印刷 高速道路 1000円 機械仕掛けの林檎 冷たい夜 忍者ブログ
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 過去捏造で暗い話です。ほとんど全部が阿紫花の独り言。
 漫画のネーム切れない切なさを小説にぶつけてみた。

 ※一部に不適切な表現があるので、18歳未満は閲覧禁止です。

 冷たい夜

 シャワーを浴びて戻ると、ジョージが眠っていたので阿紫花は嘆息した。
 嘆息はしたが、事に及ぶ気がなくなったジョージに腹が立って太い息をもらしたのではない。細く小さく、諦念しただけだ。
 フウの屋敷の客間のいいところは、風呂場やトイレが備わっているところだ。ベッドも大きい。悪い所は、部屋が広すぎる事。ベッドまでの十数歩が長い。
 クイーンサイズのベッドの片側に、体の長い男が寝転がっている。上着とブーツが床に落ちているだけ、以前よりマシか。口に出した事は無いが、靴を履いたままベッドに上がるのだけはガマンがならない。
 触れればすぐに起きるだろう。右半身を下に眠る、その背中に触れる気にもならず、阿紫花はベッドに腰を下ろした。バスローブが湿気を吸って、マットレスの冷たい柔らかさを尻に返してくる。しばらくそうしていたら風邪を引きそうだ。
(あたしも寝ちまおう。……)
 寝ている人間にイタズラする気分ではなかった。それに、背中を見ているのも嫌いではない。寝ている男の背中など、あまり見ない。
 煙草を吸おう、とサイドテーブルに手を伸ばす。予備の煙草が引き出しに詰まっている。テーブルの上の灰皿とライター、そして開けたばかりの煙草の箱を手に取った。
 起こさないように火をつけて、阿紫花はジョージの背中を見下ろした。
 肩幅が広く、手足が長い。いささか長すぎるだろう、と時々思う。
(あ。足の裏……)
 初めて見た、と阿紫花は気づく。ジョージの、靴下を脱いだ素足の足裏が、曲げた膝の下敷きになっている。
 白い足だ。人体の部品には、その人間の生活や職業、性格が現れるというが、そういった断片がまったくない足裏だった。皮膚が柔らかそうだ、と思うほど白い。
(……なんか、伺い知れねえやな)
 外見からは中身が想像できない。しろがねだからかも知れない。ギイもエレオノールも、人形使いの癖に指にタコを作ったりしないし、どこもかしこも整い過ぎている。他のしろがねたちは詳しく知らないが、彼らはおそらく、その長すぎる年月を肉体に刻む事なく逝ったのだろう。人間が得るべき肉体の記憶もなく。
 哀れなもんだ。--ジョージの足の裏を見て、阿紫花は初めて、彼ら--しろがねたちを哀れんだ。彼らが生命を失った時も、感慨は得たが哀れではなかった。「やるだけやって、おっ死んだ」。見事なもんだ、とすら、思ったのだ。恨みつらみでもいい、復讐に生きてその人生を燃やし尽くした。虚しく満ち足りた人生--悪くない。
 どうせ堕ちるなら緩やかに堕ちたのではつまらない。急転下に真ッ逆さま。そして脳髄撒き散らして反吐吐き散らし終わるのも悪くない。どうせ死など一瞬だ。
 しかしその時には、ゴミのような「阿紫花英良だった肉の塊」がその場に転がり、やはりその肉には生きた痕跡がまざまざ残る。両手の指は勿論、足の指さえタコだらけだし、ハラワタ切った傷跡や銃創の痕跡もそのままだ。下腹部に煙草の火を押し付けられた火傷跡や、使い込んでいるとすぐに分かる尻の穴が、肉体の部品として転がるのだ。
 テメエの死んだ後の事などどうでもいいし、検死でケツ穴が開いているだの、ホモ野郎だオカマ野郎だと赤の他人の罵られても何とも思わない。そこに死体となって転がる自分に残ったそのいずれも、己が生きたそれまでが残るだけだ。恥などない。開き直りでもない。ただそれは自分で、他人でも人形でもない。
 それが少し、今ではマシな事に思える。
 生きた人形にされたあのサハラのしろがねたちは、やはり哀れだ。若いままで生かされ続けて、絶望しても死ぬ事も出来ず、人形を壊し続けるだけ。傷跡も変質も、生きた証もなく。

 --タ、と、バスローブの太ももに煙草の灰が落ちた。
 我に返り、寒気に気づいた。11時を過ぎて、セントラルヒーティングの設定温度が下げられたのだ。
 ベッド脇の暖房を点ければ温まるが、ジョージのすぐ傍だ。スイッチを入れてすぐは、作動音がかなりうるさい。起きるかも知れない。どの道布団の上に眠っているから、一度起こさなければ布団にもぐり込む事も出来ない。だが起こす気にならない。
 何をグダグダ考えていやがるんだあたしは--、と、煙草を灰皿に押し付けた。
 あんな死んだ連中の事などどうでもいい。盆でもあるまいし、帰ってくるわけないのだ。だが--。
(あの褐色の肌のねえちゃんとは、ヤッてみたかった)
 マジメそうだが話の分かる感じだった。したたかそうで、しかし男をさほど知らなさそうで。
 あの女の体の中には、年月があったのだろうか。
 死ぬまでに一度でも、ベッドで男の名前を呼んだ事があったのだろうか。
 一度だって好きな男に抱かれた事があったのだろうか。
 それが嬉しいと思って死ねたのだろうか。
「……下らねえ」
 この世にはもっとみじめな人生が履いて捨てるほどある。クソ溜めで蠢く蛆虫のようにしか生きられない人間など、それこそ数え切れないほどだ。生まれを見下げ果てられ、生き様を蔑まれ、死ぬまで踏みつけにされるような連中に比べれば、なんだってマシだろう。
 いや、「マシ」とか「マシじゃない」とか、そういう考え方が出来るのは余裕がある人間だ。当人はそれこそそれが当然でドブ水を啜っている。泥の中を沈んでいく。緩やかに退廃して、堕ちきる事は無い。生きている限り堕ち続けて、それに飽きたら死ぬだけで。
(感傷ってヤツですかい)
 その場に居ない人間の事を思うのは感傷だろう。年寄りじみていて阿紫花の苦手な感覚。思い出して価値のある過去も無い。しかし時折思い出す。ベッドの中で--ジョージといると、時折。
(思い出しても、どうしようもねえ)
 憎しみも怒りも最初からなかった。誰に対しても。
(もう居ねえ)
 あの男ももう居ない。
 人形を作った男。しかし人形など微塵も愛さなかった。
 幾度も戯れに床に這いつくばせられ、生身を与えずに玩具で弄ばれた。人形に性交の真似事をさせて、それに翻弄される様を暗い目で憎しみすら込めて見つめていた。
 侮蔑しきって、人形を見るような目で、冷え切った焼け付くような目で。
(あたしなど見ちゃいなかった)
 白い肌も細い腰も、滑らかな肌も。人形に犯される阿紫花の断片に見ていたのは、記憶の中のあの女の断片だったのだろう。もしくは妄想だ。女神のようにあの女を愛しながら殴ったあの男の身勝手な。
(冷たい目で)
 だがそれが、あの男にとっては愛だった。優先順位の低い愛ではあったが、確かに愛だった。
 阿紫花にとっても。
 支配され、思考を奪われ、何もかも明け渡すよう強制されて、それは、
(少なくとも、満ち足りてた)
 貞義が死ぬまでは。貞義の愛人の子が現れるまでは。貞義の嘘偽りが分かるまでは。
 覚めて欲しくない悪夢が覚めたような暴露でそれが消えてしまって。
 クソ食らえ、と吐き捨てる気にもならない現実に取り残された。
(くっだらねえ)
 下らない、人生だ。

 ちょうどジョージが寝返りを打ってすぐ、阿紫花は銃の激鉄を起こした。安全装置を外す。枕の下に忍ばせていた銃だ。
 撃つつもりはなかった。ジョージの額を撃っても弾のムダだし、今更自殺する理由も無い。ただ構えて、ジョージの額の真ん中に照準を合わせた。
 綺麗な白いオデコだ。いささか後退気味ではあるが、作り物じみて綺麗な肌だ。以前、至近距離から9mmで撃ち抜いたのに、傷跡もない。
 残らないのだ。傷跡も、生きた年月も、人生も。
 家電製品の親戚だろうと叫んで皮膚の下にある電気コードを引きずり出してやっても(あればの話だ)、すぐに回復していく。傷跡も残さず。
 こうして同じベッドにいても、何も残せない。今があるだけで、その「今」も、ブチ壊したい欲望に駆られる。二度と再起動できないほど頭蓋をぶちのめして、アクチュエータ(各部を動かすシステム・部品)を分解して、身動き取れなくなった体を抱きしめたら、やっと安心するだろうか。
 銃などでは物足りない。残したいだけだ。ジョージの体に、自分の一部を。

「……玩具で遊ぶな」
 物憂げな声がして、銃を持った手首を強く掴まれた。
 阿紫花が問う。
「起きてたんですかい」
「リボルバーはやめたらどうだ。音が大きい」
「オートマはいざって時不便でね。複雑で性能が高けりゃいいってのは、人形だけでさ。……」
 阿紫花から手を離し、ジョージが上体を起こした。
「冷えているな。いつからそうしていた。起こせば--良かったのに。銃で狙うほど腹が立ったのか」
 謝りもしない。謝罪など期待していない阿紫花は、激鉄を戻した銃をサイドテーブルの上に置き、
「よっく寝てらっしゃるんでね。オデコに穴空けてやったらもっと眠れンじゃねえか--いえ、嘘でさ、冗談。……いえね、珍しいじゃねえですか。待ってる間にうたた寝するなんて」
 険のある目でジョージは睨み、
「だから、起こせば良かっただろうが。お前は馬鹿なのか?そんなに冷え切って」
 寝てしまった自分を恥じているのか、素直に謝れないのか。阿紫花はもう分かりきってジョージを見る。
「なんでアンタの方が怒ってんでえ、アホらし。--寝やすよ。もうね。ここで寝てってもいいですが、アンタ自分の部屋に帰るなり何なりしなせえよ」
「……ここで寝る」
「ここで寝ンなら、服脱いで寝て下せえよ。どうせ寝巻きねえんでしょ。ズボンも脱ぎなせえよ」
「ああ」
 命じるような阿紫花の声に、ジョージは頷いてタンクトップ一枚になる。
「全部脱いぢまいなせえよ、面倒臭ェ。脱いだらそっち置きなせえよ。あたしの服とごっちゃにされっと、メイド人形どもになんやかや言われンだから」
「ああ」
「そんで脱いだら、大人しく寝ンですね。あたしゃ嫌がらせに冷たい足絡ませたりしやすけど、ガマンすんですね」
「ああ」
「冷たい手でやらしいトコ触っても、ガマンしなせえよ」
「ああ」
「……なあ、冗談で言ってるって、分かってやす?」
「あはは」
「いや、笑う類の冗談じゃねえんですけど……」
 明らかに作り笑いの顔のジョージに、阿紫花は眉をひそめる。分かりきっていると思った次の瞬間には首をひねらされている。いつもだが、よく分からない性格だ。(お互い様かも知れないが)
 ジョージは作り笑いをやめ、
「君に従う。これでいいんだろう?君のルールを守りさえすれば」
「……ええ、まあ」
「わかった」
「……おやすみなせえ」
(規則とかルールとか大好きなトコもあたしと合わねえ……)
 阿紫花は心の中で呟いた。バスローブを脱いで布団を被る。隣のデコ助は、確実に過去に出会わなかったタイプの男だ。
 ヤバさでは過去最高だ。銃を玩具くらいにしか思っていない男など、そうはいなかった。それは悪くない。だが。
(……好いた惚れたじゃねえからよ。寝ンだけの関係でさ)
 強がってみるがそれも虚しいだけだ。
(面倒臭ェ)
 それは愛でも恋でもない。ただの、--。
 ただの、「何」だ?

「--なっ、ちょ」
 布団を被ってすぐに、背中から抱きしめられて目を剥いた。身動きが取れない。息苦しいほど強く胸を前で締められ、息を飲み込んだ。
「ぐっ……寝なせえよ」
「ああ。寝るとも。終わったら。ガマンするのは冷たい手足だけなんだろう?他の事はガマンしないでいい?」
「ガマンって、した事あんのかよ……ぐえっ。締め過ぎ、締め過ぎ!内臓口から出ンでしょうが!」
「それは困る」
 ぱっ、とジョージは手を離す。阿紫花は青い顔で寝返りを打って、
「ちっとは考えやがれ!アンタら自動人形並みに馬鹿力なんでしょーが!あたしなんかすぐ締め殺されちまうだろーが!骨軋むっつの!」
「弱いからな、人間は」
「こっちが普通なんだっつの」
「あまりに冷たいから、暖めてやろうと思って」
 平然とジョージは言う。
「風邪を引いたら困るだろう?」
「……」
「まず引かないだろうがな。イレズミも消えたし」
「……あんたのお陰でこちとら虫歯もねえよ」
「良かったじゃないか。銃の傷跡も消えてきたし」
「……あってもよかったんですよ」
「虫歯が?」
 「それはどうだろう」という顔でジョージが問う。
 分かってない。多分、これからも理解する事は無いだろう。
「……またスミ入れる時ゃ、アンタと別れてからって事ですかね」
「ああ……そうなるな」
「ふーん……」
 覆い被さってくる体を拒むこともなく、阿紫花は天井を見上げる。
 気のない顔の阿紫花に、ジョージが呟く。 
「しばらく無理だな。諦めろ」
「どんくらい?次にスミ入れるの、どんくらいガマンしてりゃいいんですかね」
「死ぬまでしてろ」
「ン……」
「ついでに煙草と酒と……女もやめろ。あの女とは縁を--」
「ストップ。終わってからしやせんか、その話題」
「……ああ」
「……、」
 ジョージの首に腕を回し、阿紫花は何か呟いた。
「何か言ったか」
「いえ……」
 「お綺麗なこって」。--その呟きに、悪意はなかった。
 ただそんな生き方が出来るなら、何もかもが悪くも--。
 告げるつもりの無い言葉を口の中で転がし、ジョージの唇に吸い付いた。
 暖かい感触だった。自分の体が冷え切っていた事を、阿紫花はやっと思い知った。


 END

 グダグダ書きですね。面目ない。
 
 
 
  
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