょいと、この洞窟、怖いからくりがあるって言い伝えが--」
「私とどっちが怖いんだ?」
--二人が洞窟に消えた数分後。
集落の方から、平馬が歩いてきた。一人ではない。黒賀村の子どもたちも一緒だ。涼子やリーゼ、勝も一緒だ。
皆ビニールバッグを持っている。中には明らかに水泳パンツのままの少年も混ざっているから、川にでも行くのだろう。
おそらくサーカスの面々が、「子どもたちだけで遊んで来い」とでも言った。勿論稽古があるから遊べるのは今日だけだ。
「ヴィルマ~」
「なんだいブラザー。あたしは忙しいんだよ」
「兄ちゃん、見なかった?」
平馬は水泳パンツのままだ。「一緒に川遊びしたいんだけど、まだ逃げてんのかね」
「……。じゃないの?アタシからも子ウサギみたいに逃げ回ってるくらいだからねえ」
「そりゃヴィルマが怖ェん--」
「的になりたけりゃその先を言いな」
「……ゴメンナサイ」
「とっとと行きな洟垂れども。的にしちまうよ」
ヒュカカカカ!とヴィルマは何十本も、一気に遠く離れた木に刺してしまう。
「すげー」と感嘆の声を上げる子どもたちに、
「次はあんたらが的だよ……」
と、ゆらりと振り向いた。鬼気迫る顔だ
それを見て一目散に逃げ出した子どもたちの背中に。
弟もあの中にいればいいのに、と。
少しだけ思った。
ヴィルマは己の右手を見つめる。
「……フフ」
ナイフ投げをしている時はいつもあの子が一緒だったっけ。
「……まだ投げられるよ」
大丈夫、と呟いた。
洞窟の中は暗い。
湿っているし、なんだか空気が冷たくて淀んでいる。
村の言い伝え(という名の嘘っぱち)の真相を知らない阿紫花は、少し怯えている。
前を歩くジョージにしっかりと手を握られているから逃げられないだけで、本当なら逃げ出したい気持ちだ。
「ジョージさん……出やしょうよ……この洞窟にゃ主がいるとか--」
「--お前を探す間」
不意に前を歩いていたジョージが言った。
「二時間も走り続けた。二時間だ」
「だからすいやせんて--」
「ボラは使ってない。離れに置いてきた。この足で走って来たんだ。それなのに、私の体は息が切れる事も、心臓が早く脈打つことも、汗を滲ませる事もしなかった。出来ないからな。そういう有機的精密性は、この体には無い」
「……」
「息を切らせたかったんだ。苦しくて、辛い気分になりたかった。きっとそういう状態でこそ、見つけてやる意味があるのだと思った。汗を滴らせて、苦しい息で、お前を見つけて、……古いキネマ(映画)のようにな」
「そんな気持ちだったんですかい……」
その間、衝月と下らない事を話し込んでいたのが、少し気恥ずかしい。
オボコのように頬を染めて木陰に隠れてりゃ良かった。--ジョージが『やめてくれ』と言いそうな事を阿紫花は考え、つい強く手を握り返した。
ジョージが立ち止まった。
「この辺なら、入り口に人が立っても反響音でギリギリ感知できる」
「そうですかい?結構奥深くまで来ちまったようですけど」
水辺のすぐそばだ。清流、とまではいかないが、冷えた水の弾ける匂いがした。
「アシハナ」
水を見つめていた阿紫花は、手首を強く掴まれて目を見開いた。
水の音だ。
ちゃぷちゃぷじゃぶじゃぶ--、
いや、
「あ、あたし、あ、あ」
あたしの中の音か。
抱きかかえられ、向かい合って貫かれている。
「おかしいだろう。自分でもそう思うんだ」
ジョージは、軽々と阿紫花の体を良いように揺らし、
「欲望の必要などないはずの体だ。それは今でも変わらない。こうして君を抱いていても、肉体は性器以外はエレクトしない。息を切らしたり、腕が痛んだり、疲れたり、といった経時的疲労は存在しない。空腹も睡眠も、ほとんど訴えないはずの体なんだ」
「あ、ふあ、ジョ、ジさっ」
阿紫花は聞いていない。
急所を杭で深く穿たれて、重力などないかのように持ち上げられては自重で落とされる。持ち上げられ思わず締まったそこを、慣らしてぬるんでいるとはいえ、自分の重みでこじ開けられる。
グチャグチャと、泥のような水音が聞こえた。
「あああ、あ、ひッ」
「それなのにこうして、もう何度目かも分からないほど君に対して繰り返している。当たり前に疲労して動きをやめる事も出来ない」
「ジョージ、ジョージッ……」
「限界だと思ったさ。額のメッセージを見た時、探し出して捉まえて、ここに来てまだ一度もしていない事を、こうしてやろうと思った。逃げ出しても捉まえて、嫌がっても許してやらない、私がこんな体でも感じている欲望を、ここに」
「あ、ひあッ」
深く突き上げられ、阿紫花はしがみつく手に力を込めた。
「ブチまけてしまいたい。分からないんだ。この欲望は何だ。誤作動ではなさそうだとは分かる。おかしいだろう?ただの欲求では説明がつかない。これは--何だ」
「……」
持ち上げられ、ジョージの額より高い目線になった阿紫花の視界に。
『Je t'aime,Mais vous ne m'aimez.』
愛している、でも貴方は--。
もう消えたそのメッセージの痕跡が映った。
首を引き、そこへ何度もキスをした。
「もう消してしまった」
ジョージは言うが、阿紫花は微笑み、
「……たし、が、」
「……」
「こうしてェ、だけ……」
言葉などどうせ役に立たない。
「……」
急に再び深く打ち込まれ、阿紫花は暗い天井を仰いだ。
体に力が入らない。だがそれでも、繋がった部分だけは締め付けてしまう。
「ジョージ、もう、あたし……ッ、」
「その答えは、とても非合理だな。だが--」
気に入ったよ、と。
囁かれた瞬間。
「イクッ、出る、出ちまい、やがっ……!」
触れていないはずのそこから迸った液体が、体を反らした阿紫花の胸に飛んだ。
「ヒッ、やめ、やめてくんッ、」
迸らせる間にも、射精を促すように内部でそれがあばれ回っている。
射精の時間が長ければ長いほど、快楽の時間も延びる。
快楽に意識を飛ばしかけ、阿紫花はしがみついた。
「イクッ、また、イッ、か、堪忍、堪忍してッ……」
「出来ると思うか?私はまだ一発も満足していない」
「ひゃ、イヤだッやめ、ジョージ、ジョージッ、……」
目を潤ませ、気を飛ばしかける阿紫花の口に、ジョージはキスをした。
口内と下の急所を同時に激しくなぶられ、阿紫花は。
「……!」
自分の中に迸ったモノの存在を意識の片隅で認めながら気を失った。
※
「あはははは!英兄その顔~!やり返されてやんの」
夕飯前に戻ってきた長兄の顔を見て、れんげは大笑いだ。
「プッ、英兄自業自得」
百合は素直に笑って、「ジョージさんナイス」
「当たり前じゃ!人様のお顔になんて真似したんじゃお前は!それくらいで許してもらって、有難いと思わんか!」
養父も怒鳴り散らしているが、
「しかしお前、……面白い顔になったなあ。プクップププ」
「オヤジさん、そいつはあたしでも傷つきやすよ……」
阿紫花はへばっていた。
あの後、たっぷり時間をかけて弄繰り回され、大量に注がれて腰が抜けた。最後の方の記憶などすっかり飛んでいる。気がついたら夕焼け前の薄青い空の下を、ジョージに背負われていただけだ。後始末から着衣から、すべてジョージがやったのはいい。
問題は。
「頭痛ェや……こんな顔で痛がっても、笑えるだけでさ」
ジョージの落書きだ。チョビ髭やら眉間に皺やら、まあ阿紫花の描いた落書きよりはマシではある。
「晩御飯食べるの?英良。具合悪いなら、何か別なの作りましょうか」
菊はひやむぎの束を見せ、「今晩鰻なんだけど、ひやむぎとか作りましょうか?」
「鰻……」
「どうする?あ、お父さんお風呂もう使って下さい。風呂から上がったらお夕飯にしますから」
菊の言葉に、れんげと百合は立ち上がり、
「やった、鰻だ!」
「ねえ、櫃まぶし?お重?」
菊は肩をすくめ、
「お重よ。手伝ってよ。それと、平馬と勝にはナイショよ。貰い物なんだから」
「やった!平馬と勝ちん、今頃カレーかな」
「ねえ、おにぎりの具にしてさ、少し残してあげてたらどうかな……かわいそうだよ」
菊の答えに、れんげと百合ははしゃいで台所へ行ってしまった。
養母は既に台所だ。
ぐったりと寝転がる阿紫花の額に、ジョージが濡れタオルを載せてやっている。そんな光景が居心地悪かったのだろう、養父は咳払いをして立ち上がった。
「その、なんだ。風呂へな」
「へえへえ。ごゆっくり……」
「うむ」
養父は何だかイヤに四角張って風呂場へ消えた。
誰も居なくなってから、阿紫花はちらとジョージに目を遣り、
「あんた、鰻食うなよ」
「私の体に影響のある食品なのか?」
「……どっちかってえと、あんたよりあたしの体にかね……」
「?」
「ねえ、菊姉?」
百合が茄子の煮びたしを作りながら、
「朝、ジョージさんのオデコに、何か書いてたでしょ?あれってどういう意味だったの?」
「え?……」
「今見たら、英兄のオデコにも何か書いてたんだけど、英語じゃないんだもの。分かんない」
れんげが横から、
「英語だってそんなに分かんないじゃん。ねえ、茄子にししとうも入れようよ。美味しいかもよ」
「え~……ししとう?いい?お母さん。いい?--英語なら少しは分かるわよ。ねえ、菊姉。あれってどういう意味?分かるんでしょ?菊姉なら両方とも」
「……」
割烹着を着て、菊はお吸い物の味を確かめていたのだが。
「--ジョージに聞いたら?案外、答えてくれるかも知れないわよ。しつこく聞けばね」
ついさっき長兄の額に書かれていたメッセージには。
『Sie merken es nicht.』(君が気づかないだけだ)
英良がドイツ語までは知らないだろうと踏んで書いたのだろうか。それとも、何か意味があるのだろうか。
それは菊には分からないけれど。
「勝には教えるべきかしらね?……」
菊と勝が語学に達者な事を、ジョージに教えるのだけは、しばらくやめておこう。
そう心に決めて、菊は鍋に醤油を回してかけ入れた。
END
広場へ続く木漏れ日の中、遠くから誰かが歩いてくる。
登山用リュック一つの、まるでピクニックにでも出かけるような軽装だ。
高綱の練習用の低い綱を、鉄棒とシーソーの間に張って、上でバランスを取っていた涼子は気づき、手を挙げた。
「あ、中国のお姉ちゃんだ」
「ハ~イ!元気?みんな!」
ミンシアだ。遠くから駆けて来る。「来ちゃった!」
「お~、よく来たな」
法安は懐かしげに、「元気だったか?」
「元気よォ!みんなも元気そうね」
仲町サーカスの面々を見回し、ミンシアは笑う。
「姐さん!」
鳴海が太い腕を掲げると、ミンシアは細腕をそこに交差させた。
「姐さん、久しぶり」
「おう、元気だった?ミンハイ。しろがねと仲良くやってる?」
鳴海の隣に来ていたエレオノールの頬が一気に赤く染まり、一同は大笑いだ。
「てか、よく来れたわね。ハリウッド女優って、いつでもパパラッチに狙われてるんでしょ?」
「そうだよ。この村にまでパパラッチ来ちゃうんじゃない?」
三牛親子の言葉に、ノリとヒロは「余計な事言うな!」と威嚇する。
鳴海も眉を潜ませ、
「映画、大丈夫なのか?」
「大丈夫よ!今は夏休み。それに、西海岸のアパート(外国の『アパート』は日本のマンションに相当する)には、フウさんに貰った自動人形置いてきたから」
ミンシアは笑って、
「趣味はヨガとピラティス、ってインタビューに答えておいて良かったわ。休日ずっと引き籠っていてもおかしくないものね。私の代わりに、結構規則正しい生活しててくれてるはずよ」
「ふうん。なら大丈夫かな」
「もし何かあっても、そこはハリウッドよ、話題になればちょっとやそっとは何でもないわ!--そういえば、ギイさんやフウさんは?さっきジョージに会ったんだけど、一人だったわ。阿紫花探してるんですって」
「あ……」と、一同は苦笑いを浮かべる。
ジョージは仔細を説明していかなかったらしい。エレオノールが説明すると、ミンシアは呆れて目を丸くした。
「まあ、阿紫花!馬鹿ね~……ホント、どうしようもないわ。でも、面白い写真撮れたからいいか。ジョージの顔に落書きなんてね」
ミンシアは日本製の一眼レフを持ち上げ、
「エリ王女にね、送ってあげるの」
「エリ……」
鳴海の呟きに、ミンシアは微笑み、
「エリ王女は自由に見に来れないでしょう?王女様には休日なんてないもの。王女様は自動人形に勤まる仕事じゃないから、私みたいに出て来れないじゃない?--だから写真をね。黒賀村の事、私が話したらとても行きたがってたから」
「そっか……」
「うふふ、いつもはパパラッチされる私が今度はパパラッチする側よ。いいサーカス見せてね。ミンハイ、しろがね」
フラッシュが輝き。
驚いた顔の鳴海とエレオノールの一瞬を、ミンシアは撮影した。
「うふふ、いい顔いい顔」
「アナタもいい顔よ、お嬢ちゃん」
スゥ、と、ミンシアの背後に陰が立つ。
ミンシアの頬に頬を寄せ、ヴィルマが囁く。
「いい顔になったじゃない」
「そ、そう?てか近いわ。ヴィルマ」
相変わらずスタイルのいいアメリカ美女に、ミンシアは畏怖と対抗心を覚える。ほとんど胸が見えそうなタンクトップ一枚で、乳首が浮いても平然としているのは、さすがアメリカンガール、としか言いようが無い。サーカスの面々は見慣れているが、これが健全な男子なら、真っ赤になって前かがみだ。
髪を黒く染めるのはやめたらしく、赤みがかった茶髪になっている。
ふと、ノリがヴィルマに、
「朝のナイフ投げ終わったのか?長かったじゃん。朝飯食ってないだろ、もうないぜ」
ヴィルマは肩をすくめ、
「いいよ、食欲ない。ちょいと考え事しててね……。観客もいないのに余計に投げちまったよ。でもあたしからスキニーボーイかっさらった銀髪のロボコップに逢って、やる気無くした。あたしのオッパイ見ても顔色変えないんでやんの……」
ジョージの事だろう。
鳴海はうんざりと、
「ジョージ、どんだけ走ってんだよ……」
「しろがねならば一日でも走れる、鳴海」
エレオノールは胸を叩き、「私も出来る」
「んん、それはしなくていいぞ」
ボケとツッコミが最近はっきりしてきた鳴海とエレオノールをよそに、ヴィルマはナイフを指でなぞりミンシアを見る。
「可愛いお嬢ちゃん、アタシのナイフの的にならない?……」
まんざら嫌いでもないタイプなのだろう。ヴィルマは以前エレオノールにしたのと同じ目で、
「可愛い顔してるじゃない。あっちの女優なら、こういうの動じないんじゃない?」
ハリウッドの同性愛スキャンダルは多い。
「スキニーボーイに振られてこっち、男も女もその気になれなかったんだけど……どう?ナイフ投げ以外のアタシのテク、教えてあげるよ……」
リーゼは以前のように「好きだケド。いけないワ。あわわ」と目をキラキラさせている。
ミンシアは笑い、
「そうね、考えさせて」
「……」
「アナタを心から好きになれたら、ナイフの的でも何でもなってあげる。恋人として、好きになれたらね」
「『愛は火が点いた友情』って言葉、信じる?……」
「そうねえ。『友情は愛に変われるが、愛は友情にならない』ってのは嘘だけど。友情は愛になるかもね」
はぐらかすようにミンシアは笑う。
「一筋縄じゃいかないお嬢ちゃんね」
ヴィルマは笑い、
「練習してくる。夜までには戻るから」
そう言って、森へ続く道へ消えた。
「--熱心ね。でも少し、……張り詰めてるわ」
--ーミンシアは気遣うように呟く。
鳴海は肩をすくめ、周囲が聞いていない事を確認し、
「……体を新しくしたはいいが、今度は正確すぎるんだと。投げるナイフが全部思った場所にしか行かないんだとさ。少しも外れないし、狂わない。……つまんねえんだろ」
「……」
「そりゃ、的やってる人間は安心するけどな。投げてる本人は、居た堪れねえよ……」
※
「居た堪れなかった」
阿紫花は天井の染みを見つめ、呟いた。
「親父とお袋は悪くねえ。行く先の無ェあたしを貰ってくれた。守ろうとしてくれた。……あたしは別に長や人形使いどもも、嫌いじゃなかったし、恨んでもねェ。そんなの、なんつうか、次元の違う話だ。……」
日が高くなりつつある。
窓から差し込む陰の形の変化に、阿紫花は口角を歪める。
「ただあたし、……ちょいと苦手だったんでさ。……でけえ図体した人形遣いどもとか、何するってんでもねえのにな」
脳裏に浮かんだのは、二十年間の言葉だ。
『何しても構やしやせん。何でもしやす』
中学生の子どもが、あの状況で言える言葉か?
外から五郎の「川行って来る!」というまだまだ無邪気な声がした。
阿紫花はあの時、五郎とそう変わらない年齢だった。
子ども顔をした、--商売女のような。
いつ、どこでそんなものを知った?この村ではあるまい。そんな女もいない事はなかっただろうが、どんな性質の悪そうな女でも、子どもには大人らしい対応をしたはずだ。黒賀村の女どもはそういう、心根の丈夫さを持っている。
まさか、この村の男に強要されて、というのはあるまい。そんな趣味の大人がもしいれば、--秘密裏に「仕置き」するだろう。それが長の息子でも、だ。秘密は秘密を守らない。村の秘密を守る人間には、そんな忌まわしい秘密など許されない。
じゃあどこで?考えられるのは、黒賀村に来る前の、もっとずっとガキだった頃しか--。
--衝月はぞっとした。ひくりと横隔膜が震えた。
息子の--五郎の顔が脳裏に浮かんだ。
阿紫花は鼻で哂う。
「今じゃ何クソって話だ。ここに来るまで知らなかったぜ。テメェが大人になっちまったら、ガキの頃のテメェが馬鹿に見えらあ。大人だってまともなのもいらあね。……衝月。そんな、バケモノ見るような顔、すんな」
「違う……阿紫花ァ、俺は」
「違わねえ。何も、アンタは間違ってねえよ。……」
黒手袋が、タバコの箱をポケットから取り出した、
少し手が震えている。そう見えたのは衝月の気のせいか。
「昔から、な……アンタは正しい。今もそうだ。……」
「英……」
「衝月」
今はもう、昔の話。--阿紫花はそう言った。
「そう思う事にしようぜ。忘れちまって、よ……」
阿紫花はタバコを咥えた。
火は無い。
もうこの小屋には、どんなに小さな火も灯ることは無いのだ。
衝月は首を振り、
「お前ェは忘れてェだろ。でも俺は、忘れられねェ。--なんでお前は、人形を持って行った。俺の人形とお前ェの人形を交換して」
「……」
阿紫花はクス、と微笑んだ。
「分かンねえかね。だろうな」
人を小馬鹿にしたような笑みだ。
衝月はすごんだ。効果は無いと分かっている。
「答えろよ。……」
「叩き壊したかったのさ」
阿紫花は呟いた。
「アンタがイイって言うから、あたしはあたしに似た人形を作っちまった。でもあたし、あんな人形、本当は大嫌ェだった。金もったいねえからって言い訳して、面倒臭ェ一心で白一色にしてやったら、アンタ喜んで、自分の人形は黒にしやがった。どうせ負ける人形、負けなきゃいけない人形だ、あたしゃ精々派手にブチ壊してやろうとしか思ってなかったんでェ」
「負ける?お前ェが?」
「あたしが一番になって誰が喜ぶよ?それにあたしが自分で白御前を操って一回戦で潰せば、……決勝であんたとやらなくて済む。気に入らない人形、あんたのために一回戦で潰してやろうとしか思ってなかったでェ」
阿紫花は夢を見るような目で、
「でも前の夜に、目が覚めちまった。人形相撲で負けても勝っても、あたしは負けだ。一番になっても、負けは変わらない。……」
「どういう意味だ?」
阿紫花は答えず、
「……だったら壊してやろうと思った。決勝までお互い勝ち進みゃ、あたしはあたしの手で、あたしに似た人形をブッ壊す。あんたに似た黒い人形で、あたしを、……」
壊れたかったンでさ。--夢を見るような瞳のまま、阿紫花は呟いた。
「あんた、あたしを壊してくれねェんだもの……」
ぞくりとするような笑みだった。
二十年経っても変わらない、いや、なおいっそう凄絶に。
「だからあたし、あんたの人形であたしの人形、ブッ壊したんでさ」
衝月を見つめ、暗く紅い色の滲む笑みを浮かべた。
※
記憶の中で、歓声が聞こえる。
人形のための土俵の外から。
土俵が結界だとか、義父親はそう言った。
外界と隔てられた場所。
神聖なその場所で、必ずどちらかがぶちのめされる。
--最初は互角に見えた。
阿紫花の操る、衝月の拵えた「黒武者」。
衝月の操る、阿紫花の拵えた「白御前」。
大きさで言えば黒武者がでかいが、白御前は素早い。
繰り手は互角と、皆が思い込んでいた。
「お前ェ、ずっと力を隠してやがった」
武者の腕が、足が。
白御前よりも素早く動いた。
作った衝月ですら思いもせぬ動きだった。
重量のある、目にも留まらぬ刀の動き。
あっという間に白御前はひび割れ、崩れていく。
「みんな、あんたを応援してやしたっけ……」
阿紫花の腕が立ちすぎた。まるで理不尽な暴行を、白い人形へ加えているようにみえただろう。衝月への応援は、阿紫花への様々な反発の集まりだった。
阿紫花の人形繰りの腕への妬み、打ち解けぬ態度への大人たちの不信、阿紫花の態度に違和感を感じていた級友たちの不満、各個はささやかなはずの悪意が、人形相撲の場で一つの大きなうねりとなっていた。
「丸盆(リング)に立つ人形があたしみたいな木偶じゃあ、観客はそりゃ金返せってなもんでさ……」
罵倒と歓声が、肌に刺さるように身に沁みた。
「……あたしの人形を、あたしは羨ましいって、思っちまった」
壊れることが出来て。それで村のみんなに応援されて。
「あんたに、操ってもらってさあ……」
「じゃあなんで手を抜いた」
あと一撃で阿紫花の勝利、というその瞬間。
『衝月君!勝って!』
ちょうど阿紫花の背後から。
花嫁の叫び声がした。
「お前ェ、なんであの時笑った」
白い雪の中、黒い人形に守られるようにしていた白い少年は。
くす、と、花嫁の声に微笑んだ。
そして一瞬、すべての動きが止まった。
一度の瞬きの後。
白御前は黒武者の足を、叩き折っていた。
「--お前ェは自分で負けた」
「……フフ。あんたの息子、人形操ってる顔、あんたにそっくりなんだって?……こちとら、流し流され風呂屋の三助かってな稼業してたがよ、血ってのは怖ェやな」
阿紫花は目を細めた。
「あんた、あの一瞬、あのアマっ子の声で、奮い立っただろ。獣みてえな目であたしを見た。……」
「……」
「あたしに乗っかってる時、一回でもそんなツラした事なかった。女にゃイイ顔しやがって死んじまえ--とか思っても良かったんだけどよ。それじゃあたし、ミジメなだけだ。あたし全部に負けたんだ、って、そう思い知ったら、--笑えて来てよ。あのアマっ子にも、あんたにも、この村にも、……あたしの人形にも、あたし自身にも、あたしは負けちまった」
懐かしい、どこか悲しい顔で阿紫花は言った。
「それにあんた、ギラギラしたイイ顔してたぜ。そんなツラ見せられちゃあ、な。正直、もちっと見てたかったぜ」
「……」
「こんな顔見れたんだ、負けても勝ってもそんなのどうでもいい、こうなるしかないって……ああ、あたしは確かにあんたが、……嫌いじゃなかった、って、思ったんでさ」
それで--笑って、阿紫花の操る「黒武者」は壊された。
花嫁と祝言を挙げたのは、衝月だ。
「そのアマっ子と、あんた結婚した。あんた似のゴローも生まれた。……あの日の事はもう、笑い話にしようぜ。それが一番、いいんじゃねえか。あたしらもう、大人になっちまった」
阿紫花はそう、笑った。
衝月は重い気持ちで被りを振り、
「お前ェ、……それで、貞義のとこに転がり込んだのか」
「あ?……ああ、そんな男もいやしたっけねえ……」
薄情に多情な女のようにそんな科白を阿紫花は吐き、
「まともなオッサンだったぜ。貞義は。--最初だけな。人形遣う腕だけで奉公してたが、……性質悪ィんだ、あのオッサン。今じゃ分かるんだがよ、ほれ、綺麗なお嬢さん来てンだろ、広場に。サーカスの。銀髪の」
「ああ、正二様のお嬢様か」
「あの嬢ちゃんを、良いようにしてえと思ってたんだろうな。あのオッサンは。どうやったらガキから信用されっか、どうやったら……ガキでも体投げ出してくるのか、実験してたんかな。……」
「おい……」
聞きたくは無い。しかし、厭う権利もない。
衝月の心情を察しているのだろう、阿紫花は口元だけで笑う。
「貞義のクソ野郎、人形壊す実験、ガキ弄ぶ実験って、さすがにあんな人形ども作っただけある頭してやがった。人を人と思わねえ殺人人形……。あたしも、あの人の人形だったって事でさ……今思うと、狂ってやがった、あたしもあの男も。でも同じ狂ってんでも、頭の作りのいい方がマトモな振り出来ンだよな。あたしはあの人が『正しい』って思ってた。何でもしやす、って言い切った。その代わりに、……」
「英良!言うな!」
阿紫花は暗がりを見るように目を細め、
「聞きたくねえんだろ?……だよなあ。胸糞悪ィもんな」
「違う。--お前ェが、惨めなだけだからだよ」
「……惨め?今更……あのな衝月、この世で本当に惨めな事はこんな事じゃねえよ。金が無ェとか飢え死にしそうだとかもそれなりに惨めだけどな。生きてンならそういう事もあらぁな。色恋で惨め思いするなんてよ、人間様らしいがあたしは……、上等すぎらあ。金で買った女につれなくされるとか、これだと思った男に軽くあしらわれるなんざ、全然マシだ。ましてやこんな昔語り、どうて事ねえ」
女を買う事も男に冷たくされるのも、衝月には経験のない事柄だったが、言いたい事はなんとなく分かる。
「あの男は、こっちが惚れて惚れて体が疼く、ってその時になって、平然とまるで親同然って顔で『君にそういう働きは求めていない』だのよ。……この世で本当に惨めなのはよ。惚れた相手に冷めたツラで『本当の君は、もっと優れた人間だ』なんてほざかれる事だ。馬鹿に、しやがって」
「……」
「死んでザマ見やがれ。ケッ、死んで心底笑いたくなるヤツってのは、本当に死んでいいヤツだけでさ」
もしくは心の底では死んで欲しくない人間か。--そう思ったが、衝月はそこには触れず、
「……寝たのか?貞義と」
「寝てねえよ、気色悪ィな」
阿紫花は嫌悪に満ちた声で返し、
「一発付き合ってくれてりゃ、あたしだってもちっとマシな事言ってらあ」
ククク、と、まるでそれがとても面白い冗談のように阿紫花は笑った。
衝月は笑えない。
「確かに面白い男ではあったな。色恋にずっぽりはまっちまってる気持ちにさせてくれはしたが、……肝心要が無ェーんだもの。抱いてくれねえならそれで終わりでさあね。ま、エレオノールの嬢ちゃん落とす手口を実験してたんだ、ガキの男なんか、色恋の最後まで面倒見るつもりも無かったんだろうぜ」
心を許して捨てられた。簡略化されたセンテンスではある。
阿紫花は冷めた声で、
「それからは人形の腕だけであの人と繋がってる--そんな錯覚だけでさ。ま、錯覚だって気づいたのは、坊ちゃんが書類持って来たあの瞬間でさ。……分かってたんだがな」
「そうかよ。……」
「あの日、あの夜」
阿紫花は己の黒い手袋を見る。
「人形相撲の晩に、あの人が声を掛けてくれた時は、……」
--脳裏に浮かぶのは白の中の黒だ。
雪の降る森に、黒い大型車が停まっている。
『味方が、いないような顔だね。……君はここにいたいのかい?……』
否、と。
あの黒衣の男に答えるべきではなかったのかも知れない。
『僕も、一人なんだよ……』
ずっと、長い間……、と、男は呟いた。
淋しそうな人だ、と。
少年の阿紫花は思った。
今はそうは思わない。
阿紫花は憐憫と軽蔑の目で呟いた。
「一人なのは独りよがりなテメエのせいじゃねーか……」
「あ?」
「いんえ独り言。--もういいじゃねーか。昔の事なんてよ。あたしも、今は『レコ』(隠語で恋人の事)がいるんでね。あんたみたいな、昔の男っても言えねえようなダチ公、何とも思ってる暇も無ェや。、ましてや死んだクソ野郎の事なんて、ケツが痒くならあ」
ははは、と阿紫花は笑う。開き直ったような明るさに、小屋の中の湿度が下がった気がした。
衝月も息が楽になった気持ちがして安堵した。詰めていた息を吐き、
「あの--しろがねの機械か」
阿紫花は仕方なさそうに頷き、
「ホント、機械なら機械らしく器用に生きればいいんでさ……でも出来ねえ、って……」
阿紫花は目を閉じた。
「でも、あいつァあたしの人形繰りを、『それでいい』って」
『アシハナ、お前はそれでいい』
「自動人形だらけのクソ暑い砂漠の地下で、絶対に助からねえって、そんな状況だったがよ--あたしは思い切り人形を操ってた。思い切り、ブチ壊して熱くなってた」
「……」
「何年ぶりだったか分からねえや。背中預けてドンパチやって、楽しくて、……熱くなって。あたしは生きてんだ、って、ぶっ壊れてく人形見て思ってた。殺されてたまっか、あたしは、人形じゃねえ、って」
うっすら、阿紫花の目が輝いている。
「それで、『お前はそれでいい』って、言われちまってよ……」
窓枠の格子の陰影が阿紫花の顔に落ちている。
その奥で、目が少しだけ輝いた。
「あたしが惚れた側になっちまうなんてよ、……笑っちまうぜ。……でもあいつァ、退屈なんて思わせてくれねえや……。こいつとずっと危ねェ橋渡ってよ。死ぬまで、ドンパチやれたらな、って……夢見ちまった」
「……お前ェは」
衝月の脳裏に、雪の中一人微笑む少年が浮かぶ。
だがそれもすぐ消えた。
目の前の阿紫花は、夏の熱を持って確かにそこに座り込んでいる。
「……それでいいんだな」
「これ以上は神さんに釣り返さねえとならねえよ。返してやらねえけど」
「どっちだよ」
「返せねえからいらねえってこった。あたしはあたしの人形と、……あの銀髪の機械人形一個あれば上等だ。あ、酒と女は別腹だけどな」
別腹にするな。
「どうしてお前ェは最後まで話を良い形でまとめられねえんだ」と、衝月がツッコミと説教を折半した声を上げようとした瞬間。
「アシハナはいるか!」
スパン!と扉が開いた。
※
「阿紫花君、帰ったの?」
洗濯物を干そうと庭に出てきた嫁に、衝月は頷く。
「相棒の外人さんが連れてった」
「あら~、フラれたのね。父ちゃん」
「バッ……」
馬鹿野郎!と叫びたかったが、昔の事があるので何も言えない。
黙りこんだ衝月に、嫁は笑い、
「なあに?ほっぺた、バツつけて」
油性ペンでバッテン。
「……英良の馬鹿だよ」
「あいたたた、ジョージさん、優しくして……」
「やかましいわ!お前は私の顔をキャンバスか何かと勘違いしているのか!?」
「そりゃそれだけ広いオデコしてやがんだもの、描きではありやしたよ」
ヘヘへ、と笑う阿紫花に、銀髪の外国人は堪忍袋の緒が切れた、という顔だ。
衝月は「そこらのブツ壊すなよ……」と心理的に遠巻きに見るしかない。ジョージの顔の油性ペンの痕を見れば、事情はすぐに分かった。
「もういい。よーく、分かったぞアシハナ」
「あ?どーしやした?ジョージ……げえっ」
ゴッ、と、肉と骨に拳が食い込む音がした。
鳩尾に一発食らい、阿紫花はジョージの前によろめいた。
「フン。サハラでの仕返しだ」
「~、こんなトコで、蒸し返すなっつーの……」
なんとか意識は失っていない阿紫花を、ジョージは軽々と肩に担ぐ。
阿紫花は痛みに呻きながらも、大人しく担がれている。余計な事を言うと、腹の下の肩で突き上げられるからだ。
ジョージは鼻をならした。衝月に背を向ける。
「フン。お前が悪い。--邪魔したな」
「……あんたら、いつもそんな荒っぽいのかい」
「荒いか?考えた事もなかったな」
そりゃマジで物騒な話だ。
痛みで吐きそうな顔をして阿紫花が呻いた。
「……あたしら不器用なんでね……あ~、痛ェ……、衝月ゥ」
肩に担がれている阿紫花が、顔を上げて衝月を手招きする。
「?」
近寄った衝月に。
「花丸じゃなくて悪ィな」
阿紫花はバツを頬に描いた。
「あの外人さん、また怒り狂ってよ。阿紫花担いで帰ったよ。帰って説教してやるんだと。……ガキかよ、って、なあ」
衝月は垢を擦り落とすように頬を撫でた。
嫁は笑い、
「あははは、阿紫花君、冗談ばっかり。でも安心したァ。阿紫花君、なんか普通になったね」
「普通?」
「前に、--中学生の時に、人形相撲で私と父ちゃん、祝言挙げたでしょ。最後の試合の前にね……ムフフフ」
「なんだよ気味悪ィな」
「それが恋女房に言う言葉?--阿紫花君に、求愛、されちゃった」
「は?」
「最後の試合の前よ。花嫁に近づいちゃいけない、って言われてたけど、神事の関係者は近くにいないといけないじゃない?神社の息子だったし、それに阿紫花君、あの時なんでか、クラスの友達のトコに近寄らなかったじゃない」
友達に、ではなく、衝月に近づきたくなっただけだろう。
「で、言われたのよ」
『あたしに愛されちゃくれねえかい?……』
「幸せにしやすよ、って。子ども心に、綺麗だったわあ。ほら、寒くて真っ白い顔で、真っ白い袴だったじゃない。唇と目元だけ赤っぽくて--まるでお化粧したみたい。それが似合ってたのが悔しいわ~!あたしなんて、長老たちに散々、白粉塗ったオカメだ狸だ、って言われたのに!今年はハズレだ、って言うんだもん!だから、阿紫花君は男の子なのにいいなあ、って思っちゃった」
「……そうかい」
「そうかい、って、聞きたくないの?」
「あ?」
「こ、た、え!私がなんて答えたのか、知りたく無いの?結構グラッと来てたのよ!だってあんな風に言われるなんてなかったのよ!?そりゃ、父ちゃんは口下手だから、私に素直に好きと言えないのも許してあげてるけども」
オカメ顔で明るく嫁が笑う。
気立てがいいのが取り柄だ。衝月の母とも、仲が良かった。
「……そりゃどうもありがとよ。で、お前ェなんて答えた」
「そりゃ……阿紫花君の言葉は嬉しかったんだけどね」
『あたしに愛されちゃくれねえかい?……幸せにしやすよ』
『--ありがと。嬉しいな。阿紫花君優しいね。でも私、愛されなくてもいいんだ。衝月君が好き、で、それで幸せだから……もうそれだけで充分。愛されるために、愛してるワケじゃないもの』
『愛されるために……愛するんじゃない』
「可哀想なくらいに白い顔になって、そう呟いてた。あ、悪い事言ったかな、って思ったっけ。だって本当の両親じゃない、って聞いてたから、結構普通の家みたいに素直に親に反発したりとか出来ないから、愛されたがってんのかな、って思っちゃった。今なら分かるよ?本当の親とか、ニセモノとか、ないんだって事くらい。阿紫花さん夫婦は本当にいい人たちだもの。でもあの当時の阿紫花君、なんか今思うとおかしかったもの。よく笑ってるけど、なんか嘘みたいな笑い顔だったし」
「……ああ」
「でもさっき見たら、普通に笑ってたなあ。一瞬誰か分からなかった。サーカスの人かな、って思ってたら『変わらねえなあ、イ~イオカメ顔してらあ!』って。ニヤニヤ薄笑いしてるんだもの。何よ、自分だってオッサンになってる癖に、って言ったら大笑いしてた」
イイ顔、になったのは、阿紫花も同じだろう。
「……そうかい」
「良かったね。なんか、父ちゃん嬉しそうだよ」
「……そうかい」
さや、と風がはためき、「父ちゃんも干すの手伝ってよ」という嫁の声に、衝月は頷いた。
「お前にゃ花丸、くれてやるよ……」
※
「……怒ってんですかい」
阿紫花は問う。
ジョージの肩の上だ。痛みも消えたし、もう逃げないと言っているのに担がれたままなのだ。
集落へ続く森の中の小道だから、誰も見ていない。ただ歩き続ける中で、木漏れ日が斑模様を次々顔に落としていくだけだ。
「謝りやすってば……あたしが悪かった、って……」
肘を突く形で阿紫花は頬に手をやる。
「坊ちゃんには金輪際、ああいうお願いはしやせんよ。……そりゃあね。確かに坊ちゃんにゃ五年早かったと思いやすよ」
「……」
「あたしのガキの時分と一緒にしちゃ、いけやせんねえ……」
「私は」
ジョージが急に口を開いた。
「この二時間、ずっと走り通しだった」
「……はあ、そりゃ律儀なこって。GPS辿ってすぐ来ちまうだろうと踏んでたんですがねえ。だからちっと淋しかった、なんてね……」
「見つけて欲しかったんだろう?アシハナ」
「……」
「……イリノイでも、そういう子がいたよ。心配させたくてかくれるんだ。止せばいいのに、発作をこらえて、一人で棚の奥で、見つけてくれるのを待っていた。……」
イリノイか。いつの話だ。
「……その子、」
「死んだ。……死ぬ数週間前のかくれんぼだった。私が見つけてしまった。適当に探す振りをしていただけなのに。……子どもの頃の私だったら、どこに隠れるかな、と思ってしまった。そして見つけてしまった」
『ジョージ、さんかあ……』
「その子は軽い発作を起こして、それでも隠れていた。見つけた私に、泣きながらかすかに笑った。見つかっちゃった、抱っこして、連れて行って。いつも他の職員にそう言う癖に、私には言わなかった」
『僕、見つかっちゃったから、みんなのとこ行くね……』
「不快な記憶だ。どうしてあの時私は、見つけた時あの子に笑いかけてやれなかったのだろう。あの子がどうせ死ぬのなら、」
『僕、いくね……』
「優しくしてやればよかった。笑って、発作を鎮めてやればよかった」
「……」
湿っぽいのは嫌いだ。阿紫花は思う。
だが聞いていたい。ジョージが自分の事を話すのは、珍しいから。
ジョージは乾いた声で、
「お前を探さなくては、と思った時に、何故か思い出した。お前がガキ臭いからだろうな。……」
「……。そういう事にしときやすよ。で?だから2時間?走ってたんで?そういやGPS……」
「使ったら意味が無いだろう。走り回って探して欲しかったから、あんな……落書きをしたんだろう?」
「……別にそんなんじゃねーんだけどよ。……あたしガキじゃねえし」
「お前を子ども扱いした事は無い。だからこうして一緒にいるんだろうが。子ども相手に何をするというんだ。……子ども臭い大人だとは思っているがな」
「……自分だって」
「フン。何とでも言え。--来る途中、見つけたんだが、あそこが……先客か」
以前勝が試練を経験した、蓮華畑へ通じる洞窟の手前まで来て、急にジョージが歩を止めた。
「ハーイ、お二人さん。何よ、朝からイチャイチャし腐って」
心の底ではイラついているのだろう。ヴィルマはナイフをジャグリングのように何本も空中で回し、
「顔に落書き、ほとんど取れたじゃないか。良かったね。ねえ、的になってくれんなら、手伝ってよ、練習」
空中にあったはずのナイフが、カカカカカ、と鋭く木に命中していく。丸を描くようにヒットしている。いい腕だ。
最終決戦前に関係を持った癖に逃げていった阿紫花としては、そのナイフが少々怖い。ずるずると肩から下り、
「あのな、ヴィルマ……」
「すまないがフロイライン(お嬢さん)……」
ジョージがヴィルマに何か耳打ちしている。
「え?……ヤダよ、馬鹿にしないでよ。なんであたしが……」
「限界なんだ」
「……この先アンタがスキニーボーイと別れてどっかの女と付き合いだしたら、アンタのために殺し屋復活するからね」
「覚えておこう。……阿紫花、来い」
ジョージは阿紫花の手首を掴んで洞窟へ誘った。
阿紫花は二の足を踏んでいる。
「へえ?ジョージさん?ちょいと、この洞窟、怖いからくりがあるって言い伝えが--」
「私とどっちが怖いんだ?」
--二人が洞窟に消えた数分後。
集落の方から、平馬が歩いてきた。一人ではない。黒賀村の子どもたちも一緒だ。涼子やリーゼ、勝も一緒だ。
皆ビニールバッグを持っている。中には明らかに水泳パンツのままの少年も混ざっているから、川にでも行くのだろう。
おそらくサーカスの面々が、「子どもたちだけで遊んで来い」とでも言った。勿論稽古があるから遊べるのは今日だけだ。
「ヴィルマ~」
「なんだいブラザー。あたしは忙しいんだよ」
「兄ちゃん、見なかった?」
平馬は水泳パンツのままだ。「一緒に川遊びしたいんだけど、まだ逃げてんのかね」
「……。じゃないの?アタシからも子ウサギみたいに逃げ回ってるくらいだからねえ」
「そりゃヴィルマが怖ェん--」
「的になりたけりゃその先を言いな」
「……ゴメンナサイ」
「とっとと行きな洟垂れども。的にしちまうよ」
ヒュカカカカ!とヴィルマは何十本も、一気に遠く離れた木に刺してしまう。
「すげー」と感嘆の声を上げる子どもたちに、
「次はあんたらが的だよ……」
と、ゆらりと振り向いた。鬼気迫る顔だ
それを見て一目散に逃げ出した子どもたちの背中に。
弟もあの中にいればいいのに、と。
少しだけ思った。
ヴィルマは己の右手を見つめる。
「……フフ」
ナイフ投げをしている時はいつもあの子が一緒だったっけ。
「……まだ投げられるよ」
大丈夫、と呟いた。
洞窟の中は暗い。
湿っているし、なんだか空気が冷たくて淀んでいる。
村の言い伝え(という名の嘘っぱち)の真相を知らない阿紫花は、少し怯えている。
前を歩くジョージにしっかりと手を握られているから逃げられないだけで、本当なら逃げ出したい気持ちだ。
「ジョージさん……出やしょうよ……この洞窟にゃ主がいるとか--」
「--お前を探す間」
不意に前を歩いていたジョージが言った。
「二時間も走り続けた。二時間だ」
「だからすいやせんて--」
「ボラは使ってない。離れに置いてきた。この足で走って来たんだ。それなのに、私の体は息が切れる事も、心臓が早く脈打つことも、汗を滲ませる事もしなかった。出来ないからな。そういう有機的精密性は、この体には無い」
「……」
「息を切らせたかったんだ。苦しくて、辛い気分になりたかった。きっとそういう状態でこそ、見つけてやる意味があるのだと思った。汗を滴らせて、苦しい息で、お前を見つけて、……古いキネマ(映画)のようにな」
「そんな気持ちだったんですかい……」
その間、衝月と下らない事を話し込んでいたのが、少し気恥ずかしい。
オボコのように頬を染めて木陰に隠れてりゃ良かった。--ジョージが『やめてくれ』と言いそうな事を阿紫花は考え、つい強く手を握り返した。
ジョージが立ち止まった。
「この辺なら、入り口に人が立っても反響音でギリギリ感知できる」
「そうですかい?結構奥深くまで来ちまったようですけど」
水辺のすぐそばだ。清流、とまではいかないが、冷えた水の弾ける匂いがした。
「アシハナ」
水を見つめていた阿紫花は、手首を強く掴まれて目を見開いた。
水の音だ。
ちゃぷちゃぷじゃぶじゃぶ--、
いや、
「あ、あたし、あ、あ」
あたしの中の音か。
抱きかかえられ、向かい合って貫かれている。
「おかしいだろう。自分でもそう思うんだ」
ジョージは、軽々と阿紫花の体を良いように揺らし、
「欲望の必要などないはずの体だ。それは今でも変わらない。こうして君を抱いていても、肉体は性器以外はエレクトしない。息を切らしたり、腕が痛んだり、疲れたり、といった経時的疲労は存在しない。空腹も睡眠も、ほとんど訴えないはずの体なんだ」
「あ、ふあ、ジョ、ジさっ」
阿紫花は聞いていない。
急所を杭で深く穿たれて、重力などないかのように持ち上げられては自重で落とされる。持ち上げられ思わず締まったそこを、慣らしてぬるんでいるとはいえ、自分の重みでこじ開けられる。
グチャグチャと、泥のような水音が聞こえた。
「あああ、あ、ひッ」
「それなのにこうして、もう何度目かも分からないほど君に対して繰り返している。当たり前に疲労して動きをやめる事も出来ない」
「ジョージ、ジョージッ……」
「限界だと思ったさ。額のメッセージを見た時、探し出して捉まえて、ここに来てまだ一度もしていない事を、こうしてやろうと思った。逃げ出しても捉まえて、嫌がっても許してやらない、私がこんな体でも感じている欲望を、ここに」
「あ、ひあッ」
深く突き上げられ、阿紫花はしがみつく手に力を込めた。
「ブチまけてしまいたい。分からないんだ。この欲望は何だ。誤作動ではなさそうだとは分かる。おかしいだろう?ただの欲求では説明がつかない。これは--何だ」
「……」
持ち上げられ、ジョージの額より高い目線になった阿紫花の視界に。
『Je t'aime,Mais vous ne m'aimez.』
愛している、でも貴方は--。
もう消えたそのメッセージの痕跡が映った。
首を引き、そこへ何度もキスをした。
「もう消してしまった」
ジョージは言うが、阿紫花は微笑み、
「……たし、が、」
「……」
「こうしてェ、だけ……」
言葉などどうせ役に立たない。
「……」
急に再び深く打ち込まれ、阿紫花は暗い天井を仰いだ。
体に力が入らない。だがそれでも、繋がった部分だけは締め付けてしまう。
「ジョージ、もう、あたし……ッ、」
「その答えは、とても非合理だな。だが--」
気に入ったよ、と。
囁かれた瞬間。
「イクッ、出る、出ちまい、やがっ……!」
触れていないはずのそこから迸った液体が、体を反らした阿紫花の胸に飛んだ。
「ヒッ、やめ、やめてくんッ、」
迸らせる間にも、射精を促すように内部でそれがあばれ回っている。
射精の時間が長ければ長いほど、快楽の時間も延びる。
快楽に意識を飛ばしかけ、阿紫花はしがみついた。
「イクッ、また、イッ、か、堪忍、堪忍してッ……」
「出来ると思うか?私はまだ一発も満足していない」
「ひゃ、イヤだッやめ、ジョージ、ジョージッ、……」
目を潤ませ、気を飛ばしかける阿紫花の口に、ジョージはキスをした。
口内と下の急所を同時に激しくなぶられ、阿紫花は。
「……!」
自分の中に迸ったモノの存在を意識の片隅で認めながら気を失った。
※
「あはははは!英兄その顔~!やり返されてやんの」
夕飯前に戻ってきた長兄の顔を見て、れんげは大笑いだ。
「プッ、英兄自業自得」
百合は素直に笑って、「ジョージさんナイス」
「当たり前じゃ!人様のお顔になんて真似したんじゃお前は!それくらいで許してもらって、有難いと思わんか!」
養父も怒鳴り散らしているが、
「しかしお前、……面白い顔になったなあ。プクップププ」
「オヤジさん、そいつはあたしでも傷つきやすよ……」
阿紫花はへばっていた。
あの後、たっぷり時間をかけて弄繰り回され、大量に注がれて腰が抜けた。最後の方の記憶などすっかり飛んでいる。気がついたら夕焼け前の薄青い空の下を、ジョージに背負われていただけだ。後始末から着衣から、すべてジョージがやったのはいい。
問題は。
「頭痛ェや……こんな顔で痛がっても、笑えるだけでさ」
ジョージの落書きだ。チョビ髭やら眉間に皺やら、まあ阿紫花の描いた落書きよりはマシではある。
「晩御飯食べるの?英良。具合悪いなら、何か別なの作りましょうか」
菊はひやむぎの束を見せ、「今晩鰻なんだけど、ひやむぎとか作りましょうか?」
「鰻……」
「どうする?あ、お父さんお風呂もう使って下さい。風呂から上がったらお夕飯にしますから」
菊の言葉に、れんげと百合は立ち上がり、
「やった、鰻だ!」
「ねえ、櫃まぶし?お重?」
菊は肩をすくめ、
「お重よ。手伝ってよ。それと、平馬と勝にはナイショよ。貰い物なんだから」
「やった!平馬と勝ちん、今頃カレーかな」
「ねえ、おにぎりの具にしてさ、少し残してあげてたらどうかな……かわいそうだよ」
菊の答えに、れんげと百合ははしゃいで台所へ行ってしまった。
養母は既に台所だ。
ぐったりと寝転がる阿紫花の額に、ジョージが濡れタオルを載せてやっている。そんな光景が居心地悪かったのだろう、養父は咳払いをして立ち上がった。
「その、なんだ。風呂へな」
「へえへえ。ごゆっくり……」
「うむ」
養父は何だかイヤに四角張って風呂場へ消えた。
誰も居なくなってから、阿紫花はちらとジョージに目を遣り、
「あんた、鰻食うなよ」
「私の体に影響のある食品なのか?」
「……どっちかってえと、あんたよりあたしの体にかね……」
「?」
「ねえ、菊姉?」
百合が茄子の煮びたしを作りながら、
「朝、ジョージさんのオデコに、何か書いてたでしょ?あれってどういう意味だったの?」
「え?……」
「今見たら、英兄のオデコにも何か書いてたんだけど、英語じゃないんだもの。分かんない」
れんげが横から、
「英語だってそんなに分かんないじゃん。ねえ、茄子にししとうも入れようよ。美味しいかもよ」
「え~……ししとう?いい?お母さん。いい?--英語なら少しは分かるわよ。ねえ、菊姉。あれってどういう意味?分かるんでしょ?菊姉なら両方とも」
「……」
割烹着を着て、菊はお吸い物の味を確かめていたのだが。
「--ジョージに聞いたら?案外、答えてくれるかも知れないわよ。しつこく聞けばね」
ついさっき長兄の額に書かれていたメッセージには。
『Sie merken es nicht.』(君が気づかないだけだ)
英良がドイツ語までは知らないだろうと踏んで書いたのだろうか。それとも、何か意味があるのだろうか。
それは菊には分からないけれど。
「勝には教えるべきかしらね?……」
菊と勝が語学に達者な事を、ジョージに教えるのだけは、しばらくやめておこう。
そう心に決めて、菊は鍋に醤油を回してかけ入れた。
END
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プロフィール
名前:デラ
性別:女性(未婚)
年齢:四捨五入して三十路
備考:体力と免疫力が無い
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