最終回後のミンシアと、ある自動人形の話。
しかも生き残り組ばかりです。捏造過ぎ注意。
途中ですので、続きはいずれ。
しかも生き残り組ばかりです。捏造過ぎ注意。
途中ですので、続きはいずれ。
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歯車のお別れ
「最後まで覚えててもらいたいんだけどね。あたしの作る人形には、本当にロボット三原則はないんだよ」
英国の屋敷である。客間の大窓の前の書き物机に肘をつき、フウは顔をあげて客人を見た。
楽しんでいるとも、どこか迷ってもいるとも取れるような顔だ。
「ロボット三原則は知ってるかい?」
客--椅子に腰を下ろしていたミンシアは首をかしげ、ハーブティーを啜った。
「知らないわ。何それ」
「SF小説家アイザック・アシモフが考えた、ロボットの基本的行動原則だよ。『1・ロボットは人を傷つけてはいけない』『2・第一項を守れる範囲で、人間に服従せよ』『3・第一・第二項を守れる範囲で、自らを守れ』。簡単に言うとこんな感じだね」
「ふうん、なんかよく分からないけど、正しいんじゃないかしら。人間を傷つけないのは、大事なことよ」
ミンシアは微笑む。もしその三原則をフランシーヌ人形が考えてたなら、父もルシールも死なずに済んだだろう。ミンシアは歯を見せて笑った。
「もしかして、あなたなんじゃないの?その……アシモフって小説家?」
「あははは、こりゃ一本取られたねえ!残念だけど、あたしには発想力も空想力も無い。自動人形を見た事もないはずの人間にそんな原則が考えられたって事に、驚くばかりだよ。まったく、人間のイマジネーションには驚くよ……」
「フウさん?……」
「--だけどあたしの人形には、ロボット三原則は存在しない。以前、君らの前であたしはメイド人形たちに刀であたしを傷つけさせた。あれはロボット三原則の第一項に違反している」
「ああ……。そうよね。大丈夫なの?……」
ミンシアは不安そうに、先ほどお茶を入れてくれたブルネットのメイド人形を見上げる。計算して作った、美しい顔立ちだ。
人形は目が合うと、にっこりと微笑んだ。それでもミンシアは戸惑い顔を隠せない。
フウは笑い、
「はは、大丈夫だよ、大丈夫。ロボット三原則というのは、確かに正しく見える。人間を傷つけないのは確かに大事だからね」
「そうよ!」
「でも現実にロボット三原則を行動倫理コードに組み込んでしまうと、フレーム問題が発生する。フレーム、枠だ」
「?」
「無限に拡大する可能性を現在進行する現実空間では、有限であるロボットの人工知能は人間にとって最適化された結果を演算処理出来ない。例えば、--そこの人形がロボットだとしてだよ。あたしはお茶を淹れてくれと命じる。もちろん、最高の味をデータ処理して再現してくれるだろうね」
「もちろんですわ」と、人形はにこやかに微笑む。
「うん、ありがとう。だが、人形ではなくロボットであると仮定された彼女は、お菓子は持ってこない。今朝早くにハロッズが新作のケーキを持ってきてくれたとしても、あたしが仕事で昨日から何も食べていなくても、あたしがお茶を入れる途中で心臓発作を起こしたとしても、綿密な演算処理の結果として最高のお茶を淹れてくれる……」
メイド人形は眉を曇らせ、
「そんな事ございませんわ、フウ様!」
「ああ、分かっているよ。君はあたしの人形だ。ロボットじゃあない。だからこうしてあたしは五体満足でハロッズのケーキを食べながら最高の味のお茶を飲んでいられる」
ミンシアの前にも、ケーキの皿は置いてある。ただもう空っぽだ。
お茶も最高の味だった。だがミンシアはそれでも疑う目だ。
フウは苦笑し、
「有限を前提としたロボット三原則を組み込んだロボットというのは、無限の可能性に対処できない。現実的じゃないだろう?様々な場合に不具合を発生させるだろう」
「だから三原則は要らないの?」
「不要不必要ではない。より良い結果のためにあたしは最適化した方法を使うというだけだ。あたしの世話をしてくれる人形には、あたしの変化するその時々に見合った対処をしてくれるよう、プログラムしてある。記憶容量の問題で外部とオンラインできないから自己学習機能はわずかだがね。それでも言われた事は守るし、彼女らなりに働く事が面白いという達成感も学習機能で与えてある。三原則では成立しない、生きる面白さみたいなモノもそれなりにね……」
「……ふうん。いいわ、なんでも。前にフランシーヌ人形が作った自動人形たちみたいに人を殺して回るような事をしなければ。でもフウさん、自動人形たちは人工知能より頭いいの?だってそういう事なんでしょ?自分で学習してたじゃない、アルレッキーノだっけ?パンタローネも。人間を傷つけない、って」
「演算処理能力を数値化して比較しても、大して意味は無いね。彼らがあれだけ自由に動き回ったり、記憶を持つ事が出来たのは、彼らが多分に魔術的な技術で出来上がっているからだ。柔らかい石を模した擬似『生命の水』の効果だろうね。あの石のおかげで彼らは精神に似たものを得た。それは現在の科学技術には出来ないよ。心を生み出す事はね」
「心……、分からないわ。私には」
ミンシアは目を伏せた。
「父さんやルシールを殺した自動人形たちが、私はまだ憎いわ。……アルレッキーノやパンタローネがいくら人類を守ってくれたと、頭では分かっていても……、私はきっと、ずっとどこかで憎んだままよ」
「それでいいんだよ。ミンシアさん」
フウは静かに言った。
「だからあたしたち『しろがね』は作られた」
「……」
「人が人である限り、過去が悲しいのは当たり前さ。……」
どこか悲しげなフウの言葉に、ミンシアは息を飲んで顔を上げる。
フウはニッコリと笑い、
「一人じゃないさ」
「……」
「--淋しいのはイヤだろう?だからあたしは人形を作ったのかも知れないね。この子達がいれば淋しくない」
さあ、と、風が吹いてレースのカーテンが揺れた。風がフウの顔に、レースの陰影を落としている。
「--君に使ってもらう人形が、どうかそういう存在であった欲しいんだよ、あたしは」
「……フウさん」
「ご紹介しよう。いずれ世界的大女優となるだろう、リャン・ミンシアの人形だ」
フウが芝居がかった調子で指を鳴らすと、背後の本棚が一斉に動き出した。ばたばたと本棚の表裏がひっくり返る。現れたのは銀色に覆われた数え切れない医療機器だ。
医療機器のある棚の奥には部屋があった。天窓のような白い光が差し込むその小部屋に、一人の美しい女性が座っている。
「はじめまして。ミズ・ミンシア……」
「……フウさん」
それを見ていたミンシアは、怒りの声を上げた。
「どういう事よ。全然私じゃないじゃない!パパラッチ対策兼メイドの人形をタダでくれるって言うからイギリスまで来たのに!」
ミンシアは人形を指差し、怒鳴り散らした。確かに似ていない。
まず肌の色が違う。白く透き通った象げ色をしたミンシアに比べると、こちらは日焼けしている。髪も赤に近い茶髪だし、顔立ちもはっきりしている。サーフィンで日焼けした白人、というような雰囲気だ。人種自体が違うように見える。
「お、落ち着きたまえよ……。よく見てなさい」
人形は目を閉じた。すると、皮膚や髪の色が変わっていく。しかも顔立ちまで変わっていく。
「双子でもない人間が、突然現れた自分と同じ顔を見続けるという状況は精神衛生上よくない。それにもし、二人して同じ顔という写真を撮影されたら、かえってよくないだろう?この子は特別製の可動シリコンチップを基材に使っている。顔や皮膚の色、髪質や目の色まで君と同じに出来る」
「他の人の顔にもなれる?」
「必要が無いからその機能は無い」
人形は目を開けた。
ミンシアと、まったく同じ顔だ。
その顔がうやうやしくかしづいて、スカートの裾を持って拡げた。
「いかがでしょう?御主人様」
「すごい……」
当のミンシアはぽかんと口を大きく開けて、人形に近づき、
「すごいわ!きゃあ!すごい!すごい!貴方、名前は!?」
「お褒めに預かり、恐縮です。ミズ・ミンシア。私は汎用自動人形試作タイプ03-M……」
「違うわ、名前!それは名前じゃない」
まくしたてるミンシアはフウを振り向き、
「フウさん!この子、ジョージみたい。マジメ過ぎ!ねえ、名前は?」
「ないよ、ミンシアさん。あたしの人形に、名前はない。……」
「ええ?そんな……」
「好きに付けたらいい」
「きゃっ、やったあ!何にしよう」
ミンシアはすっかりはしゃいでいる。まるで女学生が友達にするようにまとわりつき、人形の頬を両手で包み、
「名前……シャオミン(暁明)。シャオミンにする」
「仰せのままに」
人形は微笑み頷く。
ミンシアは拳を固め、
「やった!シャオミン!シャオミン!貴方はシャオミンよ」
「中国語の名前だね。『夜明け』?」
フウだ。
ミンシアは笑い、
「ええ。いいでしょう?」
「そうだね。夜明け。夜明けか」
フウは繰り返し呟く。意味ありげだ。
そんなフウに気づかず、ミンシアは笑顔で人形を抱きしめる。
「フウさんありがとう!こんな素敵な人形をくれるなんて!貴方いい人ね!」
「どういたしまして。注意事項を書いた書類を後で渡すよ」
「人間と同じ扱いでいいんでしょ?ゴハン食べさせて、洗ってあげてさ」
「そんなのは自分でやるよ。メイド機能がついているくらいなんだから。君より上手さ。それよりもっと根本的な事。その子は人間よりずっと弱いんだ」
「え?」
「君は人間の女の子なんだ。ミンシアさん。もし何かあったら、と思うとね。予防措置さ。ロボット三原則を原則としない人形だ。人間に危害を加えるなどまずありえないだろうが、人形の弱化がどんな可能性にもより適した措置となるなら、仕方ない」
「そう……。いいわ、この子は私よりずっと弱い女の子なのね。大丈夫よ。妹みたい」
ミンシアは微笑み、
「守ってあげる」
「恐縮です、ミズ……」
「ミンシアでいいわ。それと、そんなにかしこまった口調やめてね。なんだかこっちも緊張しちゃう。もっと砕けた話し方にして」
「はい、ミンシア。ありがとう。--こうですか?」
「……そうね。慣れていけばいい事だわ。私の口調を真似するとかさ」
ミンシアはフウに振り返り、
「飛行機には乗れるの?」
「連れて帰るのかい?航空会社へ見せる書類を揃えてあげよう」
「ありがとう!」
「いいんだよ、どうせ、あたしの持ち会社だ。今後もしどこかへ輸送したい時は一言あたしに言ってくれれば書類を揃えるよ」
「どうして?この子は私のいない部屋に置くための人形でしょ?きっと今回きりよ、飛行機なんて。--あ、でももしかしたら何かでこの子が必要になって一緒に撮影旅行とか行くようになるかもね。OK、分かったわ、フウさん。ありがとう」
「……」
清々しいほど笑顔のミンシアに対して、フウはどこか悩ましげだ。
「フウさん?」
フウは顔を上げ、ミンシアの顔を見た。遠くを見るような目だ。
「喜んでもらえて、嬉しいよ」
「どうしたの?」
「……ミンシアさん。人形は人形だ。決して人間じゃない。人形を、人間扱いしてはいけない。それだけは、覚えていて欲しいんだ」
「ええ。分かったわ。大丈夫!私は分別ある人間だもの」
笑顔のミンシアに、フウは。
「ああ、そうだね……」
目を閉じてそう呟いた。
「嬉しいな、嬉しいな!女友達が出来た!ねえ、貴方は中国語分かる?」
ミンシアはにこにこと笑い、屋敷のロビーを出て階段を下りる。
シャオミンと名づけられた人形は静かに下りて来た。
茶色い髪に戻っている。シャオミンは頷き、
「はい。私は多言語対応型ですので」
「そういう時は、『何語でも任せといて!』って言うといいわよ。その方が私らしいもの。ジョージみたいね、貴方の喋り方」
「ジョージ……、フウ様のお知り合いの方ですね。阿紫花のお友達」
「?」
何か違和感を感じ、ミンシアがそれを問い返そうとした時だった。
白い階段の下から、声が聞こえた。
「お~、中国の姐ちゃんじゃねえか!」
阿紫花だ。白いずくめのスーツとコートで、傍らに『しろがね』のような大きなスーツケースを携えている。空港からの帰りだろうか。背後にはフウのリムジンが停車している。
「阿紫花!こんにちは!元気?」
「元気でさ。ああ、相変わらずカワイイっすね。やっぱ東洋人の顔が一番見てて落ち着く」
「ヤダ、ジョージに言いつけるわよ。ジョージは?一緒じゃないの?」
「さあ?多分アフリカじゃねえかねえ?今回はみんなバラバラだったんでね。ギイさんは南米だって言うし……ま、治安の悪い国ばっかでさ。あたしは言葉分かンねえから、近場しか行かねえけど」
軽口は変わらない。阿紫花はへらへら笑って煙草を咥えている。
「阿紫花忙しいの?」
「いんえ、別に。ただ客商売っすからねえ。インテリマフィアやギャング相手に人形操ってるだけですけどね、『お客さん』はいくらでもいやすから」
人形を、軍やそれにまつわる金儲けのタネにしようと画策する人間相手の旅を、彼らは続けている。
「人形作ってるだけよりゃ、ずっとあたしに向いてやすよ」
「ああ、そうだ。この人形も、貴方が作ったの?」
ミンシアの背後に人形を見つけ、阿紫花は、
「ああ、持って行くんですかい?あたしが全部作ったワケじゃねえですよ。途中で飽きちまいやしてね。放り出したのを、フウさんがアンタ用に仕立てたってだけ。あたしはほとんど手をかけてやせんよ」
「ふうん。……」
「そうかい、お前ェさん、この姐ちゃんのトコへ行くんですかい」
阿紫花はシャオミンの頭に手を載せる。
シャオミンは瞬きもせず、
「ミンシアから、シャオミンという名前を頂戴しました」
「そのジョージみてえな喋り方、結局直ンなかったんですかい」
阿紫花は苦笑する。
「何でもいいや。元気でな」
「はい。あなたも。阿紫花」
--阿紫花は屋敷へ入って行くと、阿紫花が降りたリムジンのドアが開いた。運転手が顔を見せる。おそらく彼も、人形だ。
リムジンの後部座席で、ミンシアは、
「……阿紫花と、友達なの?呼び捨てだし……」
「いいえ。阿紫花は私の体幹骨格殻と人工内臓、内耳器官や眼球、表情筋、思考器官を作っただけです」
「じゃあほとんど作ったって事じゃないの!?」
「作っただけです。組み立てずに、私は放っておかれました」
「どうして?……」
「分かりません。組み立ててくれたのはフウ様です。貴方にちょうど良い人形が欲しいから、と。私の思考器官の演算処理はフウ様によって始まりました」
シャオミンは一点を見つめ、
「私の思考に、阿紫花は関わってはいません。ですが、……」
「ですが、何?」
「……演算処理できません。言語化不可能な矛盾したオーダーです。負荷発生。……オーバーヒートによる再起動を予測したとしても、処理しきれない矛盾したデータです」
突然シャオミンが言い出したので、ミンシアは目を丸くする。
「求められたオーダーにはお答えできません、ミンシア」
「どういう事?」
「私の思考器官は学習機能優先で構築されています。貴方のオーダーに添えるように、学習機能を最優先で作ったのです。私は貴方になるために生まれてきたのです」
「……」
「ですから、言語化できない、もしくは今の私では演算処理するための情報が不足していると判断した場合、私はオーダーにお答えできません」
「……情報の不足?」
「言語化できないものはお伝えできません」
「……出来るように、なるの?」
ミンシアはフウの言葉を思い出す。自動人形はロボットではない。ロボットよりも、はるかに融通の効くはずなのだ。
だがシャオミンは、
「分かりません」
「え~……」
「この世には言葉に出来ないものがある、と、ばらばらの私を作りながら阿紫花は言いました。彼を呼び捨てにしてしまうのは、阿紫花を誰かが『阿紫花』と読んでいたのを私の部品が--擬似脳漿に浸された思考器官と眼球、内耳で記憶しているからです。阿紫花を呼んでいた、それが誰だったかまでは、稼働率が低かったために容量を維持できず、記憶しておりません」
ジョージかギイだろう。ミンシアはそう思った。
シャオミンは独り言のように、
「私は人間ではありませんから、言葉に出来ない、つまり言語化できないオーダーは演算のしようがないのです。でも阿紫花は分かっていながら、私を、人形を途中まで作った。その意味が私には分からない。人形遣いである彼が、言葉に出来ない事象を、人形が理解できると思っているはずがないのに。なぜ私は、ばらばらのまま放って置かれたのでしょう?」
「……」
「でも安心して、ミンシア。私は貴方のために生まれてきたのです」
シャオミンはそう言って、青い目で微笑んだ。
「貴方のために、学習します」
⇒NEXT
続きはハリウッドで。百合ではないはず。
「最後まで覚えててもらいたいんだけどね。あたしの作る人形には、本当にロボット三原則はないんだよ」
英国の屋敷である。客間の大窓の前の書き物机に肘をつき、フウは顔をあげて客人を見た。
楽しんでいるとも、どこか迷ってもいるとも取れるような顔だ。
「ロボット三原則は知ってるかい?」
客--椅子に腰を下ろしていたミンシアは首をかしげ、ハーブティーを啜った。
「知らないわ。何それ」
「SF小説家アイザック・アシモフが考えた、ロボットの基本的行動原則だよ。『1・ロボットは人を傷つけてはいけない』『2・第一項を守れる範囲で、人間に服従せよ』『3・第一・第二項を守れる範囲で、自らを守れ』。簡単に言うとこんな感じだね」
「ふうん、なんかよく分からないけど、正しいんじゃないかしら。人間を傷つけないのは、大事なことよ」
ミンシアは微笑む。もしその三原則をフランシーヌ人形が考えてたなら、父もルシールも死なずに済んだだろう。ミンシアは歯を見せて笑った。
「もしかして、あなたなんじゃないの?その……アシモフって小説家?」
「あははは、こりゃ一本取られたねえ!残念だけど、あたしには発想力も空想力も無い。自動人形を見た事もないはずの人間にそんな原則が考えられたって事に、驚くばかりだよ。まったく、人間のイマジネーションには驚くよ……」
「フウさん?……」
「--だけどあたしの人形には、ロボット三原則は存在しない。以前、君らの前であたしはメイド人形たちに刀であたしを傷つけさせた。あれはロボット三原則の第一項に違反している」
「ああ……。そうよね。大丈夫なの?……」
ミンシアは不安そうに、先ほどお茶を入れてくれたブルネットのメイド人形を見上げる。計算して作った、美しい顔立ちだ。
人形は目が合うと、にっこりと微笑んだ。それでもミンシアは戸惑い顔を隠せない。
フウは笑い、
「はは、大丈夫だよ、大丈夫。ロボット三原則というのは、確かに正しく見える。人間を傷つけないのは確かに大事だからね」
「そうよ!」
「でも現実にロボット三原則を行動倫理コードに組み込んでしまうと、フレーム問題が発生する。フレーム、枠だ」
「?」
「無限に拡大する可能性を現在進行する現実空間では、有限であるロボットの人工知能は人間にとって最適化された結果を演算処理出来ない。例えば、--そこの人形がロボットだとしてだよ。あたしはお茶を淹れてくれと命じる。もちろん、最高の味をデータ処理して再現してくれるだろうね」
「もちろんですわ」と、人形はにこやかに微笑む。
「うん、ありがとう。だが、人形ではなくロボットであると仮定された彼女は、お菓子は持ってこない。今朝早くにハロッズが新作のケーキを持ってきてくれたとしても、あたしが仕事で昨日から何も食べていなくても、あたしがお茶を入れる途中で心臓発作を起こしたとしても、綿密な演算処理の結果として最高のお茶を淹れてくれる……」
メイド人形は眉を曇らせ、
「そんな事ございませんわ、フウ様!」
「ああ、分かっているよ。君はあたしの人形だ。ロボットじゃあない。だからこうしてあたしは五体満足でハロッズのケーキを食べながら最高の味のお茶を飲んでいられる」
ミンシアの前にも、ケーキの皿は置いてある。ただもう空っぽだ。
お茶も最高の味だった。だがミンシアはそれでも疑う目だ。
フウは苦笑し、
「有限を前提としたロボット三原則を組み込んだロボットというのは、無限の可能性に対処できない。現実的じゃないだろう?様々な場合に不具合を発生させるだろう」
「だから三原則は要らないの?」
「不要不必要ではない。より良い結果のためにあたしは最適化した方法を使うというだけだ。あたしの世話をしてくれる人形には、あたしの変化するその時々に見合った対処をしてくれるよう、プログラムしてある。記憶容量の問題で外部とオンラインできないから自己学習機能はわずかだがね。それでも言われた事は守るし、彼女らなりに働く事が面白いという達成感も学習機能で与えてある。三原則では成立しない、生きる面白さみたいなモノもそれなりにね……」
「……ふうん。いいわ、なんでも。前にフランシーヌ人形が作った自動人形たちみたいに人を殺して回るような事をしなければ。でもフウさん、自動人形たちは人工知能より頭いいの?だってそういう事なんでしょ?自分で学習してたじゃない、アルレッキーノだっけ?パンタローネも。人間を傷つけない、って」
「演算処理能力を数値化して比較しても、大して意味は無いね。彼らがあれだけ自由に動き回ったり、記憶を持つ事が出来たのは、彼らが多分に魔術的な技術で出来上がっているからだ。柔らかい石を模した擬似『生命の水』の効果だろうね。あの石のおかげで彼らは精神に似たものを得た。それは現在の科学技術には出来ないよ。心を生み出す事はね」
「心……、分からないわ。私には」
ミンシアは目を伏せた。
「父さんやルシールを殺した自動人形たちが、私はまだ憎いわ。……アルレッキーノやパンタローネがいくら人類を守ってくれたと、頭では分かっていても……、私はきっと、ずっとどこかで憎んだままよ」
「それでいいんだよ。ミンシアさん」
フウは静かに言った。
「だからあたしたち『しろがね』は作られた」
「……」
「人が人である限り、過去が悲しいのは当たり前さ。……」
どこか悲しげなフウの言葉に、ミンシアは息を飲んで顔を上げる。
フウはニッコリと笑い、
「一人じゃないさ」
「……」
「--淋しいのはイヤだろう?だからあたしは人形を作ったのかも知れないね。この子達がいれば淋しくない」
さあ、と、風が吹いてレースのカーテンが揺れた。風がフウの顔に、レースの陰影を落としている。
「--君に使ってもらう人形が、どうかそういう存在であった欲しいんだよ、あたしは」
「……フウさん」
「ご紹介しよう。いずれ世界的大女優となるだろう、リャン・ミンシアの人形だ」
フウが芝居がかった調子で指を鳴らすと、背後の本棚が一斉に動き出した。ばたばたと本棚の表裏がひっくり返る。現れたのは銀色に覆われた数え切れない医療機器だ。
医療機器のある棚の奥には部屋があった。天窓のような白い光が差し込むその小部屋に、一人の美しい女性が座っている。
「はじめまして。ミズ・ミンシア……」
「……フウさん」
それを見ていたミンシアは、怒りの声を上げた。
「どういう事よ。全然私じゃないじゃない!パパラッチ対策兼メイドの人形をタダでくれるって言うからイギリスまで来たのに!」
ミンシアは人形を指差し、怒鳴り散らした。確かに似ていない。
まず肌の色が違う。白く透き通った象げ色をしたミンシアに比べると、こちらは日焼けしている。髪も赤に近い茶髪だし、顔立ちもはっきりしている。サーフィンで日焼けした白人、というような雰囲気だ。人種自体が違うように見える。
「お、落ち着きたまえよ……。よく見てなさい」
人形は目を閉じた。すると、皮膚や髪の色が変わっていく。しかも顔立ちまで変わっていく。
「双子でもない人間が、突然現れた自分と同じ顔を見続けるという状況は精神衛生上よくない。それにもし、二人して同じ顔という写真を撮影されたら、かえってよくないだろう?この子は特別製の可動シリコンチップを基材に使っている。顔や皮膚の色、髪質や目の色まで君と同じに出来る」
「他の人の顔にもなれる?」
「必要が無いからその機能は無い」
人形は目を開けた。
ミンシアと、まったく同じ顔だ。
その顔がうやうやしくかしづいて、スカートの裾を持って拡げた。
「いかがでしょう?御主人様」
「すごい……」
当のミンシアはぽかんと口を大きく開けて、人形に近づき、
「すごいわ!きゃあ!すごい!すごい!貴方、名前は!?」
「お褒めに預かり、恐縮です。ミズ・ミンシア。私は汎用自動人形試作タイプ03-M……」
「違うわ、名前!それは名前じゃない」
まくしたてるミンシアはフウを振り向き、
「フウさん!この子、ジョージみたい。マジメ過ぎ!ねえ、名前は?」
「ないよ、ミンシアさん。あたしの人形に、名前はない。……」
「ええ?そんな……」
「好きに付けたらいい」
「きゃっ、やったあ!何にしよう」
ミンシアはすっかりはしゃいでいる。まるで女学生が友達にするようにまとわりつき、人形の頬を両手で包み、
「名前……シャオミン(暁明)。シャオミンにする」
「仰せのままに」
人形は微笑み頷く。
ミンシアは拳を固め、
「やった!シャオミン!シャオミン!貴方はシャオミンよ」
「中国語の名前だね。『夜明け』?」
フウだ。
ミンシアは笑い、
「ええ。いいでしょう?」
「そうだね。夜明け。夜明けか」
フウは繰り返し呟く。意味ありげだ。
そんなフウに気づかず、ミンシアは笑顔で人形を抱きしめる。
「フウさんありがとう!こんな素敵な人形をくれるなんて!貴方いい人ね!」
「どういたしまして。注意事項を書いた書類を後で渡すよ」
「人間と同じ扱いでいいんでしょ?ゴハン食べさせて、洗ってあげてさ」
「そんなのは自分でやるよ。メイド機能がついているくらいなんだから。君より上手さ。それよりもっと根本的な事。その子は人間よりずっと弱いんだ」
「え?」
「君は人間の女の子なんだ。ミンシアさん。もし何かあったら、と思うとね。予防措置さ。ロボット三原則を原則としない人形だ。人間に危害を加えるなどまずありえないだろうが、人形の弱化がどんな可能性にもより適した措置となるなら、仕方ない」
「そう……。いいわ、この子は私よりずっと弱い女の子なのね。大丈夫よ。妹みたい」
ミンシアは微笑み、
「守ってあげる」
「恐縮です、ミズ……」
「ミンシアでいいわ。それと、そんなにかしこまった口調やめてね。なんだかこっちも緊張しちゃう。もっと砕けた話し方にして」
「はい、ミンシア。ありがとう。--こうですか?」
「……そうね。慣れていけばいい事だわ。私の口調を真似するとかさ」
ミンシアはフウに振り返り、
「飛行機には乗れるの?」
「連れて帰るのかい?航空会社へ見せる書類を揃えてあげよう」
「ありがとう!」
「いいんだよ、どうせ、あたしの持ち会社だ。今後もしどこかへ輸送したい時は一言あたしに言ってくれれば書類を揃えるよ」
「どうして?この子は私のいない部屋に置くための人形でしょ?きっと今回きりよ、飛行機なんて。--あ、でももしかしたら何かでこの子が必要になって一緒に撮影旅行とか行くようになるかもね。OK、分かったわ、フウさん。ありがとう」
「……」
清々しいほど笑顔のミンシアに対して、フウはどこか悩ましげだ。
「フウさん?」
フウは顔を上げ、ミンシアの顔を見た。遠くを見るような目だ。
「喜んでもらえて、嬉しいよ」
「どうしたの?」
「……ミンシアさん。人形は人形だ。決して人間じゃない。人形を、人間扱いしてはいけない。それだけは、覚えていて欲しいんだ」
「ええ。分かったわ。大丈夫!私は分別ある人間だもの」
笑顔のミンシアに、フウは。
「ああ、そうだね……」
目を閉じてそう呟いた。
「嬉しいな、嬉しいな!女友達が出来た!ねえ、貴方は中国語分かる?」
ミンシアはにこにこと笑い、屋敷のロビーを出て階段を下りる。
シャオミンと名づけられた人形は静かに下りて来た。
茶色い髪に戻っている。シャオミンは頷き、
「はい。私は多言語対応型ですので」
「そういう時は、『何語でも任せといて!』って言うといいわよ。その方が私らしいもの。ジョージみたいね、貴方の喋り方」
「ジョージ……、フウ様のお知り合いの方ですね。阿紫花のお友達」
「?」
何か違和感を感じ、ミンシアがそれを問い返そうとした時だった。
白い階段の下から、声が聞こえた。
「お~、中国の姐ちゃんじゃねえか!」
阿紫花だ。白いずくめのスーツとコートで、傍らに『しろがね』のような大きなスーツケースを携えている。空港からの帰りだろうか。背後にはフウのリムジンが停車している。
「阿紫花!こんにちは!元気?」
「元気でさ。ああ、相変わらずカワイイっすね。やっぱ東洋人の顔が一番見てて落ち着く」
「ヤダ、ジョージに言いつけるわよ。ジョージは?一緒じゃないの?」
「さあ?多分アフリカじゃねえかねえ?今回はみんなバラバラだったんでね。ギイさんは南米だって言うし……ま、治安の悪い国ばっかでさ。あたしは言葉分かンねえから、近場しか行かねえけど」
軽口は変わらない。阿紫花はへらへら笑って煙草を咥えている。
「阿紫花忙しいの?」
「いんえ、別に。ただ客商売っすからねえ。インテリマフィアやギャング相手に人形操ってるだけですけどね、『お客さん』はいくらでもいやすから」
人形を、軍やそれにまつわる金儲けのタネにしようと画策する人間相手の旅を、彼らは続けている。
「人形作ってるだけよりゃ、ずっとあたしに向いてやすよ」
「ああ、そうだ。この人形も、貴方が作ったの?」
ミンシアの背後に人形を見つけ、阿紫花は、
「ああ、持って行くんですかい?あたしが全部作ったワケじゃねえですよ。途中で飽きちまいやしてね。放り出したのを、フウさんがアンタ用に仕立てたってだけ。あたしはほとんど手をかけてやせんよ」
「ふうん。……」
「そうかい、お前ェさん、この姐ちゃんのトコへ行くんですかい」
阿紫花はシャオミンの頭に手を載せる。
シャオミンは瞬きもせず、
「ミンシアから、シャオミンという名前を頂戴しました」
「そのジョージみてえな喋り方、結局直ンなかったんですかい」
阿紫花は苦笑する。
「何でもいいや。元気でな」
「はい。あなたも。阿紫花」
--阿紫花は屋敷へ入って行くと、阿紫花が降りたリムジンのドアが開いた。運転手が顔を見せる。おそらく彼も、人形だ。
リムジンの後部座席で、ミンシアは、
「……阿紫花と、友達なの?呼び捨てだし……」
「いいえ。阿紫花は私の体幹骨格殻と人工内臓、内耳器官や眼球、表情筋、思考器官を作っただけです」
「じゃあほとんど作ったって事じゃないの!?」
「作っただけです。組み立てずに、私は放っておかれました」
「どうして?……」
「分かりません。組み立ててくれたのはフウ様です。貴方にちょうど良い人形が欲しいから、と。私の思考器官の演算処理はフウ様によって始まりました」
シャオミンは一点を見つめ、
「私の思考に、阿紫花は関わってはいません。ですが、……」
「ですが、何?」
「……演算処理できません。言語化不可能な矛盾したオーダーです。負荷発生。……オーバーヒートによる再起動を予測したとしても、処理しきれない矛盾したデータです」
突然シャオミンが言い出したので、ミンシアは目を丸くする。
「求められたオーダーにはお答えできません、ミンシア」
「どういう事?」
「私の思考器官は学習機能優先で構築されています。貴方のオーダーに添えるように、学習機能を最優先で作ったのです。私は貴方になるために生まれてきたのです」
「……」
「ですから、言語化できない、もしくは今の私では演算処理するための情報が不足していると判断した場合、私はオーダーにお答えできません」
「……情報の不足?」
「言語化できないものはお伝えできません」
「……出来るように、なるの?」
ミンシアはフウの言葉を思い出す。自動人形はロボットではない。ロボットよりも、はるかに融通の効くはずなのだ。
だがシャオミンは、
「分かりません」
「え~……」
「この世には言葉に出来ないものがある、と、ばらばらの私を作りながら阿紫花は言いました。彼を呼び捨てにしてしまうのは、阿紫花を誰かが『阿紫花』と読んでいたのを私の部品が--擬似脳漿に浸された思考器官と眼球、内耳で記憶しているからです。阿紫花を呼んでいた、それが誰だったかまでは、稼働率が低かったために容量を維持できず、記憶しておりません」
ジョージかギイだろう。ミンシアはそう思った。
シャオミンは独り言のように、
「私は人間ではありませんから、言葉に出来ない、つまり言語化できないオーダーは演算のしようがないのです。でも阿紫花は分かっていながら、私を、人形を途中まで作った。その意味が私には分からない。人形遣いである彼が、言葉に出来ない事象を、人形が理解できると思っているはずがないのに。なぜ私は、ばらばらのまま放って置かれたのでしょう?」
「……」
「でも安心して、ミンシア。私は貴方のために生まれてきたのです」
シャオミンはそう言って、青い目で微笑んだ。
「貴方のために、学習します」
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続きはハリウッドで。百合ではないはず。
エレと鳴海と阿紫花とジョージ。コメディ。
生き残りパラレル。黒賀村にて。
生き残りパラレル。黒賀村にて。
習うより慣れろ
恋する女は美しい--と、昔誰かが言ったが阿紫花は信じてはいなかった。気持ち一つで容姿が変われるなら苦労はない。それに色恋も泥沼ならば泥まみれのツラにしかならないからだ。男に殴られて目の周りを痣で染めて、それでも夜の街で生きる女なら山と見た。恋も愛もそりゃイイモノではあろうが、男に振り回されてそれでも幸せだと思い込んだブスッ面など、むしろ殴って捨てたい程嫌悪に駆られる。
同属嫌悪だと気づいたのはついこの間ではあるけれど。
黒賀村に帰ってきて数日。
その日阿紫花は、離れで人形の手入れをしていた。
新しくフウから与えられた人形を、阿紫花は気に入っているがギミックが多くて苦労している。しろがね専用の人形の複雑さだけはどうにも慣れない。技巧派を気取っていた阿紫花ではあるが、しろがねの世界ではそのテクもチャチなものだ。今なら分かる。もしギイのオリンピアを動かせと言われたら逃げ出したくなっているだろう。ギミックが多く、手数が多い人形の繰りは骨が折れる。
「あるるかん」が練習用だというのは、すぐに体で理解できた。ギミックが少ない、パワーで勝負する人形だからだ。実践ではタイミングで勝負しなくてはいけないから、変にギミックの多いオリンピアに比べれば、これもまた操手を選ぶ人形という事になるだろうが、それでも操りやすい。隠し手や隠し武器の多い人形は、使いこなせなければパワータイプの人形に簡単に負ける。しろがねの集中力や体力がなければ、とてもではないが操りきれない。
阿紫花の新しい人形は、操手である阿紫花には不釣合いなのだ。
オリンピアのギミックと、あるるかんのパワー。そのどちらも兼ね備えた--といえば聞こえはいいが、要は真ん中取りだ。プラスもマイナスも減っている。人間である阿紫花だから、それくらいでちょうどいいだろうとフウもギイも言うが、阿紫花は釈然としない。操りやすいだけの人形に用はない。欲しいのは、戦場に立てるだけの人形だ。
「気に入らなければ、君が改造しろ。それはもう君のものだ」
ギイは阿紫花の首に指を当て、
「君が好きにしろ。だが壊れたらそれで終わりだ。代わりはない。しろがねはそうなんだよ。自分の人形を壊してしまったら、後は自分の体の中の『生命の水』くらいしか武器がない」
怖いほど冷たい顔で、ギイは阿紫花に釘を刺す。
「この人形が壊れたら、君も壊れる。それくらいの覚悟で操れ。出来なければ操り人形は諦めて、メイド人形でも作るんだな。そっちも人手はいつでも欲しいんだ。君みたいな人間でも、人形作りの腕があるから、戦場になど行かなくても生きて行ける」
それじゃ意味がねえ、と笑った阿紫花にギイは、
「では意味ある生き方のために努力をしたまえ。君がどう思っているかは知らないが、僕は努力を笑ったりしない。この世には、天賦の才など存在しないからだ。努力だけが自分の力だ、阿紫花」
努力したまえ。
……そう言われたので、阿紫花は自分なりに頑張ってはいる。
「でも、あたしただの人形使いでやすからね……。しろがねたちみてえに、知識まではそんなに持ってねえのになあ」
夜の街の歩き方とか、女の落とし方ならよっく知っているが。
「白銀とかいう人の記憶がありゃ、ちっとはマシなんでしょうけどよ……」
薄暗い離れの土間に人形を置き、阿紫花は首を傾げる。隅から隅まで、など、分かるはずがない。自分が作ったものではないし、阿紫花の知らない機能もあるかも知れない。
「……ま、何とか、しやすかね……」
自分がこれまで見てきた人形の記憶なら、鮮明に残っている。抱いた女の股座以上にははっきりしている。
よし、と、呟いて、阿紫花は人形の手入れを始めた。
服を脱がせ、四肢の外側の殻を外し、中を確かめる。見た限りでは手足に異常はない。歯車も磨耗していないし、噛み合せも綺麗なものだ。糸を引っ張っても、キリリと綺麗な稼働音が聞こえるだけだ。感触も悪くない。
胴体部分を開いた。
その時、土間の入り口から声がした。
「すいません……誰か」
聞き覚えのある澄んだ女の声だ。阿紫花は振り向く。
「あ?姐ちゃん」
「阿紫花……さん」
エレオノールだ。袖の無い地味な白のハイネックTシャツにジーンズ、という格好だが、体の線の美しさが際立って見える。
エレオノールが日仏混血と阿紫花は以前に知ったが、異人種の混血は時に純血の何倍も美しく見えるらしい。白人のバタ臭さも日本人の平坦さも見られない代わりに、彫りが深いのにどこかあどけなく若く見える。銀髪になって目立つのもあるだろうが、エレオノールは確かに生まれ付いて父母の長所を受け継いでいるようだ。
「さん付けなんぞ要りやせんよ。姐ちゃんにそう呼ばれっと、なんか痒ィや。前は男みてえにあたしを怒鳴りつけてたのによ」
「……」
「阿紫花、で構いやせんよ。懐かしく思えるくれえだ。ま、入って座ったらどうだい。ジョージならいねえよ」
「知ってる。サーカスの設営を、手伝ってくれているから」
「はは、鳴海兄さんと力仕事やらせるなら適任っすからねえ。あ、茶ならそこに缶あっから、適当に飲んで下せェ。冷えてねえけど」
阿紫花は顎で転がっている缶を示し、エレオノールに背を向け、人形の調子を見る。話があってきたのなら、適当に話していくだろう。そう思った。
エレオノールは離れを見回した。八畳ほどの土間の奥に、部屋が数室あるだけの離れだ。物置きめいて、物が多い。古いダンボール箱が並んでいたり、古書が並んでいたりして、子どもの秘密の遊び場としては最適だろう。誰がかつて使ったのか分からない、スポーツカーを模した古い足こぎ車が、エレオノールの足元に置いてあった。
時の流れを感じ、エレオノールは他人の事ながらどこかで懐かしさを覚えた。きっと誰にでも、しろがねにも共通する--郷愁だ。
「--で?鳴海の兄さんと、ケンカでもしやしたかい」
「え?」
エレオノールは阿紫花の背を見る。
阿紫花は手を休めず、
「だってあんたがあたしに用があるワケねえもの。あるとしたら、この村にもサーカスにも関係ねえこった。しろがねの話ならギイさんのトコ行くだろうし、あんたの今の生活の中で、村ともサーカスとも関係ねえモンがあるとしたら、鳴海の兄さんとの男と女の話ぐれえっしょ」
「……」
「しかも多分、男の意見を聞きたいってトコじゃねえかい?--浮気でもされたかよ」
「いいえ!いいえ--でも、いっそそれなら、どれだけ……」
そいつは穏やかじゃない。
阿紫花は振り向いた。
エレオノールは土間に立ち尽くし、耐えるように目を伏せている。
「……こっち座ンなせえよ」
阿紫花は煙草を取り出し、自分の隣を示す。人形を間に挟むようにして、二人は上がり口に座り込んだ。
プフー、と煙を吐いて阿紫花が問うた。
「で?何がどうしたってんで?」
「その……阿紫花」
何故かエレオノールは真っ赤だ。
その顔を見て、阿紫花は「随分可愛くなっちまいやがってなあ」と、記憶の中のキツイ顔のエレオノールを思い出す。今の顔の方が、断然親しみやすい。
「私は……その、魅力がないんだろうか」
「あ?」
「私を見て、……その、……だ、抱き、た、いとか」
阿紫花は急いで周囲を見回した。ギイがもし聴いていたら、どんな目にあわせられるか分からない。
まるでエレオノールが阿紫花にアプローチを仕掛けているような構図ではあるが、エレオノールは他意の無い顔で阿紫花を見ている。
「阿紫花?」
「(いねえ!良かった!)……や、こっちの事……。あの、なんでそんな風に思うんでさ」
「鳴海と、まだ、……ないのです」
かあ~、と聞こえそうなほど、エレオノールの顔が赤くなる。とても可愛い。
こりゃ手を出すなって方が酷だわ……、と阿紫花はヴィルマの気持ちを理解するが、実際に手を出したらどんな目に合うか。ジョージよりギイのが怖い。
「あんたら、あの列車で何日も二人きりだったんじゃねえか」
「あ、あんな時に何を……。それに鳴海はあの時、私を忘れていた……」
記憶を失って、エレオノールの出生の秘密を曲解したために鳴海はエレオノールを憎んでいた。
「……私を思い出しても、鳴海はあの時、先がないからと私を突き放していた……」
「じゃあ今は好き勝手ヤリまくンなよ。いいね~若いって。何発でもヤりゃいいじゃねえか」
イヒヒヒヒ、と中年男の顔で阿紫花が笑うが、エレオノールは顔を曇らせ、
「そ、そう、ですよね……男の人って」
「……あンですね。今のは立派な、セクハラっちゅーんじゃねえのかね」
「そうなのですか?」
エレオノールは本気でそう問う。
マジで経験無ぇのか、と阿紫花は心の中で目を丸くする。
こりゃちっと世間擦れが必要だわ、と阿紫花は思い、
「言っときやすが、あたしただの中年男なんですぜ。あたしに相談していいんですかい?男も相手に出来るが女のが断然好きな、ヤクザ者だってお忘れじゃねえかい?前にあんたの服裂いてやったの忘れたかい……」
阿紫花は蛇のような目で見るが、エレオノールは怖じず、
「私は貴方よりずっと強い。貴方に襲われても、私は勝てる。それに貴方は、昔とは違う気がする」
「あたしの何を知ってるってんで?」
「目が、」
優しくなった、と、エレオノールは言った。
「坊ちゃまを守ってくれた」
「……」
信用してるって事か?それにしてもちと無防備すぎるとは思うが、--悪い気はしなかった。エレオノールのまっすぐな、しかし暖かい目の奥を見つめていると、確かに時の流れを実感できた。
この娘も、以前は冷たい人形の目だった。
「……サーカスの女に聴きゃいいじゃねえっすか」
「ヴィルマは私に迫ってくるし、後の二人は子どもだから。村の女性たちに知り合いはいないし、……私は、他に友達がいない」
「……仕方ねえなあ」
阿紫花は笑った。
「話だけでも、聴きやしょ……」
「ありがとう」
エレオノールは、そう言って微笑んだ。
歯車の手入れを、それぞれ左右に分かれて、阿紫花としろがねは行い始めた。話の合間に手が空くのは勿体ない、と阿紫花もしろがねも思ったのだ。
それに何かしていた方が、しやすい話もある。
「避けられているわけではないと思う。鳴海は皆とも、打ち解けているし、私にもとても優しい」
エレオノールは柔らかい布で歯車を優しく磨く。
「でも、皆が気を遣って二人きりにしてくれたり、……宿でも二人きりになるように部屋を割り振ってくれたり、してくれても、鳴海は……」
「何もしねえのかい」
阿紫花は糸を調節しながら、胴体部の巻き込みに手を加えている。
「私を抱きしめて終わり。別々のベッドで寝るだけ」
「そりゃ勿体ねえな」
「そうなの。部屋代だって割高なはずなのに!」
「……(男としてアンタに手を出さないのは勿体ないって話)で、何も言って来ねえのかい、鳴海の兄さんは。普通男の方がヤリたがるもんなのにな」
「わ、私は別にそんな……」
「あ?女が誘ったっていいじゃねえか。それに、そんな事したってアンタが淫乱だとかってんじゃねえでしょ」
「い、淫ら……」
絶句するエレオノールに、阿紫花は眉をしかめ、
「……言葉が悪かったなら謝りやすよ。話進まねえじゃねえか」
「……分かった。……私たちはしろがねだから、多分、人間よりはそういう欲望が少ないのだと思う。生殖能力も低い。過去に生まれたしろがねの子どもは私だけだと言うくらいだから。……鳴海も、もしかしたら……」
「……インポ?」
今度は阿紫花が絶句した。それはない。しろがね-Oのジョージですらそういう欲求はあるし、機能もある。(充分すぎるほど)
ギイですら、あれでなかなか遊んでいるのだ。
だが男どものそんな顔など知らないエレオノールは、心配そうに、
「悩まないで言って欲しい……悩みがあるなら、分かち合いたい」
「いやそれは分かち合われても男としては切ないっつうか……、いや、ねえよ。無い無い。だってジョージだってあんな……」
「あんな?」
ぱっ、とエレオノールが顔を上げる。
もしかしたら、しろがねの性生活の情報が欲しくてジョージの連れである自分のところに来たのではないか、と、阿紫花は勘繰る。
「……少なくとも、あたしは満足してやすよ……」
「一ヶ月に何回するものなの!?一週間単位は?一日何回出来るのかしら?」
エレオノールは彼女なりに必死な顔だ。こんな薄暗い二人きりの離れで、彼女にこんな風に迫られ、そんな性的な話題を振られても、阿紫花としては切ないばかりだ(主に股間が)。
「……それ、答えなきゃいけやせん?」
「是非!私は私たちの事がもっと知りたい。キュベロンじゃ教えてくれなかった」
「学〇では教えれくれな〇事」とかいう番組だか本だかがあったなあ、と、阿紫花はうっすら思う。
「教えて、阿紫花。私と鳴海の未来のために!」
「あたしの羞恥心も思いやってくだせえよ……」
そしてジョージの下半身事情も思いやって、と、阿紫花は項垂れた。
「ジョージ、お前さ……」
テント設営の休憩中、何となく鳴海とジョージは離れた場所で二人だけで昼食を食べていた。鳴海は黒賀村婦人会の手作り弁当だが、ジョージは持参したパウチ入りの液体を飲むだけだ。
ジョージは気づき、手にしていたパウチを差し出し、
「……お前も欲しいのか」
「何それ」
「サイボーグ用の高蛋白アミノ酸。ミネラル入り経口摂取タイプ。お前が飲んでも適合する」
「いらねえよ。……そんなの食って、満足すんのか?」
「食欲はない。空腹もない」
「ああそう。……」
「だが、たまに味が知りたくなるな。それが食欲なのかは忘れた」
「……消化できンなら、食ってもいいんじゃねえか?」
「阿紫花と一緒ならな。酒だけでカロリーを満たそうとする馬鹿に栄養を取らせようと思ったら、一緒に食べないと駄々をこねる。どうしようもないんだ、あいつは」
「……」
ノロケじゃねーか、と、鳴海は言いたいが、ぐっとこらえ最後の一口を飲み込んだ。そして呟くように、隣のジョージに話しかけた。
「阿紫花さ……。痩せてるよな」
ジョージは遠くを見たままだ。設営したテントの張り具合と、サーカスのメンバーに異常が無いか、惰性で確認しながら答えた。
「ああ、そうだな」
「腰、細いよな」
「まあ、男だからな」
「ケツ、小せえ、じゃん」
「……」
「お前の、入ンの?……」
「殴っていいか」
ジョージは遠くを見たまま、
「本気で殴っていいか。いや、こんな時は確認を取るべきではない。殴る。殴らせろ」
「待てよ!」
「ボラがあればイリノイの決着をつける所だ。置いてきたから私の拳で勘弁してやる。殴らせろ」
「は、話が終わったら殴らせるって!話を聞けって」
「……何の話だ」
やっとジョージが振り向いて鳴海を見る。
鳴海は赤い顔で、
「……その、あのな。お前、女とやった事ある?」
「ノーコメントだ」
「……初めてって、困んなかった?」
「……何に」
「全然違ェじゃん!体の大きさが!女って大概小さくて細くてよォ、……その、悩ンでんだ。大きさで」
鳴海は真剣な顔で遠くの山々を睨んだ。
ジョージは機能停止の顔でそれを眺めている。
鳴海は必死な顔で、
「あんな細い腰なんだぞ!?ケツだって、全然俺より小せえし!それに俺--結構、デカいんだ」
「お前は何の情報を私から引き出したいんだ?」
「だから!入るか、って事!お前だって体でけえじゃん、阿紫花は、そりゃそんなに小さくはないけど、細いしよ。体格に差があるだろ。だから、その、……初めてで失敗とかしなかったのか、と思って」
「……なるほど。自分が失敗するのが怖いから、参考の体験談が欲しいのか。最初からそう言え」
「え、言ってたじゃん……話の流れとかで分かンねえ?普通」
「結論から話せ、面倒な男だな」
「お前はもう少し人の気持ちを察してもいいと思うぞ……」
「結論から言うと、お前はアホだ」
んだとぉ!と鳴海がいきり立つ。ジョージは顔色を変えず、
「私はそういったプライベートを他人に話したくない。だが、言わせて貰うなら、私と話すよりエレオノールにそう伝えるべきだという事だ」
「出来ンならやってるって……」
「加えて言うなら、成人女性の体はその行為に及べるよう出来ている」
「……なんか、マジメな言葉で喋ったほうが卑猥だな」
「ではこう言えと言うのか。セックスなんかやれば出来るものだ。いくらデカくても、やろうと思えば出来る。大体、そんなにデカいのか?エレオノールにベッドで鼻で笑われて終わりじゃないのか?」
「ジョージ、テメエ……しろがねはそんな女じゃねえよ!」
「私はお前のパートナーをけなす事はしない。お前と違ってな。人のパートナーの身体について、最初にアレコレ言うからだ。不愉快な」
尻が小さいとか、腰が細い、とかか。
鳴海は気づいて身を縮める。
「……そりゃ、……でも言い出すキッカケ、つうか」
「エレオノールもしろがねだ。さっきお前が言ったな。だから言うが、傷はすぐ塞がる」
「は?」
「だから、……裂けても、塞がるだろう」
今度は鳴海が絶句した。
ジョージは心配そうに、
「ヘタそうだからな。お前は」
「ど、どどどど!どんだけだと思ってんだ!テメエは!いくら俺だって、いくら初めてだって、そんな無茶あるか!」
「ならいいんだがな。エレオノールが気の毒だ」
ジョージがそう呟いた瞬間。
背後に陰が立った。
「……エレオノールが、どうかしたかい」
「黒賀村公民館」と書かれた薬缶を持ったギイが、立っていた。
お茶を持ってきてくれたのだ。
「ギ、ギイ」
「いつから……」
ギイは白磁の肌をさらに白く青くさせている。
「やれば出来るとか、サイズがどうとか……、君たちは、こんな太陽の下で誰の事を話していたんだい……?」
ゆらりとギイの陰が揺れる。
鳴海とジョージは青ざめ、
「ま、待て、落ち着け」
「私はただ経験の薄いコイツに相談されて--」
弁解も遅かった。
エレオノールの父親役と兄役を請け負っていた男は、怒りで色をなくした顔で、手術用のメスを両手に十本も持ち出し。
黒髪と機械の体のしろがねたちを追い掛け回した。
「あ、いい腕してんじゃん、あのハンサムガイ」
周囲の人間が「また何か面倒事が」と引く中、ヴィルマだけが感心していた。
「……なるほど、男性の機能に、問題はないはずなのですね。しろがねでも。一般の男性と比べても、遜色ないのですか」
ふむふむ、とマジメに頷くエレオノールの前で、阿紫花は「すいやせん、ジョージさん、ギイさん」と、項垂れている。ほとんどはジョージの話だが、機械の体では参考にならないかも、と、ギイの事まで持ち出してしまった。
「……お役に立てやして?」
「はい!ありがとう。これで鳴海に、少し聞いてみます。もし体に何か不具合があっての事なら、やっぱり私も協力すべきですから」
根がマジメなエレオノールは、そう決意して拳を固める。
男である阿紫花としては「ほっといてもらった方が精神的に楽なんじゃねえかなあ」とは思うが、当人たちの問題だ。口出しすべきではない。
エレオノールは何気なく、
「しろがねの男性と暮らす人間の女性はいたはずですものね。ルシール先生のように、人間の男性とお付き合いしていたしろがねの女性もいたし……愛があれば、きっと、乗り越えられるはずです」
「……」
「私はもう成果は求めない。ただ鳴海が悩んでいる事の一部でも、知る手がかりが欲しかった」
エレオノールは呟き、
「ありがとう、阿紫花。鳴海に、ぶつかってみます」
--ああ、綺麗な顔だなあ。
エレオノールの顔を見つめ、阿紫花はそう思った。
「恋する女の顔も、悪くないモンでやすねえ」
「え?」
「自分と相手次第って事なんですねえ、何事もさ」
阿紫花は煙草の煙を吐き、人形を見下ろした。
「こいつとじゃねえと歯車が噛み合わねえ--てなモンさ、色恋てのは」
あんた綺麗になりやしたねえ、と、阿紫花はエレオノールに言った。
「ギイのしょげ返った顔など、初めて見た」
ジョージは帰ってきてそう言った。
「エレオノールが一言言っただけで、まるで捨て犬のような顔になったよ」
ギイに追いかけられる鳴海とジョージを見つけ、サーカスに戻ってきたエレオノールは、
『鳴海と私の事に、ギイ先生は口を出さないで下さい!』
そう怒鳴って、ギイを叱り飛ばしたという。
「ギイめ、いいザマだ」
それを聴きながら、布団に寝転がり、土間の人形を眺めながら、阿紫花は呟く。
「今夜は、姐ちゃんと鳴海の兄さん、出かけるとか言ってたかい?……」
「さあ?だったら何なんだ?」
「……いんえ、別に」
後は当人たちの問題だ。そもそも阿紫花もジョージも、彼らの問題に巻き込まれるべきではなかったのだし。
「明日ギイさんを、慰めに行きやすかね……」
阿紫花は呟いて、煙草を灰皿に押し付けて布団を被った。
END
エレオノール大胆すぎるだろ。
恋する女は美しい--と、昔誰かが言ったが阿紫花は信じてはいなかった。気持ち一つで容姿が変われるなら苦労はない。それに色恋も泥沼ならば泥まみれのツラにしかならないからだ。男に殴られて目の周りを痣で染めて、それでも夜の街で生きる女なら山と見た。恋も愛もそりゃイイモノではあろうが、男に振り回されてそれでも幸せだと思い込んだブスッ面など、むしろ殴って捨てたい程嫌悪に駆られる。
同属嫌悪だと気づいたのはついこの間ではあるけれど。
黒賀村に帰ってきて数日。
その日阿紫花は、離れで人形の手入れをしていた。
新しくフウから与えられた人形を、阿紫花は気に入っているがギミックが多くて苦労している。しろがね専用の人形の複雑さだけはどうにも慣れない。技巧派を気取っていた阿紫花ではあるが、しろがねの世界ではそのテクもチャチなものだ。今なら分かる。もしギイのオリンピアを動かせと言われたら逃げ出したくなっているだろう。ギミックが多く、手数が多い人形の繰りは骨が折れる。
「あるるかん」が練習用だというのは、すぐに体で理解できた。ギミックが少ない、パワーで勝負する人形だからだ。実践ではタイミングで勝負しなくてはいけないから、変にギミックの多いオリンピアに比べれば、これもまた操手を選ぶ人形という事になるだろうが、それでも操りやすい。隠し手や隠し武器の多い人形は、使いこなせなければパワータイプの人形に簡単に負ける。しろがねの集中力や体力がなければ、とてもではないが操りきれない。
阿紫花の新しい人形は、操手である阿紫花には不釣合いなのだ。
オリンピアのギミックと、あるるかんのパワー。そのどちらも兼ね備えた--といえば聞こえはいいが、要は真ん中取りだ。プラスもマイナスも減っている。人間である阿紫花だから、それくらいでちょうどいいだろうとフウもギイも言うが、阿紫花は釈然としない。操りやすいだけの人形に用はない。欲しいのは、戦場に立てるだけの人形だ。
「気に入らなければ、君が改造しろ。それはもう君のものだ」
ギイは阿紫花の首に指を当て、
「君が好きにしろ。だが壊れたらそれで終わりだ。代わりはない。しろがねはそうなんだよ。自分の人形を壊してしまったら、後は自分の体の中の『生命の水』くらいしか武器がない」
怖いほど冷たい顔で、ギイは阿紫花に釘を刺す。
「この人形が壊れたら、君も壊れる。それくらいの覚悟で操れ。出来なければ操り人形は諦めて、メイド人形でも作るんだな。そっちも人手はいつでも欲しいんだ。君みたいな人間でも、人形作りの腕があるから、戦場になど行かなくても生きて行ける」
それじゃ意味がねえ、と笑った阿紫花にギイは、
「では意味ある生き方のために努力をしたまえ。君がどう思っているかは知らないが、僕は努力を笑ったりしない。この世には、天賦の才など存在しないからだ。努力だけが自分の力だ、阿紫花」
努力したまえ。
……そう言われたので、阿紫花は自分なりに頑張ってはいる。
「でも、あたしただの人形使いでやすからね……。しろがねたちみてえに、知識まではそんなに持ってねえのになあ」
夜の街の歩き方とか、女の落とし方ならよっく知っているが。
「白銀とかいう人の記憶がありゃ、ちっとはマシなんでしょうけどよ……」
薄暗い離れの土間に人形を置き、阿紫花は首を傾げる。隅から隅まで、など、分かるはずがない。自分が作ったものではないし、阿紫花の知らない機能もあるかも知れない。
「……ま、何とか、しやすかね……」
自分がこれまで見てきた人形の記憶なら、鮮明に残っている。抱いた女の股座以上にははっきりしている。
よし、と、呟いて、阿紫花は人形の手入れを始めた。
服を脱がせ、四肢の外側の殻を外し、中を確かめる。見た限りでは手足に異常はない。歯車も磨耗していないし、噛み合せも綺麗なものだ。糸を引っ張っても、キリリと綺麗な稼働音が聞こえるだけだ。感触も悪くない。
胴体部分を開いた。
その時、土間の入り口から声がした。
「すいません……誰か」
聞き覚えのある澄んだ女の声だ。阿紫花は振り向く。
「あ?姐ちゃん」
「阿紫花……さん」
エレオノールだ。袖の無い地味な白のハイネックTシャツにジーンズ、という格好だが、体の線の美しさが際立って見える。
エレオノールが日仏混血と阿紫花は以前に知ったが、異人種の混血は時に純血の何倍も美しく見えるらしい。白人のバタ臭さも日本人の平坦さも見られない代わりに、彫りが深いのにどこかあどけなく若く見える。銀髪になって目立つのもあるだろうが、エレオノールは確かに生まれ付いて父母の長所を受け継いでいるようだ。
「さん付けなんぞ要りやせんよ。姐ちゃんにそう呼ばれっと、なんか痒ィや。前は男みてえにあたしを怒鳴りつけてたのによ」
「……」
「阿紫花、で構いやせんよ。懐かしく思えるくれえだ。ま、入って座ったらどうだい。ジョージならいねえよ」
「知ってる。サーカスの設営を、手伝ってくれているから」
「はは、鳴海兄さんと力仕事やらせるなら適任っすからねえ。あ、茶ならそこに缶あっから、適当に飲んで下せェ。冷えてねえけど」
阿紫花は顎で転がっている缶を示し、エレオノールに背を向け、人形の調子を見る。話があってきたのなら、適当に話していくだろう。そう思った。
エレオノールは離れを見回した。八畳ほどの土間の奥に、部屋が数室あるだけの離れだ。物置きめいて、物が多い。古いダンボール箱が並んでいたり、古書が並んでいたりして、子どもの秘密の遊び場としては最適だろう。誰がかつて使ったのか分からない、スポーツカーを模した古い足こぎ車が、エレオノールの足元に置いてあった。
時の流れを感じ、エレオノールは他人の事ながらどこかで懐かしさを覚えた。きっと誰にでも、しろがねにも共通する--郷愁だ。
「--で?鳴海の兄さんと、ケンカでもしやしたかい」
「え?」
エレオノールは阿紫花の背を見る。
阿紫花は手を休めず、
「だってあんたがあたしに用があるワケねえもの。あるとしたら、この村にもサーカスにも関係ねえこった。しろがねの話ならギイさんのトコ行くだろうし、あんたの今の生活の中で、村ともサーカスとも関係ねえモンがあるとしたら、鳴海の兄さんとの男と女の話ぐれえっしょ」
「……」
「しかも多分、男の意見を聞きたいってトコじゃねえかい?--浮気でもされたかよ」
「いいえ!いいえ--でも、いっそそれなら、どれだけ……」
そいつは穏やかじゃない。
阿紫花は振り向いた。
エレオノールは土間に立ち尽くし、耐えるように目を伏せている。
「……こっち座ンなせえよ」
阿紫花は煙草を取り出し、自分の隣を示す。人形を間に挟むようにして、二人は上がり口に座り込んだ。
プフー、と煙を吐いて阿紫花が問うた。
「で?何がどうしたってんで?」
「その……阿紫花」
何故かエレオノールは真っ赤だ。
その顔を見て、阿紫花は「随分可愛くなっちまいやがってなあ」と、記憶の中のキツイ顔のエレオノールを思い出す。今の顔の方が、断然親しみやすい。
「私は……その、魅力がないんだろうか」
「あ?」
「私を見て、……その、……だ、抱き、た、いとか」
阿紫花は急いで周囲を見回した。ギイがもし聴いていたら、どんな目にあわせられるか分からない。
まるでエレオノールが阿紫花にアプローチを仕掛けているような構図ではあるが、エレオノールは他意の無い顔で阿紫花を見ている。
「阿紫花?」
「(いねえ!良かった!)……や、こっちの事……。あの、なんでそんな風に思うんでさ」
「鳴海と、まだ、……ないのです」
かあ~、と聞こえそうなほど、エレオノールの顔が赤くなる。とても可愛い。
こりゃ手を出すなって方が酷だわ……、と阿紫花はヴィルマの気持ちを理解するが、実際に手を出したらどんな目に合うか。ジョージよりギイのが怖い。
「あんたら、あの列車で何日も二人きりだったんじゃねえか」
「あ、あんな時に何を……。それに鳴海はあの時、私を忘れていた……」
記憶を失って、エレオノールの出生の秘密を曲解したために鳴海はエレオノールを憎んでいた。
「……私を思い出しても、鳴海はあの時、先がないからと私を突き放していた……」
「じゃあ今は好き勝手ヤリまくンなよ。いいね~若いって。何発でもヤりゃいいじゃねえか」
イヒヒヒヒ、と中年男の顔で阿紫花が笑うが、エレオノールは顔を曇らせ、
「そ、そう、ですよね……男の人って」
「……あンですね。今のは立派な、セクハラっちゅーんじゃねえのかね」
「そうなのですか?」
エレオノールは本気でそう問う。
マジで経験無ぇのか、と阿紫花は心の中で目を丸くする。
こりゃちっと世間擦れが必要だわ、と阿紫花は思い、
「言っときやすが、あたしただの中年男なんですぜ。あたしに相談していいんですかい?男も相手に出来るが女のが断然好きな、ヤクザ者だってお忘れじゃねえかい?前にあんたの服裂いてやったの忘れたかい……」
阿紫花は蛇のような目で見るが、エレオノールは怖じず、
「私は貴方よりずっと強い。貴方に襲われても、私は勝てる。それに貴方は、昔とは違う気がする」
「あたしの何を知ってるってんで?」
「目が、」
優しくなった、と、エレオノールは言った。
「坊ちゃまを守ってくれた」
「……」
信用してるって事か?それにしてもちと無防備すぎるとは思うが、--悪い気はしなかった。エレオノールのまっすぐな、しかし暖かい目の奥を見つめていると、確かに時の流れを実感できた。
この娘も、以前は冷たい人形の目だった。
「……サーカスの女に聴きゃいいじゃねえっすか」
「ヴィルマは私に迫ってくるし、後の二人は子どもだから。村の女性たちに知り合いはいないし、……私は、他に友達がいない」
「……仕方ねえなあ」
阿紫花は笑った。
「話だけでも、聴きやしょ……」
「ありがとう」
エレオノールは、そう言って微笑んだ。
歯車の手入れを、それぞれ左右に分かれて、阿紫花としろがねは行い始めた。話の合間に手が空くのは勿体ない、と阿紫花もしろがねも思ったのだ。
それに何かしていた方が、しやすい話もある。
「避けられているわけではないと思う。鳴海は皆とも、打ち解けているし、私にもとても優しい」
エレオノールは柔らかい布で歯車を優しく磨く。
「でも、皆が気を遣って二人きりにしてくれたり、……宿でも二人きりになるように部屋を割り振ってくれたり、してくれても、鳴海は……」
「何もしねえのかい」
阿紫花は糸を調節しながら、胴体部の巻き込みに手を加えている。
「私を抱きしめて終わり。別々のベッドで寝るだけ」
「そりゃ勿体ねえな」
「そうなの。部屋代だって割高なはずなのに!」
「……(男としてアンタに手を出さないのは勿体ないって話)で、何も言って来ねえのかい、鳴海の兄さんは。普通男の方がヤリたがるもんなのにな」
「わ、私は別にそんな……」
「あ?女が誘ったっていいじゃねえか。それに、そんな事したってアンタが淫乱だとかってんじゃねえでしょ」
「い、淫ら……」
絶句するエレオノールに、阿紫花は眉をしかめ、
「……言葉が悪かったなら謝りやすよ。話進まねえじゃねえか」
「……分かった。……私たちはしろがねだから、多分、人間よりはそういう欲望が少ないのだと思う。生殖能力も低い。過去に生まれたしろがねの子どもは私だけだと言うくらいだから。……鳴海も、もしかしたら……」
「……インポ?」
今度は阿紫花が絶句した。それはない。しろがね-Oのジョージですらそういう欲求はあるし、機能もある。(充分すぎるほど)
ギイですら、あれでなかなか遊んでいるのだ。
だが男どものそんな顔など知らないエレオノールは、心配そうに、
「悩まないで言って欲しい……悩みがあるなら、分かち合いたい」
「いやそれは分かち合われても男としては切ないっつうか……、いや、ねえよ。無い無い。だってジョージだってあんな……」
「あんな?」
ぱっ、とエレオノールが顔を上げる。
もしかしたら、しろがねの性生活の情報が欲しくてジョージの連れである自分のところに来たのではないか、と、阿紫花は勘繰る。
「……少なくとも、あたしは満足してやすよ……」
「一ヶ月に何回するものなの!?一週間単位は?一日何回出来るのかしら?」
エレオノールは彼女なりに必死な顔だ。こんな薄暗い二人きりの離れで、彼女にこんな風に迫られ、そんな性的な話題を振られても、阿紫花としては切ないばかりだ(主に股間が)。
「……それ、答えなきゃいけやせん?」
「是非!私は私たちの事がもっと知りたい。キュベロンじゃ教えてくれなかった」
「学〇では教えれくれな〇事」とかいう番組だか本だかがあったなあ、と、阿紫花はうっすら思う。
「教えて、阿紫花。私と鳴海の未来のために!」
「あたしの羞恥心も思いやってくだせえよ……」
そしてジョージの下半身事情も思いやって、と、阿紫花は項垂れた。
「ジョージ、お前さ……」
テント設営の休憩中、何となく鳴海とジョージは離れた場所で二人だけで昼食を食べていた。鳴海は黒賀村婦人会の手作り弁当だが、ジョージは持参したパウチ入りの液体を飲むだけだ。
ジョージは気づき、手にしていたパウチを差し出し、
「……お前も欲しいのか」
「何それ」
「サイボーグ用の高蛋白アミノ酸。ミネラル入り経口摂取タイプ。お前が飲んでも適合する」
「いらねえよ。……そんなの食って、満足すんのか?」
「食欲はない。空腹もない」
「ああそう。……」
「だが、たまに味が知りたくなるな。それが食欲なのかは忘れた」
「……消化できンなら、食ってもいいんじゃねえか?」
「阿紫花と一緒ならな。酒だけでカロリーを満たそうとする馬鹿に栄養を取らせようと思ったら、一緒に食べないと駄々をこねる。どうしようもないんだ、あいつは」
「……」
ノロケじゃねーか、と、鳴海は言いたいが、ぐっとこらえ最後の一口を飲み込んだ。そして呟くように、隣のジョージに話しかけた。
「阿紫花さ……。痩せてるよな」
ジョージは遠くを見たままだ。設営したテントの張り具合と、サーカスのメンバーに異常が無いか、惰性で確認しながら答えた。
「ああ、そうだな」
「腰、細いよな」
「まあ、男だからな」
「ケツ、小せえ、じゃん」
「……」
「お前の、入ンの?……」
「殴っていいか」
ジョージは遠くを見たまま、
「本気で殴っていいか。いや、こんな時は確認を取るべきではない。殴る。殴らせろ」
「待てよ!」
「ボラがあればイリノイの決着をつける所だ。置いてきたから私の拳で勘弁してやる。殴らせろ」
「は、話が終わったら殴らせるって!話を聞けって」
「……何の話だ」
やっとジョージが振り向いて鳴海を見る。
鳴海は赤い顔で、
「……その、あのな。お前、女とやった事ある?」
「ノーコメントだ」
「……初めてって、困んなかった?」
「……何に」
「全然違ェじゃん!体の大きさが!女って大概小さくて細くてよォ、……その、悩ンでんだ。大きさで」
鳴海は真剣な顔で遠くの山々を睨んだ。
ジョージは機能停止の顔でそれを眺めている。
鳴海は必死な顔で、
「あんな細い腰なんだぞ!?ケツだって、全然俺より小せえし!それに俺--結構、デカいんだ」
「お前は何の情報を私から引き出したいんだ?」
「だから!入るか、って事!お前だって体でけえじゃん、阿紫花は、そりゃそんなに小さくはないけど、細いしよ。体格に差があるだろ。だから、その、……初めてで失敗とかしなかったのか、と思って」
「……なるほど。自分が失敗するのが怖いから、参考の体験談が欲しいのか。最初からそう言え」
「え、言ってたじゃん……話の流れとかで分かンねえ?普通」
「結論から話せ、面倒な男だな」
「お前はもう少し人の気持ちを察してもいいと思うぞ……」
「結論から言うと、お前はアホだ」
んだとぉ!と鳴海がいきり立つ。ジョージは顔色を変えず、
「私はそういったプライベートを他人に話したくない。だが、言わせて貰うなら、私と話すよりエレオノールにそう伝えるべきだという事だ」
「出来ンならやってるって……」
「加えて言うなら、成人女性の体はその行為に及べるよう出来ている」
「……なんか、マジメな言葉で喋ったほうが卑猥だな」
「ではこう言えと言うのか。セックスなんかやれば出来るものだ。いくらデカくても、やろうと思えば出来る。大体、そんなにデカいのか?エレオノールにベッドで鼻で笑われて終わりじゃないのか?」
「ジョージ、テメエ……しろがねはそんな女じゃねえよ!」
「私はお前のパートナーをけなす事はしない。お前と違ってな。人のパートナーの身体について、最初にアレコレ言うからだ。不愉快な」
尻が小さいとか、腰が細い、とかか。
鳴海は気づいて身を縮める。
「……そりゃ、……でも言い出すキッカケ、つうか」
「エレオノールもしろがねだ。さっきお前が言ったな。だから言うが、傷はすぐ塞がる」
「は?」
「だから、……裂けても、塞がるだろう」
今度は鳴海が絶句した。
ジョージは心配そうに、
「ヘタそうだからな。お前は」
「ど、どどどど!どんだけだと思ってんだ!テメエは!いくら俺だって、いくら初めてだって、そんな無茶あるか!」
「ならいいんだがな。エレオノールが気の毒だ」
ジョージがそう呟いた瞬間。
背後に陰が立った。
「……エレオノールが、どうかしたかい」
「黒賀村公民館」と書かれた薬缶を持ったギイが、立っていた。
お茶を持ってきてくれたのだ。
「ギ、ギイ」
「いつから……」
ギイは白磁の肌をさらに白く青くさせている。
「やれば出来るとか、サイズがどうとか……、君たちは、こんな太陽の下で誰の事を話していたんだい……?」
ゆらりとギイの陰が揺れる。
鳴海とジョージは青ざめ、
「ま、待て、落ち着け」
「私はただ経験の薄いコイツに相談されて--」
弁解も遅かった。
エレオノールの父親役と兄役を請け負っていた男は、怒りで色をなくした顔で、手術用のメスを両手に十本も持ち出し。
黒髪と機械の体のしろがねたちを追い掛け回した。
「あ、いい腕してんじゃん、あのハンサムガイ」
周囲の人間が「また何か面倒事が」と引く中、ヴィルマだけが感心していた。
「……なるほど、男性の機能に、問題はないはずなのですね。しろがねでも。一般の男性と比べても、遜色ないのですか」
ふむふむ、とマジメに頷くエレオノールの前で、阿紫花は「すいやせん、ジョージさん、ギイさん」と、項垂れている。ほとんどはジョージの話だが、機械の体では参考にならないかも、と、ギイの事まで持ち出してしまった。
「……お役に立てやして?」
「はい!ありがとう。これで鳴海に、少し聞いてみます。もし体に何か不具合があっての事なら、やっぱり私も協力すべきですから」
根がマジメなエレオノールは、そう決意して拳を固める。
男である阿紫花としては「ほっといてもらった方が精神的に楽なんじゃねえかなあ」とは思うが、当人たちの問題だ。口出しすべきではない。
エレオノールは何気なく、
「しろがねの男性と暮らす人間の女性はいたはずですものね。ルシール先生のように、人間の男性とお付き合いしていたしろがねの女性もいたし……愛があれば、きっと、乗り越えられるはずです」
「……」
「私はもう成果は求めない。ただ鳴海が悩んでいる事の一部でも、知る手がかりが欲しかった」
エレオノールは呟き、
「ありがとう、阿紫花。鳴海に、ぶつかってみます」
--ああ、綺麗な顔だなあ。
エレオノールの顔を見つめ、阿紫花はそう思った。
「恋する女の顔も、悪くないモンでやすねえ」
「え?」
「自分と相手次第って事なんですねえ、何事もさ」
阿紫花は煙草の煙を吐き、人形を見下ろした。
「こいつとじゃねえと歯車が噛み合わねえ--てなモンさ、色恋てのは」
あんた綺麗になりやしたねえ、と、阿紫花はエレオノールに言った。
「ギイのしょげ返った顔など、初めて見た」
ジョージは帰ってきてそう言った。
「エレオノールが一言言っただけで、まるで捨て犬のような顔になったよ」
ギイに追いかけられる鳴海とジョージを見つけ、サーカスに戻ってきたエレオノールは、
『鳴海と私の事に、ギイ先生は口を出さないで下さい!』
そう怒鳴って、ギイを叱り飛ばしたという。
「ギイめ、いいザマだ」
それを聴きながら、布団に寝転がり、土間の人形を眺めながら、阿紫花は呟く。
「今夜は、姐ちゃんと鳴海の兄さん、出かけるとか言ってたかい?……」
「さあ?だったら何なんだ?」
「……いんえ、別に」
後は当人たちの問題だ。そもそも阿紫花もジョージも、彼らの問題に巻き込まれるべきではなかったのだし。
「明日ギイさんを、慰めに行きやすかね……」
阿紫花は呟いて、煙草を灰皿に押し付けて布団を被った。
END
エレオノール大胆すぎるだろ。
途中から生き残りパラレル。ううむ、原作通りでも良かっただろうか。
十億手に入れてフランスへ行く前の阿紫花。
羽佐間と。
十億手に入れてフランスへ行く前の阿紫花。
羽佐間と。
イエスタディ・ネバーモア
向けられた銃口の冷たい輝きに、羽佐間は息を呑んだ。
「お別れ、しやしょ」
阿紫花は煙草を咥え、何も見ていない瞳で羽佐間を見た。
一人ぼっちの目だ、と。
羽佐間は思った。
そこらの女、まして洋の母親よりも、羽佐間と阿紫花の付き合いは長い。他のハグレ者が揶揄のネタにするほどだ。そこに性的な関係をほのめかして。
羽佐間がそのからかいに、本気でいきり立ったとしても、
「すいやせんねえ、あたしのお守りばっかさせちまってさ」
阿紫花はその度に苦笑して場を収める。羽佐間はそれが嫌だった。
阿紫花は馬鹿にされても怒らない。いくつになっても小娘のような高見にさえ笑っている。まして尾崎や増村の下卑た皮肉など、どこ吹く風という顔で聞かぬフリだ。仕事で仮に先導役を預けられても、阿紫花は彼らを叱ったり偉ぶったりする事なく、淡々と仕事だけこなす。だからこそ、我の強いハグレ者たちでも時に協力体制を取る事が出来たのだが。
羽佐間が気に入らないのは、阿紫花の口ぶりだ。
「すいやせんねえ。こんなあたしに、長い事つき合わせちまって……いいんですよ?いつでも、捨ててくれちまって」
阿紫花を知らぬ者は大概、こんな事を言われて気を良くする。羽佐間も最初そうだった。しかしふと気づいた。夜の街で遊びなれた頃だっただろうか。
阿紫花の言葉は要するに、
「気に入らなきゃどこへなりとも行きな」
という意味ではないのか、と。
阿紫花の言葉にはいつも陰がある。裏ではない、陰だ。それに気づいて羽佐間はぞっとした。
阿紫花という男は不思議な男だった。
人を垂らし込む才に恵まれすぎて、それで不幸になっている。女ならば夜の街に沈んで名を残しただろう、そんな才だ。男にとっては正しく徒(あだ)である。
特別顔立ちが整っているわけではない。いや、整っているがどこか作りかけの人形めいていて人を不安にさせる。触れたら切れそうな切れ長の目元も、取って食われそうな、ぞくりとさせるものがある。
完成品足り得ない人形のような、見る者を不安させるその目が何より人を不幸にする。
たとえ絶世の美女だろうとも、「これ」なければただの美女。そんなぞくりと背筋の粟立つような、あるいは内腿が疼くような、そんな気配を持つ者はざらにはいない。どれほど夜の街を眺めてみても、その気配を持つ人間はそうはいない。
美醜や老若を問わない。状況も意思も関与しない。一度背筋が震えたらすべて持っていかれる。恐怖して、あるいは幸福に包まれて、望んで誰しも不幸になる。
だが当の本人は笑って嘯く。
「あたしに勝手にのぼせ上がるヤツが馬鹿なのさ」
だから阿紫花というのは、つくづく裏の世界が似合う男なのだ。用があれば男でもたらし込む。
不穏な男だ。
拘留先の拘置所で警察官を落としてきた時は、つきあいの長い羽佐間ですら目をむいた。迎えに行った帰りの車の中で聴けば、ろくでもない警官どもだったと言う。
「あたしから才賀との繋がりを聞き出そうて胆だったんでしょうけどよ。へっ、こっちが煙草欲しがっただけでスイッチ入っちまってよ。脅すすかすの取調べが、こっちの体の取調べだ。馬鹿じゃねえのかっての」
殴ったり蹴られたり、というのではない。
「少し色目使っただけでヤニ下がりやがってよ。あたしのケツにサオ突っ込んでオナニーなさってやがったよ。馬鹿臭ェ」
阿紫花はそれでも警官の携帯電話の番号を羽佐間にちらつかせ、
「だがま、公安の人間だからちっと仲良くしてやらァ。用が済めば消しゃいいや。それまでは情報貰やいい。……ホント、便利だなァ。馬鹿な男ってのは」
まるで携帯電話の番号の登録を消去するように、阿紫花はそう笑った。
羽佐間は内心で腹を立てていた。
簡単に体を許す阿紫花にもだが、それ以上に才賀に腹が立った。
阿紫花が拘留されたのは、かねてより関係のあった組の三下の障害に関係しているとかいないとかの、不当拘留だった。証拠も無いのに、阿紫花が騒ぎ立てまいとしての事としか思えない。拘留したのが公安関係の人間だった事も、羽佐間にしてみれば悪夢のような出来事だった。
才賀の力があれば、そんな不当な処置などすぐさま解く事が出来たはずだ。しかし貞義も阿紫花もそれは望まなかった。羽佐間がいくら貞義の屋敷に出向いたとしても、阿紫花のようにこっそり敷居をまたぐなど許されるはずもなく追い出された。阿紫花は阿紫花で、拘留中レイプまがいの暴行にあっている癖に平然とした顔しか羽佐間に見せない。
二週間が経過したある日、突然阿紫花は出所した。元々不当拘留であるのだから、いつ出てきても当然ではあった。しかし羽佐間は「貞義が裏からやっと手を回したのでないか」と勘繰り、苛立ちを募らせた。貞義の財力と権力なら、あらゆる分野に影響力を示せるはずなのだ。それなのに阿紫花のためには尽力しなかった。
「あたしと旦那との繋がりなんぞ、公にゃ出来やせんでしょ。これでいいんでさ……。あたしらはハグレ者だ。日陰者だ。日の目を見てなさる旦那が、あたしの事なんかで動くはずがねえ」
阿紫花は煙草をふかしてそう笑うだけだ。
羽佐間にはそれが気に入らない。
確かに、才賀と黒賀のハグレ者は、殺しという仕事の雇い主と使用人の関係ではある。しかし阿紫花は貞義と付き合いが長いはずだ。それがどこまでの関係かは、羽佐間ですら明確には理解できない。しかし貞義の屋敷に数日留まり、ふらつく足で戻ってきた阿紫花の様子を見ていると見当が付いた。
羽佐間の腕に崩れ落ち、旦那、と、かさついた唇でやるせなく呟いて眠ってしまった阿紫花の顔--。
どうにかしてやりたい、と思ったが何をどうすればいいのか、四十前のただのヤクザ崩れの男には分かるはずもなく。
羽佐間はただ貞義に憤りを、阿紫花に隠れた恋慕を募らせていくだけだ。
--ある日の夜、阿紫花のマンション(昔人を騙して買わせたらしい)に行くと、マンションのロビーで阿紫花は男と抱き合っていた。誰もいないからいいものの、半ば無理矢理に阿紫花を捉えて、背広姿の男は強引にキスをして何やら苛立った様子で囁いていた。
阿紫花がやるせない顔で何か囁き返し、男はやっと納得した様子で去っていった。帰り際、阿紫花がキスを返すと、男はやっと笑みを見せたが、どこかしら卑屈に見えて羽佐間には不快だった。
男が自動ドアから出て行って、羽佐間はようやく物陰から顔を覗かせた。
「羽佐間。よう、どしたい?」
明るい声と顔で阿紫花は問う。いったいどちらが本当の顔だ。
「兄貴、……さっき、ここで」
「ああ。見てやがったのかい?いいけどよ、癖になっから盗み見はすんなよ?--警官でさ。前の逮捕の時の」
阿紫花は声を潜め、
「とうとう警官クビになってやんの。無理もねえやなあ」
阿紫花によると。
あの警官から情報を落とせるだけ落としたらしい。
「証拠品の揉み消しまでさせちまったからなあ。そいつはまだバレてねえんだが、他にも組の事件の経過やらガサ入れの日時やら……ああ、ヤクの押収品、前に横流しさせたっけな。そういうのがバレそうなんだとさ。ザマァねえや」
「……兄貴、まさか本気になっちゃ……」
先ほどのキスの様子を見ていた羽佐間が問うと、阿紫花は平手で羽佐間の額を殴り、
「冗談じゃねえ。誰が使い捨ての人間に本気になるかよ。もう捨て時さ。生ゴミになるだけ。後は--分かンだろ。あたしらの稼業なんだったよ」
「けど……兄貴、さっきキスまでしてたじゃねえか」
まるで中学生のように眉をしかめた羽佐間に、阿紫花は鼻で笑った。
「男なんてあたしは好かねえよ。どいつもこいつもあたしのケツでオナニーしてるだけでさ。ヒィヒィハァハァ喚いてアイシテルだのなんだの言いやがっけど、ありゃ全部自分に言ってんのさ。テメエが可愛いだけさ、男なんて」
「うっわ、阿紫花さん言うなあ。使い捨ての男は生ゴミ!ハハハ、あたしも言ってみたいわ」
高見は小娘のように笑い、しかし、しばらくしてぽつりと、
「--分かるかもね」
と、呟いた。
深夜のファミレスに、やけにその声が大きく響いた。
時計の針は二時を回っている。繁華街に近い駅前のファミレスには、酔っ払いや夜更かしな人間がちらほらと座っているだけだ。
「分かるって、何が」
「ん~、なんつかさ。違うじゃん、男と女は。使う場所も、感じる部分も、考える事も」
高見は小娘のように紫にぬりたくった唇でビールを飲み、
「だからもちろんうまくいかない事もあるし、全然考えが合わないとかあるじゃない」
「あんだろう、そりゃ」
「でもさ、男と男だったら、って考えてもどうしようもないワケよ。勘所が分かってるとか、考え方が近いとか、そんなのどうでもいいし、どうしようもない。結局人間なんて一人じゃん?たとえセックスしてても、一人一人なのよ。愛とか希望とかさ、そんな嘘みたいな言葉並べたって結局腰振って出してハイ終わり。誰だって冷めてる」
いつまで経っても小娘のようだと思っていた女の口からそんな言葉が出てきて、羽佐間はたじろぐ。
「アソコに入れられたって結局の所それは他人のイチモツであり、ただの肉の塊じゃない。例えば女だってホスト買ったりするじゃない?あるいは出会い系とかで、愛のないセックスする。それだって見方変えれば『男のチンチンでオナニーしてる』だけなのよ。女だって相手が男なら何でもいいや、ってケースは存在するし、女だから貞操観念に固執するって話はおかしい。あたしは知らないけど、レイプされてもケロリとしてる女だっているだろうし、逆にされて、死にたくなるほど苦しむ男だっている」
「……」
「全然違うんだよね。人間って。それぞれ自分を抱えてて、自分ひとりだって思ってるからさ。で、うまくいかない事を性別とか相手のせいにして少しごまかしてたりもする。男と女の間には深くて暗い溝があって当然なんだ--とかさ」
ちうう、と、高見は音を立ててビールを啜る。童顔な上に化粧が災いして、本当に小娘に見える。
「そこいくと、阿紫花さんてスゴイよね」
「え?」
「多分もうどうでもいいんだと思うよ。男なんて。女も--あの人は男にされてる事を女にするのがイヤだから女大事にする振りしてるけど--本気になんてなる事ないでしょ。イヤミだよね、スゴイけど。思ったことない?コイツ、スカしててムカつくなァ、って。あたしはいつも思うよ」
「……」
「あの人誰も見ないじゃない。こっちも人形繰りしか能のない馬鹿だから、気づかないフリしてっけど。あの人がリーダーやってっとうまくいくから従ってるけど。イヤにならない?こっちの事ゾワゾワさせるだけさせといて、いつだってひらりひらり避けて、本気にならないじゃない。羽佐間さん、あんたもイヤにならない?」
「あ、羽佐間。今日は遅かったじゃねえか」
朝である。直前までどこかで飲んでいたのか、朝日の中居間で寝転がっていた阿紫花は機嫌がよかった。帰宅した羽佐間の持っていたコンビニ袋に気づき、
「アイス持ってねえ?咽喉渇きやした」
じゃれつく阿紫花をいなすように、羽佐間はソファに腰を下ろし、
「ねえですよ。余計乾きますよ……。水、冷蔵庫に買って置きましたぜ」
「あ~、あんがとさん」
邪気のない笑みで、阿紫花は立ち上がり冷蔵庫から水を出してラッパ飲みしている。
羽佐間には警戒していない。羽佐間には分かる。
「……」
「あ。羽佐間?アレ、始末しやしたから」
え、と羽佐間が聞き返す。
「ほら、警官。始末しやしたから。もう大丈夫」
絶句した羽佐間に近づき、阿紫花はソファに寝転がった。
「眠いんでやんの」
「兄貴、始末って」
「拳銃持ってたから、アタマ、吹き飛ばし……ファ」
阿紫花は羽佐間の膝枕を借りたまま、
「糸だけでも出来まさ……あたし、人形使いだから」
「……兄貴」
「羽佐間ァ、……眠い。眠いんでさ」
「……兄貴。寝るなら、布団に行きやしょ。運んでやりますから」
阿紫花は抵抗しない。抱き上げられても、目を閉じて眠りの入り口をまどろんでいる。
羽佐間がもし。
阿紫花に手を出しても、おそらく阿紫花は抵抗しないだろう。
だが同時に「生ゴミ」扱いされる運命を背負う事になる。
羽佐間が阿紫花に対してまったくの性的なアピールをせず、阿紫花の眼差しを他と同じように見返すから成立する無抵抗なのだ。
阿紫花の軽い体を抱きしめ、羽佐間は思う。
高見は阿紫花を勘違いしている。阿紫花が好き勝手に男を弄んでいると思い込んでいる。逆だ。弄ばれているのは、本当は阿紫花の方だ。望みもしないのに好き勝手に体を使われて、勝手に本気になられて。情報を引き出したり犯罪に手を染めさせるのは意趣返しだろう。しかしそれとて、最初に阿紫花におかしな真似をするのは相手の方だ。その挙句に殺されても、羽佐間としては同じ男として「馬鹿なヤツ」と思うだけだ。
--阿紫花の寝顔を見下ろして、羽佐間は思う。
阿紫花は誰一人として愛してなどいないのだろう。
羽佐間の事も、ましてや、貞義の事も。
(一人ぼっちなんだな)
だからこそ、阿紫花には触れまい。--羽佐間はそう思った。
誰か一人くらいそんな人間が必要なのだ。この人には。
……カチリ、と。
撃鉄を起こす音が耳に付いた。
暗闇だ。
「……兄、貴?」
「羽佐間。十億、あたしが貰いやす」
ゆっくりと振り向くと、阿紫花が立っていた。
道に迷ったと阿紫花が言うので、車を停めて周囲を見回すために車を降りたところだった。
辺りに民家はない。明かりなどない。
「兄貴?何、言って」
「十億円は大きいだろ。あたしらの稼ぎの何万年分か分からねえや。あたし、残りの人生楽して生きたいんでね。あんたが死ねば独り占めだ」
「兄貴……!」
羽佐間は耳を疑った。
阿紫花は銃を構えたまま煙草を咥え、
「お別れ、しやしょ」
そう言った。
「兄貴……!そんな、--そんな一人ぼっちな目で言わねえで下せえよ!」
羽佐間は叫ぶ。
「金なんかいいっすよ!そりゃ、金は大事ですけど!兄貴がいなくなったら、俺……」
「羽佐間、拳銃出せよ」
「へ……」
「拳銃構えてまで、あたしに同じ事言えるか?金なんかいらねえ、あたししかいらねえ、って。あたしの後ろに十億の現ナマが見えたら、あんただってあたしを撃つさ」
「兄……」
「出しゃあがれ!」
ビリリ、と威圧するように阿紫花は怒鳴った。
羽佐間は拳銃を内ポケットから出し、--構えた。
「……撃てねえよ、兄貴」
「撃ちゃあいい。やれよ。簡単だ。いつだってやってきたじゃねえか。他の連中と同じように、あたしのアタマ吹き飛ばしなせェよ」
「出来ねえよ!」
「やれ!十億!あんたに全部くれてやっからよ!ガキや嫁さんにくれてるなりテメエで使うなりしろってんだ!」
「……!」
ドン、と。
暗闇に銃声が響いた。
びゃあ、と、森の暗がりで鳥が鳴いた。
眠りを妨げられた鳥がばさばさと勢いづいて暗い夜空に舞い上がる。
「……兄貴」
羽佐間は拳銃を懐にしまい込んだ。
「俺には出来ねェ」
阿紫花は拳銃を構えたまま、
「じゃああたしが撃つか?」
「俺を撃つなら、どうぞ、覚悟はしてまさ。俺だって殺しで食ってる」
「……」
「俺を殺して、それで兄貴が満足なら、どうぞ。俺は兄貴に、兄貴でいてほしい。そのためなら、なんだっていいんだ……」
阿紫花を見ると。
奇妙な顔で羽佐間を見ていた。
自我に気づいた人形のように滑稽で、悲劇的な顔で。
自分のこめかみに銃口を当てた。
「兄貴……!」
羽佐間は気づき、慌てて阿紫花に駆け寄り銃を下ろさせた。
本気で撃つ気はなかったようで、阿紫花は大人しく銃を下ろした。
目を見開いて、暗闇の向こうの湖面を見つめている。
阿紫花を抱きしめ、羽佐間は呟いた。泣きたくなっていた。
「どうして……」
「……たって、……か」
「え?」
「生きてたって、仕方ねえじゃねえか」
阿紫花は言った。
「旦那もいねえ。人形もねえ。あんたはあたしを抱かねえ。嫁さんとガキ捨てて、あたしと外国へ逃げてくれるワケもねえ」
それをしてどうなるのだ。人を愛さない阿紫花に追従したとしても、他の男と同じようにいつか始末されるだけだ。
「兄貴……兄貴ィ……」
泣きたくなって、羽佐間は阿紫花を抱きしめた。
「俺は……兄貴とは、いつでも兄貴と舎弟でいてえ」
振り絞る声で、羽佐間は阿紫花を抱きしめた。
「兄貴は俺の、大事な兄貴だ。兄貴を好き勝手にした連中みてえには出来ねえよ。俺は、兄貴が帰ってくるのを待ってたい。迎えていたい」
「……帰ってくる、って、分からねえじゃねえか」
「それでもいいんだ。俺は、兄貴をずっと、待ってる」
泣き出した羽佐間の涙が、阿紫花の顔に落ちる。
阿紫花はそれを受け入れている。
「あたしを……待って、」
「ええ、ええ……!」
「あたし、……どこ行きやしょ?……」
どこでも行けやすもンねえ、と。
阿紫花は羽佐間の涙を受け入れたまま、うっすらと笑みを浮かべて問うた。
それが、別れの顛末だった。
感動的な別れの後、阿紫花はフランスへ旅立ち。
自動人形との壮絶な決戦を経て。
黒賀村へと少しだけ戻ってきた。
羽佐間はと言えば。
ゾナハ病を味わって回復して。
故郷にふらりと戻ってきた。
記憶の中の阿紫花はあの日のまま、羽佐間の涙を顔で受け止めて、まるで泣いているように微笑んだままだ。
なかなか感動的というか、阿紫花らしくない顔で微笑んでいるので、羽佐間の記憶に強く残った。
しかし。
「納得いかねえ……」
阿紫花家の軒先で、羽佐間はそう呟いた。
「Pardon?……いや、何か」
阿紫花家の縁側に、見慣れない外国人が座っている。
それだけならいいが、その膝には平馬が乗っている。
隣では長女がノートにガリガリ書き込みながら、
「ド・モルガンの法則って、この場合に演算値を虚数で求めても実数を出せるの?」
と、外国語のような言葉を投げかけている。
「邪魔しないでよ!菊姉、マニアックな話題しかないんだもん。ジョージちん、次だよ」
次女は寝転がって将棋の駒を弄っているし、三女は外国人の背後で、
「平馬!ちょっと、櫛取って!丸いヤツ!かんざしも!」
「面倒臭~。なあ~、百合姉、ジョージの髪で美容院ごっこすんのヤメたら?髪抜けそうで怖ェよ」
「どうして平馬が怖がるのよ。もうちょっとだけ!--ごめんね、ジョージさん。クラスの女の子と、お互い髪の毛纏めっこしてお祭り行く約束しちゃったの」
そのクラスの女の子とやらはよほど長い髪の毛なのだろうか。ジョージの長い髪の毛を、百合はくるくる纏めて三つ編みやお団子を作って試している。
「菊姉練習させてくれないんだもの」
「素人に任せたら髪の毛痛むでしょ。それにワタクシは、PLCの演算回路を独力で組み立てるの。自由研究なんだから」
「ジョージちん手伝ったら独力じゃないじゃん。お、その手で来ましたか~!ジョージちん本当に将棋初心者?」
……馴染みすぎだろう。
「阿紫花の知人か?阿紫花は今出かけている」
見れば分からあ!と叫ばなかったのは、ジョージと呼ばれるこの外国人の周囲に阿紫花の弟妹がいたせいだ。彼らに悪印象をもたれては、今後阿紫花にどんな顔をされるか分からない。
「……いや、兄貴、スイカ好きだったからよ」
お中元代わりと言っては何だが、羽佐間はスイカを差し出し、縁側に置いた。
「……あんた、兄貴の知り合いかい」
「……阿紫花と私は」
ジョージが言いかけ、すかさず三姉妹が、
「お友達なのよねッ!」
「そう!フランスで知り合ったお友達の!」
「ジョージちんで~す。あ、本名はジョージ・ラローシュって言うよ」
……明るい口調で言っても、不自然は不自然だ。
羽佐間は三姉妹の態度に不信を抱いている。
「え?その……いや、もしかしたらあんた、」
兄貴のコレなのか?--そう問いかけようとした瞬間。
「お~、羽佐間じゃねえか。どしたい」
阿紫花の声がした。
「兄貴……!」
「おう、元気だったかよ」
阿紫花は笑った。屈託ない笑みで。
それだけで羽佐間は胸が詰まりそうになる。
(兄貴……!)
「兄……!」
感極まって抱きつこうとする羽佐間を素通りし、阿紫花はスイカに夢中になる。
「あ、スイカじゃねえか。羽佐間か?あんがとな。やった、見ろよジョージさん。……百合、お前ぇ、前から見てみろって。笑えて仕方ねえ。ぷくくくく」
「え?」
阿紫花の言葉に、菊とれんげが顔を上げる。
途端に噴出した。
「可愛いじゃないの……!」
「ジョージちんさあ、……プーッ、笑いなよ、すっごい盛ってるよ。キャバ嬢かって感じ」
「……こうか?」とジョージは笑みを作ろうとするが、歯が痛いようにしか見えない笑みだ。
「ジョージさん、は、っははは、怖ェ!笑顔超怖ェ!」
阿紫花は大笑いで羽佐間に同意を求めてきた。
「な!?テメエもそう思うだろ!?」
「……」
(兄貴……笑ってる)
羽佐間の胸の内に、いくつかの考えが去来する。
阿紫花の過去を、この外国人にブチまけたら、どうなるだろうか、とか。ブチ壊れたら、今度こそ自分は阿紫花に触れてもいいのじゃないか、とか。でもこの外国人も銀髪だしおそらくしろがねだろうから、それくらいじゃどうもしない神経かもな、とか。
……阿紫花が笑ってるから、これでいいんじゃないか、とか。
羽佐間は色々考えて。
「はは……おっかしいですねえ」
笑ったのだが、何故かそれは少し泣きそうな笑みにしかならなかった。
END
原作の羽佐間の消息が気になる。案外阿紫花に始末されていても、私は驚かない。
向けられた銃口の冷たい輝きに、羽佐間は息を呑んだ。
「お別れ、しやしょ」
阿紫花は煙草を咥え、何も見ていない瞳で羽佐間を見た。
一人ぼっちの目だ、と。
羽佐間は思った。
そこらの女、まして洋の母親よりも、羽佐間と阿紫花の付き合いは長い。他のハグレ者が揶揄のネタにするほどだ。そこに性的な関係をほのめかして。
羽佐間がそのからかいに、本気でいきり立ったとしても、
「すいやせんねえ、あたしのお守りばっかさせちまってさ」
阿紫花はその度に苦笑して場を収める。羽佐間はそれが嫌だった。
阿紫花は馬鹿にされても怒らない。いくつになっても小娘のような高見にさえ笑っている。まして尾崎や増村の下卑た皮肉など、どこ吹く風という顔で聞かぬフリだ。仕事で仮に先導役を預けられても、阿紫花は彼らを叱ったり偉ぶったりする事なく、淡々と仕事だけこなす。だからこそ、我の強いハグレ者たちでも時に協力体制を取る事が出来たのだが。
羽佐間が気に入らないのは、阿紫花の口ぶりだ。
「すいやせんねえ。こんなあたしに、長い事つき合わせちまって……いいんですよ?いつでも、捨ててくれちまって」
阿紫花を知らぬ者は大概、こんな事を言われて気を良くする。羽佐間も最初そうだった。しかしふと気づいた。夜の街で遊びなれた頃だっただろうか。
阿紫花の言葉は要するに、
「気に入らなきゃどこへなりとも行きな」
という意味ではないのか、と。
阿紫花の言葉にはいつも陰がある。裏ではない、陰だ。それに気づいて羽佐間はぞっとした。
阿紫花という男は不思議な男だった。
人を垂らし込む才に恵まれすぎて、それで不幸になっている。女ならば夜の街に沈んで名を残しただろう、そんな才だ。男にとっては正しく徒(あだ)である。
特別顔立ちが整っているわけではない。いや、整っているがどこか作りかけの人形めいていて人を不安にさせる。触れたら切れそうな切れ長の目元も、取って食われそうな、ぞくりとさせるものがある。
完成品足り得ない人形のような、見る者を不安させるその目が何より人を不幸にする。
たとえ絶世の美女だろうとも、「これ」なければただの美女。そんなぞくりと背筋の粟立つような、あるいは内腿が疼くような、そんな気配を持つ者はざらにはいない。どれほど夜の街を眺めてみても、その気配を持つ人間はそうはいない。
美醜や老若を問わない。状況も意思も関与しない。一度背筋が震えたらすべて持っていかれる。恐怖して、あるいは幸福に包まれて、望んで誰しも不幸になる。
だが当の本人は笑って嘯く。
「あたしに勝手にのぼせ上がるヤツが馬鹿なのさ」
だから阿紫花というのは、つくづく裏の世界が似合う男なのだ。用があれば男でもたらし込む。
不穏な男だ。
拘留先の拘置所で警察官を落としてきた時は、つきあいの長い羽佐間ですら目をむいた。迎えに行った帰りの車の中で聴けば、ろくでもない警官どもだったと言う。
「あたしから才賀との繋がりを聞き出そうて胆だったんでしょうけどよ。へっ、こっちが煙草欲しがっただけでスイッチ入っちまってよ。脅すすかすの取調べが、こっちの体の取調べだ。馬鹿じゃねえのかっての」
殴ったり蹴られたり、というのではない。
「少し色目使っただけでヤニ下がりやがってよ。あたしのケツにサオ突っ込んでオナニーなさってやがったよ。馬鹿臭ェ」
阿紫花はそれでも警官の携帯電話の番号を羽佐間にちらつかせ、
「だがま、公安の人間だからちっと仲良くしてやらァ。用が済めば消しゃいいや。それまでは情報貰やいい。……ホント、便利だなァ。馬鹿な男ってのは」
まるで携帯電話の番号の登録を消去するように、阿紫花はそう笑った。
羽佐間は内心で腹を立てていた。
簡単に体を許す阿紫花にもだが、それ以上に才賀に腹が立った。
阿紫花が拘留されたのは、かねてより関係のあった組の三下の障害に関係しているとかいないとかの、不当拘留だった。証拠も無いのに、阿紫花が騒ぎ立てまいとしての事としか思えない。拘留したのが公安関係の人間だった事も、羽佐間にしてみれば悪夢のような出来事だった。
才賀の力があれば、そんな不当な処置などすぐさま解く事が出来たはずだ。しかし貞義も阿紫花もそれは望まなかった。羽佐間がいくら貞義の屋敷に出向いたとしても、阿紫花のようにこっそり敷居をまたぐなど許されるはずもなく追い出された。阿紫花は阿紫花で、拘留中レイプまがいの暴行にあっている癖に平然とした顔しか羽佐間に見せない。
二週間が経過したある日、突然阿紫花は出所した。元々不当拘留であるのだから、いつ出てきても当然ではあった。しかし羽佐間は「貞義が裏からやっと手を回したのでないか」と勘繰り、苛立ちを募らせた。貞義の財力と権力なら、あらゆる分野に影響力を示せるはずなのだ。それなのに阿紫花のためには尽力しなかった。
「あたしと旦那との繋がりなんぞ、公にゃ出来やせんでしょ。これでいいんでさ……。あたしらはハグレ者だ。日陰者だ。日の目を見てなさる旦那が、あたしの事なんかで動くはずがねえ」
阿紫花は煙草をふかしてそう笑うだけだ。
羽佐間にはそれが気に入らない。
確かに、才賀と黒賀のハグレ者は、殺しという仕事の雇い主と使用人の関係ではある。しかし阿紫花は貞義と付き合いが長いはずだ。それがどこまでの関係かは、羽佐間ですら明確には理解できない。しかし貞義の屋敷に数日留まり、ふらつく足で戻ってきた阿紫花の様子を見ていると見当が付いた。
羽佐間の腕に崩れ落ち、旦那、と、かさついた唇でやるせなく呟いて眠ってしまった阿紫花の顔--。
どうにかしてやりたい、と思ったが何をどうすればいいのか、四十前のただのヤクザ崩れの男には分かるはずもなく。
羽佐間はただ貞義に憤りを、阿紫花に隠れた恋慕を募らせていくだけだ。
--ある日の夜、阿紫花のマンション(昔人を騙して買わせたらしい)に行くと、マンションのロビーで阿紫花は男と抱き合っていた。誰もいないからいいものの、半ば無理矢理に阿紫花を捉えて、背広姿の男は強引にキスをして何やら苛立った様子で囁いていた。
阿紫花がやるせない顔で何か囁き返し、男はやっと納得した様子で去っていった。帰り際、阿紫花がキスを返すと、男はやっと笑みを見せたが、どこかしら卑屈に見えて羽佐間には不快だった。
男が自動ドアから出て行って、羽佐間はようやく物陰から顔を覗かせた。
「羽佐間。よう、どしたい?」
明るい声と顔で阿紫花は問う。いったいどちらが本当の顔だ。
「兄貴、……さっき、ここで」
「ああ。見てやがったのかい?いいけどよ、癖になっから盗み見はすんなよ?--警官でさ。前の逮捕の時の」
阿紫花は声を潜め、
「とうとう警官クビになってやんの。無理もねえやなあ」
阿紫花によると。
あの警官から情報を落とせるだけ落としたらしい。
「証拠品の揉み消しまでさせちまったからなあ。そいつはまだバレてねえんだが、他にも組の事件の経過やらガサ入れの日時やら……ああ、ヤクの押収品、前に横流しさせたっけな。そういうのがバレそうなんだとさ。ザマァねえや」
「……兄貴、まさか本気になっちゃ……」
先ほどのキスの様子を見ていた羽佐間が問うと、阿紫花は平手で羽佐間の額を殴り、
「冗談じゃねえ。誰が使い捨ての人間に本気になるかよ。もう捨て時さ。生ゴミになるだけ。後は--分かンだろ。あたしらの稼業なんだったよ」
「けど……兄貴、さっきキスまでしてたじゃねえか」
まるで中学生のように眉をしかめた羽佐間に、阿紫花は鼻で笑った。
「男なんてあたしは好かねえよ。どいつもこいつもあたしのケツでオナニーしてるだけでさ。ヒィヒィハァハァ喚いてアイシテルだのなんだの言いやがっけど、ありゃ全部自分に言ってんのさ。テメエが可愛いだけさ、男なんて」
「うっわ、阿紫花さん言うなあ。使い捨ての男は生ゴミ!ハハハ、あたしも言ってみたいわ」
高見は小娘のように笑い、しかし、しばらくしてぽつりと、
「--分かるかもね」
と、呟いた。
深夜のファミレスに、やけにその声が大きく響いた。
時計の針は二時を回っている。繁華街に近い駅前のファミレスには、酔っ払いや夜更かしな人間がちらほらと座っているだけだ。
「分かるって、何が」
「ん~、なんつかさ。違うじゃん、男と女は。使う場所も、感じる部分も、考える事も」
高見は小娘のように紫にぬりたくった唇でビールを飲み、
「だからもちろんうまくいかない事もあるし、全然考えが合わないとかあるじゃない」
「あんだろう、そりゃ」
「でもさ、男と男だったら、って考えてもどうしようもないワケよ。勘所が分かってるとか、考え方が近いとか、そんなのどうでもいいし、どうしようもない。結局人間なんて一人じゃん?たとえセックスしてても、一人一人なのよ。愛とか希望とかさ、そんな嘘みたいな言葉並べたって結局腰振って出してハイ終わり。誰だって冷めてる」
いつまで経っても小娘のようだと思っていた女の口からそんな言葉が出てきて、羽佐間はたじろぐ。
「アソコに入れられたって結局の所それは他人のイチモツであり、ただの肉の塊じゃない。例えば女だってホスト買ったりするじゃない?あるいは出会い系とかで、愛のないセックスする。それだって見方変えれば『男のチンチンでオナニーしてる』だけなのよ。女だって相手が男なら何でもいいや、ってケースは存在するし、女だから貞操観念に固執するって話はおかしい。あたしは知らないけど、レイプされてもケロリとしてる女だっているだろうし、逆にされて、死にたくなるほど苦しむ男だっている」
「……」
「全然違うんだよね。人間って。それぞれ自分を抱えてて、自分ひとりだって思ってるからさ。で、うまくいかない事を性別とか相手のせいにして少しごまかしてたりもする。男と女の間には深くて暗い溝があって当然なんだ--とかさ」
ちうう、と、高見は音を立ててビールを啜る。童顔な上に化粧が災いして、本当に小娘に見える。
「そこいくと、阿紫花さんてスゴイよね」
「え?」
「多分もうどうでもいいんだと思うよ。男なんて。女も--あの人は男にされてる事を女にするのがイヤだから女大事にする振りしてるけど--本気になんてなる事ないでしょ。イヤミだよね、スゴイけど。思ったことない?コイツ、スカしててムカつくなァ、って。あたしはいつも思うよ」
「……」
「あの人誰も見ないじゃない。こっちも人形繰りしか能のない馬鹿だから、気づかないフリしてっけど。あの人がリーダーやってっとうまくいくから従ってるけど。イヤにならない?こっちの事ゾワゾワさせるだけさせといて、いつだってひらりひらり避けて、本気にならないじゃない。羽佐間さん、あんたもイヤにならない?」
「あ、羽佐間。今日は遅かったじゃねえか」
朝である。直前までどこかで飲んでいたのか、朝日の中居間で寝転がっていた阿紫花は機嫌がよかった。帰宅した羽佐間の持っていたコンビニ袋に気づき、
「アイス持ってねえ?咽喉渇きやした」
じゃれつく阿紫花をいなすように、羽佐間はソファに腰を下ろし、
「ねえですよ。余計乾きますよ……。水、冷蔵庫に買って置きましたぜ」
「あ~、あんがとさん」
邪気のない笑みで、阿紫花は立ち上がり冷蔵庫から水を出してラッパ飲みしている。
羽佐間には警戒していない。羽佐間には分かる。
「……」
「あ。羽佐間?アレ、始末しやしたから」
え、と羽佐間が聞き返す。
「ほら、警官。始末しやしたから。もう大丈夫」
絶句した羽佐間に近づき、阿紫花はソファに寝転がった。
「眠いんでやんの」
「兄貴、始末って」
「拳銃持ってたから、アタマ、吹き飛ばし……ファ」
阿紫花は羽佐間の膝枕を借りたまま、
「糸だけでも出来まさ……あたし、人形使いだから」
「……兄貴」
「羽佐間ァ、……眠い。眠いんでさ」
「……兄貴。寝るなら、布団に行きやしょ。運んでやりますから」
阿紫花は抵抗しない。抱き上げられても、目を閉じて眠りの入り口をまどろんでいる。
羽佐間がもし。
阿紫花に手を出しても、おそらく阿紫花は抵抗しないだろう。
だが同時に「生ゴミ」扱いされる運命を背負う事になる。
羽佐間が阿紫花に対してまったくの性的なアピールをせず、阿紫花の眼差しを他と同じように見返すから成立する無抵抗なのだ。
阿紫花の軽い体を抱きしめ、羽佐間は思う。
高見は阿紫花を勘違いしている。阿紫花が好き勝手に男を弄んでいると思い込んでいる。逆だ。弄ばれているのは、本当は阿紫花の方だ。望みもしないのに好き勝手に体を使われて、勝手に本気になられて。情報を引き出したり犯罪に手を染めさせるのは意趣返しだろう。しかしそれとて、最初に阿紫花におかしな真似をするのは相手の方だ。その挙句に殺されても、羽佐間としては同じ男として「馬鹿なヤツ」と思うだけだ。
--阿紫花の寝顔を見下ろして、羽佐間は思う。
阿紫花は誰一人として愛してなどいないのだろう。
羽佐間の事も、ましてや、貞義の事も。
(一人ぼっちなんだな)
だからこそ、阿紫花には触れまい。--羽佐間はそう思った。
誰か一人くらいそんな人間が必要なのだ。この人には。
……カチリ、と。
撃鉄を起こす音が耳に付いた。
暗闇だ。
「……兄、貴?」
「羽佐間。十億、あたしが貰いやす」
ゆっくりと振り向くと、阿紫花が立っていた。
道に迷ったと阿紫花が言うので、車を停めて周囲を見回すために車を降りたところだった。
辺りに民家はない。明かりなどない。
「兄貴?何、言って」
「十億円は大きいだろ。あたしらの稼ぎの何万年分か分からねえや。あたし、残りの人生楽して生きたいんでね。あんたが死ねば独り占めだ」
「兄貴……!」
羽佐間は耳を疑った。
阿紫花は銃を構えたまま煙草を咥え、
「お別れ、しやしょ」
そう言った。
「兄貴……!そんな、--そんな一人ぼっちな目で言わねえで下せえよ!」
羽佐間は叫ぶ。
「金なんかいいっすよ!そりゃ、金は大事ですけど!兄貴がいなくなったら、俺……」
「羽佐間、拳銃出せよ」
「へ……」
「拳銃構えてまで、あたしに同じ事言えるか?金なんかいらねえ、あたししかいらねえ、って。あたしの後ろに十億の現ナマが見えたら、あんただってあたしを撃つさ」
「兄……」
「出しゃあがれ!」
ビリリ、と威圧するように阿紫花は怒鳴った。
羽佐間は拳銃を内ポケットから出し、--構えた。
「……撃てねえよ、兄貴」
「撃ちゃあいい。やれよ。簡単だ。いつだってやってきたじゃねえか。他の連中と同じように、あたしのアタマ吹き飛ばしなせェよ」
「出来ねえよ!」
「やれ!十億!あんたに全部くれてやっからよ!ガキや嫁さんにくれてるなりテメエで使うなりしろってんだ!」
「……!」
ドン、と。
暗闇に銃声が響いた。
びゃあ、と、森の暗がりで鳥が鳴いた。
眠りを妨げられた鳥がばさばさと勢いづいて暗い夜空に舞い上がる。
「……兄貴」
羽佐間は拳銃を懐にしまい込んだ。
「俺には出来ねェ」
阿紫花は拳銃を構えたまま、
「じゃああたしが撃つか?」
「俺を撃つなら、どうぞ、覚悟はしてまさ。俺だって殺しで食ってる」
「……」
「俺を殺して、それで兄貴が満足なら、どうぞ。俺は兄貴に、兄貴でいてほしい。そのためなら、なんだっていいんだ……」
阿紫花を見ると。
奇妙な顔で羽佐間を見ていた。
自我に気づいた人形のように滑稽で、悲劇的な顔で。
自分のこめかみに銃口を当てた。
「兄貴……!」
羽佐間は気づき、慌てて阿紫花に駆け寄り銃を下ろさせた。
本気で撃つ気はなかったようで、阿紫花は大人しく銃を下ろした。
目を見開いて、暗闇の向こうの湖面を見つめている。
阿紫花を抱きしめ、羽佐間は呟いた。泣きたくなっていた。
「どうして……」
「……たって、……か」
「え?」
「生きてたって、仕方ねえじゃねえか」
阿紫花は言った。
「旦那もいねえ。人形もねえ。あんたはあたしを抱かねえ。嫁さんとガキ捨てて、あたしと外国へ逃げてくれるワケもねえ」
それをしてどうなるのだ。人を愛さない阿紫花に追従したとしても、他の男と同じようにいつか始末されるだけだ。
「兄貴……兄貴ィ……」
泣きたくなって、羽佐間は阿紫花を抱きしめた。
「俺は……兄貴とは、いつでも兄貴と舎弟でいてえ」
振り絞る声で、羽佐間は阿紫花を抱きしめた。
「兄貴は俺の、大事な兄貴だ。兄貴を好き勝手にした連中みてえには出来ねえよ。俺は、兄貴が帰ってくるのを待ってたい。迎えていたい」
「……帰ってくる、って、分からねえじゃねえか」
「それでもいいんだ。俺は、兄貴をずっと、待ってる」
泣き出した羽佐間の涙が、阿紫花の顔に落ちる。
阿紫花はそれを受け入れている。
「あたしを……待って、」
「ええ、ええ……!」
「あたし、……どこ行きやしょ?……」
どこでも行けやすもンねえ、と。
阿紫花は羽佐間の涙を受け入れたまま、うっすらと笑みを浮かべて問うた。
それが、別れの顛末だった。
感動的な別れの後、阿紫花はフランスへ旅立ち。
自動人形との壮絶な決戦を経て。
黒賀村へと少しだけ戻ってきた。
羽佐間はと言えば。
ゾナハ病を味わって回復して。
故郷にふらりと戻ってきた。
記憶の中の阿紫花はあの日のまま、羽佐間の涙を顔で受け止めて、まるで泣いているように微笑んだままだ。
なかなか感動的というか、阿紫花らしくない顔で微笑んでいるので、羽佐間の記憶に強く残った。
しかし。
「納得いかねえ……」
阿紫花家の軒先で、羽佐間はそう呟いた。
「Pardon?……いや、何か」
阿紫花家の縁側に、見慣れない外国人が座っている。
それだけならいいが、その膝には平馬が乗っている。
隣では長女がノートにガリガリ書き込みながら、
「ド・モルガンの法則って、この場合に演算値を虚数で求めても実数を出せるの?」
と、外国語のような言葉を投げかけている。
「邪魔しないでよ!菊姉、マニアックな話題しかないんだもん。ジョージちん、次だよ」
次女は寝転がって将棋の駒を弄っているし、三女は外国人の背後で、
「平馬!ちょっと、櫛取って!丸いヤツ!かんざしも!」
「面倒臭~。なあ~、百合姉、ジョージの髪で美容院ごっこすんのヤメたら?髪抜けそうで怖ェよ」
「どうして平馬が怖がるのよ。もうちょっとだけ!--ごめんね、ジョージさん。クラスの女の子と、お互い髪の毛纏めっこしてお祭り行く約束しちゃったの」
そのクラスの女の子とやらはよほど長い髪の毛なのだろうか。ジョージの長い髪の毛を、百合はくるくる纏めて三つ編みやお団子を作って試している。
「菊姉練習させてくれないんだもの」
「素人に任せたら髪の毛痛むでしょ。それにワタクシは、PLCの演算回路を独力で組み立てるの。自由研究なんだから」
「ジョージちん手伝ったら独力じゃないじゃん。お、その手で来ましたか~!ジョージちん本当に将棋初心者?」
……馴染みすぎだろう。
「阿紫花の知人か?阿紫花は今出かけている」
見れば分からあ!と叫ばなかったのは、ジョージと呼ばれるこの外国人の周囲に阿紫花の弟妹がいたせいだ。彼らに悪印象をもたれては、今後阿紫花にどんな顔をされるか分からない。
「……いや、兄貴、スイカ好きだったからよ」
お中元代わりと言っては何だが、羽佐間はスイカを差し出し、縁側に置いた。
「……あんた、兄貴の知り合いかい」
「……阿紫花と私は」
ジョージが言いかけ、すかさず三姉妹が、
「お友達なのよねッ!」
「そう!フランスで知り合ったお友達の!」
「ジョージちんで~す。あ、本名はジョージ・ラローシュって言うよ」
……明るい口調で言っても、不自然は不自然だ。
羽佐間は三姉妹の態度に不信を抱いている。
「え?その……いや、もしかしたらあんた、」
兄貴のコレなのか?--そう問いかけようとした瞬間。
「お~、羽佐間じゃねえか。どしたい」
阿紫花の声がした。
「兄貴……!」
「おう、元気だったかよ」
阿紫花は笑った。屈託ない笑みで。
それだけで羽佐間は胸が詰まりそうになる。
(兄貴……!)
「兄……!」
感極まって抱きつこうとする羽佐間を素通りし、阿紫花はスイカに夢中になる。
「あ、スイカじゃねえか。羽佐間か?あんがとな。やった、見ろよジョージさん。……百合、お前ぇ、前から見てみろって。笑えて仕方ねえ。ぷくくくく」
「え?」
阿紫花の言葉に、菊とれんげが顔を上げる。
途端に噴出した。
「可愛いじゃないの……!」
「ジョージちんさあ、……プーッ、笑いなよ、すっごい盛ってるよ。キャバ嬢かって感じ」
「……こうか?」とジョージは笑みを作ろうとするが、歯が痛いようにしか見えない笑みだ。
「ジョージさん、は、っははは、怖ェ!笑顔超怖ェ!」
阿紫花は大笑いで羽佐間に同意を求めてきた。
「な!?テメエもそう思うだろ!?」
「……」
(兄貴……笑ってる)
羽佐間の胸の内に、いくつかの考えが去来する。
阿紫花の過去を、この外国人にブチまけたら、どうなるだろうか、とか。ブチ壊れたら、今度こそ自分は阿紫花に触れてもいいのじゃないか、とか。でもこの外国人も銀髪だしおそらくしろがねだろうから、それくらいじゃどうもしない神経かもな、とか。
……阿紫花が笑ってるから、これでいいんじゃないか、とか。
羽佐間は色々考えて。
「はは……おっかしいですねえ」
笑ったのだが、何故かそれは少し泣きそうな笑みにしかならなかった。
END
原作の羽佐間の消息が気になる。案外阿紫花に始末されていても、私は驚かない。
生き残りパラレル。ジョアシ18禁。
酒を飲んで阿紫花に絡むヴィルマ。
酒を飲んで阿紫花に絡むヴィルマ。
世はなべて事もなし
酒に強い女だ。
ヴィルマを見ていると、夜の街で多くの女を見てきた阿紫花でさえそう思う。度の強いウィスキーやブランデーをストレートで、あるいはロックで浴びるように飲んでも、頬を上気させた程度でぴんしゃんとしている。
フウの屋敷の一室で何となく飲み始めたはいいが、酒に強い人間が二人だとそうそう飲み終えられぬもので、阿紫花もヴィルマもだらだらと飲み続けている。
二人とも大分楽な格好だ。阿紫花は寝巻きだし、ヴィルマはバスローブにガウンを羽織っただけだ。ヴィルマは裸で寝る主義だと言うので、阿紫花はちらりと見える胸元や太ももを楽しんでニヤけている。
「あ~あ、気持ちいい」
豊かな胸を揺らし、ヴィルマはブランデーグラスを傾けて阿紫花を見る。
ニヤニヤと、よだれすら流しそうな顔でそれを見ていた阿紫花は、
「誘ってんのかい」
「いいよ、別に。でもアタシあんた相手だったらタチだからね」
「げ。あんた相手でもケツ掘られんのはちょっとなあ……」
「いいじゃん。--ねえ」
ヴィルマは阿紫花の胸ポケットのタバコを取り、
「あんたらいっつもどんなセックスすんの?教えてよ」
「火、使いやす?」
「ン。ありがと」
「どんなって、ねえ。普通」
阿紫花はヴィルマの咥えたタバコに火をつけてやり、自分も一本咥え、
「普通でさ」
「どこの世界に男にケツ掘られて普通って言い切る男がいんのよ。チェッ、あんたやっぱりネコじゃないの。上に載られると興奮すンでしょ」
「あんただってあたしの上載ったけど、あの時はあたしのサオ使ったじゃねーか」
「違うね。確かにあんたのペニス入れたけどさ。あんた反応が女なんだもん。顔とか体じゃないよ、女とか男ってのは。感じ方とか気持ちいいって声の出し方とか、そういう部分がどっか女なんだもん。だからアタシもその気になっただけだよ。アタシ男興味ないからね」
「その割にゃ、慣れた感じでしたけどね」
「慣れた方が楽な事だってあンだろ。分かンでしょ」
「……そーでやすね」
吐き捨てるように言ったヴィルマに、阿紫花は苦笑する。
ヴィルマはタバコの煙を吐き出し、
「普通の男なんかどうでもいいよ。気持ち悪い。でもあんた可愛かったよ。腹の傷開いたままだってのに、どうしてもやりたいって言うからアタマおかしくなってんのかと思ったけど。男の生理ってな不思議だね。死にかけた方が勃つなんて」
「いや別にそれだけじゃねえけど……たまたまでさ。あんた居たし、あんた胸見えるような格好でこっち来ンだもの。そりゃヤりたくなンでしょ」
「そういう事にしといてやるよ。……ねえ、またしてみる?ベッドにあんた括りつけてさ。腹切ったみたいに縛り付けて……アタシ上でいいよ」
キスするように顔を近づけ、ヴィルマは阿紫花に囁く。
「マジで言ってやす?」
「ちょっと締め付けただけで首のけぞらせちゃってさ……、指入れてかき回しただけでイキかけンだもん。すっごく興奮した」
阿紫花の頬に唇を寄せ、
「前より肌のツヤいいね。いいセックスしてそう」
「姐さん、酔ってやすねえ」
ククク、と阿紫花は笑う。女に露骨なセックスジョークを言われるのは嫌いじゃない。ましてやこんなボインな外人に迫られるのも悪くない。
「酔ってないよ……。ねえ、もし、さ」
「へえ?」
「あんたの男が死んで、アタシらだけ生き残ってたら、アンタ、あたしの男になってたと思う?」
「……」
阿紫花は黙る。そして笑った。
「アンタ、あたしと死んでくれっかい?」
「……何それ」
「アンタ弟のためには死ねても、あたしのためには死ねねえだろ。だからさ」
「……馬鹿だね。男ってのは」
ヴィルマは怒ったように、
「じゃあアンタ、あの銀髪のために死ねるのかい」
「さあ?死んだことねーから分からねえ」
「なんだい、適当な事ばっか言っちゃって。犯すよ、あんま人をからかうと」
「やれンならやってみろってんだ」
一瞬。阿紫花は「しまった」と凍りつく。
どたばたと騒ぐ音に、廊下を通りかかったジョージとギイは気づき眉をしかめた。
阿紫花の部屋だ。
ギイは何気なく、
「開けてみるか?マドモワゼルが一緒だったが、何かケンカになっているのかも知れない」
「ケンカ?まったく、子どもでもあるまいし。おい、何を騒いで--」
ろくにノックもせずにドアを開け、ジョージは凍りついた。
「ジョ、ジョージ、さん」
うつぶせにベッドに押し倒された阿紫花が凍りついた声を上げる。
四つん這いで尻を上げさせられ、その尻に瓶の口を刺されて青ざめている。
細身だが尻や胸の重みでヴィルマは阿紫花に圧し掛かり、ガウンのベルトで阿紫花の両手首を背中で縛り上げていた。
乱れて胸や下腹部があらわになっていると言うのに、ヴィルマは平然と、
「生意気言うんじゃないよ、スキニーボーイ。マジで犯しちゃうよ?」
「や--やめないか!」
ジョージは赤面と蒼白が入り混じったおかしな顔色で、声を張り上げる。
ヴィルマはジョージを見て、ばさっ、と着衣を適当に直し、
「ああ?--チッ、全部アンタのせいだからね」
「は?」
「もういいよ。ったく、--分かっただろ子猫ちゃん、アタシからかうと、アンタなんてすぐにこうだよ。彼氏の前で犯しちゃうから」
ひぃ、と阿紫花が息を呑む。
「フン、だ。もう寝るよ。続きやるなら譲るよ」
事情が飲み込めないのと、慣れないものを見た事と、倫理観の反発とでジョージは絶句している。
「おい、何かあったのか?と、廊下の先を歩いていたギイが近づいてくる足音がする。
ヴィルマは瓶を引き抜こうともせず、ただ手を離して立ち上がると、ジョージの隣を通って出て行った。ギイと何か話している。飲みなおす約束でもしているのか。
「……ジョ、ジさん」
阿紫花は赤い顔で訴える。縛られたせいで、手が使えないのだ。
「抜いて……あのアマ、酒がちっと残ってンのに、入れやがって」
勿体ねえ真似しやがって、と、阿紫花は赤い顔で呟く。
「助け……」
「……」
カチャ、と。
後ろ手でジョージはドアに鍵を掛けた。阿紫花はそれに気づかない。
「早く抜い……中に、入って熱くなって……流れて、来……」
「ああ。……」
ジョージの手が、瓶の底を掴む。抜こうとはせず、
「……どんな、感じだ?……」
「熱いンでさ!やべえ、マジで目が回りそ……」
阿紫花は助けてもらいたい一身で言うのだが。
「こうしたら?……」
「ひぃっ……あ、ジョージ!?」
瓶の底を掴まれて、上下左右に揺らされて阿紫花は息を呑む。
「ッ、何しやがんだ!ひっ、やめ、嫌っ」
「すっかり柔らかくなっているな。酒のせいか?……」
「知るかよ!ちょっ、抜け!抜いて……!」
「どこまで入るかな……」
「は!?ふざッけんな!」
「なんだか、さっきよりうるさいな」
ギイは廊下を歩きながら傍らのヴィルマに、
「そう思わないか、マドモワゼル」
「仲良くやってんでしょ。フン。こんな美女がいるのに男同士で乳繰り合ってさ。せっかくイイ感じの男見つけたと思ったらこうだよ」
「それは残念だな。--どうだろう?マドモワゼル」
「は?」
「私も淋しい男なのですよ。……」
きらきらした顔でギイは言うが、ヴィルマは肩をすくめ、
「ゴメン。好みじゃない。アタシ、女かスキニーボーイみたいなバイしか相手にしない」
「……」
「あ、あ、馬鹿っ、馬鹿ぁ……っ」
「ああ、馬鹿で結構だよ。お前だってこんな事になって、馬鹿じゃないか?尻に瓶突っ込まれて、掻き回されて」
とは言うが、今は瓶などない。瓶なら床に放られている。
「誰があんたの瓶突っ込めった!?っ、」
泣きが入った顔で、縛られたまま阿紫花は貫かれている。さんざ言葉で攻められた上に、酒が入ったままの其処に生のペニスを突き立てられ、息も絶え絶えになっている。
「いつもより柔らかい。酒のせいか?」「中でどうなっている?」「瓶とどっちがいい?」などと囁かれ、涙顔で逃げ出そうとするのだが、縛られた上に酒が入っているので動けない。快感はあるのにアタマがグラグラしてよく分からない。
「ダメ、イク……ッ、ウ」
「ああ、好きにしろ」
「あ、あああっ……」
--散々な目に合って、阿紫花は数時間後に解放されたのだが。
翌朝。
「オハヨ、スキニーボーイ。うわ、目の下クマすごいよ」
「ヒッ」
ヴィルマの顔を見た途端に、ドアの陰に隠れてしまった。
「はあ?何してるのよ……」
「……しばらく、酒も女も、やめときやす」
「……どんだけ昨日いじめられたのよ。アンタ、あの銀髪ロボにどんなセックス強要されてんの?大丈夫?」
「テメエのせいじゃねえか……」
恨み顔で阿紫花はヴィルマを睨んだ。
END
酒に強い女だ。
ヴィルマを見ていると、夜の街で多くの女を見てきた阿紫花でさえそう思う。度の強いウィスキーやブランデーをストレートで、あるいはロックで浴びるように飲んでも、頬を上気させた程度でぴんしゃんとしている。
フウの屋敷の一室で何となく飲み始めたはいいが、酒に強い人間が二人だとそうそう飲み終えられぬもので、阿紫花もヴィルマもだらだらと飲み続けている。
二人とも大分楽な格好だ。阿紫花は寝巻きだし、ヴィルマはバスローブにガウンを羽織っただけだ。ヴィルマは裸で寝る主義だと言うので、阿紫花はちらりと見える胸元や太ももを楽しんでニヤけている。
「あ~あ、気持ちいい」
豊かな胸を揺らし、ヴィルマはブランデーグラスを傾けて阿紫花を見る。
ニヤニヤと、よだれすら流しそうな顔でそれを見ていた阿紫花は、
「誘ってんのかい」
「いいよ、別に。でもアタシあんた相手だったらタチだからね」
「げ。あんた相手でもケツ掘られんのはちょっとなあ……」
「いいじゃん。--ねえ」
ヴィルマは阿紫花の胸ポケットのタバコを取り、
「あんたらいっつもどんなセックスすんの?教えてよ」
「火、使いやす?」
「ン。ありがと」
「どんなって、ねえ。普通」
阿紫花はヴィルマの咥えたタバコに火をつけてやり、自分も一本咥え、
「普通でさ」
「どこの世界に男にケツ掘られて普通って言い切る男がいんのよ。チェッ、あんたやっぱりネコじゃないの。上に載られると興奮すンでしょ」
「あんただってあたしの上載ったけど、あの時はあたしのサオ使ったじゃねーか」
「違うね。確かにあんたのペニス入れたけどさ。あんた反応が女なんだもん。顔とか体じゃないよ、女とか男ってのは。感じ方とか気持ちいいって声の出し方とか、そういう部分がどっか女なんだもん。だからアタシもその気になっただけだよ。アタシ男興味ないからね」
「その割にゃ、慣れた感じでしたけどね」
「慣れた方が楽な事だってあンだろ。分かンでしょ」
「……そーでやすね」
吐き捨てるように言ったヴィルマに、阿紫花は苦笑する。
ヴィルマはタバコの煙を吐き出し、
「普通の男なんかどうでもいいよ。気持ち悪い。でもあんた可愛かったよ。腹の傷開いたままだってのに、どうしてもやりたいって言うからアタマおかしくなってんのかと思ったけど。男の生理ってな不思議だね。死にかけた方が勃つなんて」
「いや別にそれだけじゃねえけど……たまたまでさ。あんた居たし、あんた胸見えるような格好でこっち来ンだもの。そりゃヤりたくなンでしょ」
「そういう事にしといてやるよ。……ねえ、またしてみる?ベッドにあんた括りつけてさ。腹切ったみたいに縛り付けて……アタシ上でいいよ」
キスするように顔を近づけ、ヴィルマは阿紫花に囁く。
「マジで言ってやす?」
「ちょっと締め付けただけで首のけぞらせちゃってさ……、指入れてかき回しただけでイキかけンだもん。すっごく興奮した」
阿紫花の頬に唇を寄せ、
「前より肌のツヤいいね。いいセックスしてそう」
「姐さん、酔ってやすねえ」
ククク、と阿紫花は笑う。女に露骨なセックスジョークを言われるのは嫌いじゃない。ましてやこんなボインな外人に迫られるのも悪くない。
「酔ってないよ……。ねえ、もし、さ」
「へえ?」
「あんたの男が死んで、アタシらだけ生き残ってたら、アンタ、あたしの男になってたと思う?」
「……」
阿紫花は黙る。そして笑った。
「アンタ、あたしと死んでくれっかい?」
「……何それ」
「アンタ弟のためには死ねても、あたしのためには死ねねえだろ。だからさ」
「……馬鹿だね。男ってのは」
ヴィルマは怒ったように、
「じゃあアンタ、あの銀髪のために死ねるのかい」
「さあ?死んだことねーから分からねえ」
「なんだい、適当な事ばっか言っちゃって。犯すよ、あんま人をからかうと」
「やれンならやってみろってんだ」
一瞬。阿紫花は「しまった」と凍りつく。
どたばたと騒ぐ音に、廊下を通りかかったジョージとギイは気づき眉をしかめた。
阿紫花の部屋だ。
ギイは何気なく、
「開けてみるか?マドモワゼルが一緒だったが、何かケンカになっているのかも知れない」
「ケンカ?まったく、子どもでもあるまいし。おい、何を騒いで--」
ろくにノックもせずにドアを開け、ジョージは凍りついた。
「ジョ、ジョージ、さん」
うつぶせにベッドに押し倒された阿紫花が凍りついた声を上げる。
四つん這いで尻を上げさせられ、その尻に瓶の口を刺されて青ざめている。
細身だが尻や胸の重みでヴィルマは阿紫花に圧し掛かり、ガウンのベルトで阿紫花の両手首を背中で縛り上げていた。
乱れて胸や下腹部があらわになっていると言うのに、ヴィルマは平然と、
「生意気言うんじゃないよ、スキニーボーイ。マジで犯しちゃうよ?」
「や--やめないか!」
ジョージは赤面と蒼白が入り混じったおかしな顔色で、声を張り上げる。
ヴィルマはジョージを見て、ばさっ、と着衣を適当に直し、
「ああ?--チッ、全部アンタのせいだからね」
「は?」
「もういいよ。ったく、--分かっただろ子猫ちゃん、アタシからかうと、アンタなんてすぐにこうだよ。彼氏の前で犯しちゃうから」
ひぃ、と阿紫花が息を呑む。
「フン、だ。もう寝るよ。続きやるなら譲るよ」
事情が飲み込めないのと、慣れないものを見た事と、倫理観の反発とでジョージは絶句している。
「おい、何かあったのか?と、廊下の先を歩いていたギイが近づいてくる足音がする。
ヴィルマは瓶を引き抜こうともせず、ただ手を離して立ち上がると、ジョージの隣を通って出て行った。ギイと何か話している。飲みなおす約束でもしているのか。
「……ジョ、ジさん」
阿紫花は赤い顔で訴える。縛られたせいで、手が使えないのだ。
「抜いて……あのアマ、酒がちっと残ってンのに、入れやがって」
勿体ねえ真似しやがって、と、阿紫花は赤い顔で呟く。
「助け……」
「……」
カチャ、と。
後ろ手でジョージはドアに鍵を掛けた。阿紫花はそれに気づかない。
「早く抜い……中に、入って熱くなって……流れて、来……」
「ああ。……」
ジョージの手が、瓶の底を掴む。抜こうとはせず、
「……どんな、感じだ?……」
「熱いンでさ!やべえ、マジで目が回りそ……」
阿紫花は助けてもらいたい一身で言うのだが。
「こうしたら?……」
「ひぃっ……あ、ジョージ!?」
瓶の底を掴まれて、上下左右に揺らされて阿紫花は息を呑む。
「ッ、何しやがんだ!ひっ、やめ、嫌っ」
「すっかり柔らかくなっているな。酒のせいか?……」
「知るかよ!ちょっ、抜け!抜いて……!」
「どこまで入るかな……」
「は!?ふざッけんな!」
「なんだか、さっきよりうるさいな」
ギイは廊下を歩きながら傍らのヴィルマに、
「そう思わないか、マドモワゼル」
「仲良くやってんでしょ。フン。こんな美女がいるのに男同士で乳繰り合ってさ。せっかくイイ感じの男見つけたと思ったらこうだよ」
「それは残念だな。--どうだろう?マドモワゼル」
「は?」
「私も淋しい男なのですよ。……」
きらきらした顔でギイは言うが、ヴィルマは肩をすくめ、
「ゴメン。好みじゃない。アタシ、女かスキニーボーイみたいなバイしか相手にしない」
「……」
「あ、あ、馬鹿っ、馬鹿ぁ……っ」
「ああ、馬鹿で結構だよ。お前だってこんな事になって、馬鹿じゃないか?尻に瓶突っ込まれて、掻き回されて」
とは言うが、今は瓶などない。瓶なら床に放られている。
「誰があんたの瓶突っ込めった!?っ、」
泣きが入った顔で、縛られたまま阿紫花は貫かれている。さんざ言葉で攻められた上に、酒が入ったままの其処に生のペニスを突き立てられ、息も絶え絶えになっている。
「いつもより柔らかい。酒のせいか?」「中でどうなっている?」「瓶とどっちがいい?」などと囁かれ、涙顔で逃げ出そうとするのだが、縛られた上に酒が入っているので動けない。快感はあるのにアタマがグラグラしてよく分からない。
「ダメ、イク……ッ、ウ」
「ああ、好きにしろ」
「あ、あああっ……」
--散々な目に合って、阿紫花は数時間後に解放されたのだが。
翌朝。
「オハヨ、スキニーボーイ。うわ、目の下クマすごいよ」
「ヒッ」
ヴィルマの顔を見た途端に、ドアの陰に隠れてしまった。
「はあ?何してるのよ……」
「……しばらく、酒も女も、やめときやす」
「……どんだけ昨日いじめられたのよ。アンタ、あの銀髪ロボにどんなセックス強要されてんの?大丈夫?」
「テメエのせいじゃねえか……」
恨み顔で阿紫花はヴィルマを睨んだ。
END
拍手ありがとうございま~す。
Kさん>先日は絵チャ楽しかったですw阿紫花の萌えな話とか、もっとしたかったw絵描くのすごく早くてビックリしました~。エロンヌな阿紫花がいっぱい見れて眼福でしたwいずれまた機会があれば相手してやってくださいw
ありがとうございました!
ありがとうございました!
必読:ブログの説明
※「か〇くりサー〇ス」女性向け非公式ファンサイトです。CPは「ジョ阿紫」中心。また、予定では期間限定です。期間は2010年内くらいを予定してます。
※管理人多忙につき、更新は遅いです。倉庫くらいに思ってください
必読:閲覧にあたって
※女性向け作品を載せております。興味のない方や男性の方、また同性愛やBLに嫌悪感を抱く方の閲覧もお控え下さい。また、年齢制限表記も厳に従い下さい。
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プロフィール
名前:デラ
性別:女性(未婚)
年齢:四捨五入して三十路
備考:体力と免疫力が無い
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備考:体力と免疫力が無い
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